教えて掲示板の質問
「何をどうしたら良いのかわからない」に関する質問
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ケイさん
過去に気分変調症(持続性抑うつ障害)と診断されていた
2021年から2年ほど精神科に通っていたがお金がかかるのでやめた
自分は自分の事を甘えだと思う
何を持って自分が病気なのかと思う性格ではないのか
親から褒めてもらった記憶がない
自分の能力を認められた記憶がない
自分が集団の中で平均以上の成績を残した事がない
子供の頃は母親に自分や父が殺されそうになった時にどうやって反撃するべきか考えていた
母親の事はいつか殺してやろうと思っていた
中学に上がる時に別居し父子家庭になった
中学生の頃から目の前に分厚いアクリル板があるような感覚
たまにアクリル板がなかった頃に自分が感じていたような世界を見たり聴いたり嗅いだりする事ができる時があり、その時に世界がすごく色鮮やかで大切に思う瞬間があるが、すぐに消えてしまい、どういうものだったのか
もわからなくなってしまう
全ての人にいなくなってほしい
外を歩いているとその場所を爆破して全ての人を殺したくなる
殺人事件について調べるのが趣味
犯人の生い立ちは僕より不幸なのだから頑張れるはずだ
と思い辛い気持ちになる
アフリカの子供や難病の方のことを考えては自分は恵まれているのに、何もする能力がないのが不甲斐ないと思う
就活をしていて内定をもらったが自分を採用する会社が信用出来ず内定を辞退した
独り言として「俺は人間だ(みんなと同じである)」
「俺は生きている(生きているだけでも幸せなはずなのに何故こんなにも辛いのか)」
「みんな頑張っている(何故自分だけが辛いような態度なのかと自分にイラつく)」
「みんな生きている(自分が与えられている物はみんなと同じなのに何故無能なのか)」などと言ってしまう
状況を良くしたくない 苦しんできた過去の自分が否定されてしまうから
こうならなかった人生を考えると怖く許せなくなり怒りと絶望が湧いてくる
誰かに相談しようとしている事自体
自分は楽になりたいのか?幸せになりたいのか?と思うと自分に対して怒りが湧いてくる
社会では社会を維持し発展させる人間に価値がある
そうなると自分が社会に対して出来ることは自殺する事になってしまう
全ての人間が生きている事にムカつきます全ての人に消えてほしいです
2025年10月8日 05時37分
教えて掲示板の回答
カウンセリングルーム サイレント
ケイさん。初めまして。AC HSP専門カウンセラー沖野です。
辛そうですね。
2年ほどで通院をやめられてから薬物療法なしで3年以上になりますね。改善する兆候がみられないのであれば、再度受診なさってください
気分変調症の特徴的な自尊心低下、絶望感、意思決定の困難は、自然や時間で改善されていくものではありません。
生活において、食事や睡眠に障害をきたすことでさらに悪化していきます。
1人で抱えていることで、その痛みや苦しみは増大していきます。
神経伝達物質であるセロトニンやノルアドレナリンの分泌には、薬の力を借りることで助けになります。
年齢を問わず誰にでも発症することがあると言われています。
辛い症状がケイさんのせいではないということを忘れないでくださいね
人は生涯で、精神的不調で精神疾患と診断される割合は50%と言われています。
繰り返しますが、それだけ高い割合で発症するのには、人生において誰にでも可能性があることで
決して
珍しい病ではないのです
少しづつでいいので、辛さから解放するために、もう一度立ち上がってください。
誰のせいでも、何が悪いのでもなく、誰しもがかかることのある病に、苦しむことはありません。
助けてくれます。
お金はかかりますが。
2025年10月11日 10時17分
S.Light.M
こんにちは、S.Light.Mの瀬川と申します。
ご相談内容を拝見させて頂きました。
まず最初に、正直に申し上げますと、私が「経験」していない(した事がない)人生と出来事を、ケイさんは経験し続け、「肌に触れて」生きて来たという事実から、私のお伝えする事がアドバイス等にならない面もあるかもしれません。
ただ、そのような中でも、ご相談内容を拝見し、私なりに「想像」した推察などを含め、お伝えしてみます。
そこで、間違っているかもしれませんが、ケイさんにおかれましても、自分を変えたいのか、あるいは、変えたくないのか、また、辛いままが良いのか、あるいは、幸せを感じても良いのか、更に、そのどちらでもないのか、あるいは、その両方なのかなど、色々な感情にしても冷めている部分や、熱い部分などが同居されているのかもしれません。
勿論、程度の差はあれ、私も含め、同じ事は誰の内面でも起こっている事でしょう。
そして、例えばですが、分断を生き延びる為に、他者を蹴散らした結果として行き着く先が、生き残れるのは一人だけという現象が生じるかもしれません。
しかし、それが仮に実現したと同時に、人は一人切りでは生きられないという事象に気づく可能性もあるかもしれません。
そして、私は世の中や社会や他者と、「直接的かつ積極的」に関わりを保つなどを勧めている訳でもございません。
ただ、例えば全てを自給自足出来ない事からも、食べる物一つ取ってみても、「間接的かつ消極的」な関わりだけは保っておくのは、自分の為だけを考えても必要な事なのかもしれません。
そして、ケイさんの仰る『自分が集団の中で平均以上の成績(を残した事がない)』や『就活をしていて内定をもらった(が自分を採用する会社が信用出来ず内定を辞退した)』などからも、ケイさんご自身も絶対的な無能という訳ではない事も、ご自身で理解出来ている事かもしれません。
それと同時に、あくまで私が感じた事ですが、同じくケイさんが仰る『たまにアクリル板がなかった頃に自分が感じていたような世界を見たり聴いたり嗅いだりする事ができる時があり、その時に世界がすごく色鮮やかで大切に思う瞬間がある』と『アフリカの子供や難病の方のことを考えては(自分は恵まれているのに、何もする能力がないのが不甲斐ないと思う)』という、少なくともこの2つの「思い」は、「同じ源」から来ている、ケイさんの「本当の姿」に近いのではと感じた次第です。
繰り返しになり恐縮ですが、お聞かせ頂いたケイさんのこれ迄の人生と出来事を考えますと、軽々にコメント出来るものではございませんが、自分事以外の、少なくともケイさんが関心を抱く他者(例えば、先ほどのアフリカの子どもや難病の方)へ向かう「共感」なども、ご自身を責めるような感覚と結び付いている一面もあるのかもしれません。
言葉の表現としてはオカシク不適切かもしれませんが、自分の幸せの為に自分に滅私奉公する事と、他者の幸せの為に自分を滅私奉公として活用する事では、確かに違いもありながらも、どこか共通する面もあるのかもしれません。
背負っている荷物が重過ぎる時は、誰かに「肩代わり」のように協力して貰える事もあるかもしれませんが、同じく自分の幸せも誰かに「お裾分け」する事も可能です。
何のアドバイス等にもなっていないかもしれませんが、その際には私の独り言として、宜しければ放念下さい。
2025年10月9日 15時25分