教えて掲示板の質問

「時々目に見えない人に導かれている感覚になる時がある」に関する質問

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小雪さん

私は、時々なのですがふと神様や仏様、ご先祖様に見守られいるのかなと
思ったり、だけどそういったことが信じられなくて思わなかったりする時があります。

私自身が悩んでいた時に、その悩みが軽くなる言葉を
たまたま行政の方との面談で、話を聞くことができて
お会いできて良かったなと思ったのですが、その方はその日が
最終出勤日で、面談日が一日ずれていれば
お会いすることが出来ませんでした。

そういったことを思うと何かの縁に導かれて
今回その方にお会いできたのかなと思うことがありました。
本当に一期一会の出会いでした。

そして、その方の言葉もあって、今は少し前に進むことが出来ています。

また、社会人になってからアレルギーで喉が痒くなってしまい
ひどい時は、2週間に一度耳鼻科に行って薬を処方してもらっていました。
しかも、抗生剤やきつい薬を沢山処方されて、若くしてこんなに沢山の
薬を飲んで、これから先大丈夫なのかと自分でも心配になるくらいの量でした。

ですが、今はかかりつけの心療内科から、漢方を処方していただいているので
そういったことで悩まされることも無くなり、またその主治医もとても
優しい先生なので、身体のことも心も両方きにかけてくださっていて
助かっています。また薬も沢山出しません。

最近ふと思うのが、過去に悩んでいたことが
今は状況が良くなっていたりと、そういったことがあります。

また、自分が辛くて泣いていた時に
急に外が、明るくなったと思ったので、窓の方を見ると
今までに見たことの無い、大きな二重の虹がかかっていて
びっくりしました。

ものの5分程度で消えてしまいましたが
その虹を見た後に、自分の中で悩んでいたことが良い方向に進み始めました。

もしかして、亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんが
見守ってくれているのかなと、思ったり思わなかったり。

一応散歩した時に、近くにある神社に参拝して
いつもありがとうございます、感謝しています。
と神様にお伝えはしています。

たまたまそいったことがあるのか
誰かが導いてくれているのか。

分かる方がいれば、コメントを下さい。
※宗教勧誘やスピリチュアル系のコメントは、投稿しないでください。

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2025年9月8日 16時10分

教えて掲示板の回答

やすらぎ

はじめまして。こんにちは小雪さん
カウンセラーやすらぎと申します。
ご相談内容拝見させて、いただきました。
神様、仏様、ご先祖様に見守られると思う事
いい方に出会えたのもご縁があって導かれたんだと
私はそう思っています。
私自身にも経験がありますので神社など見つけましたら、
ごあいさつ、感謝などしています。
物事など出来事何か伝えにきてるのかと前向きにとらえています。
小雪さん、神社に参拝して感謝しているお気持ち
素敵だと思います。

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2025年9月16日 11時48分


お礼コメント

やすらぎ様
コメントありがとうございます。
私の身に起きた現象について、肯定していただけて嬉しいです!
私も理屈では言い表せないけれど、とても不思議だなと思う事がやっぱりあります。
それを信じるか信じないかは、人それぞれですが、私も目に見えない方たちに感謝しながら
日々過ごしていこうと思いました。

2025年9月16日 15時18分

りょうしん

小雪さん、ご相談ありがとうございます。
時々、目に見えない何かに導かれているような感覚を抱かれるのですね。日常の中で偶然のように思える出来事が重なる時、人によっては「たまたま」と思うかもしれませんが、小雪さんにとっては心に寄り添う出来事として感じられ、その瞬間に深い意味を見出したくなるのではないでしょうか。行政の方との出会いも、たまたまのようでありながら「この時に出会うためだったのかもしれない」と思えるほどに印象深い体験だったのだと思います。

そうした体験を重ねることで、「誰かに見守られているのかもしれない」と思う時と、「気のせいなのかな」と思う時と、気持ちが揺れ動くのも自然なことだと思います。人は安心したい時、孤独を感じた時に、心を寄せる対象を探し、そこに支えを見つけるのだと思います。小雪さんがふと見た大きな二重の虹も、その時の心の状態と重なって「何か意味があるのでは」と感じられたのではないでしょうか。その体験が、小雪さんの気持ちを軽くしてくれたり、前に進むきっかけになったのだと思います。

また、体調や心のことについても触れてくださっていますね。以前はお薬の量に不安を感じながら過ごされていたのに、今は信頼できる先生に出会い、身体と心の両面を大切にしてもらえていることが、小雪さんにとって安心につながっているのだと思います。過去に悩んでいたことが今は落ち着いてきていることも、「導かれているのかもしれない」と思える背景になっているのかもしれません。

見えない誰かが本当に導いてくれているのかどうかは誰にも断言できませんが、小雪さんが「もしかしたら」と思う気持ち自体が、ご自身を支える大切な心の拠り所になっているのだと思います。きっと、そう感じられるくらいに日々を懸命に過ごしてこられたからこそ、そうした出来事を意味あるものとして受け取れるのだと思います。

もしよろしければ、LINEでのカウンセリングを初回無料(2回目以降、1返信:税込600円)で承っておりますので、こうした不思議な感覚や心の動きを、安心して整理する場としてご利用いただければと思います。カウンセリング内容については守秘義務を遵守し、ここでのご相談や内容がネット等に掲載されることはありませんので、ご安心ください。

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2025年9月11日 23時53分


NLP心理カウンセリングルーム

初めまして。小雪さん。拝読させて頂きました。
神様や仏様に見守られているのかは、実際のところわからないと言うのが現実です。
ただ、私自身も見守ってもらえていると言う感覚はあります。
事故にあいそうになった時、寸前でかわした事が何度かありました。
そして誰かを介して助言してくれる事もあるのかも知れません。

おじいちゃんやおばあちゃんに見守られているんだな。
私は、幸せになるために生まれて来たのだ。
だから、自分自身を大切にして行こうと思う事が出来たら良いですね。

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2025年9月11日 20時25分


横澤キャリアカウンセリング

小雪さん、初めまして。「横澤キャリアカウンセリング」の横澤です。
神様や仏様、ご先祖様に見守られている様に思ったり、信じれなかったりしているのですね。
偶然に思える事が続くとその様に思える事は、私にもあります。

小雪さんは、『一期一会』の出会いや『感謝』する気持ちを大切にしている様に思えます。
大変、素晴らしい事だと思います。
(1)『一期一会』の出会いを大切にする。
  人との出会いを大切にすると言う事は、人の言うことに共感したり人の話を素直に受け入れる事が出来る方だと思いま           す。この事は色々な出来事に対して、小雪さんが色々な気づきがあるという事だと思います。
(2)『感謝』する気持ちを大切にしている。
  小雪さんが経験したことを感謝に変える事で物事の見方が変化し、気づきに繋がっているのではと思います。感謝する事で小雪さんが経験してきた事に新しい価値観が出来ているのではないかとも思います。

小雪さんの日頃の気持ちの持ち方が、ものの見方や感じ方を変化させたのだとも思います。色々な経験や人との出会いは、受け取る人の気持ちの持ち方、感じ方で良い気づきにも悪い気づきにもなると思います。

今後も、『一期一会』の出会いや『感謝』の気持ちを大切にして、前向きに行動して欲しいと思います。又、偶然と思える様な出来事に対して『好奇心』や『柔軟な気持ち』を持つことも大切だと思います。

今後も小雪さんが、『一期一会』の出会いと『感謝』の気持ちを大切にして、色々な経験に対して色々な気づきをしながら、前向きに行動できる事を願っています。

                        「横澤キャリアカウンセリング」 横澤

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2025年9月11日 18時04分


カウンセリングルーム サイレント

小雪さん。初めまして、AC HSP専門カウンセラー沖野と申します。
小雪さんは繊細な感性をお持ちだと言われたことはありますか。
目には見えないけれど、確かに存在や導きを感じる方を、一括りに霊感やスピリチュアルで言い換えるには、真髄から離れることになると私は思っています。
私自身HSPであることで、そういう経験が多いので、小雪さんが感じておられる感覚に共感いたします。
目に見えないけれど、たしかにある存在や力についてお話ししたいと思います。
人にある五感って、お聞きになったことがあるとおもいます。
味覚、臭覚、嗅覚、聴覚、触覚.、そして人によりますが、六番目の感覚で第六感とも言われる、
直感があります。それが派生して、霊感やスピリチュアルという言葉になったのだと考えます。
第六感は、言葉や形で表現すると、信じがたいほど安っぽくなりますが、感じているその人にとっては、紛れもなく事実です。
その感覚は磨くことで、さらに強化すると言われている、能力です。
その存在に、その力に、今小雪さんが救われ、感謝して、心に感じているのであれば、否定することなく受け入れて感じるままに、磨き続けることをおすすめします。
六番目のその才能は、与えられたものであり、すべての人にあるものです。
ただ、磨きをかけ、感じ信じることで、確信に変わる方と、日常に紛れて感じることなく過ぎてしまう方に分かれているのです。
ご先祖様は、確かに存在した方たちであり、肉体という形は失っても、生きてきたその存在と意思は消えることはありません。
導きも、感じるから受けとれるのです。
小雪さんに与えられた才能を、ご自身の強みとして育てていかれることを切に願っています。
あえて言うなら、神様、仏様、ご先祖さま、導き、奇跡、それらは、自らの中にあると言っても過言ではないと私は思っています。

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2025年9月10日 18時37分


心理カウンセリング らしんばん座

小雪さん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。

小雪さんは何かの折に、ふと神様や仏様、ご先祖様に見守られているのかなと思ったりするのですね。
でも、そういったことが信じられなくて、思わなかったりすることもあるのですね。

そうですね、仏教では(瀬戸内寂聴さんのお話だったか(?))、観音様はいろいろな人や物に変身することが出来て、その人に助けが必要なときには、さっと助ける人に変身して助けてくれるのだとされています。
この話を信じるかどうかはともかく、一期一会というか、すごく的確なタイミングで物事が上手くいったり、助けられると言うことはありますね。
それに意味があるのかどうか・・・。

現象だけ捉えれば、すべてが「偶然」ということになります。
でも、例えば小雪さんのお話に出てきた大きな虹なんて、それが単なる偶然なんて言ったら、何かつまらないですよね。
物事には何も意味はないと思うよりも、(特に良いことなど)何か「意味はある」と思った方が、考えが前向きになって生きる力を得ることが出来たような気持ちになると思います。

小雪さんは、そういった「前に進む力になるきっかけ」に気づくことが出来る、ある種の才能を持っているのだと思います。
それは、とても素晴らしいことです。

物事は、それ自体は単なる現象にすぎません。
しかし人は、その現象に遭遇したときに、なにがしかの「認知」を感じで、その認知に基づいて行動します。
その「認知」が否定的ならば否定的な行動を、肯定的ならば肯定的な行動を取ります。
(例えば、コップに水が半分入っているときに、「半分しか無い」と思うか「まだ半分ある」と思うか。)
その肯定的な認知を重ねていくことで、自ずと行動も良いものになっていきます。

小雪さんは、その「認知による肯定的な結果」を「誰かの導き」として感じているのだと思います。
そう思い続けることで、どんな現象に出会っても、それを肯定的に乗り越えていく術を、小雪さんは持っているのだと思います。

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2025年9月10日 17時04分


S.Light.M

こんにちは、S.Light.Mの瀬川と申します。

ご相談内容を拝見させて頂きました。

小雪さんにおかれましては、一期一会を大切にし、そこに神であれ仏であれ、あるいは、ご祖父母さんも含め出逢わせて貰った人へ向けた、感謝のお気持ちも抱いているとの事、とても素敵で素晴らしいものですね。

他には「袖振り合うも他生(多生)の縁」との言葉もありますが、この他生(多生)とは、いわゆる過去世を指しますので、今回のご相談の趣旨には沿わないものかもしれません。

あるいは、「類は友を呼ぶ」との言葉もあります。

いわゆる「波長が合う(合った)」という意味です。

そして、私達は無意識ながらも、出来事や物事に「自分なりの意味付け」をしております。

つまり、本来は出来事や物事は「中立」で、絶対的に決められた意味を持っておりません。

勿論、人を傷付けるなどの「善悪の判断」とは、意味が違って参ります。

例えば、相続争いの多くは兄弟姉妹の間で起こります。

兄弟姉妹にとっては、親が他界したという「事実は同じ」であるにも関わらず、どこか「温度差」が生じるケースはよくございます。

極論を言えば、同じ兄弟姉妹でも、とても悲しむ人もいれば、遺産が入って来るのが待ち遠しいと思う人もおります。

そして、繰り返しですが、これも善悪の判断とは違います。

つまり、人によって親が他界した出来事に対する「意味付けが違う」という事です。

また、長年の介護などでは、親が他界して悲しい反面、介護から解放されてホッとしている自分がいるなど、自己矛盾のような意味付けも往々にしてございます。

これらをあくまで単純化して表現すると、ポジティブあるいはネガティブ思考(シンキング)と呼ばれるものになります。

そして、この意味付けの際には、自分の中の「観念(信念)」が関係しております。

そして、この観念(信念)には、それ迄に教えられて来た「常識や教育など」が関係しております。

そして、これらの事は全て「気づくかどうか」に関係して参ります。

つまり、小雪さんにおかれましては、出逢った人からの言葉などに関し、ポジティブな意味付けが出来た事で、一期一会という素敵な出逢いだったと「気づけた」事でしょう。

また、虹という自然現象に関しましても、「感性(心の動き)」が働いていたからこそ、綺麗などと「気づけた」事でしょう。

故に、人との出逢いに関しましても、偶然と取るも良く、必然と取るも良く、自分が出逢いに対してどのような意味付けをするかで、「過去と未来の意味付け」も変わって参ります。

そして、それを可能にするのが「今している意味付け」になります。

小雪さんにおかれましては、今回のご相談の内容からも、とても素敵な意味付けが出来ているように思えますのと、出来事や物事を(ひとまずは)受け入れる「謙虚さ」などもお持ちのようにお見受け致しました。

そして、「涙目」で出来事や物事を見ないという言葉もございますが、これは涙で「滲んで歪んで」見える事で、「本質」を見失う危険性を指摘したものになります。

意味付けの「選択肢」を増やす事で、別の感性(心の動き)を発見する事もございますのと、何よりも「新たな自分(小雪さん)」の発見にも繋がりやすくなりますので、遊び心からで充分ですので、意味付けを楽しんでみて下さい。

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2025年9月10日 13時16分


Freedom Counseling School

小雪さんのお話、とても丁寧に書いてくださっていて読んでいて胸に響きました。

「たまたま」なのか「導き」なのか――そう感じる瞬間ってありますよね。大きな虹に出会ったり、偶然タイミングが重なって良い先生や人に出会えたり…。それを「ご先祖さまが守ってくれている」と感じてもいいし、「人生には不思議な巡り合わせがある」と受け止めてもいいと思います。

心理学的な視点から言うと、人は辛い時に「意味」を探そうとします。それは決して弱さではなく、むしろ心が回復しようとする自然な力です。偶然の出来事に「導かれた」と感じることは、自分にとって安心や希望の源になり、前を向く力になるんですね。

また、小雪さんがちゃんと「神社で感謝を伝える」「優しい先生に支えられている」「過去の悩みも少しずつ良くなっている」と気づけていること自体が、すごく大切なことだと思います。こうした気づきや感謝の気持ちは、心を落ち着ける効果がありますし、自分の人生を丁寧に受け止められている証拠でもあります。

結論としては、
「誰かが導いてくれているのかもしれないし、偶然かもしれない。けれど、それをどう意味づけるかは自分の自由であり、前向きに力になるなら大切にしていい」
ということだと思います。

小雪さんにとって、その偶然や出会いが「力をくれるもの」になっていること自体、とても素敵なことだと思いますよ。

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フリーダム・カウンセリング・サービス
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2025年9月10日 11時09分