教えて掲示板の質問
「共依存・精神的虐待から抜け出したい」に関する質問
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DANさん
私はADHD・ASD・鬱病だと今年に入ってから発覚しました。
ADHDだと判明する前、おそらくADHDが原因だと思われるミスにより親から様々な面で叱られてきました。そこで私が心の支えにしていたのがSNSです。学校でも容姿のことで笑われ、勉学もさほどできず、家に帰っても自分のし
たミスのことで親からこっぴどく叱られるという環境下でSNSは私の心の支えでした。しかし鬱病だと発覚したあと、SNSの人に母のことを大なり小なり、愚痴を、というかバカにする感じの文章をSNSの友達に言ってしまってい
ました。うちの母は優しい人なのですが、前々から「いつになったらわかるの?初めてじゃないもんね。こういうこと」など怒った時の言い方が多少私が傷つくような言い方をしてきていました。そして、私がネットの人に
母のことを愚痴った文章を母が見たとき、母は、「裏切り者」、「まあこう育てた私が悪いんでしょうけどね」とか、お母さんがそれだけ傷ついてるのを見て本当に自分のしたことが許せないです。そして、私はまた日が経
って母のことを多少愚痴ってしまい、そのことがまた母に見つかり、母は「やっぱり◯◯(私の名前)は私を悪者に仕立てあげたいんだね、〇〇がそれで楽なら私はいくらでも傷つくけど」と言われたのが罪悪感に苛まれて、
本当に苦しかったです。この状況を作り出したのは自分です。しかしこういう状況をSNSの友達に打ち明けたら「それ精神的虐待だよ」と言われ、「自分は悪くないんだ。」と思い込むことができました。そして最近は自分自
身反抗期なのかはわかりませんが、親に大なり小なり、反抗したりしてしまいます。ですが反抗して、それで母が傷心しているのを見ると、罪悪感に苛まれます。なんで自分は変われないんだ。なんでお母さんを傷つけ続け
るんだ。私はそのことで悩み、何度も自殺未遂をしました。しかし自殺しようとするのも自分が被害者面をしているように見えて、本当に嫌でした。
母は女手一つで私を育てながら、海外旅行にも連れて行ってくれたり、それなりに裕福な暮らしはさせてもらっています。そんな中母のことを少しでも悪く言う自分も許せないですし、母から離れたい気持ちもあります。
そして私が自分の鬱病について「なんでそうなっちゃったの?」などと聞かれたとき、「海外旅行のときにいっぱい叱られたり、ちょっとずつの積み重ねで自己肯定感が低くなってる気がする」などと答えたら、母は「海外
旅行の思い出が叱られたことだけなんて」など、また傷心していました。また、最近は朝起きたら母がトイレに行ったと思ったら嘔吐し、リビングでずっと号泣している、など、本当に私のせいで苦しんでいる様子が目に入
ってきます。ここで相談していることも、見つかればまた、「お母さんのせいなんだ。私は精神的虐待してたんだ。私ってダメだなぁ」となるのが目に見えています。本当に、これ以上母を傷つけたくもありませんし、この
状況から抜け出したいのですが、物理的虐待は受けていませんし、完全に自分が原因なので、精神的虐待にあたっているかどうかすら自分の中ではよくわかりません。そんな状態で児童相談所に行っても取り合ってもらえな
さそうで、どこに頼ったらいいかよくわからないです。
2025年7月31日 17時23分
教えて掲示板の回答
りょうしん
DANさん、ご相談ありがとうございます。
DANさんはADHD・ASD・うつの診断を受け、ご家庭では親御さんとの関係の中で極度の罪悪感や共依存的関係を感じながら育ってこられたご様子が見受けられます。SNSでご自身の思いを吐露した時に“母親を裏切った”という感覚に囚われ、それによって母親が傷つく様子を見るたび強い罪悪感を抱いてしまわれる――その内側で苦しむ心情は、とても深く繊細なものだと察します。
ADHDやASDを持つ方にとって、子どもの頃から過度な期待や感情の負荷を受け続けることで「自分を抑え込む」「誰かを喜ばせることで価値を感じる」という共依存的な癖が育まれやすい傾向があります。
親御さんが無意識に過保護や細かな指導を繰り返す中で、ご自身の感情やニーズを無視し続けてきた可能性があるのだと思います。
また、児童虐待防止法など法律上は、身体的虐待だけでなく、言葉や態度による心理的虐待も虐待と判断されうることがあります。子どもの立場から見て「心を傷つける言動」であれば、それは虐待に値する可能性があるとの認識が広がっています。
母親の言葉がどんなに意図せずとも、DANさんにとって「有害に感じられる」のであれば、それを「虐待ではない」と決めつける必要はないのではないかと私は感じます。
実際に児童相談所へ相談する際には、暴力ではなくても心理的に辛い体験として「通告」が可能であり、匿名で相談でき秘密は守られるという制度も整っています。
DANさんがこれ以上ご自身を責めず、また母親を守ろうとして心身が消耗してしまわないように、自分の有限なリソースを守る権利があると私は感じます。
共依存から抜け出すためには、まずご自身の「境界線」を認識することが重要です。自分にはどこまで責任があるのか、相手の感情や反応にどこまで巻き込まれるべきなのか、自分の感情と他者の感情を切り分けて考える視点が必要かもしれません。
DANさんが今感じている罪悪感や葛藤は、ご自身と母親、家庭内での関係性の中に深く根ざした感情だと思います。その中で、「自分は悪くない」という気づきと、「自分自身が大切にされていいのだ」という感覚を育てていくことは、ご自身の心を守る最初の一歩となるのだと思います。
もし可能であれば、信頼できる大人や専門家との相談の中で、ご自身の気持ちを書き出したり、話したりして整理する機会を持たれることは、DANさんにとって重要な出口になるかもしれません。ご自身が一人で抱え込まないこと、自分の心の声を尊重することこそ、本来のご自身を取り戻す一歩なのだと思います。
LINEカウンセリングでは、初回無料、2回目以降は1返信税込600円で承っております。守秘義務を徹底し、ご相談内容が外へ公開されることはございません。必要なときに、お気軽にお力になれればと思います。
2025年8月1日 23時08分
心理カウンセリング らしんばん座
DANさん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。
他の先生もおっしゃっていますが、DANさんが「ADHD・ASD・鬱病」と発覚したというのは、病院のお医者さんによる診断の結果でしょうか?
それとも、ネットなどによる自己診断でしょうか?
とても断定的に書いてあるので、診断の結果のように見えてしまいますが、もしそうでなければ判断が性急すぎるように思います。
ご相談を拝見して感じたことは、何か物事に対する認知に性急さを感じてしまうということです。DANさんも、お母様にも。
そしてその結果、お互いに悪い方向へ考えがなびいていって、終いには暴言のぶつけあい・感情のぶつけあいに発展してしまっている・・・。という印象を受けました。
誰かの言葉で、「親と言えども人間。親としての心の年齢は、子供の年齢に匹敵する」という意味の言説がありました。
つまり、子供が5歳ならば、親としての経験と心も5歳。子供が15歳ならば、親としての心も15歳。共に成長していくものだ、という意味です。
だから、お互いの成長度合いによって、今後もお互いの関係も変化していくことも考えられます。
そして誰にでも、反抗期というものがあります。
この時期は、誰にでも親とぶつかり合い反発してしまうことは、大なり小なりあります。
そして、親も子供もお互いに傷つけ合って、成長していくものなのだと思います。
DANさんとお母様の関係も、この反抗期故と考えることも出来ます。
ただ問題は、ここで言葉の応酬と感情のぶつけあいがひどくなってしまって、お互いを傷つけ合ってしまうことだと思います。
たしかに事実は事実なのですが(例えばお母様がリビングで号泣していたという件)、それは単体では「事実」に過ぎません。
本当にお母様が、DANさんの言葉に傷ついて号泣していたのかもしれませんし、そうではないかもしれません。
「それ」をどう解釈するのかは、DANさんの「認知」です。
DANさんが認知を良い方向に解釈すれば、良い行動につながります。悪い方向に解釈すれば、行動も悪くなります。
そしてこれは性格などではなく「認知」なので、自分で切り替えることも出来ます。
だから、ことあるごとに「精神的虐待だ!」と思うのではなく、いったん立ち止まって考えてみてください。
そうすることによって、(少なくともDANさん側だけでも)感情のぶつけあいに発展することは止めることが出来るかもしれません。
同じことが、お母様の側にも言うことが出来ますが。
要は、否定的な認知(すなわち思い込み)によって、否定的な感情が発生してしまっているのだと思います。
相談を持ち込むのならば、親子関係と発達に詳しいカウンセラーに相談するのが良いと思います。
2025年8月1日 21時15分
カウンセリングルーム サイレント
DANさん。初めまして、AC HSP専門カウンセラー沖野と申します。
ADHD・ASD・鬱病と判明したということですが、それは医療機関での診断でしょうか。
昨今のネット情報から、安易にアクセスした内容には、信憑性に欠くものも含まれています。
もしも、類似した症状にに通ったという点からの自己診断でしたら 自身の成長の妨げにするのは良くありません。
またSNSは無限の人との繋がりが持て、安易に意思疎通をはかることができる利便さと 危険を孕んでいます。
お母さんを始めとする、顔見知りの人にさえ、誤解や不信感を与えてしまうほどの影響力があります。
もし、DANさん自身が、ADHD・ASDを疑っているのでしたら、お母さんに聞いてもらうことをおすすめします。病院に行くにしても、やはりお母さんに一緒に行ってもらわないといけませんし、何よりDMさんを一番理解している方です。
お母さんの傷つくという感情には、身近に居ながらにして、SNSという媒体から、我が子の心境を知るという淋しさも含んでいます。
毎日顔を合わせている家族には、直接話すことで、顔つき 表情 目線や しぐさ 言葉だけではないコミニケーションで受け取るものがあります。
お母さんの苦労や、傷ついた姿を見て、悲しくなる気持ちは紛れもない愛情です。
DMさんには 強がっているから お母さんは本当の気持ちを言いませんが、DMさんも同じです。
先ずは目の前にいる人に、キーボードではなく、言葉で話しましょう。
反抗心は、自立に必要なものであり、DMさんが 成長しているからこそ持つ正常な意思表示です。
言いなりではなく 自分の意思決定をしたいという大人になっているのです。
お母さんも、そんな我が子と、ぶつかりながら、つまずきながら親として成長しています。
時間が許す限り、多くの会話を重ね お互いの気持ちに気づくことを避けないでくださいね。
DMさんにとって今一番辛いことから話していきましょう。
今という時間は永遠にない、一度きりの限られたものです。
いつか巣立っていく前に、今という時間が宝物になるような、親子の時間を過ごしてください。
2025年8月1日 18時55分
S.Light.M
こんにちは、S.Light.Mの瀬川と申します。
ご相談内容を拝見させて頂きました。
鬱病を含め、他の障がいも抱えている中、DANさんなりに色々な事を試し、そして、考え抜いて来ている姿勢は立派なものであると同時に、お辛い心中もお察し致します。
そこで、まず最初に、DANさんの年齢的な面から考えましても、多少の反抗期があるのは自然な事でもあり、それと同時にお母様に反抗した後に罪悪感等に苛まれるなどに関しましても、DANさんの本心ではお母様の事が好きであり、大切に想っている証でもございますので、その辺りはあまり気に咎める必要性もございません。
そして、母子家庭という環境の中、お母様は経済面でもDANさんに不自由な思いをさせる事も無いなど、お母様もDANさんと共に懸命に生き抜いて来ております。
そして、お母様も同じ人間ですので、DANさんの障がい等はちゃんと理解していながらも、その時々の感情で辛く当たってしまう事もあった事でしょう。
そして、おそらく、お母様も同じように、その直後には罪悪感などを感じていた事かもしれません。
そして、DANさんが悪い訳では無いのもその通りですが、お母様がしている事が「精神的虐待」に当たるかどうかは、あまり深く考えない方が宜しいように感じます。
なぜなら、仮に精神的虐待に当たるとしても、逆にDANさんにおかれましては「母に精神的虐待をさせてしまう自分が悪い」などのように、更に罪悪感等を増やす要因にも成りかねないからです。
故に、SNSを心の支えにするのは宜しいですが、そこで言われた意見や感想などは、あくまでその人自身の考えであり、必ずしも正解や答えでは無いという「適度な距離」を保つようにしてみて下さい。
そして、同じようにお母様とも「適切な距離」を場面に応じて変化させても良いものになります。
故に、DANさんの中で「精神的自立・自律」が必要と感じた場面では、それなりの「距離を取る(置く)」でも宜しいですし、その際には離れるや、極端に表現すると関係を絶つなどの、過度な「二者択一」に陥らないようにして下さい。
そして、ご相談内容から伝わって来ますのが、DANさんとお母様は、お互いにお互いの事をちゃんと想い合っているという事です。
ただ、時に場面に応じて、「ボタンの掛け違い」のような、思い(コミュニケーション)のすれ違いが生じるケースが多かったのかもしれません。
これは当事者ではなかなか気づき辛い面もございますので、致し方無い面もございます。
そのような事を踏まえて考えますと、児童相談所等ではなくとも、これからのDANさんとお母様のコミュニケーションや、仲や絆をより深めていくという方向で、DANさんとお母様が一緒にカウンセリング等を受けてみるのも宜しいように感じます。
DANさんにもお母様にも、第三者から見ると、ほんのチョットだけ「視野が狭く」なっている点を教えて貰うだけでも、お二人の関係性は充分に良い方向に変えていける可能性が高いように感じます。
そして、DANさんとお母様におかれましては、「共依存」と言うよりも、お互いに感じている「自己憐憫」の部分が、お二人の本当に素直で正直なコミュニケーションを少しだけ阻害している面もあるかもしれませんので、「これまで」の出来事をあまり深刻に捉えずに、「これから」の事に目を向けるようにして、その為に出来そうな事をお考えになってみて下さい。
2025年8月1日 18時13分