教えて掲示板の質問
「Home Sweet Home2」に関する質問
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Ceciliaさん
こんにちは。
つい先日、同じタイトルで投稿させていただいたCeciliaです。
母による暴力・暴言、姉との差別について書かせてもらいましたが、
前回色々な事を書き忘れていましたので、続編を投稿したいと思います。
(具体的な説明がなければ、
第三者がごらんになっても何とも言えないかもしれないと思ったので。)
まず、母の虐待です。
なにしろしょっちゅう殴る蹴るされていたので、
具体的なエピソードを一つか二つ選ぶのは、なかなか難しいです。
まぁ、中でもそこそこ印象に残っていて、
中程度の出来事を書きたいと思います。
母の暴力は、3才頃から始まったと書きましたが、
私が2才になった頃には、もうその片鱗はありました。
母と二人で外出している時です。
私は、誰かにもらったリンゴを1個、食べずに手で弄んでいて、
うっかり落としてしまいました。
それを見た母は、「食べ物で遊ばないの」と注意しました。
私は、よしゃあいいのに、またリンゴを落っことしました。
2才児の手に、そのリンゴは大きかったんです。
すると、母の鉄拳が顔面に飛んできて、
気づいたら地面に叩きつけられていました。
立ち上がろうとすると、また顔を叩かれて、何度も地面に倒れました。
衝撃で泣く事もできませんでした。
読者の皆さんには、母の言う私の悪童ぶりを、
十分ご納得いただけたかと思います。
今思えば、あの時母は、別に荷物を持っていたわけでもないんだから、
そんなリンゴ、取り上げてしまえば済んだ話しです。
いつも私が思うのは、
その時、本当に手を上げるしかなかったのか?ということです。
姉と話していると、たまに思い出して、
「小さい頃、いつもマミィにものすごいせっかんされたよね」
みたいなこと言うと、姉は「?」て感じで、覚えがないみたいです。
私の記憶力が不気味なぐらい良いだけで、
小さい頃の事なんて、フツー忘れるよなって思ってたんです。
ずーっと。
でも、それは違うんです。
姉には、私が殴られてる場面を目撃した記憶はありました。
「ぶたれて来い」とばかりに、
泣きじゃくる私を、母の前に突き出したことも、姉はちゃんと憶えていました。
だからおわかりでしょう、それは違うんです。
どう申し上げたらいいか…
つまりこういうことなんです。
姉は、単に自分が虐待された「記憶」がないのではありませんでした、
姉には、そういう「経験」そのものがなかったのです。
私がそのことに気がついたのも、ごく最近になってからです。
そういえば、姉が怒られている姿を見た記憶って、なくはないんだけど、
私みたいに殴る蹴るではなかったです。
姉にも、もしかしたら叩かれた時期はあったのかもしれません。
でも少なくとも、私が生まれてからの姉は、母のお気に入りで、
いつでも好きな物をいくらでも買ってもらっていました。
母の母性愛は、ほとんど軽犯罪のようなものでした。
上の娘のためばかりをはかって、私に損害をあたえています。
物質面で差があっても、私は特に何とも思いませんでした。
逆に、私はできるだけ親にお金を使わせないようにしていて、
物をねだった事なんて、ほとんどありません。
そういうと、マゾみたいに思われるかもしれませんが、
私は断じて、我慢を強いられているようには感じていませんでした。
姉が親にお金を出させる分、私がバランス取らなきゃって思ってました。
いわゆる「いい子」でいることで、親に褒められたかったわけでもありません。
無意識にものすごく遠慮していただけです。
といって、宅は別に経済的に困窮しているというわけではなかったのです。
有り余るほどの財力という類のものでないにしろ、
父には十分な稼ぎがあって、母は専業主婦ですから。
にもかかわらず、必要な物を買ってもらうのに、私だけ嫌な顔をされるとか、
姉にだけ過剰な気遣いをみせる母に、憤りを感じることはありました。
単純に、「お姉ちゃまは買ってもらってるのにズルい、私も!」
ていう次元の話しじゃないんです。
物質的にではなく、精神的に分け隔てされてることに気づき始めて、
ただただやるせない感情がありました。
進路を決める時も、
私はそれまで親にお金をかけさせなかった分、大学へは行かせてと頼みました。
私は早くからアルバイトをして、おこづかいは自分で稼いでいましたし、
一生のお願いって感じでした。
大もめにもめましたが、どうにか希望どおり、大学へ行く許可がもらえました。
結果論から言わせてもらうと、
(姉には悪いけど)今のところなんにもものになっていないだけでなく、
ろくに働く気すらない姉のためにだったら、贅沢品や莫大なお稽古代を蕩尽し、
ドブに捨てるのに、真面目に勉強して家事をやってる私をこうも虐げるというのは、
どうしても納得できません。
姉との比較の問題ではないと思いますが、
この際だから、思いのたけを全て述べさせていただきます。
私はかなり早くからバイトしてきたのに、
姉は好きに遊びながらおこづかいをもらって、
その上、誕生日やクリスマスでもないのに、
親からありとあらゆる物をねだり取っていました。
ピアノをはじめ、フルート、ヴァイオリン、ハープ、電子ピアノ、画材、
数え切れないほどの装飾品…その他、その他、etc…である。
私が、中学で全教科100点採った時、
「ご褒美ちょうだい」と言って千円の物をねだると、
なんともいえない変な顔をされたのに、です。
念のため、付言いたしますと、上に列挙した姉の持ち物のうち、
一つとして千円以内に買える代物はありません。
本物で980円のハープなんて、まさか聞いたことありませんよね。
私はその時も、物が欲しかったわけじゃない、親の愛情を試していたんです。
我ながらコソクなことに。
それから、姉は、宝○音楽学校を受験すると言って、
お稽古に通っていました。
バレエと歌です。
私も小さい頃、姉と一緒に歌だけは習わせてもらってたのですが、
姉が宝○を受験すると言い出したので、何の断りもなく辞めさせられました。
家では辛いことも多かったから、唯一、歌っている時だけが、
自分を開放できました。
歌は、本当に好きでした。
それだけに悲しかったのを憶えています。
姉は宝○を受験するにあたって、
コネのある専門の教室に通うようになりました。
家から通いやすいのに、よくお稽古をさぼっていました。
それで、受験直前になって、「やっぱり嫌だ」と言い出して、
受験すらせずに挫折しました。
それからです、姉がニートになったのは。
私、本当は、ニートとかいう言葉、使いたくないんです。
責めているようだから。
ニートになってしまう人も、色んな事情があると思います。
本物の怠け者は別として、本人も苦しいはずだから。
でも、私の姉に関しては、あれだけ親にお金を使わせて、
色んな物を貢いでもらって、環境に不足はなかったと思うんです。
それなのに簡単に放り出す態度が、当時の私には許せなかった。
そのくせ、自分にはすごい才能があるっていうのが姉の口癖です。
何から何まで親がかりなのに、才能が聞いて呆れるよ。
機会があって専門家にみてもらった時、
姉は芸術的才能とかセンスはないって断言されてたのに、
姉の自己確信は全く揺るぎませんでした。
やっぱり、わがままいっぱい、親に愛された人間は強いというか、
羨ましいかぎりです。
皮肉でもなんでもなく、本当にそう思うんです。
かたや私は、
この子の方が才能あるのになぁ、惜しいなぁって言われました。
伸ばしてやれば、(女優とか芸能の道で)ものになるのにって。
その専門家の方は、私が親に手をかけてもらってないことを知って、
運がなかったねってウィンクしました。
でも本当は、芸能界みたいな世界で泥んこ人生歩まない方が、
君のためにはいいよって。
そのとおりだなと思って、私はにっこり笑いました。
ギャンブル的なジェットコースター人生より、
私は勉強して堅実な人生を送りたかったから、スカウトを断りました。
姉の挫折から数年後、私にとっては楽しい大学生活が始まりました。
アルバイトやボランティア活動、勉強、友達との旅行と、
私は充実した日々を送っていました。
そんな中、姉はだんだんと私をいびるようになりました。
挫折した自分にひきかえ、
青春を謳歌している妹が妬ましいと言っていました。
嫉妬するんだったら、あなたじゃなくて私の方だろうと突っ込みたくなりました。
成人後も、姉はバイトしたことがなく、ねだれば何でも買ってもらえるし、
長女として親の寵愛を一身に集めているのだから。
私が社会人になってからというもの、家には毎月5万円入れてるんです。
私は姉のおこづかいと贅沢費を払っているようなものです。
母は、その5万円を私のための貯金に当ててくれるような人ではありません。
前編をお読みの方なら察しがつくと思いますが。
こんな風に考え出すと、自分が嫌になるのでやめます。
それから、私が異性に人気がある事を知った姉から、
ネチネチと嫌味を言われ続けました。
「インランなんじゃないの?」
とか、
「男にお尻追いかけられて、何が楽しいの?」
とか、
「男を焦らしていい気になるなんて、下劣」
と、枚挙にいとまがありません。
でも、こういうのはまだいいんです。
直球だから、言い返しようもありますしね。
本当に嫌なのは、あの女性特有の、何とも言い返しようのない
気持ち悪~い嫌味です。
後から効いてくる、あれです。
あまりにもうまいこと言うもんだから、自分が侮辱されていることさえ一瞬忘れて
その技に心の底から感服し、脱帽せずにはいられない、なんてこともありました。
私が大学の男友達を家に連れてきた時も、
姉がその男の子を変に誘惑するものだから、相手は明らかにひいていました。
私を無視して、その子にベタベタすり寄って行く姉の姿に、悪寒がしました。
何を思ったのか、急にヴァイオリンを持ち出してきたかと思うと、
その男の子に手取り足取り教え始めたんです。
手を触ったり、色々してました。
別に弾いてみたいなんて、その子、一言も言っていないのに。
もう異様としか言えない感じでした。
その後、私は彼に告白されて付き合うことになりました。
彼が私を家まで送って来たりすると、
姉はやたらとでしゃばってきて、彼に話しかけたりします。
そういう姉の態度がどうも気になると言うと、母は
「あの子は、まだ誰とも付き合ったことがないから、
あんたの彼氏で練習したいだけやと思うよ」
と言いました。
2人きりになると、姉はいつもネチネチ嫌味を言ってきました。
母に言っても絶対に信じてもらえないし、
「なんでお姉さんを嫌うの?」
と逆に自分が責められて辛い思いをするだけでした。
姉は両親の前では猫かぶりをして、自分の言ったことを巧みに改ざんします。
「シール(Ceciliaの略で私のこと)がこんな事言うから、
私は言い返しただけやんか」
と嘘の証言をします。
私は(この、人のいい阿呆は)、上手く立ち回ったり、
自分の無実を言い募ることが苦手な性格なので、
いつも姉にしてやられます。
それ以前に、一瞬たりとも姉を疑わない親に対して、
ほとほと愛想が尽きました。
私はインランじゃあない。
男好きなのは、お姉さんの方です。
姉は小学校5年の頃から、男の子たちを家にたくさん集めて、
自分の下半身を見せびらかしていました。
わざと裸で横になって目をつむり、男の子達に自分の恥部を見せつけるんです。
私も、みんなの前で下半身を見せろと言われ、
姉に下着を脱がされたことが何度かあります。
嫌だと言っても、やめてくれませんでした。
同じ頃、姉が同級生の男の子に、フェ○チオをしていたのも知っています。
私と同い年の従兄弟を自分のベッドに入らせて、
セッ○スの真似事みたいな事をしたり、
従兄弟に自分の身体を触らせたりしていました。
小学生でそれですよ?
ちょっとすごいですよね。
それも、その従兄弟が私のことが好きだと言って、
私に優しくしたからなんです。
単に、姉はその従兄弟の事が好きだっただけかもしれませんが。
でも、姉は今まで男性とお付き合いしたことはなく、今も処女らしいです。
本人は何故かそれを恥じています。
私が馬鹿にするとでも思っているのでしょうか。
それに、姉が20歳くらいのとき、
家で女の子とディープキスしてイチャイチャしてるところを
たまたま見てしまったこともあります。
小さい頃、姉の私に対する性的な悪戯も色々ありました。
でも、気持ち悪いのでこのぐらいにします。
ここまででも、不快にさせていたらごめんなさい。
話しを本筋に戻しますね。
そのうち、私が楽しそうにしていたり、
外での出来事を家で話すだけで、姉が怒ったりすねたりするようになりました。
すると、母はこっそりと私に言いました。
「お姉さんの前で、あんたが楽しかった事や、人とうまくやってる様子、
ラッキーだった話しはしないようにして。
それから、あんたのモテ話しとかスカウトされた話しも禁物。
今、状態の悪いお姉さんが可哀想やから」
「………」
姉をどこまで庇護したら気が済むんだ!
これじゃ、オカイコぐるみじゃないかよ!って叫びたかったですが、
そこはぐっとこらえました。
姉は、私がうまくいっているのを見て、
明らかにギャップを感じている様子でした。
姉と私とのギャップではなくて、今の私と子供の頃の私とのギャップです。
それは言葉の端々にうかがえました。
姉に比べると大人しくて地味で、親から多少のけ者にされていて、
姉がライバル視する対象ですらなく、見下していた妹が、なんで?って感じ。
私には、姉の心の声が聞こえるようでした。
確かに私は、子供の頃は道化役に徹していて、
スポットライトを浴びるような存在ではなかった。
別に親からも期待されなかった、姉と違って。
でも私は、姉とは全く違う生き方をして、自分なりの満足が得られていました。
その事で、姉は苦しんでいるように見えました。
私も、姉に配慮して、自分の話しは一切慎むようになりました。
特に良いニュースは、家族の誰にも報告しませんでした。
それなのに、母は姉の自慢話を平気で私に聞かせてきます。
持ってきたお見合いの相手が、会社の経営者だとか、
家にいると1日中聞かされます。
私が姉にいびられてることも知っているのに。
別にそんなケチな自慢話ぐらい、聞いてやる度量、私にはありますけどさ。笑
結局、お見合いはまとまらなかったんですが、
やっぱり母は、姉にしか配慮しないんだなって痛感した出来事でした。
そもそも、普通だったら、家族にいい事があれば
一緒に喜ぶものなんじゃないんですかね?
普通の家庭ってものを知りませんから、私には何とも言えませんけどね。
兄弟姉妹間の差別なんて、兄弟姉妹がいる人なら誰でも経験してるよ、
って言われてしまうかもしれません。
特に2人姉妹というのは、たいていどこの家庭も
妹の方が甘やかされ、奔放でわがままになるケースが多いようです。
これは各家庭の信条家風にもよるものですから、一概には言えませんし、
あくまで傾向というにとどめたいと思いますが、
我が家はことごとくその逆をいきました。
親が、よくいう「お姉ちゃんなんだから」という言葉で姉を律するようなことは
まずありませんでしたから。
長女さんは、いつも妹に譲って我慢してきた人が多いでしょうし、
「お姉ちゃんなんだから」という常套句には、
あまりぞっとしないものだと思います。
しかし、絶対長女制の下に生まれた私から言わせてもらうと、
これは長上の自覚を芽生えさせる目的でなら、
たまに使った方がいいのかもしれないと思いますね。
姉の話しばかり書いてきましたが、
母の差別意識ってどこからくるのだろう?と思ったときに、
やはり母の生い立ちを紐解かなければ語れないんですよね。
母は、3人姉弟の長女として生まれました。
祖母(母の母)は、当時としてはハイカラなことに、
10代で私の母を妊娠して結婚、いわゆるデキ婚でした。
結婚生活がうまくなかったのか、生まれたのが望まない女の子だったためか、
或いはその両方からか、祖母は母を非常に冷遇したそうです。
祖母には母親の自覚がなく、今でいう、ネグレクト状態だったため、
母は完全におばあちゃんっ子でした。
年子で生まれた母の妹(私の叔母)は、
器量が良く、祖母からそこそこ可愛がられました。
しかし、祖母は本心では男の子を望んだため、
基本的に女の子はどうでもよかったそうです。
その下にようやく男の子が生まれると、
祖母は男の子だけを異常に溺愛するようになったそうです。
「僕ちゃん」と呼んで。
母の妹で次女である叔母は、家事が得意だったため、
祖母には重宝されていました。
一方の母は、社会人になっても家にびた一文お金を入れず、
冷遇されたことを盾に家の手伝いを一切せず、ますます疎まれました。
母は長女であっても家で全く大事にされなかったことに、
いまだに強い怒りを感じています。
このことから、母は自分の長女を必要以上に立てて、
辛い思いをさせないようにしているのだと考えられます。
完全なる自己投影に過ぎないことを、本人も分かっていません。
差別は世代を越えて連鎖するんですね。
これはもう、一種の業としかいえません。
しかし、冷静に考えてみると、甘やかされたがゆえに、
姉は駄目になってしまったのかもしれません。
姉には、もともと良い素質があるはずですから。
従兄弟の1人に、歌手がいますので(彼は夭折しましたが)、
芸能の道に全く見込みがなかったわけでもないと思います。
だのにこうなってしまったのは、やはり親のやり方が悪かったのでしょう。
そういう意味では、形は違うけど、姉も私と同じ被害者です。
でもどうか、これをお読みの皆さんには、
母や姉を哀れまないでいただきたい。
これを書いている私のために。
さて、声を失って、まる2日が経ちました。
失声するまで追いつめないでほしかった、というのが私の正直な感想。
会話ができないので、部屋に閉じこもっています。
夕食の時だけ家族とテーブルを囲みました。
しゃべれない代わりに、大きくうなずいたり、
ずっとニコニコ笑うようにしていると、母に言われました。
「いつもこうだったらいいのにね。それに、あんた、笑うと可愛いし」
びっくりしました。
それって、私が声を出さない方がいいってことですよね。
それに私は普段からよく笑うので、
そういうの、全然見てないんだって思いました。
パントマイムを演じているみたいというか、
自分が無声映画のチャップリンのようで、おかしな感覚です。
たくさん書きましたが、これは質問というよりは、
前編の補足ということにさせていただきます。
声が出ないと、タイプする指の方が饒舌になるらしいです。
ここに書くことができて、少し気がすみました。
長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。
劇終!
2013年1月4日 05時05分
教えて掲示板の回答
のりむら事務所
初めまして、宮城県仙台市より
のりむら事務所・千葉と申します!
内容拝見させて頂きましたが、ここに寄せられた文章は、あなた様の経験と言うより作品であり、あなた様は強く「評価」を欲しているような印象です。
(文字だけの解釈ですと、どうしても気持ちの行き違いの起こる事がありますので、もしもそうでしたら申し訳ないです。)
少なくともオリジナルでしょうから、そこにあなた様自身の感情も多々含まれてはいるのでしょう。
「強く抑圧されている/されていた」それは強く感じる事が出来ます。
映画がお好きなのですね、同時にあなた様自身の表現の場も求めていらっしゃるのでしょう。
空想や理想に対する現実とのギャップと思われる状況から、不満?ストレス?が鬱屈して行き場を探しています。
現在や未来から目を逸らしたい思いが強いのではないでしょうか?
どんなに強烈で暗く、悲しい過去を持っていても
楽しみな未来や夢や信念を強く持っている人は、これほどまでに過去にこだわっている事が出来ません。
まして、ここまで詳細に思い起こす事自体、何よりの苦痛であろうとも察することが出来ます。
正直、内容に強い違和感を覚えずには居られません。
反面、とても高い知能と鋭い感性をお持ちの様子も感じられます。
そのことを世間や、このページに来るカウンセラー(特定の第三者)を巻き込み、あざ笑う事で再確認なさっては居ませんか?
社会〜精神的な孤立のようなものも感じます。
まず、今のあなた様にとって、より安全な場所を選び行動して下さい。
声が出ないという症状に関しては、できるだけ早い段階で専門医の診察〜診断に従って治療されて下さい。
2013年1月6日 16時53分
お礼コメント
のりむら事務所・千葉様
ご回答、ありがとうございました。
そうですね、投稿した文章は、私の体験であり、作品です。
評価というよりは、共感されたいと思って書きました。
精神的に切迫していたので。
自己憐憫の傾向がある事も認めますが、
カウンセラー諸氏や第三者を巻き込んで嘲笑うことで、
自分が救われるわけではありません。
それに益があるうようには思えませんし、
それほどヒマでもありませんので、
どうか誤解なさいませんように。
とはいえ、千葉さんが私を非難したり、
意地悪をおっしゃるのが目的ではないことは、
十分理解しておりますので、ご安心ください。
千葉さんのおっしゃるとおり、
現実から逃れたいと思うことがあるのも確かです。
その為、映画や文学など、芸術という避難所に逃げ込むこともあります。
ただし、冷静になって考えてください。
もしも私が、そういう現実逃避に浸りきっていたとするならば、
まっとうな社会生活を送ることもなかったでしょう。
そして映画や本に慰めを見出すのは、何も私に限ったことでは
ありません。
少なくとも、私の立場で考えていただければ、
映画の主人公に自己の悲しみを化身させることで
溜飲が下がるという気持ちは、
分かっていただけるのではないでしょうか。
内容に違和感をおぼえられたとのことですが、
すべて事実ですので、私には弁解のしようもありません。
信じられないとおっしゃるのなら、それでもかまいません。
自分に似たような経験がないと、
本当に理解することは、なかなか難しいことも事実です。
私のもってまわった文章に嫌悪感を抱かれたとしても、
私が少々ロシア文学の影響を受け過ぎていること以外に、
その原因を説明することはできないのです。
声が出ないようになって、感情が噴出したわけですが、
誰かに聞いて理解してもらうだけでも、
大きな救いになります。
これを甘えといわれるかもしれませんが、
それならばこういうサイトも必要なくなるわけですからね。
今の環境を変えることを目標に、とにかく動いてみます。
ありがとうございました。
2013年1月8日 22時29分
心の相談室 心のエステ
Home Sweet Homeさん、はじめまして
【心のエステ】の遠藤です。
始めに投稿されたものから読ませて頂きました。
とても辛い思いをされてきましたね。
そして、よく今まで我慢されてきました。
読ませて頂きながら、涙が出てきてしまいました。
お母様の虐待を受けながらも
お母様に対して、本当は、違う。心の奥底ではきっと、ご自分のことを
お姉様と同様に愛してくれている、いつかはそれを示してくれると思われていたのではないでしょうか。
率直にお答えすると、お母様やお姉さまの態度が変わることを期待することは、ちょっと難しいように思います。それよりもあなたの人生は、お母様やお姉さまのものではなく、あなたのものということを頭に置かれて。。。
今のあなたの状態から考えると
まずは、心療内科へ行かれて声を取り戻されることから
始めてみませんか。
そして、社会人になられているとのことなので
できるだけ早く、お一人で生活されること
ご実家から距離をしばらく置かれることが
良いように思います。
なお、【心のエステ】では、親子問題についての
対面・メール・スカイプでのカウンセリングや
対面で行うワークショップを行っておりますので、
宜しければご相談下さい。
2013年1月6日 10時17分
お礼コメント
心のエステ・遠藤様
ご回答ありがとうございました。
共感していただき、私と一緒に泣いてくださったことに、心から感謝したいと思います。
遠藤さんがおっしゃるとおり、今までずっと、姉と同じように扱ってもらうことを
あきらめきれずにきたのだと思います。
母や姉を変えることは、できそうもありませんね。
それよりも、自分の将来のことを考えて、早く一人立ちしようと思います。
私の声が出なくなってからは、母と筆談で会話をしました。
実際に話しをするより、気持ちの整理ができたというか、
思いを伝えることもできました。
最初は私に対して厳しい事を言っていた母でしたが、少しずつ軟化して、
私のことも考えてくれたようです。
その後、少しして声が出るようになりました。
今年はお正月休みが長かったので、始業にも間に合いました。
でも今後、カウンセリングのことは、検討してみますね。
文章だけのやり取りにもかかわらず、気持ちを理解していただけたことが、
私にとって大きな救いでした。
本当にありがとうございました。
2013年1月8日 19時46分
Oruka's room
Cecilia さん、はじめまして
Oruka's roomの大迫と申します。
よろしくお願いします。
1から読ませていただきました。
母親からの虐待、姉との差別によって
現在、声が出なくなってしまったのですね。
2歳からという長い間の虐待や差別という言葉では、片付けられないような
辛い体験をお話頂きありがとうございました。
ご自身が最後におっしゃるように、書くことは悲嘆の軽減に役立ちますので、
これからもいつでも、こちらに吐き出してくださいね。
しかし、声を失うというのは深刻な問題です。
Cecilia さんは、
本来愛されるべき相手から否定され、
安心するべき家庭で安定した精神でいられない環境で
長い間心理的負担をかけてきたので、どこかに影響が出ても不思議はありません。
出きるだけ、早いうちに心療内科を受診することをお奨めします。
そして、これは、私の個人的意見なのですが、
お母様の心を変えることは出来ませんので、
Cecilia さんが今の環境を変えること(つまり家でるなど)が
必要なように思います。
幸いなことに、Cecilia さんは、立派に就職もして、社会性も充分備え
なおかつ容姿端麗なのだと思われますので、
好ましくない環境で、精神をすりづぶす必要がないように思います。
あくまで、個人的意見なので、よけいな事と思われましたらスルーしてくださいね。
2013年1月5日 20時31分
お礼コメント
Oruka's room・大迫様
ご回答、ありがとうございました。
文章が長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただけたようで、
本当にありがたく思っています。
ここに書くことは勇気がいりましたが、声が出せなくなってからは、
吐き出したいと強く思うようになりました。
大迫さんに優しい言葉をかけていただいて、
ずいぶん気持ちが救われました。
今まで誰にも理解されないと思っていただけに、
本当に嬉しかったです。
大迫さんのおっしゃるように、
早く心療内科を受診して、住む所を変えようと思います。
もう一度、ありがとうございました。
2013年1月8日 20時02分