教えて掲示板の質問

「過去の事と良薬は口に苦し・多数派=正しい、について」に関する質問

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なもんさん

発達障害持ち30代男性です。

「良薬は口に苦し」「人間厳しい意見も必要」と過去に親から受けた事や、
多数派=正しい、について相談があります。

最近、「良薬は口に苦し」「人間厳しい意見も必要」というのは、
見聞きした事が「自分にとって不利益を被るかどうかで良薬かどうかを見分ければいい」という事を学びました。

しかし、10数年前に親から受けた事は良薬は口に苦しでどう処理すべきか分からない状況です。

本来なら過去はどうでもいいのですが、
「良薬は口に苦し」「人間厳しい意見も必要」「戸塚ヨットスクールが全て正しい」
という苦しみの幕開けになった出来事だったので。

まず、子供の頃、自分は発達障害で親も頼れる人がいなかったため、
親から戸塚ヨットスクールに入れてやる、更生施設に入れてやると脅されていました。
現在はこれについては謝罪を受けています。

そして大学生になってバイトをしますが、
当時の自分は考えがかなり甘く、バイトをクビになりました。
尚、この頃自分の様々な悩みで、とあるカウンセラーにお世話になっていました。

そして、バイトクビの原因で、一部いい加減にしてしまっていた過ちがあったのですが、
そこを更生施設送りレベルと思ってしまい、過ちを認めるどころか、針小棒大にしてしまっていました。

バイトクビの話をカウンセラーと親にしましたが、
カウンセラーは貴方は全く悪くないという意見で、親は自分の非は認めろという意見でした。
しかし、自分の非を認められなかった自分は甘いカウンセラーの意見に完全に縋ってしまったため、
親にブチ切れられ、しばらく絶縁されてしまいました。

その後復縁し、反省もしましたが、戸塚ヨットスクール脅しの記憶が蘇り、
戸塚ヨットスクール思想に10数年苦しめられる事になります。
良薬は口に苦しという事も苦い良薬?に苦しめられる地獄が続いています。
甘いカウンセラー事件は戸塚ヨットスクール思想とは真逆であるため。

最近認知療法で良薬は口に苦しの使い方をいい方に変え始めているものの、
先述したカウンセラー事件が落とし込めてないせいか、なかなか身につきません。

他にも戸塚ヨットスクール思想(=右派〜極右思想)はネットやSNSでかなり支持されているため、
多数派=正しい、と思ってしまいます。
因みに戸塚ヨットスクール思想に限らず、
ネットやSNSは何万単位の人が書き込んだり評価をしているため、
多数派=正しい、とみなしてしまいます。
やまゆり園事件の犯人(戸塚ヨットスクール思想と同じらしい)も
世間では正しいというのがネットやSNSから分かるし。

過去とはいえ、甘いカウンセラー事件はどう落とし込むべきでしょうか。
また、多数派=正しい、というのはどうすれば良いでしょうか。

因みに、今は正社員として普通に働いています。

分かりにくい文章で大変申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

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2022年10月8日 15時46分

教えて掲示板の回答

ケアラー支援カウンセリング けいぜん庵

なもんさん

こんにちは。
「オンラインカウンセリング惠然庵」の西岡です。
ご相談内容拝読いたしました。

「良薬は口に苦し」は、その通りかもしれませんが、
「苦い薬」が「良薬」とは限りません。
そして「苦くない薬」が「良薬ではない」とも限りません。

多数派意見を「こんなにたくさんの人が言っているんだから、正しいのかもしれない」と考えるのは人間心理として自然なことです。
しかし「正しいのかも」と「思ってしまう」ことと、本当に正しいことはまた別問題です。
さらに言うと、何が正しいか正しくないかは、自分が決めることなのです。
自分の価値観、信条などと照らし合わせて、それと合致するか、反するのか、全く新奇なものなのか、で、自分がどう対処すればいいかを決めるのです。

大切なのは「良薬かどうか」でも「多数派意見が正しいかどうか」ではありません。
まずは自分自身が何を良い・正しい・有益だ、と考えるか、です。

これは一朝一夕に見つけられるものではありません。
色んな経験をして、色んな人と出会って、楽しいことや嬉しいこと、嫌な感情を体験する中で見えてきます。

多数派意見も、ご両親の「良薬は口に苦し」は参考情報程度に思っておきましょう。
なもんさんご自身が「これが正しい」と思うものを探していきましょう。

応援しています。

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2022年10月13日 10時47分


心理カウンセリング らしんばん座

なもんさん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。

まずは、「良薬は口に苦し」について。
まあ、この言葉は良く引用されますね、「辛い経験をしたことが、後々自分のためになる」というような意味合いです。
または、「自分にとって厳しくしてもらったことが、後になって自分のためになった」というような意味も持っています。

ただ問題は、それが「良薬」である事。
逆は必ずしも真ならずで、「苦い」からと言って、それが「良薬」であるという保証はありません。

それが自分のためになったかどうかは、なもんさんが、自分で何らかの気づきを持って、その方法を実践した結果、良好な状態になる事が出来るということが必要です。
つまり、どのような方法であれ、それを実践することだけで、すべてが解決すると言うわけではありません。
その「甘いカウンセラー」についても、「戸塚ヨットスクール」にしろ、それらがとる方法で、必ずしも上手く行くわけではなくて、なもんさんが、それをどう実践したかで結果が変わってきます。

言ってみれば、なもんさんも、なもんさんの親御さんも、「手段」に頼りすぎだと思います。

確かにカウンセラーは、クライエントたるなもんさんに対して、「あなたは悪くない」と言うと思います。
しかしそれは、なもんさんが「正しい」という意味ではなくて、「バイトをクビになったかもしれないけど、なもんさんは悪い人ではありませんよ」という意味だったのだと思います。
つまり、行動の末の「結果」と、もともとの「人格」は、イコールで結ぶ必要は無いと言う事です。

「多数派=正しい」について。
多数派の意見が、必ずしも正しいわけではありません。
これは、学校で「多数決=民主主義」みたいな教育を受けてきた結果、そう思えてしまっているだけです。
本当の民主主義とは、多数決によって取りこぼされた意見(すなわち少数派)も、受け入れて社会を運営していくことです。

まして、SNSの世界では、右派的な意見が幅をきかせていて、あたかもそれが「社会の常識」みたいに言われてしまいます。
しかしそれも、真実ではありません。
右派的な発言をする人は、同じ意見を沢山つぶやいて、あたかもそれが多数派であるかのように振る舞います。
また同じ人がアカウントを変えて、右派的な意見をつぶやいたりしています。
つまり、SNSで見えてくる社会は、現実の物ではありません。

また、SNSやYouTubeの世界では、極端なことを言う人が目立って、フォロワーも沢山付いて、もてはやされています。
しかしそれも何というか、現状への不満というか、自分に対する報われ無さというか、悪いことを他人のせいにしたい意識とか、そういった物の表れです。
しばしば、背徳的な言説が受けたりしているのも、その現れです。

従って、SNSの世界観は、必ずしも現実の社会を映しているわけではありません。

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2022年10月12日 17時25分


S.Light.M

こんにちは、S.Light.Mの瀬川と申します。

ご相談内容を拝見させて頂きました。

なもんさんにおかれましては既にご存じの事もあるかもしれませんが、私なりの捉え方などを少しお話させて頂きますので、宜しければ参考になさってみて下さい。

まずSNS等における書き込みでは同一人物ないし同一団体が複数の書き込みをしているケースが圧倒的に多い事から、あたかもそれが多数派や母体のような錯覚に陥る事はございます。
勿論、書き込みをしている方においてはそれが狙いである事でしょう。

また、民主主義とも言われますが、これも少数派の意見や考えを出来るだけ取り入れる為の手法であるのが本来ですが、残念ながら現在では多数決のように変質してしまっている部分もございます。

故に、このような事からも多数派=善や正しいとはならず、そもそもが明確な善悪や正誤や是非の境界線を引ける出来事などは、実際にはかなりの少数である事と私自身は感じております。

そして「さじ加減や」「塩梅」などの言葉もございますが、何故、多数派=善や正しいとの傾向になってしまっているかを眺めた時に、私個人としましては「過度な二者択一に陥っている」為にそのようになっていると考えております。

そして、何故、過度な二者択一に陥るのかと言いますと、その方が「考える」事をしなくて済み、「楽」であるからと捉えております。

そして、良薬は口に苦しとの言葉では、そもそもが「良薬」である事が大前提となっておりますが、本当に良薬であるかどうかは人それぞれの違いがあるのが自然な事です。

これは実際のお薬でも効き目には個人差があったり、副作用の多寡などがある事からも明らかです。

一方で「毒にも薬にもならない」との言葉の反面には「薬になる事もあれば逆に毒になる事もある」という事になります。

あくまで私自身としての捉え方ではありますが、自らの「軸や芯」を創り上げていくと同時に、先程のさじ加減や塩梅も意識して自らのものにしていく事が大切なのかもしれません。

これは一見すると「(自己)矛盾」のように感じるかもしれませんが、矛盾も使いようによっては「考える」良いキッカケとなりますし、何より考える事で先程の過度な二者択一に陥る事を防ぐ効果もあります。

例えば、ここ数年よく言われる「今だけ 金だけ 自分だけ」におきましても、確かに今は大切ですし、今の捉え方によって過去の意味づけを変える事も出来ますし、それにより未来を新たに創り上げていく事も出来ます。

また、お金も大切で必要なものでもあり、衣食足りて礼節を知るとの言葉もあります。

自分だけにおきましても、自分の事で精一杯の時には他人に関心を向ける事も難しくなるのは私自身においても同じです。

一個で言えば現在の世の中や社会は「無関心」とも呼ばれ、この無関心層が多数派である事が実態とも感じます。

「長いものには巻かれろ」や「朱に交われば赤くなる」との言葉は、(無批判で)世間に流される危険性を示唆しているものでもあります。

「考え続ける」事により自らの軸や芯が強固なものになっていくと同時に、周りが見えてきてコミュニケーションの調整弁としてのさじ加減や塩梅も自分なりの基準というのが見えやすくなっていきます。

そのような中で、やはり駄目なものはダメ!というのも見えやすくなってきます。

今のままで良いという意味ではございませんが、なもんさんにおかれましては色々と考えていらっしゃる事も伝わって来ますし、ひとまず優先順位としては、自らの軸や芯を固めるという、ご自身の考え方や捉え方に、ご自身としての自信を積み重ねていくのが宜しいように感じた次第です。

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2022年10月12日 12時06分


憂うつの癒し屋

初めまして、心理カウンセラーのヨナガ マサアキと申します。
>過去とはいえ、甘いカウンセラー事件はどう落とし込むべきでしょうか。
甘いというのは、 なもんさんに支持的に接しているのですのが、その程度によりますよね。
この次のカウンセラーさんを選ぶ一つの基準ができたと思ってみては如何でしょうか。
>多数派=正しい、というのはどうすれば良いでしょうか。
心理学用語に集団極性化(集団になれば極端な方向に進んでいく)があります。
その中で、「コーシャスシフト」と「リスキー・シフト」というのがあります。
簡単に言えば、集団が故に間違った危険な方向に流されていくのが、
「リスキー・シフト」です。
多数版の危険さを表しています。
コーシャス・シフト→慎重な方向に進むこと。
例えば、衆議院が2/3以上の議席があれば、どんな法律も成立します。
民主主義だから多数派の意見が通るわけですが、
少数派の意見も取り入れるために、比例代表制があるのです。
自分で考えて、「これは、おかしい」と思うものは、SNSなどで発信してゆきましょう。
生物の多様性が問題になっている現在、少数派の多様性も考えてもらいたいですね。
過去のトラウマティック・ストレスを癒やすためには、
YouTubeで「バタフライハグ」や「トラウマに効くタッピング」で検索してやってみてください。




何か分からないことがありましたら、
私のHP(下記参照)の最下部のコメント欄に投稿してください。
http://sinrigaku.com
また、上記HPの下部には、
メンタルヘルスの情報がたくさんありまので、参考にしてみて下さい。

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2022年10月12日 09時29分