教えて掲示板の質問
「カウンセラーの矛盾した言動と行動について」に関する質問
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MGさん
カウンセラーと話していて違和感を覚える事が多々あります。
代表的なのは発言に矛盾のような物が見え隠れした時です。
私はこの世に居ない方が良い(存在否定)ですし、
価値も無いどころかマイナスですし(価値否定)、どこにも馴染めない(所属否定)です。
これを伝えると何故そう思うのか根拠を求められるので
自分が何も出来ない社会のお荷物であり、
例外なく他者からはゴミ扱いされたと今まで説明してきました。
そんな自分は生きている資格なんか無いと社会的、客観的な根拠を述べてきました。
するとこう言う人が居ます。「消えてなくなるのは貴方(私)ではなく心無い他人の言葉や評価だと思います。
生きる価値がないなんて評価はゴミ箱に捨ててしまえばいい」、と。
もしくは「そう言う周囲の方が人間味が無いから無視しろ」など。
これって論理的におかしい指摘だと思います。
昨今の心理学、カウンセラーの常套句は(意訳すると)
「貴方はそのままで良いし誰でも生きていて良いし、
みんな違ってみんな良い」という感じだと理解しています。
もしこれを押し通すのなら何故「私を否定する声」を
捨ててしまえば良いと言えるのか理解出来ません。
もし本当にこの信念を貫くなら他者が私を否定する考えを
まず全面的に認めるのが必要だと思います。
何故ならそうしないと私を否定する「他者」の否定に繋がりかねないからです。
ですが何故かそうはしないのです。
だから例えば私は長所が無い無能と言っても受け入れてもらえません。
私が人並みの人間ならまだ分かりますが、
何一つ人並みに出来る事が無いのだから寝言にしか聞こえません。
賢く楽に過ごしたいなら相手に対して喧嘩を売らず適当に愛想笑いとお世辞でも言い、
波風を立てずに過ごすのが良い、と言われる社会で批判の声を
上げる人というのはある意味では貴重な存在でもあり、
有難い存在と言える部分があるにも関わらず私に対する批判的な意見を
「捨ててしまえ」というのはどんな経緯があれどおかしいと思います。
これでは結果的に私を否定する「他者」を否定しているように見えます。
盗人にも三分の理と言うのにろくに精査せず「そんな評価は捨ててしまえ」というのは何か腑に落ちません。
実際には盗人では無いのだから三分どころか九分くらいかも分かりません。
発言と行動に一貫性があるように見えません、
感覚的には「暴力はダメ」と言いながら相手を殴っているかのような違和感があります。
そもそも心とは複雑だと言っておきながら断言口調で話す事自体おかしいと思います、
例えば長所は必ずあるとか。そんなの少し考えれば「必ず」とは限らないでしょう、少なくとも私自身はそうです。
私が無能なのは客観的に見ても大きく逸脱はしていないでしょう。
今まで生きてきて無能以外の評価をされた事がありませんから。
元が主観的な意見だからそれは違うと思うかもしれませんが、
それを言えば学説だって似たような物でしょう。
元は主観的な物でも集まれば客観的なデータになり、
それの積み重ねで発展してきたのですから(インビトロから更に客観的になるだけです)。
客観的なデータもバラせば一人の人間の主張や結果です。
それらの中から一つの例外も無く無能や産廃と扱われたのに
ろくな根拠もなく一カウンセラーの主観で「貴方はゴミではありません」など言われても全く心に響きません。
精査もしてないのだから知ったかぶりも良い所です。
私自身はそうは思いませんが、私が過度に自分自身を否定する癖がある(=歪み)から
それを矯正する為にやっている部分もあるかもしれませんが発言と行動に矛盾が見えるので、
穿った見方をすれば歪みを矯正しようとしているのではなく、
明後日の方向に増幅しているのではないか、と思えてしまいます、
一昔前に流行ったポジティブ至上主義のように。だから今では不信感を持ってます。
勿論カウンセラー全員がこう思っているとは限らないと思います。
或いはたまたま相性が悪いカウンセラーとばかり当たってしまったのかもしれません。
そこで質問です。どうして(一部の?)カウンセラーは断言口調で話すのか、
何故自分を肯定するような事を推奨しておきながら
批判的な人間を否定(批判ではないです)するのか、
そして何で根拠が無い事でもあたかもそれが正しいかのように発言するのか、
見方を変えれば無責任とも不誠実とも見える事を言うのか、考えを教えて下さい。
2022年7月7日 23時22分
教えて掲示板の回答
メンタルリセットマップコーチングのJCTA
MGさん、はじめまして、MCSJの横田と申します。
「見方を変えれば無責任とも不誠実とも見える事を言うのか、考えを教えて下さい」について。
カウンセラーにもいろいろな人がいます、あなたを助けたくて、アドバイスする人、指示命令する人、否定する人、この方法は相談者のかたに不快感が生まれる事もあります。今回MGさんが感じた「無責任とも不誠実」のような不快感が生まれることもあります。私も過去に不快感を与えてしまった経験もあります、カウンセラーとして申し訳なく思いますが、真剣に助けたいと言う思いがそうさせたと思い、お許しください。
傾聴する、共感する、カウンセラーは以下の様に答えると思います。
「MGさんが、自分は世に居ない方が良い、価値も無いどころかマイナス、どこにも馴染めないと思っているのですね。その理由は、MGさんは自分が何も出来ない社会のお荷物と思っている事と、例外なく他者からはゴミ扱いされた事である事も分かりました」
私たちカウンセラーは、クライアントさんのお話を傾聴して同じ時間を過ごします、悩みの答えを探すおてつだいをします。答えはあなたの中に有りカウンセラーには分かりませんが、傾聴を通して答えを探して選ぶお手伝いをします。
MGさんは、私たちカウンセラーを自由に選べます、MGさんが心地よい時間を過ごせるカウンセラーと出合える事を愛知の空の下から願っています。
2022年7月10日 05時06分
お礼コメント
回答ありがとうございます。助けたい気持ちに関しては何も言いませんが目的が手段を正当化するとは限りませんよね。貴方はまだその事を恥じ、省みているだけマシですが私が会ったカウンセラーにはそんな人は居なかったのでお金も勿体ないので恐らくもうカウンセラーにはかからないと思います。誠実な答えをありがとうございました。
2022年7月10日 14時10分
美容沙龍 琳
こんにちは、メンタルリンパ&心理カウンセラーの琳と申します。
MGさんのご質問読ませていただきました。自分の考えや客観的に自分を分析してますね。その事に関して答える側のカウンセラーも観察力が無ければ解決しないでしょうし不信感が増幅する事になりますね、しかし、カウンセラーは、決して思ってもいないことを言ったりしないと思うのですが、いろんな方がいらっしゃるのでなんとも断言もできませんね。MGさんが、これまで出会ったカウンセラーの方がMGさんがおしゃるように相性の問題だけだと思います。すべてにおいてMGさんの気持ちに答える事は出来ないかもしれませんが、MGさんにマッチするカウンセラーには出会えると思います、現に私もできれば、お会いして対面でのお話を聞きたいと思ってしまいました。
MGさんは、自身の思いにそうカウンセラーに出会ってなくて、カウンセラーの言動を無責任・不誠実と思っていると思うのですね、もちろん、最もな事だとも思います、それでも、これまで出会ったカウンセラーの方々は、MGさんの事を思えばこそであり、その気持ちは無責任でも不誠実な事でもないと思います。これまで出会ったカウンセラーの肩を持っているように聞こえるかもしれませんね。それでも、カウンセラーを通して出会ったすべてのクライアントに、自分なりの寄り添いを心がけてます。もちろん私はですが。カウンセラーとしてこの質問がすごく考えさせられと共にお勉強になりました。
2022年7月9日 14時46分
お礼コメント
回答ありがとうございます。自分の考えを客観的に分析しているかはともかく、カウンセラーの方がそのような事を話したのは私の事を思えばこそ、と言いますが目的が必ずしも手段を正当化するとは限りません。いくら目的が清廉潔白な物だったとしてもやり口はとてもそうだとは言えないでしょう。それを無責任でも不誠実でも無いと仰るなら浅はかではないでしょうか。
2022年7月10日 14時05分
心理カウンセリング らしんばん座
MGさん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。
>「貴方はそのままで良いし誰でも生きていて良いし、みんな違ってみんな良い」
身も蓋もない事を言ってしまいますが、カウンセラーとは、「それを言う人」です。
現代のカウンセリングは、「来談者中心療法」といいますが、来談者一人一人をかけがえのない人間とみて、この世に存在すべき人間として捉えています。
だからMGさんが、その様なカウンセラーと遭遇することは、ごく一般的なことだと思います。
つまり、MGさんについてそう言っているのであって、MGさんを否定する他の人のことは、ここでは言外に置かれています。
カウンセラーは、MGさんについて「生きていて良い」と言っているだけであって、その他の人についてもそうだとは言っていません。
ただそれは、MGさんにとって、無誠実に見えてしまうのですね。
そうですね、一般的にカウンセラーは、断定的な物言いをするのは良くないと言われています。
ただ、ここに「表現」という問題が出てきます。断定的な物言いも、すべては表現の問題です。
おそらくMGさんの、「私はこの世に居ない方が良い存在」云々のお話を聞いて、自死の危険を連想してしまったのだと思います。
またはカウンセラーによっては、家族や近しい人、または来談者などの自死という経験を通して、無意識のうちにMGさんの言葉を否定するような気持ちが働いてしまったのかもしれません。
カウンセラーも人間ですから、その時の感情によって、理想的とは言えない対応をしてしまうことはあります。
時には、強く断定的な言い方をする事があっても、それは「表現」の問題であって、論理的におかしいわけではありません。
人間も物事も、すべては「たった一つの原理」によって動いているわけでは、ありません。
矛盾しているように見える物でも、実は一つの物事を、多方面から眺めて表現しているだけだったりします。
例えば、富士山を静岡県側からみて、「静岡県から見る富士山は美しい」と言っている人が居るとします。
MGさんの言い方だと、それだと「山梨県側から見る富士山は美しく無い」と言わないとおかしい、と言う事になります。
でも、どちらから見ても富士山は美しいことは間違いがありませんし、矛盾するような言い方をしてもおかしくはありません。
MGさんがこの世に存在することと、MGさんを否定する人が存在することは、矛盾してはいません。
MGさんは、他の人とは関係なく「存在」していますし、MGさん関係なく、他の人は存在しています。
すべてを一つの論理で結びつけてしまうので、余計にこんがらがってしまうのだと思います。
おそらくカウンセラーは、MGさんがご自分に対して「無能」という烙印を押してきて、それにMGさんが苦しんでいるのなら、そんな否定的な意見は捨ててしまいなさいと言っているのだと思います。
ただMGさんの場合、それは望む回答ではないのですね。
それでは、MGさんは、どう答えて欲しいのですか?
「あなたは、どうしようもない無能な人間だから、即刻消えてしまいなさい」とでも、言ってもらいたいのでしょうか?
ただ、カウンセラーは、そうは言わないと思います。私も、そうは言いません。
2022年7月8日 19時48分
お礼コメント
なるほど、カウンセラーとはそういう集まりなんですね。では私には合いそうにないですね。私は事実に基づいたアドバイスが欲しいので、存在その物を肯定される事に意味を感じないので。
> その他の人についてもそうだとは言っていません。
なら一番最初の「誰でも生きていて良い」は正しくは「誰でも」ではなく「カウンセリングに来るお客様」の間違いではないのですか?第一自死の可能性があるからどうだと言うんでしょうか。それで貴方が死ぬ訳でもないしわざわざ貴方に私が死んだと報告が行く訳でもないのに。人を救う職業をしているから人が死ぬのは見たくないと考えるのは勝手ですがそれはそちらのエゴではないですか?
2022年7月8日 22時08分
お礼コメント
表現の問題とも言いますがそれも後付けに聞こえます。私自身がどうしたいのかは、はっきり言えば分かりません。希望も無いし何もやりたい事もやれる事もありません。消えた方が良いと言われる方が事実に基づいている以上、そちらの方がマシですね。その後、具合的に苦しむ事なく消える方法をご教授くださるのがまだマシな方です。
2022年7月8日 22時10分
追加コメント
「誰でも生きていて良い」は、本当に「誰でも」です。MGさんも、MGさんを否定する人もです。
だから、MGさんにもそう言います。また、他の人にも添う言います。それが矛盾しているとは、私は思いません。
MGさんは、言葉の上で理屈をこね回しているだけですよ。
2022年7月9日 02時04分
追加コメント
MGさんは、アドバイスをカウンセラーに対して求めていらっしゃいますが。カウンセラーは、基本的にアドバイスも行いません。
解決策はMGさんの中にあって、カウンセラーはそれを引き出すだけです。
MGさんの「無能云々」のお話をうかがったとき、私なら「MGさんは、ご自身を無能だと思っているのですね」と返すと思います。
2022年7月9日 02時23分
お礼コメント
「誰でも生きていて良い」と言っときながら最初に「否定する他の人の事は言外に置かれています」と書かれていますが。ついでに言うと理屈をこね回せる程私に知性はありません。他人からの受け売りですからね。私の中に解決案があるのだとしたらやはり自死しかないみたいですね。回答ありがとうございました。
2022年7月9日 10時08分
追加コメント
「言外に置かれている」は、「意図的に忘れている」という意味であって、その人を否定しているわけではありません。
MGさんに対する言葉は、「MGさんだけ」に向けられています。別段、全人類に対して向けられているわけではありません。
すべてについて整合性がとれている言葉を求めていくと、何も言うことが出来なくなります。矛盾をしているかもしれませんが、矛盾の何が悪いのですか?
MGさんか、MGさんを否定する人のどちらかだけが存在できて、もう片方は否定されるという二者択一の考えは、MGさんを追い詰めてしまいます。
その様な考えで、自分を追い詰めることは止めてください。
2022年7月9日 19時26分
お礼コメント
別に全てに対して整合性を保てとは言いません、人間とは矛盾を抱えている生き物ですから。問題は矛盾をしている事を自覚せず、省みず、自分の事を棚上げしてあたかも自分の持論が正しいという振る舞いをするのはナンセンスだと言っているのです。本文にも書きましたが矛盾というのは例えば暴力はいけませんと言いながら自分は人を殴るみたいな物です。それの是非はともかく少なくとも「お前が言うな」とはなります。だとするなら誰でも生きていて良い、というのは成り立たないでしょう。無能に対して風当たりが強い事にも死刑制度がある事に対しても説明が出来なくなりますから。
2022年7月10日 14時20分
MGさんへ
MGさんのおっしゃることはその通りだと思います。
「私は何の役にも立たない」「皆に嫌われている」「認めてくれる人はいない」「私はバカなんです」「生きている価値がない」「いない方がいい」「死にたい」と訴える方は、すごく多くはありませんが、少なくもありません。
誰が何と言おうと、ご本人はそのように思っているのですから、カウンセリングではそれを肯定するしかないのです。
自分を否定する言葉を肯定してもらえないと、否定されたと感じるのは当たり前だと思います。
MGさんは、今までそのようなカウンセラーに出会うことが多かったのだと思いました。
たしかに、ご自分を否定する方のお話を肯定することは、カウンセラーによっては難しいのです。
できない人の方が多いように思います。
でも、ちゃんとできる人もいます。
つまり、ちゃんとお話を聴けるカウンセラーも、間違いなくいます。
いつか、そのようなカウンセラーに出会えるといいなと思いました。
2022年7月8日 18時27分
お礼コメント
回答ありがとうございます。カウンセラーの方々にとっても私のような産廃と接しなければならない苦労をお察しします。だからと言って余りに自己矛盾が多い上に押し付けてくるカウンセラーが多いのは良い気はしませんね。私が死ぬまでに話を聴けるカウンセラーが見つかると良いと思いますが余り期待はしないでおこうと思います。
2022年7月8日 21時52分
クラリオンヒーリング(気功・整体)
MGさん、初めまして。お悩みの件、拝見いたしました。
今回、カウンセラーさんの言動について、なぜMGさんが不快感を抱いたのか説明いたします。MGさんは、ご自分が無能な人間だと認識されています。そのことを肯定的に言う(他人からゴミ扱いされる)事について、カウンセラーさんはそう言う人に問題があるのだから、無視したり、ごみ箱に捨ててしまえば良いと言う事に矛盾を感じています。
もし仮にMGさんが、ご自分の事を無能ではないのに、他人から否定されるようなことを言われたら、カウンセラーさんの言うアドバイスは腑に落ちるでしょう。
つまり、カウンセラーがいう事はMGさんの自己評価(ネガティブ考え方)を捨てる(変える)方が良いと言っている事と同じになるのです。他人が介在しているのですが、
他人は、自分の事を良く理解せずまたは詳しく話も聞きもせず、評価します。同意または同調すれば、心地よいので相手の意見に合わせるようなこともします。しかし、本当にその人の為を考えたら、否定とか肯定に惑わされることなく、最善の助言をすべきなのです。
2022年7月8日 16時48分
お礼コメント
回答ありがとうございます。仰る通り余りにも自己矛盾をしておきながら無責任にしたり顔で発言するカウンセラーに対して辟易しています。カウンセラー含め他人は人の事を理解しようとせずに評価します。少なくとも私が見てきた人はそうでした。残念ですがそれが現状みたいですね。言いづらい事を話して頂きありがとうございました。
2022年7月8日 17時42分
Erick’s Counseling Room
MGさんへ
Erick’s Counseling Roomのカウンセラーの小野と言います。
MGさんが言われる
「自分が何も出来ない社会のお荷物であり、
例外なく他者からはゴミ扱いされたと今まで説明してきました。」
「そんな自分は生きている資格なんか無いと社会的、客観的な根拠を述べてきました。」
とあなたはご自分の気持ちを述べられています。
あなたに接したカウンセラーが
「消えてなくなるのは貴方(私)ではなく心無い他人の言葉や評価だと思います。
生きる価値がないなんて評価はゴミ箱に捨ててしまえばいい」
「そう言う周囲の方が人間味が無いから無視しろ」
と話したのは、カウンセラーとしてはあなたの気持ちを聴きとる力のない、感情任せな発言だと思います。
あなたの他者に対する恨みの気持ちをお持ちのように感じます。
「例外なく他者からごみ扱いされ、廃棄物と同じように」扱われてきたあなたがカウンセラー巡りをして、カウンセラーの批判をしている。
あなたが今まで受けてきたカウンセリングに対する失望を抱いて、ここに投稿され、ここに登録されているカウンセラーたちに見解を求めようとしている姿に悲壮なものを感じます。
あなたはこの先どこへ行かれるのでしょうか。真っ暗闇の中を一人で歩いていかれるのでしょうか。
ポジティブ志向であれば、その暗闇の中にも一点の光があるはずだと指し示すかもしれませんが。
少なくともあなたの気持ちに寄り添った言葉ではありません。
希望を言えば、あなたに合ったカウンセラーを見つけてください。
もがきあがき苦しむあなたに寄り添ってくれるカウンセラーを見つけるべきです。
あなたのことをわかるのはあなた自身しかいないかもしれませんが、寄り添ってくれるカウンセラーはいるはずです。
あなたの人生がこれから変わっていくことを願っております。
2022年7月8日 12時01分
お礼コメント
回答ありがとうございます。私も他者を否定する発言をしたカウンセラーは感情任せな発言だと思います。カウンセラーに不信感を抱きつつも見解を求めているのは筋を通すためです。このままカウンセラーは基本的に信用出来ない、と決めつけるのは簡単です。ですが私は決めつけるには早いと思いました。だから質問をさせて頂きました。ですが良いカウンセラーを見つけられる期待はあまり出来なさそうですね。どこへ行くかは分かりませんが生きるも地獄、死ぬのも地獄ですから向かうのは地獄でしょうね。
2022年7月8日 14時22分
S.Light.M
こんにちは、S.Light.Mの瀬川と申します。
私自身の事も振り返りながら、また耳に痛いお話でもある点も含め、ご相談内容を私なりに拝読させて頂きました。
そのような事から、参考になるかどうかはともかくと致しまして、あくまで私個人が思ったり考えた点を少しだけお話させて頂きます。
まず、目の前のご相談者様が「私は完全な無能です」とお話された際には、私としては少しでも何かを出来るようになる為の事であったり、一つでも「有能(これは無能の対義語としての意味です)」な面を探し出そうとのベクトルが働いてしまうのが私なりの素直な心情になります。
そして、私自身はカウンセリングでお話させて頂く事は「(一つないしは複数の)提案」というスタンスを取っております。
ただ、ご相談内容が誰かを殺傷したいなどであれば、それはダメですとの断定口調を用いる時もございます。
そして、何故、断定口調を出来るだけ避け、提案というスタンスを取るかと言いますと、時には迷いの渦中において方向性が全く見えなくなっている際に背中を押すという意味での断定口調が功を奏すケースがある事も事実ですが、言わば教祖と信者のような共依存に陥ってしまう恐れも多々生じる(可能性がある)と考えるからです。
ただ、中には断定口調によりご相談者様をコントロールしたいと思っている方もいらっしゃるのかもしれませんし、このような場合ではカウンセラー側の自己満足に過ぎないという指摘なども当てはまるのはその通りだと思います。
そして、最初の方に話は戻りますが、有能な面を探し出そうとのベクトルですが、これはご相談者様の完全な無能であるとの考えや体験を否定する趣旨ではありません事は、繰り返しになりますが、何かを変えたいと思っているからご相談にいらっしゃていると考える、あるいはカウンセラー側ではそのように考えてしまうというのが正しいのかもしれません。
ただ、出発点としてこのベクトルの向く方向の違いが生じてしまう事により、ご相談者様においては不信感などが募る原因となる事も否定は出来ないのかもしれません。
そして、あくまで私個人としての偽らざる本音を申しますと、「あなたは完全な無能です。なのでどうにも仕様がありません」などの言葉を仮に話してしまったとすると、それが自死や自暴自棄(誰かを殺傷したりなど)などのトリガー(引き金)となってしまう事を恐れての事です。
このように、カウンセラー側の個人の心情と、ご相談者様が自死等に向かわない為に、そして他者への危害が及ばないようにとの面から、『生きる価値がないなんて評価はゴミ箱に捨ててしまえばいい』などのような「他者への否定」というMG様の仰られるような矛盾(時には根拠も全く無い「なりふり構わず」なども含め)という面に結び付いているのかもしれないと感じた次第です。
2022年7月8日 10時50分
お礼コメント
回答ありがとうございます。いくつかの疑念が確証に繋がったのでありがたいですがいくつか厳しい意見を述べさせて貰います。
>有能な面を探すとする心情が働く
感情論ですね。貴方がどう思うと勝手だがそれを押し付ける人が居るのもどうやら確かみたいですね。だから根拠も無しに無責任に話す人も居ると。最早その行動自体が自己満足に近いですね(貴方がそうなのかは別問題です、念のため)。
>自死や自暴自棄のトリガーとなる事を恐れて
言い方を悪くすると責任逃れのようにも聞こえますね。大体今の日本では行方不明者も自殺する人もごまんと居るのだから私が自殺したとて貴方には関係無いでしょう。感情論で動いてませんか?
2022年7月8日 14時13分
追加コメント
お返事頂きありがとうございます。
全ての人の自死等を私が防げるとは思っても考えてもおりませんし、そのような事は不可能ですので、私が何かの縁あって繋がりが出来た方という意味になります。
勿論、繋がりが出来たからと言って、これも全ての人のお役に立てるという意味でも毛頭ございません。
そして、理性も同時に活用致しますが、仰る通り私自身においては自分の感情も(幾分かは)動かしますし活用も致します。
仮に事前に一切の感情を排した理性のみからとのご要望が分かっている場合であれば、その時は私には出来ませんし、お役に立てそうにもありませんとお断りさせて頂く事と思います。
2022年7月8日 15時01分
お礼コメント
早速矛盾が見え隠れしますね。ではどうして貴方は無能です、手の施しようがないと言わないんですか?全ての人を助けられるとは露ほどにも思っていないのなら事実ならとっとと認めればいいにも関わらず下手に隠すその態度が不信感を招くと本当に理解出来ませんか?感情を使うのが悪いとは一言も言っていません。問題は感情任せに発言する事で無責任な発言、行動を誘発している事です。それは偽善ですらないと理解出来ず省みる事もしないのならそれは傲慢ではないのですか?という意味です。
2022年7月8日 15時28分
追加コメント
私としては断定でもなく感情任せからの提案などもしていないつもりではありますが、「私は無能です」とのお話に対し「そうですか、ではどうしていきたのですか」などはお話の一歩になると私個人としては考えますが、それが傲慢であるという事でしょうか。
もしそうであれば最初のご相談内容にある『貴方はそのままで良い』で完結するように思えますが、勿論ここに『「私を否定する声」を捨ててしまえば良い』との一言は余計であるとの見方は成り立つのかもしれません。
そして、無能であるなどを共通認識とするのは大切であるのはその通りですが、その先の将来における手の施しようがないなどは、根拠も全く無い断定になるのではと感じますが。
2022年7月8日 17時05分
お礼コメント
話に食い違い見受けられるので一回整理させて頂きます。貴方は最初に無能と言われれば有能な面を探そうとする心境だと申し上げましたね。そして自死などのトリガーにならない為に無能だからどうにも仕様がありませんと言わないとも言いました。だから貴方の前言には無能を認める発言(そうですか、ではどうしたいですか)は無いのが分かります。貴方が普段どうしているのかは私には知る術もありませんがこの返事が来る前の文脈としては「有能な面を探し、本当に無能でも自殺防止のために詰んでます、とは言わない方針、それが自分の素直な心境でもある」という事です。
2022年7月8日 21時38分
お礼コメント
つまり貴方の自覚の有無に関わらず無能という評価に対し反対意見を探すのが優先され無能その物を認めるというステップが欠けているのです。もし無能だというのを共通認識として全面的に認めた上でどうしたいですか、となるなら私は話の流れとしておかしいとは思いません(貴方も仰られた通り、ここで私を否定する声を捨ててしまえばいい、との一言は余計でしょうが)。しかし本文にも書いた通りそうはしないカウンセラーばかり遭遇しています。それは事実確認も精査もろくにせず一方的な決めつけではないのか、それを認めないのなら自分の発言が正しいと思い込んでる傲慢さの表れではないのか、という意味で本文を送りました。
2022年7月8日 21時42分
お礼コメント
直前の返信も無能だと認めるステップを挟まずに考え無しに発言するように見受けられたのでならどうして無能だと認めない?と質問しました。私はそれまでの文脈から基本的に貴方は無能という評価を全面的に認めるよりはそうでない面を探すのを優先すると受け取りました。その心境自体を否定するつもりはありませんし、むしろそう思う心自体は恐らく望ましい物でしょう。しかしそれに振り回されて、無能という評価を認めず根拠も無く「無能ではない」と断言するのには違和感があります。それは事実確認を怠り一方的な決めつけになるのだからそれはおかしい、という意味合いだったんですがそれが貴方の本心では無いのなら別におかしいとは思いません
2022年7月8日 21時45分
追加コメント
お話の整理をして頂きありがとうございます。
MGさんの仰る通りちゃんとお話も窺わず最初から無能ではないとの決めつけを行うのは宜しくないのはその通りであると私も考えますし、そのような決めつけがされてしまう事で無能ではないとの方向にだけ誘導しているような面が感じられてしまうのも最もですし、それでは信頼関係も築けないのも仰る通りです。
故にお話をちゃんと聞かせて頂いて、一つ一つ確認作業もしながら、お互いに共通の認識や理解が築けた上で、ではこれからどうしていきましょうかなどのステップに進んで行くのが望ましいのもその通りであると感じます。
私の理解不足の面もありました点はご理解とご容赦頂ければ幸甚です。
2022年7月8日 22時19分
カウンセリングルーム ふうりん堂
MGさん、こんにちは。カウンセリングルーム ふうりん堂です。
個々のカウンセラーさんの対応や表現の仕方については
それぞれお考えがあってのことかと思うので
ここでは「私を否定する声を捨てる」ということについて
私の考えを少しお話せさせていただきますね。
「私を否定する声」を存在(=他者)と捉えてしまうと
MGさんのおっしゃる通り、否定される存在はこの世にはいないということと矛盾が生じます。
一方で、「私を否定する声」をMGさんの認識として捉えるとどうでしょう。
「私を否定する声」を持つ人は確かに存在する。
そういうモノの見方があってもよい。
ただ、そうした声に囚われるのか、離れて考えることができるのかをチャレンジすることはできる。
そういった意味で、私を否定する声を「捨てる」という考え方を解釈することができるのではないでしょうか。
「ポジティブ」については、従来のポジティブ・シンキングのように
ネガティブなことがなかったかのようにポジティブ一辺倒に考えればよいということではなく
ネガティブな側面をもつ自分を認識しつつ、
ポジティブな心理がもつ心の効用をどう取り入れ、
ポジ/ネガ比率を変えていくのかに取り組んでいくことと私は認識しています。
MGさんが自身を無能だと認識されていることは事実でしょうが
カウンセラーとの対話によりご自身に何か変化を生み出したいという想いも事実なのかな、と推察します。
よろしければ、私にご相談ください。
2022年7月8日 09時53分
お礼コメント
回答ありがとうございます。仰る通り離れて考える事が出来るのかチャレンジするというのは選択肢の一つでしょう。だからこそ闇雲に否定せずに考えるのが必要ではないのか、と言っています。しかし私が接したカウンセラーは少なくともそうはしていませんでした。まるでカウンセラー自身にとって不都合な事は見ないようにしているようでした。だから筋が通らないと思っています。
2022年7月8日 13時50分
追加コメント
返信ありがとうございます。
MGさんの言うように他者の認識を闇雲に否定するのはよくないというのは、私も同感です。
「ジョハリの窓」という自己認識・自己開発に使われるツールがあり、ここのスペースの都合、詳細な説明は割愛しますが
他者から見える自分を把握することは自己認識を深める上で必要な要素だと思います。
現在、MGさんと他者が共通して認識するところはネガティブな要素で一致していると思われますが、この要素出しの時点でポジティブな要素が検討から抜け落ちていないか吟味してみる必要はあるのかなと感じています。また、ツール上の他のエリアの検討をしてみてもいいかもしれませんね。
2022年7月9日 08時11分
追加コメント
その他、MGさんの像がネガティブな方向で形成されていくのは、育成環境により生じた思考のゆがみによるところもあるかもしれません。その辺は、カウンセリングの対話で検討していった方がいい領域かと思います。
ちなみに、思考のゆがみは誰にでもあるのでMGさんを悪く言っているつもりはありません。それぞれのゆがみを持った個人がバラつきをもって集団(社会)を形成しているということかなと思います。
2022年7月9日 08時24分
憂うつの癒し屋
初めまして、心理カウンセラーのヨナガ マサアキと申します。
心理カウンセラーは、常に矛盾を抱えています。
良いと言われるカウンセラーは、セッションが早く終わるので、収入が減るのです。
カウンセラーが断定的に言うときは、
クライアントが迷いに迷っているときだけです。
そのカウンセラーさんは、このやり方でクライアントを立ち直らせた成功体験があるのかもしれませんね。
カウンセラーさんを変えたほうが賢明です。
何か分からないことがありましたら、私のHP(下記参照)の最下部のコメント欄に投稿してください。
http://sinrigaku.com
わたしのHPの下部には、メンタルヘルスの情報がたくさんありまので、参考にしてみて下さい。
また、 メールorLINE相談は初回が無料がなっておりますので、下記URLからお気軽に相談して下さい。
http://sinrigaku.com/?page_id=2943
2022年7月8日 09時18分
こどものこころの相談室がじゅまる
MG様、こどものこころの相談室がじゅまるの臨床心理士Tと申します。はじめまして。幾つかのご質問に、私の考えをお伝えしようと思います。MG様のメッセージを読ませていただき、ご自身が感じておられることをカウンセラーに受け取ってもらっていないと感じられている、そしてカウンセラーの考えを押し付けられていると感じておられるのではないかと思いました。
私が知る限りですが、カウンセラーは断言することはしない方が多いように思います。占い師ではないですから。ただ難しい問題としてあるのは、「カウンセラー」は誰でも名乗ることができるということです。ですから、MG様がどんな方に出逢われたのかが気になります。もうひとつは、カウンセリングの考え方にも色々あり、クライエントの認知(物の見方)を、半ば強制的に変えていくようなカウンセリング方法論もあります。私が思うのは、MG様が感じておられることをカウンセラーに聞いてみる、意見をぶつけてみる(説明を求める?)ということをお薦めします。その時に、カウンセラーがどんな態度になるのか、そこにカウンセラーの真価が問われる場面なのではないかと思います。いかがでしょうか。
2022年7月8日 08時42分
お礼コメント
回答ありがとうございます。なるほど、貴方の周りのカウンセラーは断言口調は控えめな方が多いんですね。生憎私の場合はそうではなかったみたいです。
勿論その度にカウンセラーに対して質問したりもしましたがどれも腑に落ちない態度でした。例えば論点をずらしたり、見下した態度を取ったり(私の言う事を聞けば良い、みたいな事も言われました)、無視同然の態度を取る事もあれば露骨に機嫌を悪くしたりする事もありました。また説明を求めた事自体がカウンセラー自身が否定されたと感じたのか分かりませんが「私は悪くない、私は(そんな事は)出来ません」と保身とも見える発言をしたりもしました。だから不信感を抱いています。
2022年7月8日 08時56分
追加コメント
なるほど、そうでしたか。MGさんは、ご自身のお気持ちをカウンセラーにきちんと向けておられたのですね。カウンセリングにとって、それはとても大切なことだと私は思っています。
カウンセラーには、色々な方がいます(ここで、皆さんのコメントを見ていても、そう感じられるのではないでしょうか)。 MGさんはご自身と会われたカウンセラーが、あまりにも自己矛盾し、 MGさんが訴えたいことに、耳を傾けてくれないどころか、自分の考えを押し付けて来られるので、ここの場で、カウンセラーとはそういうものなのか、一度確認されたかった面もあったのではないかと想像していました。
2022年7月8日 16時07分
お礼コメント
はい、その通りです。このままカウンセラーは自己矛盾が激しい人達だと決めつけるのは簡単です。ですがそれではそうでないカウンセラーに失礼だと思いこの場で質問させて頂いた次第です。
2022年7月8日 17時33分