教えて掲示板の質問
「犯罪者になりそうな自分」に関する質問
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ノポスさん
自分は近い将来に犯罪者になりそうで怖いです。
少し前までは自分の事がこの世で一番嫌いだから他人を殺す事はない、
その前に自殺をすると思ってました。
しかし、自分もしくは環境に対する絶望が破壊衝動に変わるのはそう珍しい事ではありません。
だから通り魔などがよく言う「誰でも良かった」という心境は
多分理解出来てしまいます(共感はしたくないですし肯定する気もありませんが)。
いつか自分もそうなってしまうのでは、と思い不安しかありません。
そう自分で気づけてるなら大丈夫だとか、周りの通り魔とは違う、と思うかもしれませんが、
通り魔などの犯罪行為をするというのはある種の極限状態だと思うんです。
だから今自分が気づけてたとしても極限状態になるような(あくまで心境的に、という意味です)
出来事が起きてしまえばそれまでの気づきなんて無意味だと思います。
理性なんて圧倒的な狂気や絶望の前には無力でしょうから。
そして上にも書いた通り私は私自身がこの世で最も嫌いです。
毎日理由が無くとも殺意が湧きます。
願わくば誰かを手にかける前に自分を始末出来ればと思いますがなかなか上手くいきません。
私が生まれた事に罪悪感を覚える毎日ですが当然こんな事誰にも言えません。
何十年もこういう感情と一緒に生きてるともう疲れてきます…早く楽にして欲しいと思う毎日です。
何も他人に対して出来る事は無いし、優しさはおろか人間らしい心も持ってない。
日本人なら標準装備と言ってもいい真面目、誠実さも無いです。
その証拠に自分との約束を守れた事がもうかれこれ30年弱は無い状況です。
色々試してみましたが(例えば目標を可能な限り小さくするなど)どれも上手くいきませんでした。
自分に対して優しくも、誠実になれない人間が他人に対して出来る訳はないから当たり前だと思います。
こう悩める時点で真面目さがある、という意見もあるかもしれませんが私の場合はそれは無いと思います。
どう生きたいかも分からず、
犯罪者になる恐怖を感じながらどう生きていけば良いのか分かりません。
何かヒントがあれば教えていただきたいです。もう手遅れならそう仰って欲しいです。
2021年8月30日 21時09分
教えて掲示板の回答
ココまる
自分のことがこの世でいちばん嫌いだということは、とても辛いことだと思います。そんな中でも今まで本当によく頑張ってこられたと思います。
犯罪者になりそうで不安とおっしゃられていますが、その奥に「こんな私のことをわかってほしい!」という魂の叫びのようなものを私は感じました。
おそらく、今までの人生で、幼い頃から周りの人から理解されなかったり、否定された体験がとても多かったのではないでしょうか?そういう意味では環境に恵まれなかったのだと思います。それで、いつのまにか自分自身に対しても「自分は周りから受け入れられない価値のない人間」と思い込んでしまうようになってしまったのではないでしょうか?ノボスさんがご自分のことを嫌いだと思うのも、たぶん今まで自分が触れてきた人たちの価値観で自分のことを判断してしまっているのだと思います。
人間だれしも長所も短所もあります。全部ひっくるめてそれがその人の唯一無二の個性なのです。ノボスさんも今は自分の嫌な部分ばかりに意識がいっているだけで、本来は良い部分、素晴らしい部分も必ずあるはずです。そしてそんなノボスさんを理解してくれる人もきっといると思います。
自分の良いところも悪いところも全部ひっくるめて、自分をまるごと受けいれられるようになればいいのですが、なかなか一人では難しいので、誰かの力を借りるとよいと思いますよ。カウンセラーなどでもいいので、「ジャッジなしで、そのままの自分を受け入れてもらう」体験を少しずつ積み重ねていかれるといいと思います。たぶん今まで「受け入れられる」体験が圧倒的に少なかったのではないでしょうか。そうやって「自分は価値のない人間」という思い込みを少しずつでも手放していくことができると、本来の自分の良さも感じられるようになってくるはずです。
少し時間はかかるかもしれませんが、焦らずあきらめず、まずは生きぬいてください。
2021年9月7日 15時44分
お礼コメント
今まで頑張ってこれた事があるかどうかは疑わしいですが回答はありがたく受け取りました。仰る通り理解もされた事無いですし否定しかされていません。ですがそれを理由に人間誰しも長所も短所もある、というのは理解しかねます。二面性、つまり白黒思考で考えればそうかもしれませんが人間というのは多面性であり面ではなく立体的な物だからです。故に悪い方に噛み合ってしまえば短所しかない人間というのは存在し得るでしょう。
2021年9月7日 17時15分
めんたるくえすと.com
めんたるくえすと.comの渡辺と申します。
医療機関で医療相談、生活相談、介護相談、カウンセリングを行っています。
宜しくお願い致します。
犯罪者とそうでない人間の明確な違いは存在しないと思っています。
殺人を犯す人と犯さない人の境界線など瞬間的に超えてしまうくらい
人間は常に危うい状態で生きています。
こっち側とそっち側だけの差です。
きっかけだけです。
真面目だとか、おとなしいとか、強いとか、弱いとかは何の意味もなさない。
衝動的であっても計画的であっても
年月を費やした果ての結果なのでしょう。
これまでも、これからもその人が生きて来た中で芽生えた「それ」は
他人ではわかりません。
もしかすると、自身にとっても非常に扱いにくいものなのかもしれません。
ただ、犯罪を犯した瞬間は自分なりの満足感はあるかも知れませんが
その後、その後はどうしますか。
ノポスさんが満たされたいものは「犯罪や自死」の選択の中には無いと思います。
他人に対して優しくしなければならないとか
誠実でなければならないとか
自分がそういう人間でないのなら無理する必要はないし
誰かが決めた「普通」とか「基準」とかも
そこにハマろうとすると結構辛いものがあります。
1秒後は即、想定外です。
ノポスさんの抱えていらっしゃる恐怖は決して非現実とは言い切れません。
でも、そこに「恐怖」を感じていらっしゃるのであれば
それが恐ろしい事なのだと感じているのであれば
ノポスさんは大丈夫です。
ご自身を見失わない為にも、定期的にカウンセリングに通われることを提案致します。
めんたるくえすと.com
2021年9月1日 11時39分
カウンセリングルーム ふうりん堂
こんにちは、ノポスさん。
カウンセリングルーム ふうりん堂の若月と申します。
文面を拝見しまして、相当つらい気持ちを抱えているのだなと感じました。掲示板からは、ノポスさんのこれまでや現在の具体的な生活の様子がわからないので、推測となって申し訳ないのですが、ノポスさんはこれまで、かなり自分を押し殺して生きてこられたのではないでしょうか?
何か理想とする(理想とされる)水準があって、そこに至らない自分を卑下してしまい、小さく縮こめられている感覚なのではないかな・・・と想像しています。そんな中で、ネガティブなことのみ目に入る、ネガティブなことで頭がいっぱいになってしまう、絶望感に囚われてしまうという負のスパイラルに陥っているのかなと思います。
まずは、そういった気持ちを1対1で、カウンセラーに聞いてもらってみてはいかがでしょう?
何十年もどうしてそのような気持ちを抱えることになっているのか。日々、どんな苦しい思いをしているのか。
独りで心の中に抱え込むのは、相当しんどいことでしょう。
きっと話すことでラクになる部分もあると思います。
手遅れということは決してありません。
ノポスさんの年齢より上の人にとって、「あの時ああしていればよかった」という年齢が今のノポスさんの年齢だとしたら・・・。悩んでいて、アドバイスを求めた今こそが、ノポスさんにとっていいタイミングなんだと思いますよ。
2021年8月31日 21時42分
お礼コメント
優しいお言葉感謝します。残念ですが自分を押し殺して生きていた感覚はありません。幼少の頃から何も出来なかったので気づいたらこうなってました。理想も抱いた事はないのであまり当てはまる点は無さそうです。
2021年9月1日 11時20分
心理カウンセリング らしんばん座
ノポスさん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。
ニュースなどで凶悪事件を聞くと、その犯人に似た部分を自分の中に見つけてしまって、思わず「ひょっとして?」と思う事は、ままあります。
先日の、地下鉄の駅で通りすがりに硫酸をかけた男など、「普段は大人しく、目立たない存在だった」というアナウンスを聞いただけで、「自分と似ている!」と思ってしまいました。
まあ、これは私だけの感想かもしれませんが、人は大なり小なり「自分は犯罪者になってしまうのでは?」という恐怖のような疑問を、持ってしまうのではないでしょうか?
一つ言えることは、人間という物は、頭で考えて行動するのでは無くて、無意識というか、もっと人間の根源的な部分から沸き上がってくる衝動のような物に動かされて、行動してしまうのだと思います。
だから、ノポスさんのおっしゃる「ある種の極限状態」というのは、結構的を射た考えだと思います。
しかし、だからといって、そのまま「誰かを殺す衝動」に発展するかというと、必ずしもそうでは無いと思います。
ご相談を拝見してむしろ感じるのは、ノポスさんご自身に対する、自己肯定感の低さです。
自分に、殺意が湧くほどなのですね。
でも、それこそ何かの拍子に、ノポスさんがご自身を殺してしまっていないのは、何故でしょうか?
殺していないと言うよりは、殺せていないのではないでしょうか?
つまり、ノポスさんは、ご自分を「愛している」からです。本当は死にたくないから、生きているのです。
しかしそれは、ごく自然なことで、それこそ「生物としての本能」です。
ノポスさんご自身はどう感じていても、ノポスさんの生命を維持する仕組みはちゃんと働いていて、少なくとも生理は健康に維持されています。
これは、ノポスさんが、たとえ真面目で無くても、誠実で無くても、人間らしい心を持っていないと思っていても、関係なくきちんと働いています。
しかしこれが、「生きる」と言う事です。
ノポスさんは、確実に生きています。
それ以外の部分は、頭で考えた飾りです。
何もしたくないのなら、何もする必要はありません。
頭で考えるから、何も出来ないように感じてしまうのだと思います。
食べる、息をする、動くの3つを感じることで、ノポスさんが生きていることを実感してみて下さい。
2021年8月31日 19時33分
お礼コメント
回答ありがとうございます。私の理解が正しいのかは分かりませんが「私が生きてしまっているから自分を愛している」と聞こえますがそれは論理の飛躍が入っていませんか?自殺した人の三分の一からアルコールが検出されるというデータから本人も予期せぬ自殺行動をする(つまり本来は自分を愛しているのに自殺をする)場合だってあるのに生きていたら無条件で自分を愛している、というのはおかしいと思います。自殺する人が自分をどこかで愛している可能性があるならまだ生きているけど自分を愛せない場合だってあるのではないですか?違うなら自分をどうやって愛するか、というテーマで本などは出ないと思います。
2021年9月1日 11時17分
追加コメント
ご返答ありがとうございます。
「愛する」が、ちょっと性急な言葉遣いになってしまいましたね。
ただ、ここでの「愛する」の意味は、「自己愛」とか「自己肯定感」よりももっと根源的な、「生きる力」みたいな物です。
ノポスさんは、「いや、そんな物は持っていない」とおっしゃるかもしれませんが。
回答の中に書いたように、ノポスさんご自身がどう思っていても、ノポスさんの生理はきちんと働いていて、紛れもなく「生きている」状態です。
この「生きていること」まで、卑下することは無いと思います。
2021年9月1日 16時50分
お礼コメント
追加の回答ありがとうございます。自分では生きている事を卑下しているつもりはないんですが、今まで生きていて良い存在として扱われた事が全く無いので理性で考えれば生きていない方が良い存在とする根拠しかありません。ですから「生きている」のではなく「生きながらえてしまった」という感覚の方が遥かに強いです。身体も健康とは言い難いですし生物学的には一応生きているだけ(つまり人間が生きている訳では無い)、という風にしか思えないです。
2021年9月3日 19時16分
追加コメント
ご返答ありがとうございます。
ノポスさんは、「今まで生きていて良い存在として扱われた事が全く無い」とおっしゃっていますが、ノポスさんを「良い存在」として扱わなかったのは、それは周囲の人の責任です。
ノポスさんが、悪いわけではありませんよ。
ただ単に、お互いが「合わない」だけなのか、周囲の人の反応がノポスさんの期待に合わないか、その反対かだけだと思います。
つまりは、お互いのコミュニケーションの問題なのであって、ノポスさんの存在の問題ではないかもしれませんよ。
2021年9月6日 17時20分
お礼コメント
回答ありがとうございます。考え方として理屈は分かりますが、その言い方だと仮に10:0でこちらが悪くても相手が悪いと言えてしまう理屈ではありませんか?他人と環境のせいにしてまともに成長する人の方が珍しいと思います。特に人間もどきの私にはより当てはまると思います。
2021年9月6日 17時34分
追加コメント
「どちらが正しいか?」では無くて、「自分と他人の課題を分けましょう」という意味です。
言ってみれば、「自分と他人の間に、境界線をはっきりと引く」という事です。
自分がやることは自分で責任を持ちますが、他人の責任については、自分が責任を持つ必要は無いと言うことです。
2021年9月6日 18時42分
S.Light.M
こんにちは、S.Light.Mの瀬川と申します。
まず、一言で表現するのはノポスさんに対して大変失礼である旨を先にお詫び申し上げた上でですが、自暴自棄の極限状態(という心の状態)にあるのかもしれないと捉えさせて頂きました。
そして、私がお伝えするまでもなく、ノポスさんご自身もお分かりのように、自殺をしてはいけないし、他人を傷つけてもいけない点は、敢えて理由も申し上げませんが、やはり、この点だけは最初にコメントさせて頂きます。
そこで、あくまで私が考える一つのご提案ですが、滅私奉公との言葉もあるように、他人の為に自らを滅してみるという事を試す(考えてみるだけでも結構です)という方法もあるかもしれません。
もしかしたら、他人から求められてもいないし、優しさや真面目さや誠実さは自分には無いと仰られるかもしれませんが、これは自分自身の為に試す(考えてみる)という意味です。
そして、自分にも優しく出来ないとのお考えもあるかもしれませんが、他人の為に自らを滅するというのは、言葉で表現出来るほど生易しいものではありませんし、仮に極限状態まで他人の為に自分を滅し、燃え尽きてしまったとしても、その時には自らや他人を傷つけられる気力も体力も残っていない事でしょうし、逆に何か新たな景色が見えて来つつあるなどを感じる事もあるかもしれません。
そして、例えば自らを滅するとは他人や何かの為に祈るなどでも当てはまります。
祈りなどには決められたやり方もありませんし、神や仏に祈る訳でもなく、これは出来る出来ないという問題ではなく、やるかやらないかという範疇になります。
自らで自らを滅するのでもなく、他人の手を借りて(他人を傷つける事で)自らを滅するでもなく、他人の為に自らを滅するという視点ではありますが、勿論、観念的な面もありますし、試したからと言って必ず変化が及ぼされるという保証があるものでもありません。
ただ、私自身の為にという思いも込めまして、コメントさせて頂きました。
2021年8月31日 13時28分
お礼コメント
回答ありがとうございます。他人のために自らを滅するという視点なら自分の命を断つというのが最も効果的としか思えないんですがどうなんでしょうか。
2021年9月3日 18時53分
追加コメント
最後の方で『自らで自らを滅するのでもなく、他人の手を借りて(他人を傷つける事で)自らを滅するでもなく』との前提の上である点を最初にご了承頂ければ幸いです。
自殺とは自らで自らを消滅させる事ですし、他人を傷つければ刑に服すなどの社会的に(一時的に)消滅させられる事になりますが、他人の為に自らを滅するにおける「滅する」の意味は、ご自身の精力やエナジーを自らの何かにではなく、他人の何かに注ぎ込むという意味合いです。
仮に全精力を注いだとしても、精根尽き果てる事は実際にはありませんし、逆に滅する(失う)事もなく、何か得るものがあるかもしれないので試してみるのも一考かもしれないとのご提案という意味です。
2021年9月3日 20時54分
ノポス様
初めまして、
カウンセリングleapのtomoと申します。
ご相談内容の方を拝見させていただきました。
犯罪者というのは全員が悪意をもって行った結果で
犯罪者になったというわけではないと思うのです。
簡単な例でいえば居眠り運転なんかはそうですね、運転手の不注意です。
つまり犯罪者というのは事が起きた結果であって
犯罪者になる要因は誰でも持っているわけです。
それだけ私たちの世界というのはふとしたことが人を殺す原因になるのですから、
ノポス様自身も犯罪者にならないように無意識にそれを避けるような行動をできているのではないのでしょうか?
でしたら、ノポス様は自ら人を傷つける人ではないと私は思います。
ですからノポス様自身の自分に対する見解というのも
自分自身の本能または無意識というものに身を任せてどこまでいけるかを試してみるのはいかがでしょうか?
そうすればもう一つの考えも浮かんでくるかもしれません。
生真面目な日本人のなかに口笛吹いてる人がいたっていいじゃないですか
2021年8月31日 11時39分
お礼コメント
回答ありがとうございます。自分自身の本能なんかに従ったら間違いなく更に極悪人になると思います。そんなのとても考えられません。
2021年9月1日 10時49分
憂うつの癒し屋
始めまして、心理カウンセラーのヨナガ マサアキと申します。
んんんんんんんんんんんんんんんん・・・・・・・・・・・・・・
いつからそのような思考になっていったのでしょうか。
自分のことを無理に好きにならければならないというわけではありませんが、
ときには、命より大切な欲求である「自己重要感」を人間は本能的に求めていて、
ノポスさんの場合、それが叶わない=死または他殺と言う図式になっているものと思われます。
以下のことを実行してみてください。
@自信をつけるテクニック~一部掲載~他には私のHPに掲載しています
大前提:
あらゆるもの(自分以外ものすべて)に感謝する気持ちをもつ
すべてに感謝の気持ちが、自分を愛する気持ちになり、それが自分に自信を持つ気持ちにつながります。
感謝する方法としては、
言葉グセとして
「いただきます」→「(他の生き物の命を)いただきます」
「ありがとうございます」→「有り難い」→
「滅多にない事でございます」
などがあります。
@形から入る
感情が行動に現れるように、
行動が逆に感情を変えていくことがあります。
自信のない人は、視線が下を向き、
歩き方も力がないのではないでしょうか。
ですから、空を見たり、星を見たりして、
視線を上に上げる練習をして下さい。
また、座っている時、歩いている時に意識して背筋を伸ばして下さい。
そうすると、自然と心が前向きになり自信をつける土台が出来ます。
@小さな成功(達成感)の積み重ねを利用する
1:達成可能な目標を設定します
2:当然ながら達成されますが、
その時に子供のように大げさに思えるぐらいに喜ぶのです。
この方式をやることで、
次の目標に対するモチベーションが高まるのです。
徐々に目標の難易度を上げていき、
子供のように大げさに思えるぐらいに喜ぶことを繰り返すことによって、自然に自信がついてきます。
自信は小さな成功体験の積み重ねからもたらされるものだからです。
@「であるか」のようにふるまう技法
これは、感情と行動が双方向性を持っていることを利用するものです。
双方向性を利用するとは、普通は感情→行動となるところを、
行動→感情にするということです。
わかりやすく言えば、行動を起こすことによって、
自然とその行動にふさわしい感情が出てくるというものですが、
自信がないという状態はネガティブな感情があるということです。
そこで、自分の理想の人物(職種)をイメージします。
(理想の芸能人、理想の歴史上の人物、理想の職種など)
それから、その理想の人(職種)の行動パターンを(できるだけ細かく)調べて、
普段の行動、思考をまるでその理想の人(職種)になったがごとく「出来得る限りのマネ」をすることを習慣づけます。
そうすると期間は人それぞれですが、ポジティブな感情(思考)に変わっていき自信が生まれてきます。
まさに、行動することによって感情(思考)を変えていくという方法です。
自信をつける=自己肯定感→自己重要感になっていくと思ってください。
2021年8月31日 09時02分
お礼コメント
回答ありがとうございます。残念ですが教えて頂いた事は既に全部試しましたが効果がありませんでした。理想の人物も思いつきません。
2021年8月31日 09時58分
追加コメント
特に「~であるかのように振る舞う」ことは、最低3年間は続けてみてください。
思考が言葉になり、行動になり、習慣になり、人格となり、それが運命を変えるのです。
2021年8月31日 15時50分
お礼コメント
3年続けるというのはともかく、振る舞う方向性が定まらないというか理想の人物、職種もない人間はどうすれば良いですか?
2021年8月31日 16時09分
追加コメント
そういう場合には、
「頼りにされる自分」
「すべてのものに感謝する自分」
というように、心理的な概念でもいいです。
2021年9月1日 01時01分
お礼コメント
感謝は出来ているつもりなんですがそれが大き過ぎるのか申し訳なさを覚えます。頼られる経験も今まで一回も無いので概念として理解出来ているか怪しいのですが大丈夫なんでしょうか?
2021年9月1日 10時46分
追加コメント
人格としてポジティブな事柄なら大丈夫です。
ちなみに人格は習慣から形成されますので、習慣化できるものを選んでください。
2021年9月1日 10時58分
お礼コメント
感謝してるつもりなんですが、「感謝が足りないんじゃないか、何も返せてない、自分の存在自体が要らないんじゃないか」と感謝すればする程思いが強くなるんですが本当にこれでいいんでしょうか?
2021年9月3日 19時04分
追加コメント
ですから、感謝は一つのたとえで、心理的、肉体的にポジティブなものを習慣化することで、
人格が変わり、「運命」も好転するということです。
足りる足りないではなく、常にポジティブな意識をしているということが大切なのです。
2021年9月3日 19時24分