教えて掲示板の質問

「優生思想ってそんなに悪いですか?」に関する質問

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エムさん

今から書くのは他人から言われた事がベースになっています。
私自身は納得していますが私の思考で出した答えではない=考えられる力がある訳ではない、
というのを念頭において読んで頂きたいです。
まず優生思想が正しいと思う人の多くは社会的に成功した人の割合が高いと聞きます。
ですが私は逆です。自他共に認める救いようの無い無能です。
数えるのも億劫になるくらい生きていてはいけないと言われましたし
もっとキツイ事も言われましたからまず間違いないと思います。
無能は生きる資格すら無いと言われるこの社会で、
食い扶持を荒らし税金の無駄遣いの元とも言われる私は生きていてはいけないのでしょう。
よく電車に身投げしたり、誰でも良かったと言う殺人犯に対して言われる事は”勝手に死んでくれ”とか”迷惑かけずに死ねよ”と言われるのをよく聞きます。もし本当に誰でも生きていて良いし生きる価値があるのなら
こんな発言が飛び出すのはおかしいのではないですか?
実際に出来るかどうかは別としてサポート出来るような社会を作る方が
理にかなっていると思いますがそのような声は滅多に聞きません。
保身のためか理由はさておき言っているだけで
本音は自分に少しでも害を与える人間は望ましくないと思っているのが本当の所だと思います。
どんな価値があるのか具体性が全くないのに
ただ生きているだけで価値があると言われて納得する方がおかしいと思います。
もし仮にそれが成り立つならそれは規範的理論寄りで実証的理論ではないと思います。
つまりそうであるべきかもしれないけど現実は違うという事です。
確かに過去の歴史を繰り返すのは絶対避けた方が良いと思います。
生存のためには多くの種類のDNAを残した方が良いという部分はあるかもしれません。
弱者を排除しても社会は強くならないと言うのはスパルタの歴史を見れば良く分かりますし
遺伝子だけで決まる訳でもなく育った環境も大きいですし優勝劣敗なら人類は繁栄していないという見方もあります。
しかし人類の歴史を見ると例えばアメリカは優秀な人材を集めて経済大国になりました。
東大だって私のような無能を合格させれば権威も落ちます。
そして世の中を支えているのは高いレベルの学位を持つ賢い者です。
強いものにインセンティブを与える事で良い地位を得る事が出来て、良い異性が結合します。
私のような社会に害悪を与えるような淘汰されるに相応しい存在がこの世から抹消されます。
それは小学生の時から行われている普遍的なルールです。
また遺伝子が知性や運動、健康への影響はとても大きいのは科学的な事実。
また優秀な人材は資産やフローがあるので育児や養育へのコストを大きく投資出来ます。
そこから考えれば優れた遺伝子を持つ者に良い環境が揃う傾向があるでしょう。
次に人類は肉体的な強さではなく知性が高く、
また長距離、体温調節機能、雑食、会話能力、投擲能力などが他の生物より大きく高いです。
普通に他の肉体的な力だけで存在感を示す霊長類よりも優秀な部分がありすぎるとも見えます。
そう考えれば優秀だからこそ生き残ったと言えるのだから方法論が
悪かっただけで寧ろ人類の歴史は優生思想の通りに歩んできたとも見えるでしょう。
そもそも本当に優生思想というのが問題なら例えば犯罪者の親子というだけで白い目を向けるだとか、
オリンピック出場選手など優れた結果を残した人が結婚し子供が
生まれただけで将来有望だと考えるのも元を辿れば優生思想に近い物があるでしょう。
優生思想が問題とされるのは人類の歴史において人権と尊厳を
無視した方法が主だったのと何を持って”優生”とするかが定まっていないだけで
優生思想自体が問題では無いと思います。
なので少し優秀な人間の割合を増やす努力をするために例えば人権を放棄するのを希望制にすれば良いと思います。
だから私のような無能が生きていてはいけないと考えるのは昨今の社会の考えと歴史を反映しただけの物だと思います。
不自由な人間をサポートするための団体は確かにありますが所謂一般社会とは世界が違いすぎて
結果的に社会には働かざる者食うべからずという目に見えない法律が蔓延していますし、
その”不自由”の定義に当たらないギリギリ健常者の人間への当たりは場合によっては
それよりも遙かにキツイ事もあります。
発言と行動が一致しない社会(ダブルバインドに近いと思います)が
より社会的弱者を追い詰めているようにも見えますから
それなら堂々と無能は死すべしと言える社会の方が(是非は置いといて)
まだ一貫性がありますから健全でしょう。
このような背景がある中でそれでも優生思想は問題でしょうか?
無能を少しでも減らせた方が社会は上手く回るでしょうから悲劇を少なくするために
無能は最初から生まれないようにする方が関わる人間のためではないのですか?

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2021年8月19日 20時13分

教えて掲示板の回答

ゆるりらっくす

エムさん、はじめまして。
ゆるりらっくすのPom(ポム)と申します。
よろしくお願いいたします。

優劣思想が悪いかどうか。悪いわけではないと思います。
その環境にいることでその人が生きてる心地がするのであれば、その方が自分らしく生きることができるのであれば、
それを選んでいいと思います。

ただ、私はそういう考え方は生きづらいので、優劣思想が強い環境から離れました。

しかし、すぐ離れられたわけではありません。
勇気を出して環境を変えたつもりでも、結局同じ結果。
最初は自分はどこにいっても無能なのだと思ってました。
でも実際は、環境を変えただけで自分自身が変わっていない。
だから自分から好んで同じような環境ばかり選んでしまっていたことに気づきました。

それだけでなく、自分は社会や世の中のことを全く何も知らないのだということにも
改めて気付かされました。

アインシュタインの名言より
「人は誰もが天才だ。しかし、木を登る能力で魚を評価すれば、
その魚は一生、自分はバカだと思い込んで生きることになる。」 という言葉があります。

魚は海や川では自由に泳ぎ生きることができますが、
陸に上げられたら身動きが取れず、死んでしまいます。
自分は無能だ、生きる価値がないと思っている人は、「海や川などの存在や世界を知らない魚」と同じです。

気付くまで時間はかかりましたが、自分の内にあるものを出来るだけ言葉にしてみて、
出来る範囲でいろんな人に聞いてもらう。すると、自分自身が少しずつわかってきて、
徐々に考え方が変わっていき、いろんな人が手を差し伸べて下さいます。

何でもすぐ結果が変わることはありません。
しかし、今エムさんがこの掲示板でご質問してくださっていること、
この時点で既に結果が変わる一歩を踏み出されています。

この調子で自分の思い浮かんだものをどんどん言葉にしてみて下さい。
それだけでも見えてくるもの、変わってくるものが必ずあります。

エムさんにとって、何かヒントの一つになれれば幸いです。

ゆるりらっくす Pom(ポム)

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2021年8月31日 19時08分


カウンセリングルーム ふうりん堂

エムさん、こんにちは。カウンセリングルーム ふうりん堂の若月です。

競争が行き過ぎて、自分が生き残るために他者を排除しようとする風潮は、昨今、至る所で見受けられる光景ですよね。ある価値軸の中で優劣をつけ、人を評価する・・・。

それを否定するものではありませんが、人間はひとつの価値観の中だけで生きていると、それが達成できないとき行き場を失って身動きが取れなくなってしまいます。ですので、そういう価値軸もあるけど、まったく別のことに価値を置いた軸もまたある、と思考の範囲を広げていくことが重要かと思います。

エムさんは、「実際にできるかどうかは別としてサポートできるような社会を作る方が理にかなっている」のでは?と、問題提起されているので、エムさんは、競争社会の価値軸に囚われながらも、別の価値軸を想起しているので、多様な価値のあり方へ既に思考を広げることができているんだな、と感じました。

話はちょっと飛びますが、野菜や果物でも等級をつけて、規格外のものを外していましたが、最近では見た目は悪くても非常においしく、ユニークなネーミングをつけて打ち出したり、加工食品にしたりしてヒットするという例もいくつか聞かれるようになりました。ひとつの価値軸にはまらず発想できる人が活躍する世の中の兆しもあるのではないでしょうか?

エムさんがイメージする「サポートできるような社会」を自身の目標において動いてみる、というのもいいかもしれませんね。

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2021年8月21日 14時28分


お礼コメント

回答ありがとうございます。別の価値観軸を持ってみては、という考えはありがたいのですがその別の価値観軸に置いても自分は存在してはいけないという結論が出てしまったのでもう疲れてしまいました。私自身は他人をサポート出来る立場にはなく、居るだけで迷惑になる存在なのでどうしようもないと思ってしまいます。

2021年8月22日 14時21分

神戸★こころの健康110番! あるがまま

エム様

そんな風に感じてしまうお気持ちはわかります。
が、まず、それは根本は「ランキング思考」から来ています。
ヒトラーのようなとても危険視雄ですし、現在の社会がおっしゃるようであっても、人々は努力してもっと、不公平な時代からは変化してきました。
南北戦争しかり、アメリカの黒人大統領が出現したり。
今も変化の途中です。
まだ未熟な人間が多いだけです。

人間は生まれてきた以上、それだけで存在価値があります。
医学的に考えて下さい。
人間はおよそ75兆個の細胞でできています。
あなたは何回も細胞分裂を繰り返し、受精卵になり選ばれて生まれてきました。
生命の世界から見れば一人ひとりが素晴らしい存在です。
これは、体感の話になるので、理理で考えても難しいでしょう。

納得できないかもしれません。
「まわりの言うこと」に耳を貸さず、まず、ご自分の考えをお持ちください。
ご自分の価値観、オンリーワンで。
マイノリティでも幸せなら良いのではないでしょうか?
ご自分の「幸せに感じること」を探しませんか?

お金で幸せにはなれません。
これは、私が今まで生きてきて実感したことです。
どうしたらエム様の人生は充実するでしょうか?
充実したら、自然、幸せを感じます。
まわりも気にならなくなります。

充実する方法は、おひとりで模索するのは難しいかもしれないので、カウンセラーとご一緒に考えていかれるといいかもしれませんね。

参考になれば幸いです。

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2021年8月20日 18時35分


お礼コメント

回答ありがとうございます。一人一人が素晴らしい存在だと仰られましたがその素晴らしい人間がいがみ合い、憎しみあい、殺し合ったりするのが今の社会です。自分なんか信じるくらいなら他人を信用した方が良いレベルの無能がこの状況で何を信じ、どこに価値があると思えば良いのでしょうか?生憎価値観も理想も無いので幸せに感じる事はありません。

2021年8月20日 20時07分

追加コメント

人間は罪も犯すし、間違いも犯す生き物だからです。
もう少し視野をひろげてみたら、そうした最高に成功し金を得たいわゆる社会的強者のなかにも、晩年、後悔し罪を償う行動に出た事例はたくさん見つかるでしょう。
もちろん、一生そのままの人間もいます。
私は、それは「反面教師」の役割を担っている方だと思っています。
私には医師の友人が何人かいますが、最後、亡くなる瞬間「別の人生を歩みたかった」と後悔して亡くなる方が7割と聞いています。
人生の最後に、がんになり苦しみながら後悔する姿は悲壮で見ていられない…と。
これはわたしの考えなので、エム様に押し付けるつもりはありません。
答えはエム様の中にあります。

2021年8月21日 07時32分

S.Light.M

こんにちは、S.Light.Mの瀬川と申します。

今回はあくまで私個人が捉え感じている点だけを申し添えさせて頂きますので、間違っていると判断されましたら放念頂いて構いません。

優生思想の根底にあるのは「他者との比較」と私は捉えております。

そして、優生思想が極限的に行き着くところまで行き着いてしまえば「生き残れるのはたった一人だけ」という風になると感じます。

そうすると「他者(との比較)」が存在しなくなり、是非はともかくと致しまして、優生思想そのものの存在意義のようなものも消失してしまうように感じます。

そして、早晩、生き残ったたった一人も存在しなくなる事でしょう。

これが他の専門家の方もおっしゃられている「存在する事に意味がある」という真意であると、あくまで私個人としては捉えております。

議論のための議論のようにも捉えられ、実際の世の中や社会に偏見や差別等が蔓延っているのも事実ではありますが、最初にお断り致しましたように、放念頂くのもエムさんの自由です。

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2021年8月20日 13時11分


お礼コメント

回答ありがとうございます。確かに仰られた点はその通りだと思います。ですがそれは行き着く所まで行った場合、つまり究極的な話です。過ぎたるは及ばざるが如しとも言うように、それは加減の問題だとも思います。なので優生思想は扱いに注意が必要なのは重々承知の上で世間で言われるような問題ばかりの思想ですか?という意味で伺わせて頂きました。このような駄文に真剣に考えて下さりありがとうございます。

2021年8月22日 14時30分

家族こころ相談室 カウンセリングルーム フェアリー

エムさんのお気持ちわかりますよ。

ただ、
>無能を少しでも減らせた方が社会は上手く回るでしょうから悲劇を少なくするために
>無能は最初から生まれないようにする方が関わる人間のためではないのですか?

これは大変危険な考えですよ。
ですから、そっちの方向に行くのではなく、ダイバシティ、多様性を認め合おうという社会運動が起こっているのですよ。
エムさんも社会運動しませんか?

どこに生まれても、どこで育っても、どんな遺伝子をもっていても、障害があってもグレーゾーンでも、LGBTQでも、誰もが人として人権を尊重し合えるように、人間同士が戦わなくてもいいように、平和で安心できる社会をつくりましょう!
世界を良い世界に変えましょうよ。
差別のない、勝ち負けでもない、優劣でもない、みんなが共同体として、ちがいを認め合い、助け合う世界にしましょうよ。

生まれたときから不公平なのですから、それを公平にしていけるのは人類の知恵と愛です。共感能力です。
過去はそうした共感性に欠如したケースが権力をもっていました(今もですが)
そうすると、独裁になり、お金や物質といった目に見えるものだけに価値を置き、それの奪い合いが始まるのです。
それが戦争です。

ですから、共感能力の高い人たちがいま頑張っています。社会をよくする運動をしています。
エムさんもそういった活動に参加してはいかがでしょう?
SDGsの取り組みでもありますよ。
お住まいの地域のボランティア活動でもいいし、ないならネットで調べて、そういう活動をしているサークルに入れてもらったらいいですよ。

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2021年8月20日 10時50分


お礼コメント

回答ありがとうございます。助言はありがたいのですが私のような無能は居るだけで迷惑になるのでそういった活動に参加するのは見送らせて頂きたいです。

2021年8月20日 19時59分

てもみ屋のほんだ

こんにちは
思想学は人の考え方で変わっていくから困ります。
社会の思想としては大きく分けて、平等と自由です。
しかし、平等と自由の解釈としては正反対です。
世界の思想社会が二択になっていて国々はこれで
どちらが正当化を議論し戦争に発展しています

平等は、みんなが一律の社会や環境において生活をするということです
主義としては、共産主義、社会主義、共同社会などなど
対して
自由は、何者にも捉われず自分自身が自力で努力して生活することです
自由社会は、差別化をもちろんの事生まれてしまいます。
富裕層と貧困層の社会が生まれます
真面目かどうかは別にして努力を重ねてくことで富裕生活を送る者
何かにつけてごまかしの生活を重ねていくと品行生活を送るものに
別れます。

あなたがおっしゃっている思想の根源はどちらかの社会から成り立ちます
ただ、その思想にとって平等性を持つのか、自由性を持つのかによって
今の考え方が変わると思います。

私も昔、思った色々な思想の中で考えたこともあります
私が行きついた答えは、自分の家庭環境や社会環境の中で受け継がれるものが
出来たが、伝承されないということ。
平等性にブレーキがかかり、自由性な生活を自分から選びました。
ただ、努力をしないと生活が出来ない遅れないということですかね

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2021年8月20日 10時08分


憂うつの癒し屋

始めまして、心理カウンセラーのヨナガ マサアキと申します。
エム さんの仰る優生思想には、納得です。
結論だけから言うとそうなりますが、
パレードの法則では、優生と言われる人でも、8割のムダが2割の結果をもたらしているのです。
集団的に考えると、
8割の人たちのムダが2割の人たち(優生)の結果をもたらしているのです。
この考え方によれば、8割の人達にも存在意義があるのではないでしょうか。
*パレードの法則:
「2割(優生)の要素が、全体の8割を生み出している」という、
統計に関する法則です。
そして、先に書かれてるムダな理論をもう一度お話させていただきます~何かを感じたっていただければ幸いです。
人間の存在について
@ヘーゲルというドイツ人哲学者の言葉に「存在するものは合理的である」という言葉があります。存在するからには、必ず何か理由があって存在しているということですね。それが、たとえ直接的に見えなくても、社会に存在しているという事実が、社会の役に立っている、あるいは誰かに喜んでもらえている、ということの証なんですね。
by池上彰(いけがみ・あきら*ジャーナリスト)
@『この世でいちばん楽しい人生の過ごし方。それは、「自分の存在が喜ばれているという喜びを、実感しながら生きていく」ということ。』と小林正観は語っています。
これらを勘案してエム さんには、様々なものには、エネルギーが存在し、それらの大元締めが、
ある意思ともいうべきものを持っているかのように万物の仕組みを司っているという認識を持っていただきたいと思います。
そして比較的に落ち着いた時に考えてみてください!
エム さんという存在の背景には、地球の存在、人類の存在、何万人という人の命(受精の奇跡)のバトンリレーがあるのではないでしょうか。
すなわちエム さんは、それらの結集であるということを重く受け止めてほしいと思うのです。
そして、エム さんが、この世に存在しているものは、存在意義が「ある」から存在していると私は感じるのです。
人間は、存在意義がなくなったら、または十分に果たしたら、
それはどんな形であれ「寿命」という形で人生を終えるのではないでしょうか。
私の考える存在意義とは、人間は「しあわせ=楽しく生きるなど」になるため(気づくため)に、生まれてきた、というものです。
幸せの形は、人それぞれですが、
私は、そのための(存在意義である)「生き役」~
幸せに生きていくためのそれぞれの役割が誰にでもあると思うのです。
その「生き役」自体を探す旅が「人生」だと思うのですが、
どうやってこの世で果たすべき役割を見つけたらいいのか。
また、どういうことを手がかりに自分の能力を高めていったらいいのか。
それは、好きなこと探し、ということです。
好きだということがそれをする能力がある、ということだからです。
楽しい、うれしい、気持ちいい、好き、という量に比例して、
自分の能力があると考えて間違いありません。
能力があるからこそ、「好きな○○すること」から、
たくさんの悦びを得ることが出来るのです。
だから、いくらやっても飽きないし、楽しいのです。
面白いと感じた量と能力は比例するのです。
楽しいことこそものの上手なれ、なのです。
楽しく面白くやっていたら、「自分の能力を疑う事なかれ」です。
私が考える最高の「生き役」は、第三者(配偶者、子供など親族を含む)がその人なりの幸せになるためのお手伝いをし、その人が幸せになっていく過程を楽しみ、「自分の存在が喜ばれているということを、実感しながら生きていく」というものです。
色々と反論もあると思いますが、
私は、現在58歳、21歳の時にうつ病を発症し、3年間を除いては現在進行系で通院しています。
私のHPの右上に「伝えたいこと」が掲載しておりますので、
よろしければ読んでみてください。

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2021年8月20日 10時00分


心理カウンセリング らしんばん座

エムさん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。

私の考えを、はっきりと言います。
優生思想とは、単なる幻想に過ぎません。

エムさんもお気づきのようですが、そもそも何を持って「優生」と位置づけるのか、根拠が曖昧だからです。
「優れている」って、何に対して?
頭が良い? 勉強が出来る? 運動神経が良い? イケメン・美人? そんな物が「優れている」のですか? 本当に?
もし、仮にそういった物が「優れている」のなら、それが遺伝情報として、それが本当に有効なのでしょうか?
それは、わかりません。

つまり、「優生思想」の「優れている」というのは、「都合が良い」だけなのです。

すなわち、今の社会にとって「都合が良い」人が「優れている」と言う事にされているのです。
それは得てして、社会に大きな影響力を及ぼしている人にとって、「都合が良い」だけなのです。
しかしこの尺度は、「生物としての人類」にとって、どれだけ役に立つかは疑問です。
生命の進化に、なにがしかの意味があるとしても、それが人間の恣意によって決められる物ではありません。

そもそも優生思想は、人間の資質の多くを、遺伝子に頼りすぎています。
DNAによって、全てを規定し過ぎています。
そんなことをしたら、人が「生きる」意味が無くなってしまいます。何もしなくても、「優れた人は優れている」、「無能な人は無能なまま」ですから。
人の幸福は、持って生まれた資質のみによって決められる物ではありません。それを、どう生かすかによって決められます。

根本的なこと。優生思想の間違いそれは、人の資質を「優れている、優れていない」の、二者択一に落とし込んでしまっていることです。
およそ全ての物は、二者択一に出来る物ではありません。
二者択一にすると、いかにも「わかったような」気になりますが、それは事実の一部を切り取っただけです。

確かに、「天才」と呼ばれる人達はいます。
しかし、何故天才は「天才」なのかというと、それは、人よりも早く仕事をして、人よりも多く失敗をして、人よりも多く改善してきたからです。
要は、試行→失敗→改善→成功というサイクルを、人が真似できないスピードで繰り返すことが出来た人が「天才」なのです。
そして、それを厭わない人が「天才」なのです。ピカソもガリレオも、モーツァルトもそうです。

何も、最初から「優れた」人が居るわけではありません。沢山失敗したひとが、成功できるのです。

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2021年8月20日 09時17分


お礼コメント

回答ありがとうございます。しかし優れている事柄に対してインセンティブを与えているのは事実でそれが更にモチベを上げ成果を上げるのも事実です。実際蛙の子は蛙という諺だってありますから。それだと無能の生きる意味が無くなるとありますが生きる意味は無く見出す物、とする見方もありますよね?目的論で考えれば自分の人生が無駄だと認めたくないからそう言っているのでは?成功者は確かに失敗を多くしてきた人でしょう。しかし失敗すれば成功者になれる訳ではありません。もし本当に優生思想が問題なら何故マイルドな優生思想が蔓延り私みたいな無能は死ねと言われるんです?言ってきた人は全員間違ってたと本気で言えますか?

2021年8月20日 10時19分

追加コメント

ご返答ありがとうございます。
優れている人が利益を受けることと、優生思想は、別物です。
生きる意味は見いだす物ですが、優れていない人が生きていてはいけない、わけではありません。
人は誰でも存在する事が出来て、それではじめて優れたことが出来るのです。
目的論的に言えば、大した取り柄も無い人が、そのわずかな資質を根拠に、他人に対してマウント取るためにひねり出したのが、優生思想です。
成功できるか否かは、問題ではありません。失敗を恐れないことが大切なのです。
「無能は死ね」という人は、自分が無能だと認めたくないので、エムさんを攻撃してくるのです。

2021年8月20日 19時12分

お礼コメント

回答ありがとうございます。誰でも生きていて良いと仰られましたがそれは規範的な物であり現実はそうではないのではありませんか?優れた事が出来るのは一握りの人間だけですし、そもそも他人に無能と言う人が自身の無能を隠すために攻撃する、というのも必ずしも正しいとは限らないでしょう。一部の成功者や人格者と比べれば無能かもしれませんが私のような正真正銘の無能なら誰だって無能だと思うでしょうからそれは正常な判断が出来ている事の証拠ではないのですか?

2021年8月20日 19時57分

追加コメント

要は、正しいかどうかでは無くて、エムさんがどうしたいか、です。
何が正しいかどうかは、誰にもわかりませんし、そもそも「正しさ」があるかどうかは、わかりません。
私の回答は、「そう考えてみてはいかがですか?」という、一つの方向を指し示しているだけです。
それでエムさんの気持ちが楽になるのなら、それに越したことはありませんし、そうでないのなら、それはしかたのないことです。
全ては、エムさんが決めることです。

2021年8月21日 04時29分

お礼コメント

回答ありがとうございます。では優生思想が間違っているかも分からない訳ですね。私自身がしたい事は無く、ただ生きているだけで申し訳ないので早く消えたいというのが唯一の私の願いです。

2021年8月21日 07時12分

追加コメント

そうですね。
しかし、その理屈だと、正しいかどうかも分からなくなります。
優生思想は、依存するに値しない思想だと言えますが、いかがですか?

2021年8月21日 10時30分

お礼コメント

回答ありがとうございます。依存しているつもりはありませんが少なくとも優生思想自体を否定出来るとは思えません。現に今の社会がそうなんですから。完璧な物はこの世にないと一般論でよく言われるように優生思想も発展途上にあると考えれば幻想と結論づけるのは早計にも思えます。

2021年8月22日 14時16分

追加コメント

エムさんとしては、「無能な人間は生きていても仕方がないから、消えてしまえ」とでも言ってもらいたかったのかもしれませんが。
生憎と私は、そう言いません。
エムさんは、ご自分のことを、さんざん「無能」と言っていますが、それがどういう事なのか、具体的に教えていただけますか?
何かのスキルや言動に問題があるのかも、もしくは、物事の捉え方に問題があるのかもしれません。
ここコメント欄では、もう長くなってしまったので、よろしかったら、別途ご相談にして書き込みをしてみて下さい。

2021年8月22日 20時53分