教えて掲示板の質問

「愛の反対は無関心」に関する質問

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よしたろうさん

いつもありがとうございます。
よしたろうと申します。

愛、そして関心についての相談です。

(情緒的な)愛の反対は、無関心という言葉が有名ですが、私は愛の反対は憎悪だと思っております。
陰(憎悪)と陽(愛)は二元的世界では、二つの存在で一つというのが宇宙的真実だから。※コインは裏と表で一枚のコインという意味。
もう一歩踏み込めば、愛の反対のエネルギーは非実在で、真実においては、すべてが愛そのものだ、という話を支持したいです。※コインは愛でできている。だから表も裏も愛そのもの。愛、とは感情エネルギーではなく、
存在の本質そのもの。という視点から。

話は変わりますが、私は周囲の出来事に対して関心が薄いです。

会社での人間関係、たたずまいに特に顕著に表れていると思います。
イメージとしては、最低限の挨拶をして、あまり感情の起伏はなく、淡々とパソコンの前で作業をしている、といった具合です。
喜びや、楽しみ、といった感覚はあまりなく、平坦な感情と、人前での緊張感、特に上司や他部署との関わりでの緊張、体のこわばりはあり、作り笑いをする苦痛はあります。
そういう意味では、単に関心が薄い、というだけでなく委縮していて息苦しい、といった感じ。
職場の空気感が合っていないのかもしれません。

もっと関心もつこと、気配り、心配りをすること。というお話を頂きました。

関心をもつ、ということに想いを巡らせ、考えてみた結論として、「自分からは持てない」という答えに達しました。
子供のころを思い出して考えてみたら、興味や関心は、心から湧き上がってくるものではないか、と思ったからです。

剣道を見て、かっこいい!と感じでやってみた。
ゲームをみて、面白そう!と感じて買って遊んだ。
友達も、あの人なんか気になる、、話しかけてみよう!と思って友達になった。

30代を過ぎて、心を自由にコントロールできるようになったか、というと、全くそんなことはない。

じゃあ、僕はどうすればいいんだろう、と悩んでいます。
私は無関心な人間、愛なき人間に変わり果てたという事実に少しばかりショックを受けていますし
周囲からは、無関心なやつ、あまり好きじゃないと思われているかと思うと、さみしさを感じます。
これは好きでやってるんじゃない気がして。

これ以上辛い思いをしたくないって思ってるのかもしれません。

心のままに、というのはさすがに難しいですが、少しでも心の喜びや安らぎとともにいたいと思っています。

どうすればいいのかなって考えています。

いまできるとしても、関心を持つフリ、なら少しはできるかもしれません。
でもそれってすごく精神がすり減っていくんですよね。

どうしたらいいのでしょうか。
何かアドバイス頂ければ嬉しいです。よろしくお願いいたします。

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2021年5月18日 19時55分

教えて掲示板の回答

よしたろうさん、初めまして、JCTAの横田と申します。

よしたろうさんの本当の目的は「心の喜びや安らぎ」を得る事と書いてあります。
であるなら、心の喜びや安らぎが得られるように、思考と行動をすればいいだけです。

関心を持つフリをしても、心の喜びや安らぎは、得られません。
無関心の相手と、無理に話しても、心の喜びや安らぎは、得られません。
関心のある相手に意識を向け、肯定的なプラス思考で考え、心の喜びや、安らぎを得られる、行動をすればいいだけです。

自分や相手、物事や出来事は問題ではありません。
自分が、それをどのように捉えるかだけで、気持ちは変わります。
自分の思考と行動は自由に自己選択できます。

否定的なマイナス思考の、後ろ向きな捉え方をするのか、それとも肯定的なプラス思考の、前向きな捉え方をするか否かで、気持ちは180度変わります。

少しだけ捉え方の例をご紹介します。

変わっている、ではなく、個性的。
無口な、ではなく、おだやか、話をよく聴く。
一人になりやすい、ではなく、自分の力でやってゆける。
暗い感じ、ではなく、自分の世界を大切にする。
人付き合いが下手、ではなく、自分の世界を大切にする、繊細な。
めんどくさがる、ではなく、おおらかな。

このように、同じ人でも捉え方しだいで、自分の気持ちは変わります。

少しでもお役に立てれば幸いです。

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2021年5月23日 23時12分


お礼コメント

ご回答ありがとうございます。
つまり、マイナス思考をやめて、プラス思考へ、ということでしょうか。
確かに物事のマイナス面しかみないで生きているような。
ありがとうございました。

2021年5月24日 18時09分

神戸★こころの健康110番! あるがまま

はじめまして。心の相談所のSAKURAと申します。
まず、愛の反対は無関心
その通りなんですが、それは親密度あっての関係のこと
駅ですれ違った初めての人に無関心でも、当たり前でしょう?
お考えはアインシュタインの特殊相対性理論に似てますね。
よしたろうさまの手は温かいでしょう?エネルギーがある証拠です。

また、興味がない、まだ本当に興味のある出来事に出会ってないからではないでしょうか?
仕事は挨拶、最低限の礼儀ができてれば良いと思います。

>これはストレスがたまるので無理なさいませんように。
 周りの目がきになるなら最小限で

>これ以上辛い思いをしたくないって思ってるのかもしれません
 自己防衛があるなら、一人でできることから

徹底的に、いろんなことを次から次にやってみる…

でも、ご自身の内面がお悩みなんですよね?
まだ30代 人生長いです

「何もしない贅沢」=夕焼けを見て奇麗だなと思う‥でも立派な感受性とエネルギーです

まわりは気にせず、自分自身のあるがままの平穏を探してくださいね!

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2021年5月23日 09時40分


はじめまして、「たんぽぽ」の霜月いちこと申します。

よしたろうさんの、質問内容を拝見して、私は無関心な人間、愛なき人間に変わり果てた・・・
とありますが、無関心だからといって、愛なき人間とはいえないと思います。
無関心といっても、単に興味がないだけで、ちゃんとした、愛についての、自分なりの持論もお持ちなのですから。
とても、ステキな、お考えだと思います。(愛は裏も表も、含め、愛・・)

つまり、よしたろうさんは、今、心が乾いていて、孤独を感じていて、寂しい状態なのではないでしょうか?
何か、辛い事が、過去にあったのかもしれませんが・・・

職場では、職場の空気があっていない・・と感じているのですね?
職場というところは、仕事をするところ。自分の仕事をこなすところ。最低限の挨拶ができてれば、何ら問題はないと思いますが、職場の人間に関心をもて、気配り、心配りと言われても、本来、興味がないのだから、できるはずないし、無理に頑張っても、疲れてしまうだけだと思います。
それより、最低限の挨拶「おはようございます。」「ありがとうございます」「すみませんでした」
これが、言えてれば、いいと思います。


あとは、頑張っている自分をねぎらうことですかね?
ダメな自分ではなく、頑張って前に今日も進んでいる自分って、偉い!!と思いませんか?

だだ、頑張っても、心がすり減って、いくだけなら、その職場は、あなたがいるところでは、ないと思います。
違うところに、あなたがいるべき、ところは、あると思います。

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2021年5月22日 16時58分


お礼コメント

ご回答ありがとうございます。
心が乾いている、ということ。確かにそうだなと思いました。
挨拶は最低限に見えるかもしれませんがしています。でも給与を頂いている以上、求められる挨拶、態度、というものもありますので、まだまだ勉強中です。
職場については考えたいですが年齢的にもいろいろありますので。
ありがとうございました。

2021年5月22日 17時24分

憂うつの癒し屋

はじめまして、心理アナリストのヨナガ マサアキともうします。
それには、まず自分との会話~~自問自答を習慣づかせることです。
一人でも出来る心理療法として、以下のものがあります。
@日記をつける:
日々の体験を振り返り、自分なりに言葉にしておくことです。
幸せ日記、成長日記、理想を叶える日記など、タイトルは何でも良いと思いますが、
日々、その日記に「自分の言葉」で、歴史を記録しておくのです。
今日はどんなことを学んだのか?
今日、どんな発見があったのか?
今日は、どんな喜び・幸せがあったか?
そのように「明日に活かせる」質問を5~7個くらい作っておいて、
その答えを1つ1つ記録しておくと良いでしょう。
このようにして、(他の方法があれば それでもいいです)
自分を知ることから、始めていくのがいいと思います。
人偏の価値は、思考ではなく、行動です。(行動→習慣→人格→運命)

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2021年5月21日 07時01分


追加コメント

愛と憎悪が憑依一体ならば、それは反対語ではないような気がします。
愛は、一種にして憎悪に変わり、憎悪は一瞬にて愛に変わる場合があるからです。
憎悪があるうちは、その人に関心があるからではないでしょうか。

2021年5月21日 07時15分

お礼コメント

ご回答ありがとうございます。
日記について、日記というかその日の想い日記みたいなのは、スマホに書いたりしています。
ただ、学びや喜び、幸せといったようなことはあんまり書かれていなくて、これが辛かった、とかしかないです。
質問、というものもやってみようかなと思いました。ありがとうございます。

人間の価値?は行動ということで、自分には行動力がない、と思います。
あたまでっかちで考えてばかりで・・・。
ありがとうございました。

2021年5月22日 17時31分

こんにちは、ようしたろうさん、初めまして。

私は、ファミリアソウルコーチの夢乃満と申します。
家庭環境から社会に出ても生きづらさを感じている多くの人をサポートしてきました。
私は、易学、スピリチュアル知識、現在に生きづらさを解消する法則やヒプノセラピーからの過去からの浄化と夢実現を達成する講座を開講しているものです。
いま、ちょうど、占いで過去世、基本的な性格、相性、今後の人生のテーマなど、自分を知れること、それとリーディングセッションといいまして、あなたの心理状況を読みとり、明るい未来に向けてのアドバイスをする、キヤンペーン体験セッションをしている最中です。個別でzoomでつないで行えます。
います、生きづらさを感じている若者が沢山増えています。でも、そこには、様々な要因が絡んでいいる事が多いんです。
運気の部分や、自分の人生の役割と違った生き方をしていると生きづらさを感じてしまいます。
一度、体験セッションを受けられると本当に人生の気づきを得る事が出来ます。
お気軽にお越しくださいね。参考URLにアメブロのURLを貼っておきます。

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2021年5月20日 21時48分


カウンセリングルームleap

よしたろう様

初めまして、
カウンセリングleapのtomoと申します。

エネルギーという観点から愛の反対は憎悪であるという大変興味深いお話だと思います。
正直賢くない私でも非常に完結でわかりやすい内容でした。

それではご相談内容の周囲への関心について
私自身の考えを下記に記載させていただきますので、
もしよろしければ一読ください。

よしたろう様の無関心な状態・愛なき状態というのは
ある見方をすれば正常つまりは自分の防衛本能ではないかと思うのです。
例えばとても忙しいときなんかには野に咲く花に風情を感じる余裕なんてありません
ですが約束の時間より早く着いた時には今日がいい天気なんだと気づいたことはないでしょうか?
よしたろう様の年齢的にも会社で頼られるようになり忙しくなっただから
自分のことで精一杯になるこれは正常だと私は思います。
きっと今じゃなくても40代・50代になって管理職になれば
結果的に人に関心をもてるようになるのではないでしょうか?
よしたろう様の忙しくても他人に関心をもとうという考えはとても素晴らしい考えだと思います。
ですが無理に関心をもって喜びと同時に強い悲しみを受けた時に
忙しい時にその感情を処理できずパンクしてしまうかもしれません。

熱いときに汗をかくように忙しいときに無関心になるのはきっと
体がうまくバランスを取ってくれた結果だと思いますので、
素敵な未来を迎える為に
よしたろう様ご自身の心身をご自愛くださいませ。

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カウンセリングルームleap

代表カウンセラー: tomo

ホームページ : https://ennto-tomo-counseling.jimdofree.com/

カウンセリング.COM掲載ページ:https://kaunse-navi.com/counsel/kaunse/shop/4510

mail:ennto.tomo.1211@gmail.com
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2021年5月20日 19時44分


お礼コメント

ご回答ありがとうございます。
防衛本能、という言葉で色々思うところがありました。
何か頑張りすぎたのか、負荷がかかりすぎて精神的に辛かった時期もあります。
それ以来、忙しかろうが、暇だろうが、「心」の働き、特に喜びや幸福感といったものがほぼほぼ感じなくなってしまったのです。なんらかの防衛状態がずっとつづいているのかもしれません。
逆にこれでよいのかもしれません。
感受性が以前の私に戻ったら、まともに肉体を維持する生活はできないかもしれないです。
ありがとうございました。

2021年5月22日 17時13分

心理カウンセリング らしんばん座

よしたろうさん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。

「愛の反対は無関心」、そうですね、よく言われますね。
しかしこの言葉の真の意味は、「『嫌い』という感情は、必ずしも『好き』の反対ではない」というニュアンスが強いと思っています。
「嫌い」だと思うということは、既になにがしかの関心を持っていると言えますから。
心理学で言う「反動形成」という現象があって、「人は、本心とは逆の行動を取る場合も有る」ので、必ずしも「嫌い」と言っているのが「本当に嫌い」なのかどうか、何とも言えないからです。
そう言った意味で、「好きの反対は無関心」だと言えるとは思います。

確かに、物事は相反するものが一対になっていて、言わば「陰と陽」の関係でなり立っている物事があります。
ただ私は、この「二律離反」的な考え方に、「ちょっと待った」と言いたくなってしまいます。

確かに二律離反的なものの見方は、明快でわかりやすいのですが・・・。この「わかりやすい」というのが、要注意です。
何故なら、この「わかりやすい」状態するために、多くの「わかりにくい」部分や、「都合の悪い」部分を、切り捨ててしまっているからです。
概して、「はい、これがわかりやすい姿です」と、ぽんと私たちの前に置かれたものは、既に「色々な部分を削られてしまった後」に過ぎないからです。
つまり、「物事の一部しか見ていない」状況を、あたかも「物事の全部を見ている」ように錯覚してしまうことになります。

二律離反で捉えるのなら、むしろ、この二つの概念を、グラデーションで見ることをおすすめします。
「0が100か」のどちらかではなくて、その間の濃度の異なるグレーの部分に注目して下さい。
私たちは、この「グレーゾーン」のどこかに居ます。血液型みたいに、いくつかある分類の内の、どこか一つに居るわけではありません。

グラデーションということだと、「白だけ、黒だけ」という事ではなくて、「白も、黒も」その両方を持っていると言うことです。
つまり私たちは、ある資質だけを持っているのではなくて、「その対極にある資質」をも、持っているのです。

よしたろうさんは、決して人に対して関心を持っていない「だけ」の人では無いはずです。
その割合の多い少ないはあるにしても、人に対して関心を持つことは可能なはずです。
たとえそれが、よしたろうさんご自身が満足できないレベルであっても、社会一般が認めてくれない程度のものであっても、よしたろうさんは、人に対して関心を持つことは出来るはずです。
ただそれを、自分で認めていないだけだと思います。

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2021年5月20日 19時32分


お礼コメント

ご回答ありがとうございます。
グレーゾーンのお話、そういう曖昧さを許さない自分がいるのは認めています。
その話については、「方向性」の問題になっていくのかなと思います。
白に向かうのか、黒に向かうのか、ということです。
向かう先に何があるのか、考えすぎてしまうのか、「いまここ」に生きることができない自分です。
白黒はっきりしないと気が済まないのでしょうか。
全く関心がないわけではない、でも、そういう「社会性」と認められる程度のものには届かない。
そして、社会で認められるためにはどうしたらよいかわからない。
グレーゾーンな自分を認める、ということが課題かもしれません。
ありがとうございました。

2021年5月22日 17時07分