教えて掲示板の質問

「人を信じるということ」に関する質問

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迷い人さん

まわりに相談できる人がいなくて、困っています。

人を信じるって、どうすればできるのでしょうか?

自分の中に、人に対する不信感があり、
困っていても素直に助けを求めることができません。


人を信じて、懐に飛び込んでいけばいいよって
アドバイスももらいました。
でも、どこかで人を信用して裏切られことが怖い気持ちがあります。


人の話を聞いているようで、平気で裏切る人も存在します。
そんな人に、心を許して相談してしまうのも怖く感じます。

人に対して警戒してしまう自分が、
もっと人を信用して安心して生きていくためには
どうすればいいのでしょうか。

教えて頂けると、助かります。

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2012年6月9日 00時34分

教えて掲示板の回答

まず、認識していただきたいことは、あなたが自身で自身のことを「人に不信感がある」と客観的にとらえていることです。自身のことを客観的にとらえることがどれだけ難しいかは、おそらくいろいろな本を読んでいるでしょうからご存知だと思います。
まずは、客観的に自身のことをとらえているあなたが素晴しいと思います。

さて、人をもっと信用するにはどうしたらいいのか、に関してですが、以下のように考えてみてはいかがでしょうか。

まず、人を信じないということを、別の言葉に置き換えてみて、自身の性格の特徴(長所)と捉えてみるのです。

例えば、なぜ人を信じないのか→人に裏切られるのではないか→なぜ人に裏切られると感じるのか→過去にそのような体験があったから→つまり自分は過去の体験を今の判断に活かす性格をしている

または、とても慎重な性格である。

このように、自分の短所をちょっと見方を変えてみてはどうでしょうか。

そうすることで、短所を責めてしまうのではなく、自分の長所として捉えることで自己への承認がぐんと上がるはずです。

今は、人を信じなければいけない、と強く感じていると思います。
しかし、人を信じなければいけないというルールは人間社会の中では存在しません。もちろん人を信じることでさまざまな良い体験ができることが確かです。
しかし、だからと言って必ずしもそれを自身の中での束縛する鎖にはしないでいただきたいと思います。

おそらく、過去の自身の行動を振り返りそのように感じていらっしゃると思います。
ゆっくり、あせらずに人を信頼できる自分を形成していくことをお勧めします。

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2012年6月22日 17時42分


まず、認識していただきたいことは、あなたが自身で自身のことを「人に不信感がある」と客観的にとらえていることです。自身のことを客観的にとらえることがどれだけ難しいかは、おそらくいろいろな本を読んでいるでしょうからご存知だと思います。
まずは、客観的に自身のことをとらえているあなたが素晴しいと思います。

さて、人をもっと信用するにはどうしたらいいのか、に関してですが、以下のように考えてみてはいかがでしょうか。

まず、人を信じないということを、別の言葉に置き換えてみて、自身の性格の特徴(長所)と捉えてみるのです。

例えば、なぜ人を信じないのか→人に裏切られるのではないか→なぜ人に裏切られると感じるのか→過去にそのような体験があったから→つまり自分は過去の体験を今の判断に活かす性格をしている

または、とても慎重な性格である。

このように、自分の短所をちょっと見方を変えてみてはどうでしょうか。

そうすることで、短所を責めてしまうのではなく、自分の長所として捉えることで自己への承認がぐんと上がるはずです。

今は、人を信じなければいけない、と強く感じていると思います。
しかし、人を信じなければいけないというルールは人間社会の中では存在しません。もちろん人を信じることでさまざまな良い体験ができることが確かです。
しかし、だからと言って必ずしもそれを自身の中での束縛する鎖にはしないでいただきたいと思います。

おそらく、過去の自身の行動を振り返りそのように感じていらっしゃると思います。
ゆっくり、あせらずに人を信頼できる自分を形成していくことをお勧めします。

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2012年6月22日 17時42分


まず、認識していただきたいことは、あなたが自身で自身のことを「人に不信感がある」と客観的にとらえていることです。自身のことを客観的にとらえることがどれだけ難しいかは、おそらくいろいろな本を読んでいるでしょうからご存知だと思います。
まずは、客観的に自身のことをとらえているあなたが素晴しいと思います。

さて、人をもっと信用するにはどうしたらいいのか、に関してですが、以下のように考えてみてはいかがでしょうか。

まず、人を信じないということを、別の言葉に置き換えてみて、自身の性格の特徴(長所)と捉えてみるのです。

例えば、なぜ人を信じないのか→人に裏切られるのではないか→なぜ人に裏切られると感じるのか→過去にそのような体験があったから→つまり自分は過去の体験を今の判断に活かす性格をしている

または、とても慎重な性格である。

このように、自分の短所をちょっと見方を変えてみてはどうでしょうか。

そうすることで、短所を責めてしまうのではなく、自分の長所として捉えることで自己への承認がぐんと上がるはずです。

今は、人を信じなければいけない、と強く感じていると思います。
しかし、人を信じなければいけないというルールは人間社会の中では存在しません。もちろん人を信じることでさまざまな良い体験ができることが確かです。
しかし、だからと言って必ずしもそれを自身の中での束縛する鎖にはしないでいただきたいと思います。

おそらく、過去の自身の行動を振り返りそのように感じていらっしゃると思います。
ゆっくり、あせらずに人を信頼できる自分を形成していくことをお勧めします。

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2012年6月22日 17時42分


迷い人さん、こんにちは。
カウンセリングへいおんの中島です。

ご相談内容を拝見させていただきました。
私の見解は、「カウンセリングスペース フィールマインド」の小日向先生とほぼ同じです。
なので、先生のわかりやすい解説とは違った方面から、アクセスしてみたいなと思います。


おそらくですが、迷い人さんの中には「信じる」というもののイメージがすでにあるのではないかと思います。
しかしながら、それをどのようにして他人と共有できるかがわからないので、迷っておられるのではないでしょうか。


たとえばトマトを見たことがない人に、どんなにトマトの味を伝えようとしてもできません。
同じように、信じるということがどのようなことなのかをいくら説明してもできません。
それは迷い人さんの中にしか存在しえないことなのです。

私は産業カウンセラーというお仕事をさせていただいておりますが、いくら経営者の苦悩を従業員さんにお伝えしようとしても無駄なことが多いのです。
なぜなら、彼らには経営者になった経験がないからです。
その肌感覚がなければ、伝わりません。


なので、迷い人さんがおぼろげにでも思う「人を信じる」ということがどの程度のことなのかにつきましては、その都度都度において、人とご自分の反応を見て理解していくしかないのです。
自分がこうやって接したらこういう反応がきた、あるいは逆に他人がこうしてくれたことで自分はこう思ったということを見ていくしかありません。


そしてこのようなことをおっしゃっておられますね。

「人に対して警戒してしまう自分が、もっと人を信用して安心して生きていくためにはどうすればいいのでしょうか。」



これは迷い人さんがかつて、対人関係において何らかの傷を心に負ったということを示しているのではないでしょうか。
そのトラウマを除去するためには、カウンセリングをも含めて、傷つくことを恐れずに一歩踏み出してみる勇気しかありません。

些細なことでも構いませんから、まずは行動に移されてみてください。
行動こそ、全てです。
行動にこそ、人の思いが全て込められています。


また、ご相談くださいね。

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2012年6月21日 12時56分


心理カウンセリングサービスCOMODO

迷い人さんこんにちは。内容拝見させていただきました。人に対する不信感があり、素直に助けを求められずにいるんですね。

迷い人さんが仰っているように、人は時に裏切ったりします。どんなに信用できると思える人でも、周りの状況や利害関係によって裏切ることがあります。ですから、“まず警戒する”ということは、とても大切なことなのではないかと私は思います。

私は、“信じる気持ち”というのは、最初に持つものではなく、相手と一緒に少しずつ積み重ねていくものだと思っています。最初は警戒しながら、お互い少しずつ関わって距離を縮めていき、その距離に合わせて自己開示していきます。その途中で『これ以上この人を信じられない』と自分で思ったら、その距離で止まって構わないと思います。もし運良く、お互い本当の気持ちを言い合えて受け入れるところまで行けたなら。その時、『あ~この人は信頼できるな』と、“結果的に”思えればそれで良いのではないかと、私は思います。

私は、迷い人さんの中には『人を信じたい』という気持ちがあるのではないかと思っています。もしそうであれば、心のどこかで警戒心を持ちながらも、まずは“信じたい”という気持ちを原動力に少しずつ人と関わっていけばよいのではないかと思います。そして、結果的に本音を受け入れ合えて、“信じる”ことが出来たなら、それはとても幸運で素敵なことだと私は思います。

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2012年6月21日 00時26分


NPO法人 ゆうあい相談室

信じる信じないを意識してしまうとなにも話せなくなってしまいます。

たとえ相手がだれであろうと自己開示はできるのです。

 裏切られるのは期待か依存があるからであり、結果を期待して

いるといえるでしょう。

 軽い気持ちで自己開示できるようになるには考えすぎないこと

が大事で結果も意識する必要はありません。

 どう受け取るかは相手の都合であり、人によって変わります。

まず軽い話をできるようにすることが最初ではないでしょうか。

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2012年6月20日 19時52分


NPO法人 ゆうあい相談室

信じる信じないを意識してしまうとなにも話せなくなってしまいます。

たとえ相手がだれであろうと自己開示はできるのです。

 裏切られるのは期待か依存があるからであり、結果を期待して

いるといえるでしょう。

 軽い気持ちで自己開示できるようになるには考えすぎないこと

が大事で結果も意識する必要はありません。

 どう受け取るかは相手の都合であり、人によって変わります。

まず軽い話をできるようにすることが最初ではないでしょうか。

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2012年6月20日 19時51分


新川公園前メンタルカウンセリング

新川公園前メンタルカウンセリング 心理カウンセラー 千嶋のりえです。


ご相談ありがとうございます。

大事なことに向き合っています。

他者を信用できない事には、過去の経験が学習として記憶されているからでしょう。
一種の自己防衛です。

しかし、信じたい・・・と言う、あなたの優しい心が課題をくれているのです、試す価値はあると思います。


信用したいのは、自身の心です。
なので、相手に対し反応の見返りを求めない事です。

信じたいのはあなた。
相手には関係が無い感情です。

見返りを求めないと、悔しい思いもしません。
始めから期待をしない事で、防衛できるのです。

頭から信用しないのではなく、強制しないと言う事です。
それで、過去の記憶からの学習も立派に利用されます。

相手の心はわかりません。
しかし、あなた自身が素直に向き合えば、共感は得られるはずです。

人を自身の思うように出来ると思わなければ良いのです。



心理カウンセラー 千嶋のりえ

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2012年6月20日 19時09分


旭カウンセリングルーム

あなたの年齢がわかりませんが、過去の生育暦の中で「裏切られた経験」や「しかと」を受けた経験が有って、他人が信じられなくなったのか?そんなことが無くて自然と「信じられる人」がいなくなったのかが問題になります。不信感とは簡単に持ちません。自分と共感してもらえる人はそんなにいません。「自分は自分。他人は他人」と割り切って、自分で何事も解決していければ良いですが、やはり、人間一人になることの「孤独感」は辛いものがあります。初めから相手を疑っていては「信頼」など出来ませんよ。自分から「打ち解けて」相手に接していけば、そんなに「裏切られる」事はありません。「前向きに物事を考える」ようにして下さい。「疑いの目で相手をみないようにして下さい。」不信感で物事を考えないようにしないと、自分だけが、気づいて見たら「孤独感」にさいなまれてしまっていた。と言う事にならないように。厳しい意見ですが、教師を経験して退職して「カウンセラー」になりましたが、今でも卒業生から(最初の生徒は今57歳)になっていますが、連絡してきてくれます。そこには「信頼関係を構築」しておいたからだと思います。楽しい教師時代を過ごしました。当時の男子生徒や女子生徒の中には「孫」が居る人もいます。私には39歳と37歳の息子がいますが結婚してくれないので「孫」が居ません。泣きたくなります。さびしいですよ。自分が裏切らない限り大丈夫です。相談相手を持ってください。その時には「自分を飾らないで、本心で接して下さい。」その上で、自分が安心して信頼できると人だと判れば「相談相手」にしたら良いのです。楽しくなりますよ。「孤独感」はいりません。共通の理解者を持ちましょう。

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2012年6月20日 18時25分


物語研究所「夢前案内人」

「100%不信」はあっても,この反対の「100%信じる」は存在しません。
つまり信じるとは何割か信じないこと・・・つまり「裏切られる可能性」込みで「信じると」「決める」行為なのです。 つまり「決断」。
なので何もしないで自然と信じれる状態が目の前に現れたり天から降ってくるというようなことはありません。

あなたは「れる/れない」の問題だと思っているみたいですが、それは違って、信じる決断が「できる/できない」の決断力の問題なのです。
判断のために、信じて損がないかどうかとか、信じて大丈夫そうな客観的確からしさが多いか少ないかを検討するのは当然ですが最終的に決断である事実には何の変わりもありません。

つまり不信感とは決断力の不足であり、決断力の不足はその決断する自分に対する自信の不足です。
この決断だという自覚があれば、もし期待通りにならなくても、それを信じると決めたのは自分なのだと知っていますから、誰かのせいにしたり、状況のせいにしたりできません。ので、それを自分で引き受けることができる器の大きさ、これも自分に対する自信とコインの裏表です。

それと心理定理として「他人に対しての疑りの強い人ほど」「自分は損したくないという気持ちが強すぎる人ほど」「裏切られやすい」と言えます。
これは簡単な話で、
前者は、大して信用されていないなと感じる相手の期待に添わなくても(裏切っても)「そもそも期待されていない(信用されていない)のだからそれで元々」と考えやすさを誘導するから。
後者は、損したくないというのが際立った行動をすると相手の損をしたくないという気持ちを強めてしまうからです。

大雑把に「A:如何なる状況でも裏切らないお人好し」「B:状況によって態度を変える普通の人」「C:状況に関係なく平気で裏切る悪人」の三種類が世の中に居ると言えます。
それぞれ「信用する」と「信用しない」の相手の行動を類別すると、
信用する:A → 裏切らない、B → 裏切らない(ことが多い)、C → 裏切る
信用しない:A → 裏切らない、B → 裏切る(ことが多い)、C → 裏切る
となります。
一目瞭然に「信用する」で行った方が裏切られる率が少なくなるというが分かるでしょう。(目先の損得に神経過敏な人ほど、こういう大きい尺での損得に気付かないのも特徴です)

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2012年6月20日 18時13分


カウンセリングスペース フィールマインド

迷い人さんはじめまして。
フィールマインドカウンセラーの小日向るり子です。

ご質問を読ませていただきました。正直な私の気持ちを述べさせていただきますね。

迷い人さんのおっしゃる
「人を信じる」ということって、具体的にどういったことでしょうか?

「困っているときに助けを求められない」と書かれていらっしゃいますが・・・
「困っているとき」とはどういう時を想定されているのでしょうか?

例えば、突然身体の具合が悪くなり、どうしようもないほどになったら救急車を呼びぶことは、できますよね?
そして、今、もやもやとしたお気持ちを抱えている、そのことは、このサイトに相談してくれていますよね。
金銭的なことですと、お金を貸す方に資金の余裕があるかといったことが最重要になりますから、断る=裏切られる、にはならないですよね。

つまり、何を想定して 「人を信じる」 とか 「心を許す」 とご質問されているのかがわからないのです。

迷い人さんが結婚されているのかがわからないので、よい例えではないかもしれませんが、独身だと仮定させてくださいね。迷い人さんが素敵だな、と思う同じく独身の男性ができたとします。
「私、あの人が好きなの」
と人に話すこと。
迷い人さんが、既婚者の男性を好きになってしまい、関係を持ってしまったとします。
「私、あの人を好きで関係を持ってしまったの」
と人に話すこと。
同じ「好き」という感情を話したいとしても、これって、「人を信じる」という尺度で話す問題じゃないと思うのです。
むしろ、後者の状況であれば、「それは誰にも言わず、墓場まで持っていくことが賢明」とさえ私は思います。

長くなってしまいましたが、
そもそも、

なぜ人を信じなくてはいけないのか??

というところまで立ち返って考えてみて欲しいと思います。

「人を信じられるって素敵なこと」という一般的な既成概念だけにとらわれていませんか?
「人に愛されたい」ということを言いたかったのだ、と気付くかもしれませんね。

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2012年6月20日 17時43分


のりむら事務所

初めまして、仙台・のりむら事務所の細川と申します。

そうですね、あなた様の仰る通り、簡単に人を信用する(全てを預ける)ということは、時としてとても危険な事でもありますから、そうそう懐に飛び込んで行って良いようなものではありません。

いっそ、誰も信じない生き方も悪い訳ではありません。
最初から誰も居無いなら心配の種も自分だけ。他人に左右される事もありません。

ですが「やっぱり誰かを信じてみたい」=「自分の事も信じて欲しい」そういった思いが少なからず、誰にしもありますね。

誰かに頼りたいと思うと、誰かを信用しなくてはなりません。

ここで迷い人さんの仰る『裏切り』というものを、「あなた様の期待した内容に反したもの」であったと解釈させて頂きますと>裏切り、というもの自体、自分の中から発生している事実です。

何か、自分の中から湧いてくる感情に従って他人に期待した>他人は自分の期待通りに行かなかった>何かしらの心的ショックを受けてしまった>そのものが「傷」として残っている>また傷つきたくない(当然です)感情から警戒をほどけないでいる、という状態。

結論を簡単に言うと、そのあなた様の中にある「怖い」という恐怖が人を信用させまいと心の中でロックになってしまって居るのでは無いでしょうか?

それは誰よりあなた様が自覚なさっている通りです。

傷つくことを恐れる限り、誰かと親密な関係を構築して行こうとすることは困難でしょう。

困っていても助けを求める事が出来ないのは>人に助けを求めたことで借りをつくってしまったり・・・そんな事で、もっと困りたくないと意図せずにもあなた様の心が感じているから。


何度傷つけられても、人間には治癒能力があります。

たった1回でいい、心の底から安心して解り合える相手と出会えるだけで、今までの「わだかまり」のようなものも解けて行けるものと思います。


信じたいと言う生き方を選択するのであれば、傷つく覚悟は必要です。

それでもやっぱり傷ついたなら、側に居る誰かに「慰めて!」なんてお願いしてみては如何でしょうか?

期待のすれ違いも沢山あります、あなた様を過去に裏切ったという人にも、決して悪意だけでは無い、なにか事情があったのかも知れません。

いっそ、心の専門家であるお近くのカウンセラーに打ち明けてみるのも、現状の打開策にはお勧めです。

カウンセラーも同じ人間ですから、相性やタイミングや・・何もかも思い通りになる事もないかも知れませんが、決してあなた様を裏切るような存在ではありません。

カウンセラーというツールを活用して、一旦あなた様の不安や恐怖心を預ける練習をしてみては如何でしょう?
長文失礼しました、私も宮城より、応援しています。



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2012年6月20日 17時01分


カウンセリングルーム優心(㈲有心個別アカデミー内)

迷い人さんこんにちは。
カウンセリングルーム優心の武澤と申します。
宜しくお願いします。

人を簡単に信じられないと言うご相談ですね。

私なりの見解を述べさせていただきます。
答えは実は簡単です。
迷い人さんのまさにこの「人を信じられない」と言う考えが
他人からは、近寄らせないオーラを出してしまっているのでは
ないでしょうか?

過去の何かしらのトラウマがこうさせている可能性が高いと思われます。


この不安をまずは解消していきましょう。
これには、ご自身でも可能ですが、カウンセリングを受ける事で
表出してくるのではないかと思います。

一度、ご検討下さい。










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2012年6月20日 16時32分


オフィスオオヤマ

こんにちは!
心理カウンセラーの大山でございます。

迷い人さんは
自分を信じていますか?
自信はお持ちですか?
人よりすぐれたことはあると思っていますか?
自分をほめていますか?
謙虚に人の意見を聞くことができますか?
他人に関心はありますか?
人の話を2時間以上聞く自信はありますか?
他人をほめていますか?

人と接する以上
100%の安心などはありません。

人それぞれ毎日いろいろなことが起こるのです。
起こりえない未来の不安はやめませんか?
時間の無駄です。

それより、自分のあきらめられない夢を描いてみませんか?
それができたら、人を警戒なんかしてられなくなりますよ!

というか

裏切られたとしても
また新たに人間関係を作ればいいだけの事です。

人類70億人もいるのです。

自分を磨き
夢を目指して
楽しく人生を積み重ねていく。
そして、失敗・挫折を繰り返し
それでも、チャレンジをし続け、新たな氣づきを得る。

そのことがより良い人間関係をつくる方法だと思いますが
どうお思いますか?

人生は思っているよりシンプルです。

考えているより行動する方が
よっぽど早く答えにたどり着くものです。
恐れず、楽しめることにチャレンジしてみませんか?

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2012年6月20日 15時34分