教えて掲示板の質問
「絶対的な存在を欲しがる」に関する質問
- 受付終了
ネコさん
こんにちは。
私は、、キリスト教の神のような絶対的な存在に憧れの念があり、
そういう存在を持って生きて行きたいという欲求があります。
そういう存在があれば、自分は甘やかされて育てられた人間だけど、
そういう甘さを克服し、道徳的に厳しく自分を律して、生きて行けるような気がします。
また、そこには、自分が生きる意味や、死ぬ意味があるような気がしています。
しかし、宗教の世界は嫌いではないですが、積極的に信仰するほどにはなれません。
そういう絶対的な存在がなければ、自分に厳しくなれないというのも情けない話ですが、
自分で自分に厳しくするというのも難しく感じ、こういう性格は依存的なのかな、
どうしたらいいものかと悩んでいます。
カウンセラーのみなさんのアドバイスをお願いします。
2017年10月16日 19時49分
教えて掲示板の回答
はじめましてmentalquestの渡辺です。
医療機関で医療相談、生活相談、介護相談、カウンセリングを行っています。
「依存」とは人間が新生児としてこの世に生まれ出て
何も出来ない時期に母親や大人に頼らないと生存していけない
それが依存の原型です。
人は成長とともに自立し、全面的依存から社会の結びつきとしての
必要に応じた「依存」にかたちを変えて行きます。
世界経済も国どうしの依存によって成り立っています。
どんなに優れた国家であっても、他国に部分的に依存したり
お互い依存する事で円滑な関係が築けたりしています。
決して「依存」する事は「弱い」事ではありません。
いわゆる、生きる術であり戦略です。
「絶対的な存在」、始まりは憧れであっても
自分の中で共存することにより
やがて、揺るぎない自分になってゆくのではないでしょうか。
2017年10月21日 12時11分
ピュアティケア
霊さん、こんにちは。
ピュアティケア旭相談室の長です。お悩み拝読いたしました。
宗教とは人間が人生におけるあらゆる苦難を乗り越え、より高次の目的や理想に向かい生きていくための教えです。自分だけの幸福ではなく、他者(友)の幸福を願い世界平和を目指した宇宙の大原則や道理に基づいた法則なのです。
神や仏に祈りさえすれば、神や仏が特別な力で願いを叶えてくれるというものではありません。本来は、日々修行することで、もともと自分の中にある勇気を引き出し行動することで苦難を乗り越え自分の夢や希望を叶えようと努力しなければなりません。また悩める友に救いの手を差し伸べてゆく他者貢献する生き方へ転換することが肝心です。
イエスにしても、ムハンマドにしても、釈尊(釈迦)にしても創始者の精神は悩める人の支えとなり、病める人の助けとなり人間主義の原点を教え対立や争いのない世界へと導いたそうです。仏教で説く仏とは、絶対的存在や聖なる境地に達した聖者ではないといっています。「仏」とは戦い(修行)によって磨き抜かれた人格の人だと説いているのです。
もし霊さんが、信仰することで自身の精神修行をし、あらゆる苦難を乗り越え他者貢献することを使命と感ずるならば、堂々と進んでみてはいかがですか。
宗教とは信仰とは、絶対的な存在の力に頼る他力本願なものではないということだけお伝えします。
カウンセラーとて人間ですから、様々な意見や考えがあると思います。否定的な人もいれば、肯定的な人もいるでしょう。なので、誰の言っていることが正しいかは判断がつかないでしょう。すべては自分次第です。ご自分の意思で決定されることがなにより大事です。
人生は厳しいときもありますが、共に闘っていきましょうね。
応援しております。
ピュアティケア旭相談室
長 雄一郎
2017年10月17日 21時07分
お礼コメント
書き足りなかったと思うんですが、神に祈って救われたいとか、
頼ろうとは思っていません。
忠誠心の対象が欲しいと思っています。
そして、そういう存在を目当てに自分を律して、
道徳的に厳しく生きて行きたいと思っています。
こういう傾向は依存的かなと思い、それで質問をさせて頂きました。
2017年10月19日 23時10分
霊さん、初めまして。
私は兵庫県尼崎市にあります「あいメンタルケア研究所」の
心理カウンセラー・ヒプノセラピストの長野と申します。
霊さんのご相談内容を拝読させていただきました。
霊さんはキリスト教の神の存在を知って、
より良く生きていきたいという思いがおありなんですね。
世の中には多くの宗教(神の存在)がる中で、
なぜキリスト教の神の存在に憧れるようになられたのでしょうか?
また、なぜキリスト教には自分が生きる意味や、
死ぬ意味があるような気がされたのでしょうか?
霊さんは、
>そういう存在があれば、
自分は甘やかされて育てられた人間だけど、
そういう甘さを克服し、道徳的に厳しく自分を律して、
生きて行けるような気がします。
とありますね。
霊さんの思われている
キリスト教の神のイメージとは
少し違うかもしれませんが、
何かご参考になれればと思い、
クリスチャンの外人女性の著書を
ご紹介させて頂きますね。
もしよければ一読されてみてください。
ベティー イーディー (著),
『死んで私が体験したこと』
~主の光に抱かれた至福の四時間~
この著書はクリスチャンでない方も読まれ、
アマゾンのカスタマーレビューで
大変良い評価が書かれています。
霊さんが知りたいと思われている「人が生きる意味」や、
「死の意味」も明確に書かれていますので、
きっと何らかの気づきが得られるのではないでしょうか。
この回答が少しでも霊さんのお役に立てれば幸いです。
あいメンタルケア研究所代表
心理カウンセラー
ヒプノセラピスト 長野美佐代
THL:090-7557-0419
URL:http://www.ai-msr119.com/
2017年10月17日 20時30分
お礼コメント
自分の忠誠心を捧げる対象が欲しいと思っています。
そして、そういう存在を目当てに自分を律して生きていきたいと考えています。
同様な意味で戦前の絶対主義的な天皇制にも興味を持っています。
自分の中にそういう絶対的な存在を求める傾向があって、それは少し、
依存的というか、良くない傾向なのかなと思い、この質問をしました。
紹介していただいた本を読んでみようと思います。
ありがとうございます。
2017年10月19日 23時06分
追加コメント
霊さん、
コメントありがとうございます。
霊さんは、
>自分の中にそういう絶対的な存在を求める傾向があって、
それは少し、依存的というか、良くない傾向なのかなと思い、
この質問をしました。
とありますね。
絶対的な存在を求めることは依存的とか、
良くない傾向ではないように私は思います。
なぜなら、今、霊さんが本質的に、
絶対的な存在を求めておられるは、
霊さんの一方的な思いというより、
絶対的な存在から
霊さんに呼びかけているようにも
感じたからです。
紹介させて頂いた本を読まれるとのことですね。
若い時に、真の信仰をもたれることは、
霊さんが与えられた人生を
更に、意味あるものして
歩んでいくことができるのではないでしょうか。
もし、よろしければ、
本を読まれたご感想などを
メールでお聞かせいただけましたら幸いです。
あいメンタルケア研究所代表
心理カウンセラー
ヒプノセラピスト 長野美佐代
THL:090-7557-0419
URL:http://www.ai-msr119.com/
2017年10月23日 15時25分
心理カウンセリング らしんばん座
霊さん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。
神のような絶対的な存在を持っていれば、ご自身感じている甘さを克服し、道徳的に厳しく自分を律して、生きて行けるような気がするのですね。
そうですね。
まず、霊さんが、甘やかされたご自分を克服して、自分に厳しくしたいと思う理由は何ですか?
自分に厳しくするのなら、何も絶対的な存在に頼らなくても、他にも指標になりうるものはあると思います。
ご相談を拝見して、何か非常に都合の良いものを感じてしまいました。自分は何もしなくて、それで変えてもらいたいといったような。
仏教には、「自灯明、法灯明」という言葉があります。「『自分』を頼りにして、『仏法』を頼りにしなさい」という意味です。
これは、お釈迦様の言葉ですが、その中でお釈迦様は「私を信じなさい」とは言ってはいません。
生きる意味にしろ、死ぬ意味にしろ、人はそれを、自分でつかみ取らなければなりません。誰かが、与えてくれるわけではありません。
それは、本来存在していて、人には見えないだけかもしれませんし、もともと存在しないものかもしれません。
しかし霊さんを含めて、人は生きていかなければなりません。
「物」は、最初から或る目的をもって作られました。しかし、「人」は違います。まず「自分は生きている」それをどうするかです。
心理学者のアドラーは、「『変われない』のではない。『変わらない』という決断を自分でしているだけだ。」と言っています。
つまり、何かが霊さんを変えてくれるのを待っていたのでは、永久に霊さんは変われません。
しかし、「自分を変えよう」と思うのも霊さん。変わろうとしないのも、霊さんです。
霊さんという、存在そのものを認めてください。
その上で、自分は本当はどうしたいのか、考えてください。
もし「これを信じれば、あなたはとても素晴らしい自分に変わることが出来ますよ」と、簡単に言う人がいたら、注意してください。
そういう人は、霊さんを依存させて、霊さんを意のままに支配しようとする人だからです。
そういう人にだけは、気を付けてください。
2017年10月17日 19時35分
お礼コメント
ちょっと書き込みが足りなかったかもしれませんが、
自分が絶対的な存在を欲しがるのは、
自分の心身を捧げるような忠誠心の対象が欲しいという意味です。
それを目当てに自分を律するという意味です。
2017年10月17日 20時27分
追加コメント
霊さん、ご返答ありがとうございます。
>自分の心身を捧げるような忠誠心の対象が欲しいという意味です。
「生きがい」と言うか、もっと激しく「死にがい」と言ったものですか?
確かにイエスをはじめ、キリスト教の聖人には殉教した人も多くいますし、日本でもキリシタンの人は、長きにわたって迫害されました。
ただ、そこまで霊さんを駆り立てる物は何ですか?
自分が特に誇るべきものも無い、これといった自慢できるものも無い、言わば何物でもない「自分」と言ったものに嫌気がさしてしまって。
そんな自分を変えてくれる何かが欲しい。それも、とりわけ上等な何かが。
それが「神」につながったのでしょうか。
だとしたら、やはり「依存的」だと思います。
霊さんの人間としての存在価値は、そのような「特別」なものが無くても、しっかりとここにあります。現に霊さんご自身が存在していることが証拠です。
霊さんが何者でなくても、存在価値は持っています。後はその上に、どう「実際にここで生きていく自分」を打ち立てていくだけです。
以上は、あくまでも私の、「見立て」です。かえって、混乱させてしまったら、ごめんなさい。
しかしカウンセラーは、基本的に霊さんをどうこう変えようとするのではなくて、霊さんご自身でどう変われば良いかの気付きを与えるという役割をします。
「天は自らを助くる者を助く」の考え方です。
2017年10月18日 17時50分