教えて掲示板の質問
「自分が認められない。やりたいことでも上手く行かないと放棄する」に関する質問
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ふきさん
私は中学三年のとき受験勉強の途中に不登校になりました。中高一貫の学校に通っていたのですが、成績は小中とずっと良く、素行も良かったと思います。自分でも成績がいい自覚はあり、友達も同じ位のトップの子が多かったので、その子たちが目指している地元の県で一番偏差値の高い高校を目指していました。塾にいきはじめたのは中学三年でしたが、先生にもこのままがんばれば大丈夫、と言われていました。しかし、そう言われれば言われるほどどんどん不安になり、この人は塾の実績を上げたいからそう言ってるんじゃないか?など不安定になっていき、夜中まで不安で勉強して、朝から学校に遅刻しそうになって、遅刻するのが嫌で学校に行きたがらないということが増えたり、模試や学校のテストを勉強が足りてないと思うともう無理だ無理だと行かないということが増えて、一日休むと勉強が遅れた、もう終わりだと思いながら泣きながら過ごす日が増え、最終的に受験願書を書くことも勉強することも放棄するようになり一日泣きながら布団で過ごしていました。結果的に第一志望の高校の前期受験だけは受けて落ち、他は一切受けなかったのですが、通信に通おうと思っていた頃に、自分の通っていた中学の高等部の進学コースへ先生たちの好意で作文一枚で進学できることになりました。しかしそのときも結局いままで成績が良く素行も良かったから、だろうなと思い、結局勉強がすべてじゃないかと思いました。加えて、両親から、この特別扱いを良く思わない先生もいる、と聞いて、高等部に進学してからは、誰が私を良く思わない人なのかをいつも気にしていたり、進学コースでトップでいなければならないと強く思ってしまい、結局一年の何回目かのテストを勉強がたりないからもう無理だと放棄してからだんだんといけなくなり、最終的に通信へ転校しました。
そこから三年ほど通信のスクーリング以外は引き込もり、何度か大学受験のためにと塾に行ったりもしましたが、結局また行けなくなり、を繰り返し、現役の大学受験期には受験は一切できませんでした。
両親から勉強しろと言われたことは記憶になく、むしろ好きなことをやれというタイプだったと思います。でも中学三年のとき学校に行きたがらなくなったり、反抗したときは殴られたりはしました。もともと子供のころから怒られても素直に謝るタイプではなく、父親が手を出すのも珍しくはなかったので、仕方ないことだったと思うし、虐待だとは思っていませんでしたが、何故かその中学のころは虐待だと思っていたきがします。
両親は共働きで、お金に不自由した記憶はなく、やりたいことはやらせてくれましたが、通っていた幼稚園と小学校が祖父母宅の近くだったこともあり、
また両親はどちらも忙しかったので、朝から仕事に行く両親に合わせて早起きして祖父母宅に一旦行ってから、幼稚園や学校という流れがしんどかったのか、小学校一年のときに自分で祖父母宅に泊まると言い出し、気付いたら小学校六年間は平日はずっと祖父母宅で過ごし、金曜日の夜に父や母が迎えに来て土日を過ごし、月曜の朝にまた祖父母宅に行くというサイクルが普通になっていました。それに対して不満を抱いた記憶はなく、両親も祖父母もちゃんと私を愛してくれていた、というのは頭ではわかっています。
中学に上がるときに住民票が登録された場所の区域でないと公立は行けないとわかり、私は仲のいい友達と同じ中学に行けると思っていたので、別のところに行くのが嫌だと言った記憶はありますが、もともと勉強ができることが自尊心を満たしていたので、私立の中学を受験してみたら、という提案にまんざらでもなくなり、結局私立中学に通うことになりました。中学からは今までは土日だけ過ごしていた両親との家に毎日住み始め、共働きの両親もお弁当を作ってくれたり、夜は塾に迎えに来てくれたりしました。でも今までは一緒に暮らしていなかったから留まっていた反抗も喧嘩も増えて、受験期になると、母親が仕事の人と飲んで帰ってきたり(必要な付き合いだとわかってましたし私は母親のようなキャリアウーマンにあこがれもありました)、父親が母親の文句を言ったり、母親が父親の文句を言ったり、共働きのせいで汚い部屋(私も片付けるわけではないのに)にいちいちイライラしていた気がします。そのうえ両親は私が受験することにそこまで執着もなく、中高一貫なんだからそのまま進んだら、とか、そんなに苦しいなら他のことやったら、とか、学歴より大事なことはあるとか言っていて、当時受験に落ちたら死ぬしかないと思っていた私はその感じにもイライラしていました。たぶん普通に考えたらいい親なのだと思います。無理矢理勉強させたりしたことはなく、自分たちが好きなことをお金などでできなかったから好きなことをやりなさいというスタンスでした。でも私は受験が一番大事で、勉強だけが自分の得意なことだと思っていたので、そんなことはできないしありえませんでした。だから反抗していたし、喧嘩もしていたし、その結果引き込もって、また喧嘩をして、一番覚えているのは、母親が私に点取虫と言ったことです。本心じゃないとはわかってます。売り言葉に買い言葉だし、私もさんざん傷付ける言葉を言ってきました。でもその瞬間全部が崩れる感覚がして、それからは暫くどうにか引き込もりから逃れようという気持ちもなくなりなげやりになりました。軽いリストカットもしました。(記憶はあいまいですがたぶん死ぬ気はなく、引き込もって部屋で一人の自分を放っておいて何事もなく日中仕事をしている両親を困らせたかったり自分の不安をぶつけたかったのだと思います)
それから、結局頑張ろうとしてはできなくて、殴られたり、私が部屋の物を壊したり、自殺すると言ったり、実際薬を大量に飲んでみたり、起伏はありますが、本当によくあるドラマの引きこもりみたいな日々を過ごしていたと思います。寝ている時間が長く、目覚めるとどっちが夢なのかわからなくなったりもしました。自分に現実味がなく、こんなのが本当に私なのか?と理解できないときもありました。でも最低限通信のスクーリング(年に一回五日間の泊まり)にはなんとか行ったり、月一提出のレポートは無理だといいながら喚きながらもやってました。
もっといろいろあったんですが、記憶があいまいなので、いろいろあって、最終的に自分でネットで不登校だった人をサポートしながら勉強を教えて受験をサポートしてくれるところ(地元の県ではないです)を見つけて、一浪の年の夏辺りにそこで一人暮らしをしながらそこに通って勉強を少しずつ始めました。高校三年分ほとんど勉強していなかったので受からない無理だと思いながらやっぱり受けないと言いながらも、なんとか受験はして(願書はたぶん母親が出した気がします。受けないと言い張った記憶があるので)、最終的に中堅くらいの私立に受かり、でも自分ではもっと上じゃなきゃ逆転できないから意味がない、私より勉強できなかった人が現役でもっと偏差値高いところに行ってるのに、と思い、でも二浪に耐える自信も二浪を許せる自信もなく、駄々を捏ねながら、結局両親が学費を払った大学の入学式に行きました。
今もその大学に通っています。成績は問題なく、出席も問題ないです。中学の頃に比べたらテスト勉強もそんなに追い詰められず、時間割りも自由で通うこと事態は苦痛じゃないし、サークルも入って友達もいて、舞台を観に行ったり楽しいこともあります。
ただ、他にやりたいことをやろうとすると、自分でやろうとしたことなのに、上手く行かないと全部放棄したくなります。特に周りより劣っていたりすると恥ずかしく苦痛で、自分がやりたいことなのに気付いたら放棄したり、やる前の面接から行けなかったり。しかもその度に両親に連絡して、辞めるって連絡してと言ったり(本当は辞めたくない、もしくは迷っているのに)、結局中学三年でああなったから私は全部上手く行かないと言ったり、あのとき私の人生は終わったからこれは私の人生じゃないと言ったりしてしまいます。自分でも親に何を望んでいるのか、自分がどうしたいのかがわかりません。
頑張ろうと思って何かをやりだしても、叱られたり、恥をかいたり、自分ができないと感じると全部が怖くなり、相手に何を思われているかが恐く、失敗したくなくて投げ出してしまいます。投げ出そうと思うわけではなく、胸と胃が重くなったり、移動中に行きたくないと思うと気分が悪くなってきたりして、行けなくなる理由ができます。そして一回行けないと、また周りより劣ってしまう、相手に何を思われているかわからない、と怖くなり、そうしたいわけじゃないのに結果的になにもできなくて全部シャットダウンしてしまうループです。
私はやりたいことをやりたいです。幸せになりたいです。でもこのまま逃げるのがなおらなければ、ずっとしんどいんだろうなと思います。今後就活でもまた同じことを繰り返して中学の二の舞いになりそうなのも怖いです。親を責めたいわけでも苦しめたいわけでもないのに、そういう逃げるときには理不尽なことを連絡してしまったりして苦しめてしまいます。そのくせ向こうに謝られたりどうしたいのか?ときかれるとわからなくなります。それに祖父母にはそんなことは絶対言わないし、いい子を取り繕います。友達にも絶対言いません。自分でももうどうしたらいいかわからなくなりました。ちょっとでも変わろうと自分でやりたいことに申し込んで頑張ろうって思って始めてもすぐに挫けて、それによってまた自信を失ってどんどん歪んでいる気がします。頑張って続けるしかないといわれたらそうなんですが、親に辞めないで頑張ってみたら、といわれると、私がどうしてこんなに嫌か、苦しいのかわからないくせに!と思って、続けたい気持ちと裏腹に当て付けのように全部放棄してしまいます。自分が損するのに、放棄してしまいます。
私は普通に恵まれた家庭なのだと思います。だからこれは私の性格や甘えなのだと思います。でもだとしたらなおさらどうしたらいいかわかりません。ずっと劣等感が消えなくてずっとこのまま私はこうなのだと思うと死んでしまった方がましだとずっと思ってしまいます。(たぶんでもこれも本気ではなく、本当に死ぬことはできないと思います。また引きこもりになり、毎日眠る生活になったら、もしかしたら死ぬこともあり得るかもなとはおもいます)
どうしたら私は私を認められるのでしょうか?
どうしたら苦しまないで済むのでしょうか
私はどうしたいのか、どうしたらいいのか、どうしたら親から自立できるのか、どうしたら好きなことをやりたいことをやることができるのか、どうしたら劣等感を消せるのか、どうしたらすぐに放棄しなくなるのかわかりません。
書いていたら自分の整理も兼ねてしまい、支離滅裂な長文になっていました。申し訳ありません。
2017年4月25日 05時08分
教えて掲示板の回答
毒親カウンセリング
毒親カウンセリングです。
両親に連絡するのを止めて、友達や恋人に相談するようにしましょう。もし、友達や恋人が、今いないようならば、少なくとも同世代の友達を作る努力をしましょう。周りより劣っていると苦痛だということですが、自分より優れている人を見つけたら、教えて!と気軽に話しかけたりしてみてください。意外と、すぐに追いつけるように教えてくれたりするものですよ。
幸せは、あなたが考え方を少し変えるだけで、手に入れることができるものです。頑張って、というよりは、楽しんでください。
毒親カウンセリング
http://www.dokuoya-counseling.com/
2017年5月1日 10時08分
心理カウンセリング らしんばん座
ふきさん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。
ご相談、拝見しました。拝見して感じたことは、何かふきさんの中にも、ご両親との関係の中にも、ひどく矛盾したものが見えてしまう、ということです。
そして何か、ひどく息苦しいような、縛られたようなものを感じました。
ふきさんは、ご自分でやりたいことを決めて、それに向かって実行することが出来るのですね。
でもそれが上手く行かないと、全部放棄したくなってしまうのですね。
ご両親についても、特に「こうしなさい」と言葉で言われるわけでもないし、ふきさんのやりたいようにさせてくれるのですね。
しかし一方で、ふきさんがいうことを聞かないと叩くことがあったり、傷つくような言葉を投げつけてきたりもしたのですね。
ふきさんの「やりたいこと」とは、何でしょうか?
ご相談の中に、受験の事が沢山出てきます。
でも見えて来ることは、学歴であったり偏差値であったり成績であったり、自分と他の人との序列を測るための物差しのようなものばかりです。
もともと、ふきさんご自身、勉強が出来て偏差値が高いことが、自尊心の根拠だと感じていたのですね。
ふきさんの「やりたいこと」そのものが、「自分と他の人との序列を測ること」になってはいませんか?
それだと、自分が常に「他人より上に居る」ことが、すべての価値観になってしまいますね。
自分が他の人より下に居ることが、許すことが出来なくなってしまいますね。
だから、自分が優位に立つことが出来なくなることが明白になってくると、その「やりたいこと」を放棄してしまうのだと思います。
「学歴」と言うものは、本来自分がやりたいことをする時に有利になるための「スタート台」のようなものです。
スタート台に立つことがレースの目的ではなくて、スタートしてからいかに走るかが、レースの本質です。つまり、学歴は「手段」に過ぎません。
自分と人を比較するから、苦しくなってしまうのです。
手段を目的だと思っているから、苦しくなってしまうのです。
これからふきさんは、何をして生きていくのか、他人とは関係なく何をやりたいのか、心の奥底と相談をしてみてください。
一人で難しいのなら、カウンセラーと相談をするのも良いと思います。
今回のこのご相談のように、心に浮かぶことを言葉にしていくだけでも、自分が何にとらわれているのか、何をやりたいのかが、わかるようになると思います。
2017年4月26日 17時15分
マインド・レスキュー『シェーズ』
ふきさん、はじめまして。
私は大阪で『決定力』カウンセラーをしている井手耕心と申します。
どうぞよろしくお願い致します。
ふきさんからいただいた、お悩みのメッセージを読ませていただきました。
中学生の時に不登校になってしまったんですね。
その後も頑張ってこられた時期と頑張れなかった時期があったんですね。
勉強ができたふきさんは、勉強以外にも頭がいい人ですね。
自分に起こっていることや、周囲の人の気持ちがちゃんと理解できていますね。
ただ、理解しすぎて先回りして合わせてしまうから、
自分の本当の気持ちがわからなくなってしまったんですね。
心に蓋をしたままで生きていると、心の声が聞こえなくなってしまいます。
今まで無理に頑張ってきたり、人に合わせて苦しいと思ったことで疲れた心を
正しくケアしてください。
今のままでは就活も自分への自信のなさからストレスになり、
就職してからも人間関係に苦しむことになります。
今のうちに心を元気にして、笑顔と自信を取り戻してください。
学生の間は社会に出るまでの準備期間でもあります。
やりたいことを見つけ、そのために具体的に行動できる強い心の軸を持ちましょう。
心を正しくケアするために正しい心理カウンセリングやコーチングが
今のふきさんには必要ですね。
大丈夫ですよ。
もう、一人で抱え込まないでくださいね。
専門家と一緒に進んでください。
よろしければ私のホームページをご覧になって見てください。
ふきさんの心を軽くして、希望を持つためのヒントが見つかりますよ。
ホームページはコチラからご覧になってください。
http://www.chaise.jp
不安が強くなって苦しい時は私にメッセージをください。
メールでのご相談は何回でも完全に無料ですからご安心ください。
ホームページのご相談フォームからメールをくださいね。
ふきさん、すべての人は未完成です。
あなたは何も悪くはありません。
なりたい自分になるための具体的な方法があります。
今の自分ができることを見つけてくださいね。
大切なのは決意と行動です。
強いサポートがあれば、行動は継続できます。
ふきさんからのメッセージをお待ちしています。
2017年4月26日 15時05分
聖母治療院
ふきさん、はじめまして。
聖母治療院の加藤と申します。
お悩みを何度も拝読いたしました。
ふきさんは中学という多感な時期から「予期不安」がおありだったのかもしれません。
それに加えて、人に対する「本質」を見極めようとされる感受性が強く、時にはお母様や先生、お友達と温度差を感じられて来られたのかもしれません。
相手に対してご自分の素直な気持ちを伝えたり、弱音を吐いたりできない環境で過ごしてこられたご様子が文章から伝わってきます。
そして・・・何よりふきさんは、真面目で努力家で完璧主義でいらっしゃるのではないでしょうか?
完璧主義は物事を「白か黒か」「0%か100%か」という二択で位置づけたいという傾向があります。
織田信長の性格を詠んだといわれる「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」という句も、いわゆる「白か黒か」で判断する様子を表しています。
ふきさんにお伺いしたいことがあります。
これまで長い間おひとりでずっと悩んでこられましたが・・・それでも今、ふきさんが生活できていらっしゃるのは、どのような「力」に支えられてこられたからでしょうか?
過去の出来事や生育歴の分析だけではなく、未来志向・解決志向で、今から将来に向けた視点でのカウンセリングもあります。
よろしければ参考になさってください。
またいつでもご相談くださいね。
聖母治療院
http://seibo-chiryoin.com/
2017年4月26日 15時00分
Freedom Counseling School
はじめまして、
コメント拝見しました。
「自分が認められない。やりたいことでも上手く行かないと放棄する」とのご相談で
すね!
コメントの内容から察しますと、20代前半にしては、
幼児性の強い方の印象を受けました。
相談する場合は、相談内容が書かれるものですが、
自己評価が出来ないのは、それがあなたの今の実力だからです。
頭でっかちになりすぎて、理論だけが先行し、
実践や実態が伴っていません!
完全主義の一面もあると思われますが、
それも、幼児性の「万能感」※お調べになってください。
があり、基本的な躾が甘いのです。
日本には、古来からある、日本の伝統的なものを学び、
特に、「所作」を勉強してください。
そして、感情のさらに奥になる世界観を学んでください。
学校の教科書の勉強も大切ですが・・・
学校で教えてくれないことのほうが、
これから、もっと大切になっていきます。
自分の足りなさを感じてください。
自分がこれからの人生をどのように
設計したいのかを、真面目に考えてください。
そして、一番大切なものは何か?を
もう一度、学んでください。
自分を愛し、他者を愛すること!
これだけでも、時間は足りません!
早く、自分の幼児性に気付いてください。
カウンセリングで変容を試みたいのであれば、
お手伝いします。
電話でもLINE でも、受付いたします。
TEL & LINE 0445441539
お気軽にご相談ください。
2017年4月26日 14時53分