教えて掲示板の質問

「「みんな違ってみんないい」は大嘘でしょうか。」に関する質問

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アシュリンさん

金子みすゞの詩、「私と小鳥と鈴と」に「みんな違ってみんないい」という一節があります。この詩は、人はみな良い面と悪い面、つまり個性があるからこそ素晴らしいのだ、ということを伝えたいのだと思われます。しかし、これはきれいごとであって、実際にはみんな違ってみんないいということはなく、明らかにいい面より悪い面が目立ち、周りの人間に迷惑をかけ、本人も苦しむダメ人間が存在するのではないでしょうか。

心の知能指数と呼ばれるものがあります。これは、自己コントロールや社交性、感情を読み取る力を数値化したものだそうです。ネットの情報ですが、心の知能指数が高い人は人間関係に恵まれたり、社会的に成功したりする人が多く、心の知能指数の低い人間は、たとえIQが高くとも、孤独で、社会的な成功は望めないそうです。

今の社会では、組織の中で他人と協力しなければならない場面が必ずあります。心の知能指数が低い人と仕事をしなければならない人はたまったものじゃないと思いますし、本人も社会に適応できず苦しむと思います。

金子みすゞの言っていることはやはり現実にはあり得ない事なのでしょうか。

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2016年6月14日 12時11分

教えて掲示板の回答

カウンセリングルーム・エンパシー

「2・6・2の法則」を知っていますか?
人間は集団を構成すると、 『優秀な人が2割、普通の人が6割、パッとしない人が2割』という構成になりやすいという法則です。

不思議なことに、優秀な2割の人達だけで集団を構成した場合でも、この法則が成り立ちます。これは自然界にも見られる現象です。すべての生物は、この絶妙なバランスの中で生きているのです。

空気がすごく読める人、普通の人、空気が読めない人がいて人間社会の均衡を保っているのではないかと思います。つまり、世の中に不必要な人はいないと言うことです。ダメな人間だって、何かの役にたっているのです。

被害者だって、誰かに対して加害者になる場合もあります。また、その逆もあります。白か黒かという思考は、堅い思考です。グレ-ゾ-ンの思考は、柳のような柔軟な考え方ができますので、心に余裕のある楽な生き方が出来ますよ。

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2016年6月20日 08時12分


お礼コメント

ご回答ありがとうございます。

>>「2・6・2の法則」を知っていますか?
人間は集団を構成すると、 『優秀な人が2割、普通の人が6割、パッとしない人が2割』という構成になりやすいという法則です。
初めて聞きました。とても興味深いお話です。今度詳しく調べます。

>>ダメな人間だって、何かの役にたっているのです。
もう少し詳しくお聞かせ願えたらと思いました。

>>被害者だって、誰かに対して加害者になる場合もあります。また、その逆もあります。白か黒かという思考は、堅い思考です。
おっしゃる通りです。ただ、グレーといっても、限りなく黒に近いグレーもあり、同様に、限りなく白に近いグレーもあるとは言えませんでしょうか。




ご回答に対してお礼とコメントが間に合わなくなってきたので、締め切りたいと思います。カウンセリングルーム・エンパシーの先生、このコメント欄にまとめのコメントを書き込むことをどうかお許しください。私自身、ここまで多くのご回答が寄せられたことには大変驚きました(挑発するようなタイトルはまずかったな、と後から思いましたが…)。専門家の皆さんの意見は今後の生活に役立てます。皆さん、ご回答ありがとうございました。

2016年6月21日 19時15分

Counseling_Zama

はじめまして。カウンセラーの熊山と申します。

世界には様々な文化があるのと同じように、人それぞれの違いは文化の違いほど千差万別です。その違いを我慢するのではなく、それ以外にはありえないという真実を理解して、敬意を持つことが大切です。

「私たちはそれぞれ違うんだ、という事実を深く考えて尊重すること」をお勧めします。そうすれば他人に対する愛情と自分という唯一無二の人間を認める気持ちは、今よりずっと深まるでしょう。

人を批判するということは、ものすごいエネルギーを消費するうえに、楽しく生きるという目標から私たちを遠ざける作用しか果たしません。
他人の事は置いておいて、まず、自分の面倒を見てあげましょう。
そうすることによって、あなたは自然と社会平和に貢献しているのです。

ご参考になれば幸いです。

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2016年6月18日 09時26分


お礼コメント

熊山先生

ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなってしまって申し訳ありません。

>>人それぞれの違いは文化の違いほど千差万別です。その違いを我慢するのではなく、それ以外にはありえないという真実を理解して、敬意を持つことが大切です。
そうですね。一切競争のない理想郷であればそうだと思います。

>>人を批判するということは、ものすごいエネルギーを消費するうえに、楽しく生きるという目標から私たちを遠ざける作用しか果たしません。
他人の事は置いておいて、まず、自分の面倒を見てあげましょう。
一人の怠惰な人間のために、努力を怠らない多数の人の頑張りを否定することは、私にはできかねます。

2016年6月21日 19時09分

金子みすずの詩、「みんな違ってみんないい」というところを、「みんな素晴らしい」と読むべきなのでしょうか。
アシュリンさんのおっしゃるとおり、EQの低い人は何かと迷惑で、本人も苦労するということは事実だし、ちっとも素晴らしいとは言えないと思います。
しかし現実は、EQの低い人たちがたくさん存在しています。
現実は、すべて良い人も存在しないし、すべて悪い人も存在せず、人はみな良い面と悪い面がある。悪い面ばかりに目をやらず、良い面に目を向けることによって、単純に人を憎んだり、嫌ったりせず、前向きに人を見ることができるようになるのだという理想論を語っているのではないかと思います。
要するに、みんな素晴らしいと「現実にはあり得ない」評価をしているのではなく、みんな違っているという現実を受け入れなさいと達観しているように読めます。

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2016年6月16日 13時20分


お礼コメント


ご回答ありがとうございます。

上で述べたように、現状では、社会が必要としているのはEQの高い人間であって、EQの低い人間は社会にとって不必要な者であるとされています。
先生の解釈でこの詩を捉えると、金子みすゞは、ある決まったタイプの人間を排除しようとする現代社会のやり方は間違っているよ、と言っているように読めてきました。

新鮮な視点から回答してくださってありがとうごさいました。

2016年6月16日 14時57分

アシュリンさん
はじめまして、上級心理カウンセラーの中山直紀といいます。

アシュリンさんの意見を拝見して、僕は半分賛成、半分おしいという感じです。
僕は、接客業もしているのですがアシュリンさんが言っている協調性って業種的にものすごく大切なんですよ。
でも、チェーン店のようにあまりスタッフを統一的に育てると今度は、お客さんが面白くないと来てくれなくなる。

で、店がうまくいっているときってひとつ決定的に起こっていることがあるんですよ。

なんだと思います?
個性的な協調性が生まれているのです。
???でしょ。
説明しますね。
これは、あるスタッフは、お客さんと話している。でも話しているので他の仕事が進まない。例えば、空いたテーブルが片付けられないので待っているお客さんを通せない。そこで、本当は、違うことをしているスタッフが変わりに片付けに行ってお客さんを案内してくれる。そのうちに話していたスタッフが返ってきたので、代わりにしてくれたスタッフの仕事を引き継いで進めている。
といった感じです。連携っていい方もできますね。

僕は、アシュリンさんのように両方が観れるのならば両方やればいいと思います。これは、協調性を保つために必要な基礎の部分。これは私を表すことができる個の部分といった感じで譲る処と譲れない部分をはっきりしておくとよいと思いますよ。

グレーなところも出てくるかもしれませんがほんの一部です。
どっちかしかダメという方がよっぽどトラブルの中に居続けてしまう確率が高いように思います。
よろしければ参考にしてみてください。

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2016年6月15日 19時44分


お礼コメント

ぷちリッチ先生

ご回答ありがとうございます。

私は学生でまだ働いたことはありませんが、普段協調性がない人でも協調性が必要とされる場面に出くわすと自然に協調性が発揮されるということでしょうか。
将来職に就いたら、先生のおっしゃることを踏まえて、今までとは違う視点から人間観察してみようと思います。

2016年6月16日 14時26分

心理カウンセリング らしんばん座

アシュリンさん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。

人には個性と言うか、いろいろな性格があります。
言いかえれば、良い面・悪い面、色々な側面があります。
しかしそれは、良い、悪いという対立する概念に分類されるものではなくて、単に様々な面が「ある」と言うだけです。
アシュリンさんが「良い面、悪い面」と感じる者は、おそらく、アシュリンさんにとって「都合の良い、悪い」というだけの事であって、存在そのものに善悪はありません。
そのさまざまな面を、どう捉え、どう感じるかによって、それは全にも悪にもなります。

他の先生もおっしゃっていますが、アシュリンさんが「明らかに良い面よりも悪い面が目立ち」と感じていらっしゃるのは、その人の「アシュリンさんにとって都合の悪い面」だけを集めて見てしまっている、言う事が出来ると思います。
「心の知能指数が低い人と一緒にいたくない」というのは、自分に都合の良い人だけを周りに集めて、それ以外の人は排除したいと言う考え方ですね。

それは、人の個性を認めないと言うだけでなく、一部の人のそのまた一部分だけを認めて、他を認めないと言う事にもなります。
この考え方を自分に対して向けてしまうと、「自分に自信を持てない」、「自分を認める事が出来ない」という考え方に陥ってしまう事になります。

他人を認めることが、自分を認める事につながります。もっと言うと、自分を認めるから、他人を認める事ができます。
つまり、「他人が迷惑をかける云々」という問題ではなくて、自分の問題として向き合う事ができることが重要です。

「みんな違ってみんないい」という一節は、「みんな、良い所も悪い所もあるけど、そのすべてを認めあって、お互いの存在を認めましょう」と言う意味だと思います。
「ともすれば、お互いの個性を否定して、お互いに傷つけあってしまう事の多いこの世の中、せめてお互いを認め合って生きる事が出来たら」という金子みすゞの願いが込められている詩だと思います。

金子みすゞという人は、決してユートピアに住んで、その美しさを歌った人ではありません。
現実の世界では、詩作に理解の無い夫に、詩作や他の文学者との交流を禁じられ、病気をうつされ、たった一人の娘を奪われた末に自殺した人です。
この困難な状況の中、絞り出された叫びが、「みんな違ってみんないい」です。
決して、きれい事ではありません。

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2016年6月15日 17時14分


お礼コメント

らしんばん座先生

ご回答ありがとうございます。

>>アシュリンさんにとって「都合の良い、悪い」というだけの事であって、
大学の就職支援に携わる先生は、次のようなことをおっしゃってました。
「企業が入社試験として行う性格テストは、嘘をついたらバレるけどこういう性格を応募者に求めるっていう傾向はあるよね」
性格診断テストを解いてわかったことは、企業は自分を律する力があり、ストレス耐性が高く、主体性がある人材を求めているということです。これに当てはまるのはまさに心の知能指数が高い人です。
とても悲しいことですが、心の知能指数が低い人はそもそも社会に必要とされないのだろうか…と考えてしまいました。

>>「みんな、良い所も悪い所もあるけど、そのすべてを認めあって、お互いの存在を認めましょう」
心に響きました。そのような社会になって欲しいですね。

2016年6月16日 14時33分

追加コメント

アシュリンさん、ご返答ありがとうございます。

確かに、企業や社会が求めている人の傾向、みたいなものはあると思います。
ただ、そのような傾向に合致する人が良い人で、そうでない人は存在価値はない、と言う考え方ならば、
それは違います。

「物」は、或る特定の目的のために、作られました。
つまり、最初に存在価値があって、それに合わせて存在しています。
それに対して、「人」は違います。
「人」は、何かの目的のために作られたのではありません。最初に「存在」があって、人それぞれが自分で存在意義を探します。
だから、特定の存在価値に合わない人は、存在する意義がないとは言えません。
確かに、或る一つの判定軸で測ると、その軸に「合う」「合わない」は出てくると思います。
しかし「人」を測る判定軸は、決して一つではありません。

アシュリンさんのおっしゃる「心の知能指数」は、その判定軸の一つに過ぎません。

2016年6月16日 19時45分

お礼コメント

らしんばん座先生

お返事ありがとうございます。

>>「心の知能指数」は、その判定軸の一つに過ぎません。
これは、私の質問文の書き方がまずかったな、と反省しています。私が言いたかったことは、協調性がなく、かつ忍耐が苦手で、さらに共感能力が低く、自分自信を理解できず、気にくわないことがあったらすぐ怒鳴るような性格(すなわち、EQが低いということ)も、一つの個性として認められるべきかということです。


>>特定の存在価値に合わない人は、存在する意義がないとは言えません。
EQの低い人間も、特定の人にとっては存在価値があると思います。例えば、無条件に愛情を与えることができる親や、他人に無条件に愛情を振りまく能力をもった人、人に親切に接することで自尊心を保っている人などが考えられます。

EQが低い人は、孤独で、病気になりやすく、依存性になってしまうなど、悲惨な末路をたどるそうです。EQが低い人には、引きこもり(ネットの情報で正確ではないかも知れません)や猟奇的殺人犯(ゴールマンの著書より)となる者も多いとのことです。EQの低い人々が必ずしも引きこもりや猟奇的殺人犯になるわけではないと思います。しかし、支援してくれる人がいなくなったとき、人との繋がりが持てず、不健康で、依存性にかかっているEQの低い人は、果たして自分自身にどのような価値を見出せるのか、他人はそのような人にどのような価値を見出すのか…私には想像に及びません。


金子みすゞの詩は日常生活を斬新な視点で捉えているものが多く、心地よいリズムもあいまって、私は基本的に金子みすゞの詩が好きです。ただ、多くの人が一番好きな詩として挙げる、「私と小鳥と鈴と」についてはどうしても受け入れることができず、この詩について専門家のみなさんに意見をうかがった次第です。

2016年6月17日 13時47分

追加コメント

アシュリンさん、ご返事ありがとうございます。

結論から、先に申しあげます。
アシュリンさんのおっしゃる「EQの低い人」であっても、生きなければなりません。
また、何人も、そのような人が生きる事を、妨げてはなりません。
そのような人の、存在価値を見出す事が出来るか出来ないかに、かかわらずです。
それは、すなわちその人が生きる権利、「人権」というものです。

例えその人が、孤独で不健康で、依存症になっていても、「居なくなれば良い」と言う事が出来る人は誰もいません。
その人がいくら不幸に見えても、それはその人の問題であって、他人がとやかく言う事ではありません。

アシュリンさんが、このご相談を書き込まれた意図がわかりかねるので、こう言う言い方しかできません。
例えば、アシュリンさんのお近くに、「EQの低い人」が居て、何か迷惑を受けているのか。
アシュリンさんご自身が、「EQが低い人」だと感じていて、生きて行くことについて不安を持ってしまっているのか。
等と言った相談事をお持ちでしたら、再度この掲示板で、相談をしてみることをお勧めします。


2016年6月17日 19時30分

お礼コメント

らしんばん座先生

お返事ありがとうございます。

>>アシュリンさんのおっしゃる「EQの低い人」であっても、生きなければなりません。
また、何人も、そのような人が生きる事を、妨げてはなりません。
その通りです。EQの低い人にとっては残念なことに、実際には、それは実現していません。資本主義の体制が採られている日本においては、EQの高い人が成功し、幸福度の高い人生を送り、EQの低い人は成功できず、幸せな人生を送ることはできません。

>>その人がいくら不幸に見えても、それはその人の問題であって、他人がとやかく言う事ではありません。
EQの低い人は、所属する集団の足を引っ張ります。一方、人間はみな社会に組み込まれなければ生きていくことができません。先生のおっしゃるように、EQに関係なく人はみな生きていかなくてはなりませんし、生きていけるようにするべきであると思います。EQの低い人が人間らしい生活を送るためには、経済体制を大幅に変えたり競争を禁止したりと、社会のありようを根本から変えなければ難しいと思います。

>>アシュリンさんご自身が、「EQが低い人」だと感じていて、生きて行くことについて不安を持ってしまっているのか。
先生のおっしゃるように、私は能力の劣った人に対して非難するような書き込みをすることから、そう思われても仕方ないと思います。質問の本題からそれるため詳細は控えますが、以前まさにEQが低いと思われる人と同じグループに所属していたことがあります。自分なりに努力はしましたが、その結果、このような一部の方にとっては非常に不愉快な考えを持つに至りました。

2016年6月19日 12時01分

追加コメント

アシュリンさん、ご返事ありがとうございます。

>>以前まさにEQが低いと思われる人と同じグループに所属していたことがあります。
そうだったのですね。それでアシュリンさんご自身が、実害を受けたとか、EQの低い人に対する、或る種の感情を懐くようになってしまったのですね。

ただその感情と言うのも、アシュリンさんが「どう思ったか?」であって、それはアシュリンさんの感情です。
つまり、アシュリンさんの捉え方によって、見え方が変わって来ると思います。
これは、アシュリンさんの問題であって(アシュリンさんが悪いという意味ではありませんよ)、アシュリンさんご自身がコントロールできる物です。

だから、この点を、ここの掲示板に「相談」として上げて見てはいかがでしょうか?
「あいつのせいで・・・」という、言わば被害者意識で見ているだけでは、物事は進展しません。
アシュリンさんが「不快に思った」「イライラした」と思った事の中に、アシュリンさんが気づいていない「何か」が、隠されているかもしれません。

言わばここへきて、ようやく本題にたどり着いたとも言えるわけです。

2016年6月19日 17時09分

お礼コメント

らしんばん座先生

お返事ありがとうございます。

以前にも申しあげたように、私がここでお聞きしたいことは、「EQの低い性質は個性として認められるか」ということです。私自身のことに関しては、このトピックの本題から外れるため詳細は控えさせていただきます。

私の質問から深い考察を持って回答してくださったこと、また、この掲示板の目的には宣伝もあるかと思いますが、先生の場合ボランティアでここまでおつきあいいただいたことに、本当に感謝しています。

2016年6月20日 18時21分

こんにちは。
わたしは失礼ながらこの詩を読んだことがありませんが、心理学の立場からして、これはきれいごととはまったく言えません。
人はもちろんみな得手不得手があります。これを良い面悪い面とも言い換えられるでしょう。良い悪いというのは、それを行っている人の問題ではなく、すべては受け取る側の問題なので、「悪い面が目立ち」というのは、その受け取る側が「悪い面」だけを拾い上げる感覚で生きている人だからなのです。
周りに迷惑をかけるというのも、そのものは悪いことではなく(もちろん内容にもよりますが)受け止める側が迷惑と思わなければ、それは迷惑にはなりませんよね。
本人が苦しむというのは、ダメな自分を責めてしまうような人で、自分が好きで大切にしていて、ダメな自分もちゃんと受け入れている人は苦しみません。
時に、周りの人はそういう人を「自分勝手」だとか「自己中」だとか「天然」だとか、マイナスイメージで見ることがありますが、これも結局受け止める側の問題なのです。

心の話をするときは、社会的成功を目標にはしませんが、(心の知能指数という言葉は初めて聞きますが)心が幸せで人生を楽しみ、やりたいことをやりやりたくないことをやらないとして生きている人は、やはり人間関係に恵まれお金も入ってくると言っていいのかと思います。
これは、その人の心が満たされ幸せであると、他者に優しく接することができます。そのため周りの人も自然と集まってくるわけです。また、社会(仕事)も人のすることで、人との関係が充実すれば、社会で生きることもうまく行くというわけです。

人間社会では、今だけでなく、遠い昔から人は人と協力して生きてきました。それが希薄になってきているのは現在の方だと思います。
そして、あなたの言う心の知能指数が低い人と仕事をしなければならない時、もしあなたがそれを不愉快に思ったり、相手を責める気持ちが生まれたり、相手を蔑む気持ちがあったとしたら、これはあなた自身の課題(問題)であって、相手の問題ではありません。なぜなら、同じ「心の知能指数が低い人」と接しても、悪く思う人もいればそうでない人もいるはずです。そのわけは、結局受け止める側が、気にする人なのか気にしない人なのか、それは言い換えると、心が充実して幸せなひとかそうでない人か、ということだからです。

あなた自身の考え方が変われば、この詩こそが現実だということに気付くでしょう。
そして、「人は変われない」とよく言いますが、性格や考え方は簡単に変えることができます。その際必要なのは、「変わりたいと思う強い勇気」だけです。
たとえば、金子さんの詩を読んで、それをそのまま信じるのです。疑うのではなく。

くわしいやり方など、質問ありましたら直接ご連絡ください。

http://ameblo.jp/shannon4u/
しゃのん

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2016年6月15日 10時34分


お礼コメント

しゃのん先生

ご回答ありがとうございます。

心の知能指数について、ネットの情報を鵜呑みにして適当に書いてしまったところがあります。申し訳ありません。
ゴールマン著「EQ 心の知能指数」によると、情動を知ること、感情の制御、自分の動機付け、他人の感情を認識すること、人間関係の適切な処理が心の知能指数(以下EQ)の基本定義だそうです。EQの高低は社会的成功だけでなく本人の幸福感にも関わるそうです。

EQの低い人間とは、協調性がなく、忍耐が苦手で、共感能力が低く、自分自信を理解できず、気にくわないことがあったらすぐ怒鳴るような人です。ほとんどの人は、共感性はあるけど、我慢強さはないといった具合に、良い面と悪い面がありますが、20~50人に一人くらい、これら全てを満たす人がいるんです。

私は、「自分は、他人を性格の良い人間と悪い人間にカテゴライズする卑しい人間ですが、治りますか」と質問した訳ではなく、「EQが低い性質は個性として認められないのか」と質問したつもりでした。ただ、この掲示板の趣旨は自分の悩みを相談するものであるようなので、その点においては不適切な質問でした。重ねてお詫びします。

2016年6月16日 14時31分

Freedom Counseling School

はじめまして、

コメント拝見しました。

男性カウンセラーです。

「「みんな違ってみんないい」は大嘘でしょうか。」とのご相談ですね、

ご相談者のあなたが何をここで言いたいのかはなんとなく理解できます。

「出来る人」「出来ない人」など~色々なバリエーションに珍だ人間が存在していま

す。「出来る人」だけを集合させても良いと思います。逆に「出来ない人」を集合させ

てもいいわけで、この二つ集合体もまた良いと思います。

なぜならば、集合体の中には色々な性格の要素があり、二つと同じ人間の構成は

ないからです。

心理学の分野でも、あなたが思っている分野の研究は昔からありました。

結論から言いますと・・・「良いグループ」は崩壊します。また「悪いグループ」も

崩壊します。それぞれの良い・悪いを混ぜた人間関係は崩壊しないのです。

この研究結果と金子みすずさんの内容があっているかはわかりませんが・・・

みんな違っていた方が・・・人間関係は崩壊しない!となるからだと思います。

人には優越感や劣等感など裏と表の感情が存在しています。

優越感が強い人は、劣等感も強いのです。

もし、あなたに高い優越感があるならば、低い人のところへ降りて行き、共に共生す

る社会を作るならば「良いグループ」になると思います。

また、競争社会でなんでも弱肉強食的な理論で人間関係を構築するならば・・・

いずれ「関係崩壊」が待っていると思います。

人間の持つ「命」は平等に出来ていると思います。

人が人であるための究極がこの「命」の関係だと思います。

参考まで

FCS
 Masahiko D. Noguchi

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2016年6月15日 10時23分


お礼コメント

Masahiko D. Noguchi先生


冷静な回答をしてくださって、ありがとうございます。

>>結論から言いますと・・・「良いグループ」は崩壊します。
優秀なビジネスパーソンの特徴に、他人に臆せず意見を言う、というものがあるらしいですが、全員が主張しあうと会議はなりたたないですね。組織がうまく成り立つには多様性が必要ということですね。

>>共に共生する社会を作るならば「良いグループ」になると思います
私の想像ですが、社会のつまはじきにされている存在である引きこもりの中には、EQの低い人間が多いような気がします。先生の回答を読んで、EQの低い人たちが社会に適応できないのならば、それはEQの低い人たちに全ての責任があるという訳ではないのかな、と思いました。

2016年6月16日 14時29分