教えて掲示板の質問

「何もかもが分かりません(超長文です)」に関する質問

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nakさん

二十代後半、男性です。
幼い頃から盗癖、虚言癖、爪を噛む癖がありました。

六人家族、四人兄弟の長男として育った私の家庭では父親が特に厳しく、何をするにしてもあれこれ指示をされ、出かける時には必ず報告、口答えは一切許されないような家庭環境の中で育ちました。

幼い頃から厳しい門限があり、遅れれば必ず締め出しをくらいました。野宿をしたこともあれば、真冬に毛布だけ渡され自家用車の中で一夜を過ごしたこともあります。また、当時盗癖のあった私は親の財布から度々お札を抜き取っては、それをゲームソフトの購入代金にあてていました。その度に問い詰められ時には頬をはられ、少ないお小遣いを貯めて買ったゲーム本体もろともソフトごと父に破壊され、それでもなおその癖は中学生ごろまで治りませんでした。兄弟の中で私だけ出来が悪かったのか、私以外の三人はごく稀に叱られることはありましたが、小学校時代は私だけが圧倒的に怒られていました。

中学生時代、いったん盗癖はおさまりましたが、爪は常にぼろぼろ、虚言癖は治らず、しかし小さな嘘ばかり重ねていたためほとんど気にされることもなく、また反抗期も特にありませんでした。
高校生時代、クラスメートから軽く無視されていましたが、進学校で皆勉学が忙しくいじめをする余裕がなかったのか、無視される以外は特に実害はなかったため親へは特に報告しませんでした。また校外には中学時代からの親しい友人が数名いたため、高校時代はその友人とばかり過ごしていました。
もちろん門限はしっかり守り、かつ勉強もきちんとやっていました。しかし成績は下がる一方で、親からは毎日のように小言を言われていました。親の言いつけで無遅刻無欠席に近かった私は内申だけは良かったため、結局大学へは推薦で合格しました。

大学生になった私ですが、そこで初めて携帯電話というものを持たせてもらえました。しかし、当然一人暮らしは禁止。二時間近くかけての実家通い、外泊も禁止、授業は遅ければ七時頃に終わるため時間の余裕はなく、にも関わらず帰宅が遅くなると小言、しかし小遣いは自分で稼げアルバイトはしろと干渉だらけの日々でした(結局授業と移動だけで疲れ果てバイトはしませんでしたが)。
そんな大学生活では当然友人などできるはずもなく、また中学時代の友人は就職組ばかり、特に親しかった友人も事故で亡くなってしまい、大学生活の一年間を私は一人ぼっちで過ごしました。
またこの頃の私は家にも居場所はなく、大学生活で毎日帰りが遅い私を弟妹達もよく思っていなかったようで、母から、「兄のようにはなりたくない」と弟妹達がそう言っていたと度々聞かされていました。

二年生の半ば、このままではいけないと思い私は意を決してあるサークルへ入会しました。サークルでの初の飲み会の日、人生で初めてのカラオケというものに誘われた私はどうしてもその場から帰りたくなく、初めて父親に逆らって外泊をしました。(当時の私は、カラオケ、ボウリング、焼肉、ファミレスその他諸々いっさいの外での娯楽経験がありませんでした)
当然どこにいるんだ早く帰ってこいと父親から何度も電話があり、どうしても帰りたくないと告げた私に受話器の向こうから罵声の嵐。無視していると、
「ふざけるな!」「なに考えてるんだ!」といったメールが数通届き、怖くなった私はそれを無視してしまいました。
一夜明け家に帰ってみると、私の部屋中のものがめちゃくちゃに破壊されていました。それは大学に入る前から少ない小遣いをやりくりしてなんとか揃えた、正真正銘の私だけのものばかりでした。しかしそんなことはどうでよく、何より許せなかったのは、事故で亡くなってしまった親友の形見さえ、父によって粉々に破壊されてしまっていたことでした。
無茶苦茶に泣いた私に対し父は知らなかったと呟き、その後携帯電話にメールで「ごめん。知らなかった」とだけ謝罪の言葉が届きました。

この辺りで、何かが狂ってしまいました。

その後の私は授業へはほとんど行かず、しかしサークルの活動だけはしっかりと出席し、サークル内で役員になり、同じくサークル内で人生初の恋人を作りました。帰ってこい、騙されてる、ろくでもない女だ、別れろという親の言葉を徹底的に無視し続け、彼女と半同棲生活を送り、実家への帰宅はまず三日に一回、それが週一に、週一が月一に、半年になり、四年生も終盤に差し掛かる頃には家に帰ることさえしなくなってしまいました。ただ、ぼろぼろだった爪は、この時綺麗に治っていた気がします。
しかし授業には出ずサボってばかりで、彼女には大丈夫だと根拠のない嘘をつき、結局私は留年してしまいました。

それでも私は実家には頑なに帰りませんでした。留年を繰り返し、結局は卒業できず。同棲するための生活費をアルバイトで稼ぎ出し、学費だけは最後まで親に頼りきり、迷惑をかけるだけかけて高卒のまま私は社会に出ました。同棲中の彼女は大学院へと進み、しかしそれでも駄目な私を見捨てることはしませんでした。虚言癖が治っていない私は、卒業できる、授業には行っている、大丈夫だという嘘をつき続けました。もちろん嘘はばれ、ショックを受け、彼女をかなり泣かせてしまいました。それでも、見捨てないと、あなたには悪い所がいっぱいある、でもいい所もたくさんあるからと、彼女はそう言ってくれました。

その後の私は高卒でも就職できる職を転々とし、なんとか必死に彼女との生活を保っていました。
実家には一切帰らず、お盆、正月であろうと寄り付くことはせず、その頃にはごく稀にしかこなくなった家族からのメールも完全に無視していました。
そんな生活が数年続き、彼女も社会に出て、なんとか職も安定した私に対して、彼女から結婚の話が持ちかけられました。
断る理由はどこにもありませんでしたが、一つだけ問題がありました。それは、彼女の仕事の関係上、結婚の際は私が名字を変える必要があるというもの。
「絶対ではないから、どうしても無理なら大丈夫」
と彼女は言いましたが、驚くほどすんなりと、私には名を捨てる覚悟が出来ていました。自分を救ってくれた彼女の為に生きることこそ自分の幸せなのだとそう直感していました。

実家に帰り結婚の話を口にした時、父は意外にもすんなりとそれを認めてくれました。
しかし、名字のこととなると話は別で、男だから、何かあった時責任がとれないから、ヒモになるつもりかと押し切られ、結局名字に関しては認めてもらえませんでした。その時もっと私が自分の意思を伝えられれば良かったのでしょうが、萎縮し、また負い目もある手前、それはとてもできませんでしたし、最初から諦めていたような気がします。どうせ無駄だと。

その場にいた彼女に対しては、父は、実力があればどんな世界でも大丈夫だから、などと言い含めていました。
もちろんそんな甘い世界に彼女は生きていませんが、それを彼女から言えるわけはありません。父を立てるため、何より私の為、無理に納得しようとしていました。
その日の帰り、彼女は悔しそうで、それでも仕切りに私と父の顔をたてようとして、仕方ないからと帰路で泣いていました。大丈夫だからと相変わらず根拠のない嘘を尽きながら、このままでは私は彼女を幸せにできないとぼんやりと感じたのを覚えています。なぜ父を説得しよう、彼女を守ろうと思わなかったのか。


父には結局逆らえないのか。
このまま結婚しても一生言いなりなのか。
どこまで家に縛られればいいのか。
責任、ヒモという話が出た時、自分がもっとしっかりしていれば、自分に確固たる自信があれば何か言い返せたのか。
すべては水の泡です。

どうしても抗えない何かに、私は全てを投げ出してしまいました。

それまで順調だった職をあっけなく放り出し、借金を作り、大丈夫大丈夫と、すでにばれている嘘を彼女につき続け、そして結局、結婚の話は破断になってしまいました。

すべては自業自得でした。
自殺未遂をし、さらに彼女を泣かせ、私はあんなに嫌だった実家へと戻ることになりました。今から半年ほど前のことです。

実家には戻って数ヶ月は父の仕事の手伝いをして生活しました。何もかも自信がなくなっていた私は、ただひたすらに父の言うことを聞き、「いま無職」だと仕事先の方々に父が語る言葉に傷つきながらもなんとか笑って仕方ないと受け入れ、あれこれ束縛されながらも立ち直るため、同じ失敗は二度としたくないと考え、しばらくは何事もなく生活をしていました。
もちろん賃金はありませんでしたが、どん底まで落ちた自分にとって衣食住があるだけありがたく、父に感謝していました。
外出時はやはり報告義務がありましたが、流石に二十代後半ともなれば、外泊も帰りの日程を告げれば許されていました。


あと少しだけ続きます。


戻ってから約半年、最近になってようやく気持ちが安定し、物事を考える余裕ができ始めたところで、ふと頭の中に色んな記憶がよぎるようになりました。
もともと10歳くらいまでの記憶が私にはほとんどないのですがーーーーそれは小学生よりもずっと前、まだ幼い頃、やはりしつけと称して父から受けた、おそらくは折檻の数々でした(おそらくと書いたのは、それがはっきりとした痛みとして覚えているのではなく、ドラマを見ているような感覚で、私がなにかされているんだなといった、ぼんやりとした感覚しか残っていないからです)

定かではない記憶にも関わらず、何故かそういった仕打ちを受けたんだと私は確信してしまって、その時初めて自分でも驚くほどの憎悪を覚えました。

いけないと思いながらもそれを母に口にしてしまい、口止めを忘れたことでそれが父へと伝わってしまいました。父からは謝罪がありましたが、謝って欲しかったわけでもなかった私は却って反発してしまい、最近では父とは口もきかない日々が続いています。爪噛みも再発しました。

憎悪は膨らむばかりで、しかし父を嫌いたくないという気持ちも強く、幼少時代の恨みと、これまで迷惑をかけながらも見捨てなかったことへの感謝と、またそれとは別に、泣かせてしまった彼女(かろうじて縁はつながっています)への今更ながらの申し訳なさ、激しい後悔、未練がましく愛していること、何より、幸せになれたはずの人生を自らの手で壊してしまったこと、彼女の為ではなく私の為、私自信が幸せに生きることこそ彼女の幸せであったのではないかということ。全てがごちゃまぜになってしまいどうしていいのか分からない状態です。

ただ一つ願望としては、干渉されず自分で生きていけるようになりたいということだけです。その為の気持ちの在り方、整理の仕方、他者との向き合い方をどのようにすればいいのか、もう全く分からないのです。

どうか、何かアドバイスをいただけないでしょうか。切に、よろしくお願いします。

長文、大変失礼致しました。

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2014年11月20日 08時17分

教えて掲示板の回答

こんにちは。ヒプノセラピストの植野と申します。


まず、機能不全家族やアダルトチルドレンという言葉を聞いた事がありますか?
始めて聞いた場合は私のHPやネット検索でチェックしてみて下さい。


あなたの爪噛みや盗癖などは そんな家庭内で受けた傷から『助けて』という心からのサインであることが多いです。


もし、あなたがご家族が機能不全家族であなた自身が『自分がアダルトチルドレンと言われる人に属しているのかも?』と感じたら、盗癖や爪噛みの癖が出るのも納得できますし、改善策はいくらでもあるので、更にネットなどでそのキーワードで色々探してみて下さい。


ここに勇気をもって投稿出来たのですがから、ここでのプロの先生方のアドバイスなどを参考にして、このきっかけやチャンスをしっかり掴んで、あなたの人生を素晴らしい物にしていって下さいね。

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2014年11月22日 12時15分


LEIS治療院宇都宮/塚田心理カウンセリングルーム

お悩み拝見いたしました。抗えない何かがあるのですね。ですが、それを解消する方法はあります。

nakさんの人生で、自分の意志で選び、自分がそうしたいから掴み取った何かは何だったのか、お考え下さい。

そういった何かが過去の辛い記憶や感情を打ち消すのだと思います。

人は自分の人生を自分の意志で選択し生きて行く権利を持っています。誰かに選ばされた何かや、~しなければならないと感じながら生きるのではなく、自分が~したいと思う感情に従い生きていいのです。それには自己責任という物が伴います。それを受け入れる事が出来れば、抗えない何かは消える事でしょう。

過去の辛い記憶やネカティブな感情が頭の中を支配しているなら、それに対抗するには未来の記憶を創り出す事で、辛い記憶、感情を中和させる事ができます。

もしよろしければお手伝いいたします。ご一報下さい。

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2014年11月22日 11時21分


nakさん、はじめまして。カウンセリングルーム HILL ISLAND 岡島です。
父親の干渉、そして厳しいしつけ・暴力・・・今までずっと厳しい環境で耐えてこられたんですね・・・。
これだけ酷い扱いを受けてこられたので、父親に対しものすごく憎悪の気持ちも出てきますよね。それでも「今まで自分を見捨てなかった父親に対して感謝の気持ち」があるのですね・・・・・。

nakさんの今のお気持ちをカウンセリングルームでお話されてはいかがでしょうか。親身に話を聴いてもらうことで、時間はかかるかもしれませんが少しずつ気持ちが整理されていくのではと思います。
じっくり話を聴いてくれるカウンセラーを見つけてください。

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2014年11月22日 06時31分


カウンセリングルーム Flow 電話カウンセリング

はじめましてカウンセリングルームFlowの馬場と申します
あなたのお悩みを拝見し書かせていただきます

とても厳格な 悪く言えばあなたを束縛し 支配し 操作され過ごしてこられたのだと思います
とても苦しかったですね 我慢しましたね がんばってきましたね

だからこそ 他人に対し嘘をつくのではないでしょうか
大丈夫であると 問題ないのだと
心配はないのだと

そのように感じたのですが あなたは何を思い 相手にどう思ってほしいと願い 嘘をついていたのでしょうか
それを一度考えてみてください

そして嘘をつくことで何を失ったのでしょうか

これは憶測になりますが
あなたに嘘をつかれた人たちは あなたの状況を知り あなたの気持ちを知り
あなたの助けたかった人もいたでしょう
あなたの非を責めるつもりであった人もいたでしょう

ただどちらも あなたを知ろうとしたという点では同じなのではないでしょうか

そしてお父様との関係ですが
あなたは怒りも感じつつも 自分を見捨てなかったことに感謝し その矛盾するような気持ちの中で悩まれているように感じますがいかがでしょうか

これについて言えば 相手のとった言動 これらそれぞれに対しての怒りや感謝であることはお分かりになると思います
そしてそれが お父様の言動であったこと そうであれば お父様に対して そのような感情をもっていると感じておられるのではないかと思います
ですが 感情は一つではありません そして 人には良い部分 悪い部分があります
それは自分にとって 良く見える部分 悪く見える部分ともいえます
ですから それらすべてがお父様の一面に関する感情であり
矛盾することを否定する必要なはないのではないでしょうか
好きな部分もあれば嫌いな部分もあるのです

そして
口止めを忘れたことでそれが父へと伝わってしまいました。父からは謝罪がありましたが、謝って欲しかったわけでもなかった私は却って反発してしまい
ということですが

どのような反発をしたのでしょうか
そしてお父様に謝るのではなく どうしてほしかったのでしょう
何を望んでいたのでしょうか
それを伝えてみてはいかがでしょうか

そうすることで 少しずつあなたが本当に感じていたこと
思っていたことを伝えるのもよいのではないですか?
そしてまた 何を思いお父様はあなたに厳しくしていたのでしょう
それを知っていくことで あなたの考えが整理されていくのではないでしょうか
知らないこと または 知らせていないこと それらが非常に多いのではないかと思うのです

そして最後にあなたは干渉されずに生きて行きたいといいます
それは言い換えれば自立し生きて行きたいということなのではないでしょうか
そうであれば そのこともしっかりと伝える必要があると思います

ですのでまずは いままでのことを 相手や自分が良い悪いという話ではなく
お互いに知り 理解していく必要があるのではないでしょうか

書かれていることからだけでの判断ですので正しいとはいいません
こうしなければならないというのでもありません
参考として読んでいただければと思います

またご質問や ご相談があるようであれば どうぞご連絡ください
あなたのお悩みを解消し よりよい人生を送るためのお手伝いが出来ればと思います
上記当ルームの名称をクリックいただきますと HPやお問い合わせ先の記載されたページがひらかれますので そちらからご連絡ください

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2014年11月20日 22時27分


心理カウンセリング らしんばん座

nakさん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。

どうしたら良いのか、分からないのですね。それは、すべてをごちゃ混ぜにしてしまっているからです。
起きてしまった事は、もう済んでしまった事です。過去は、やり直す事は出来ません。
過去にとらわれて自分を責めてしまうよりは、今出来る事をやるしかないと思います。

誰にも干渉されずに生きていくためには、まず自立する事が先決です。
他者との向き合い方をどうするかと考える前に、まず自分と向き合う事を考えてみて下さい。
他人が何と言おうとも、nakさんの人生は、nakさんしか生きる事が出来ないのですから。
これだけは、確実な事です。

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2014年11月20日 21時26分


ラムピリカと申します。よろしくお願いいたします。

今まで頑張りましたね。
でも、これからは貴方の為の人生を考えて、貴方が一番幸せになれる方法を選んで貴方の人生を作って行って欲しいと思います。
お父様は、心の病気だったのでしょう。何が大事なのか分かっていなかったのでしょう。
貴方はお父様の為に生まれた訳でももちろんお母様の為に生まれた訳でもないのです。
妹さんも弟さんも貴方を正しく見ていないのです。いつか本当の貴方の事を慕ってくれますので今は気にしないで大丈夫です。
貴方は今までの事でこれ以上迷惑をかけられないなどと思わないで、親御さんだからこそできることをしてもらいましょう。
貴方の人生を取り戻しましょう。

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2014年11月20日 21時05分


旭カウンセリングルーム

過去にとらわれ、今の自分を責めても何の解決になりません。

不思議なのは「進学校」によく入学出来ましたね。小さな頃から家族に対して「恨みの心」を持っていて、「学習」に打ち込めるのが私にはわかりません。

私の経験を言いますと「5人兄妹の3男」で、家は「代々左官業」でしたから、私もその仕事をするものだと勝手に決めつけて「中学の成績は学年でブービー賞でした。」兄から「本当は賢いのやろ、ビリは取れても、ブービー賞は取れへんで」と言われました。流石に高校は全てダメ。その時に、50歳で病死した本当の母親が、裏口入学で引き受けてもらえる私立に入りました。

「校長室で、中学の担任、母親、私、高校の校長」で、今にしたら100万円位積みました。但し、何科になるかは選べませんでした。結局「普通科」に入れられました。とんでもない事です。就職口の出ない学校の「普通科」です。

しかし、母親は、私を入学させてから突然病死しました。家業にはつかせたくなかったのでしょう。1人位は高校に入れたかったのでしょう。

それを考えると、裏切るのが罪だと考え、3年間一日の睡眠時間が2時間で受験勉強をしました。小学校三年生の問題集を買って来て「分数」「基礎国語」「英単語」など全てやりました。「救急車に2回乗りました。栄養失調と過労です。」(笑) 

そして、3年生の時には「全国模擬試験で10位以内を確保しました。」家族からは馬鹿にされ、中学までは暴力事件ばかり起こして、教師を殴り、極道に憧れていた人間が、「特待生で東京の教員養成の大学に入学しました。」55倍の競争率でした。

そして教師になって退職してからカウンセリングの学校に行きました。人生はどうなるか決められるものではありません。「極道教師」のあだ名でした。

結論は、「自分は自分。他人は他人」と割り切って目標を立てたら死を覚悟で努力して下さい。(長すぎて回答になりませんね。)ごめん。

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2014年11月20日 20時13分