教えて掲示板の質問

「実の母、実家との付き合い方について」に関する質問

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タマキさん

実母との関係に悩んでいます。このような実母と今後どのように接して行けばよいのでしょうか。

30歳、結婚2年目、0歳の娘の育児で会社を休職中の女です。

母は、私が16の時に離婚し、17の時に再婚、継父が実家におります。
母は、お嬢様育ちで、大学の学費や就職先、縁談まで実家に世話してもらった人です。
実の父親は、もう他界していますが、優しいけれども、男性としての主導力や、父性としての厳しさに欠ける人でした。その点に母の不満があったことや、その他私の知らない多くの理由もあって、離婚に至りました。
このような背景もあり、母は、厳しい父親の存在する、きちんとした家庭で私たちを育てたいという思いがあったようです。

再婚した継父は、厳しい人でしたが、厳格と言うよりは、単にとても感情的な人です。暴力さえ振るわないものの、暴言、ものを投げる、暴れるといったことはしょっちゅうでした。

継父との再婚時、私は受験生でした。
母は再婚にあたり、「貴方達(私の下に妹が一人います)もこれからまだ大学などに行かなきゃいけないし」と、学費に関して経済的な援助も受けられるようなことを言いました。私もうかつでしたが、その言葉を信じ、高校時代は勉強に打ち込み、無事に大学に入学しました。
ちょうど私の大学入学の頃、継父は、勤め先の会社が傾き、人間関係のトラブルもあって、依願退職と言う形で首を切られました。

ある日厳しい口調で継父に呼ばれ、入学金の支払いにあたり、借用書を書かされました。
私自身も状況は薄々感付いていて、金銭的な負担について若干の覚悟はあったものの、実母からも何の説明もなかったため、学費については頼れるのかとまだ淡い期待があった矢先でした。

借用書の書き方も何もわからない私に、「書け!」「判子を押せ!」とまくし立てる継父。
この時、母からきちんとした説明や、私を守る言葉がなかったことに、いまだに無責任だなあと感じています。
「再婚で学費を出してあげられると思ったのに、ごめんね」「事情が事情だから、許してね」こっそりとでも、このような言葉があれば、私も頑張るよ、と素直に思えたと思います。

また、借用書という手段についても、母と継父、事前に夫婦できちんと話し合って決めたならまだしも、私の学費やお金のことに関しての二人の言い争いが発端となり、いきなり私に飛び火し、きちんとした紙でも何でもなく、そこらへんのメモ帳に、いきなり書け!と書かされたたいうのが顛末です。お金はすでに返しましたが、借用書だって感情に任せて書かせたもの、保管はされていないと思います。
まくし立てる継父、言われるがまま借用書を書く私の横で、何も言わない母に、ハシゴを外されたような気持ちだったのを覚えています。
母は、家の長である継父には、口答えをするべきではないという価値観の人なのです。その価値観は、使いようによっては武器になるのに、この時のように、不適切に使ってしまうので、私はひどく傷つけられました。
「私の娘だから、責任を持って返させる、だからいきなり借用書を書かせるなんて、少し待って」と継父に言ってくれるなり、あるいは、事前に私に対し、「学費に関しては、家の援助はできなくなった。申し訳ない。親子とはいえ、お金のことだから、しっかり借用書を書いてもらうね。」と、誠意のある説明があれば、すんなり納得できたのにと思うのです。

当時、まだ私も未成年で、言われた通りにするしかありませんでした。お金はその後早めに返し、学費に関しては、奨学金とアルバイトをしながら大学に通うことで落ち着きました。(奨学金は、その後、働いたお金ですでに全額返済しました。)

家計が傾いたことは仕方ないことです。奨学金で通うことにもそれ自体には納得していました。ただ、母から私へ満足に説明がなかったことに、もう随分前のことにもかかわらず、許せないという気持ちを長年感じています。

私は学生生活を維持するために、奨学金をもらいながら、多くのアルバイトをするようになりました。朝は6時〜9時で近くのコンビニ、それから片道2時間を掛けて大学へ行き、授業を受け、夕方は塾講師や家庭教師。土日はほぼフルタイムの仕事。この中で、一応サークル活動にも取り組んでいました。正直、本当にせわしない学生生活でした。他の大学生を羨ましく思いながら、私の気持ちは誰にもわからないという思いを強くして行きました。皆が大学の友達や、旧友と買い物や食事、会話を楽しんでいる中、私はそうはできなかった。実際、長く連絡を取らなかっただけで疎遠になった友達もとても多くいました。

継父は、職を失って以来、年齢的なこともあり再就職先が見つからず、株取引をしながら毎日家にいるようになりました。一方、母は毎日仕事で家におりません。
私は、アルバイトをしているとは言え、授業のスケジュールによっては昼間に家にいることがあり、家で継父と二人でいることを気まずく感じていました。家にいるのが嫌で、意味もなく近所の喫茶店などに避難していたこともありました。

この状況でもなお、"娘をきちんとした家庭で育てたい"欲求がある母は、「門限は22時半」「女の子は結婚するまでは家にいるもの(一人暮らしは許さない)」を押し付けてきたのです。

通学に時間も掛かるため、何度も一人暮らしをさせてくれと懇願しました。また、もっと稼ぐためには、22時以降もアルバイトをしたいと訴えました。

いくら訴えても、「きちんとしたお家の女の子は、そんな遅くに家に帰るようなことはしないの」「学生で一人暮らしをしている子は、やっぱりちょっとだらしがないところがあるわよ」などというのが母の口癖でした。

母自身がお嬢様育ちの価値観の中で育ってきたのはわかりますが、私の今の状況にその価値観の押し付けはきつすぎる、と常々感じていました。
あまりのストレスに血尿が出たこともありました。


学生時代は望もうとも行動に移せる金銭的余裕がなく無理でしたが、大学を無事に卒業し、就職してお金が出来次第、家を出ました。
母には反対されながらも、私自身我慢の限界であり、強行突破でした。

マンションの契約、引越しの手続きを終えた時には、スッキリしたのを覚えています。

当時、実家で私が元々使っていた部屋に、誰も長く開けていない箱が多く入った押入れがありました。それらは、子どもの時のお絵かきやノートなど、私の荷物のような、半分母の荷物のような、いわゆる「思い出箱」で、私の部屋の押入れに収納されていると言っても、私以外の荷物も多く含まれているものでした。
普段必要なものや大事なものは家を出る際に持って出たので、あとは分別をして捨てるかどうか決めるくらいのものだったのですが、ドタバタと家を出たこともあり、また、家を出たとはいえ一人暮らし世帯で、収納スペースも限られており、結婚したわけではなかったので、そこまですべての荷物を整理して引き上げる必要はないと思っていました。が、継父にはこれが迷惑だったようで、荷物を整理しろと何度か母を通じて言われるようになりました。継父は、元々私が使っていた部屋を自由に使いたいだけなのです。

私自身、休日にまた父と二人きりになる実家に荷物を整理しに行くのも億劫で、足が遠のいていました。
また、私以外の荷物も含まれているのに、私が整理せず家を出て行ったと継父が言うのに母も同意して私一人のせいにされているのも納得できませんでした。
私自身は、いずれ皆が揃った時にでも整理しよう、と考えていました。
あるお正月の帰省の時、ようやく荷物を整理しようとした矢先、何を思ったか継父が、叫びながら、押入れのダンボールを投げつけ、中身をすべてぶちまけ始めたのです。
ある程度、ノートはノート、という風に分別しやすくなっていた荷物は、ぐちゃぐちゃになってしまい、数時間かけて整理をしました。

この時、母は、「整理して行かなかったあなたが悪いのよ」と言いました。

ろくに整理することもできないくらい、切羽詰まって、半分夜逃げのような状態で家を出たのに?中にあった荷物は私だけのものではなかったのに?何もダンボールを投げつけてぶちまけるなんて、正気の沙汰ではないのでは…なのに、私が悪いなんて、この仕打ち…と思ってしまい、母に対する許せない気持ちが膨らみました。

いくつかのエピソードを書きましたが、他にも、日々、継父の振る舞いの所為で家庭内の空気に歪みが生まれ、またそれに際しての母の言動のせいで私がガッカリするということが数え切れないほどありました。

私の気持ちはもうすっかり、実家から冷め切ってしまっています。落ち着く場所とは到底思えない場所です。いつ継父が噴火するかわからない、母親も味方してくれない、恐ろしい場所、孤独な場所という認識です。

それでも、私は、これまでずっと継父のことをお父さんと呼び、やや心理的距離があるとはいえ実家へもたまには顔を出していました。それは、良い家庭で娘を育てようとしてくれた母に申し訳ないという気持ちがあったためです。ですが、それと同時に、継父がいるのは母のせい、継父が暴走するのを止められないのは母の責任、母には継父の言いなりではなく継父と娘の間を仲裁するよう振る舞ってほしかった、母の時代錯誤の価値観のせいで貴重な大学時代に居心地の悪い場所に縛り付けられた…などの恨みの気持ちがありました。

母に対する感謝と恨みのバランスは、私が結婚して嫁ぎ、子供が生まれて、恨みの方がより強くなってきています。

0歳の娘は母にとっては初孫、おそらくかわいいのでしょう。でも、私自身は娘を母に抱かせるのも心地悪く感じます。厳しいですが、あなたにはこの子を可愛がる資格はないというのが、本音です。

継父のいる家に里帰り出産はしたくないという私の意向で(犬がいるから、母が仕事をしているから、など、表向きの理由は違うものにしましたが)、里帰りをせず出産しました。
そのため、産後は母が手伝いに私の家に来たのですが、ストレスで気が狂うかと思いました。
昔の育児観の押し付け、私の夫への態度、思ったよりも家事をしてくれない、私は授乳のため飲めないし夫すら家では飲まないのに、なぜか毎晩ビールを飲んでいる…など、気に入らないことの嵐でした。
さらには、ある晩母が電話で継父と話していた時、母が、継父へ一言言ってもらえる?と、私の夫に無理やり電話を代わらせたのです。
夫は、継父へ「お義母さんに手伝いに来ていただいてすみません、ありがとうございます」と、丁重に挨拶してくれました。私たちは、母が帰ってから、きちんとお礼はしようと思っていました。お礼は、善意のものであり、無理やり電話を代わらせて、言わせるようなものではないのではないというのが私の考えです。母の図々しさに、また更に冷めてしまいました。
産後の手伝いも、当初は1ヶ月程度?と話していましたが、私自身が限界で、一週間で帰ってもらいました。

先日、お宮参りのため、母が私たちのところへやって来ました。義実家も一緒でしたので、この日の母は比較的おとなしく、私も楽しい一日を過ごしました。

道中、年末年始の帰省の話になり、実家にどうしても長く帰りたくない私は、「おばあちゃん(私の母方の祖母)達へ赤ちゃんを見せに行きたいし、おばあちゃん家へ日帰りしようかな」と言いました。母としてはそれが引っかかっていたようで、別れ際に、私の夫だけに対して、「年末年始、あの子だけでも少し長めに里帰りさせてほしいわ〜」と言ったようなのです。
私の実家に対する感情を知っている夫は、母から言われたこの言葉に、複雑な思いというか、プレッシャーのようなものを感じたようです。
私に対して「もっと長く帰って来なさいよ」と言えばいいのに、あえて夫に言う母の卑劣さにも残念な気持ちになりました。
私はそのことを母に問い詰めました。「日帰りするなどと言うから言ったまで。いけなかったかしら?」「旦那さんにお伺いを立てておかないと悪いでしょ」と言います。私と夫は、仕事に関しても学歴に関しても、ほぼ対等です。嫁の実家からお伺いを立てなくとも、私たち二人の間で納得できる話なのです。なのに母が余計なことを言ったことで、元々私自身が無理をしている関係の上に、さらに気持ちの良い関係が築きづらくなってしまいました。

長々と説明しましたが、継父とうまくいかないことをわかっていながら、母の顔を立てる・感謝・恩返し、の気持ちがあって、表向きうまくやって来たものの、結婚して子供も生まれ、立ち行かなくなったんだなあと個人的には分析しています。

母は理解していないと思いますが、母に対する恨みの気持ちは強く、今後もできる限り距離を置いて付き合いたいと考えています。母には、実家には極力長居はしないつもりと伝えました。おそらく、恩知らず、と思われていると思います。

実家と、母と、これからどのように付き合って行けば良いでしょうか。

また、継父には、再婚前の実子もいますが、私と養子縁組をしています。この先、扶養義務が発生するのは避けたいと考えています。できれば養子縁組を解消したいと考えていますが、どのように相談して行けば良いと思われますか。

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2014年10月7日 04時36分

教えて掲示板の回答

澤田和彦カウンセリングルーム 丸和サワダ株式会社


 初めまして、心理支援士 心理カウンセラーの澤田です。

 文章だけの解釈になりますので、誤解や解釈に誤りがありましたら
申し訳ありません。

 タマキさん、ご結婚されお子様を授かり新たな人生を歩んで行かれる中で
実の母との関係に大きくお悩みになられてみえる事だと拝見させて頂きました。

 タマキさんが16歳の時のご両親の離婚に、準備万端だったかの如く17歳で
母が再婚され継父との生活の中で・・・思春期で非常に多感な時期で
タマキさんご自身も耐えがたくお辛い環境だった事だと感じます。

 タマキさんに取っての母の存在は【毒親】と呼ばれている典型と表現する事が
適切なのかと感じております。母の育った環境が影響している事も間違いのない
事実だとも考えられますが
> 母自身がお嬢様育ちの価値観の中で育ってきたのはわかりますが、

 母自身の価値観の押し付けと同時に、母ご自身の存在価値を母自身も理解を
されてみえるのかを疑問に感じるところもございます。

 タマキさんの母に対して、厳しい表現がある事をお許し頂きたい思いですが
母の価値観は 継父の顔色を窺いながらの言動や世間知らずが物語ってみえる
要素が非常に高く存在している事が考えられます。

> ある日厳しい口調で継父に呼ばれ、入学金の支払いにあたり、借用書を
> 書かされました。

> 借用書の書き方も何もわからない私に、「書け!」「判子を押せ!」とまくし
> 立てる継父。この時、母からきちんとした説明や、私を守る言葉がなかった
> ことに、いまだに無責任だなあと感じています。

 飽くまでも一般常識的な考えを前提にお話をさせて頂きます。
未成年で母の存在があり、いくら継父とは言え 大学の入学金に借用書を用いる
ことは通常では考えられません。

 悪く考えれば、継父と実母が離婚をされた時の心配をしていたとしか
考えらえる節が見当たらないというのが本音です。

 継父の経済的事情が在っても、実母が借用書にサインをするのであれば
百歩譲って理解は出来ますが・・・実母が、支払い能力の有無を確認できない
未成年であるタマキさんにサインを求める事は常識的には考えられない次元に
なります。

 私は心理カウンセラーですので、弁護士では無い為・・・奥深いお話までは
わかりかねますが、ご自身の意思なく未成年で無理やりサインをさせられた
借用書は法的に無効になる場合がございます。

 この様な基礎知識があれば、我が娘にどうして嫌な思いをさせてまで
無理やり借用書にサインをさせた母の気持ちはどうかしてみえたのではないかと
しか考える手段がございません。

 この辺りが母の世間知らず、常識知らず・・・と云った姿が垣間見えます。

 しかしながら、タマキさんは人の何十倍ものアルバイト生活に奨学金制度に
より学費を完済され・・・ストレスなどから血尿された事実もお在りになった事を
考えますとタマキさんの精一杯の良識の高い一生懸命さには全く持って頭が
下がる思いです。

> この中で、一応サークル活動にも取り組んでいました。正直、本当にせわしない
> 学生生活でした。他の大学生を羨ましく思いながら、私の気持ちは誰にも
> わからないという思いを強くして行きました。皆が大学の友達や、旧友と買い物
> や食事、会話を楽しんでいる中、私はそうはできなかった。実際、長く連絡を
> 取らなかっただけで疎遠になった友達もとても多くいました。

 楽しいはずの大学生活も、楽しい処は吸い取られてしまう様に苦労の連続だった
ことだと感じております。継父の居る、自宅では心休まる時もなく・・・継父の顔色を
窺う母とは真逆に、良識を高く持ち真っ当な人生を送ってみえるタマキさんだと
感じます。

 毒親からの解放を望まれ、自力で家を出られた事はタマキさんの生命力の証で
ある事やスッキリとした気持ちになれて安堵感をも感じます。

 その後の、実家の押入れの荷物に関する継父の行動は人としての行動でない
ことは言うまでもございませんが・・・継父・実母共に大人になり切れない現実に
大きく悩まされた毒親だと痛烈に感じております。しかしながら・・・

 その成果が実を結ばれた事だと感じます、ご結婚にお子さんの誕生は新たな
人生の門出として素晴らしく嬉しいご家族の誕生だと感じております。

 そんな掴んだ幸せにも毒親の背景が忍び寄るかの思いなんですね。

> ですが、それと同時に、継父がいるのは母のせい、継父が暴走するのを
> 止められないのは母の責任、母には継父の言いなりではなく継父と娘の間を
> 仲裁するよう振る舞ってほしかった、母の時代錯誤の価値観のせいで貴重な
> 大学時代に居心地の悪い場所に縛り付けられた…などの恨みの気持ちが
> ありました。

> 母に対する感謝と恨みのバランスは、私が結婚して嫁ぎ、子供が生まれて、
> 恨みの方がより強くなってきています。

> 0歳の娘は母にとっては初孫、おそらくかわいいのでしょう。でも、私自身は
> 娘を母に抱かせるのも心地悪く感じます。厳しいですが、あなたにはこの子を
> 可愛がる資格はないというのが、本音です。

 タマキさんに限らず、この様に思われる事は非常に自然な気持ちだと考えられ
ます。ここでも無理をされてまで、母の機嫌を窺う必要はないと考える事は
全く持って人の深層心理の中では当然のお気持ちです。

> 継父のいる家に里帰り出産はしたくないという私の意向で(犬がいるから、
> 母が仕事をしているから、など、表向きの理由は違うものにしましたが)、
> 里帰りをせず出産しました。

> 道中、年末年始の帰省の話になり、実家にどうしても長く帰りたくない私は、
> 「おばあちゃん(私の母方の祖母)達へ赤ちゃんを見せに行きたいし、おばあ
> ちゃん家へ日帰りしようかな」と言いました。母としてはそれが引っかかっていた
> ようで、別れ際に、私の夫だけに対して、「年末年始、あの子だけでも少し
> 長めに里帰りさせてほしいわ〜」と言ったようなのです。

> 私の実家に対する感情を知っている夫は、母から言われたこの言葉に、
> 複雑な思いというか、プレッシャーのようなものを感じたようです。

 タマキさんの母は、申し訳ございませんが毒親の象徴とも呼ばれます
自己中心的で娘であるタマキさんの立場になって物事を考える事が出来ません。

 常識観に乏しく、今後タマキさんと上手く交わっていく事はタマキさんをタマキさん
のご家庭をもマイナスへと引き込んでしまう恐れを感じます。

 タマキさんの個人的な分析や、今まで培った強い精神力、築いておられる夫に
お子さんも含めまして・・・今後年齢を重ねられ、蟠(わだかま)りが薄れるまでは
新たなご家庭を最優先にお考え頂く事が、タマキさんの人生に取っての最善策
だとお伝えさせて頂きます。

 最後に
> また、継父には、再婚前の実子もいますが、私と養子縁組をしています。
> この先、扶養義務が発生するのは避けたいと考えています。
> できれば養子縁組を解消したいと考えていますが、どのように相談して
> 行けば良いと思われますか。
こちらのご相談についてですが、養子縁組ですか?

 母と継父が結婚された事で、兄弟姉妹という関係ではなく・・・という事で
しょうか?養子縁組をしている関係を上手く飲み込めていない事で回答に
なるのか定かではございませんが、タマキさんの子供としての養子縁組でしょうか
? 結構、複雑なお話ですか?

 戸籍上、兄弟姉妹の関係であればもちろん扶養義務の発生する事は
ございませんが・・・万が一ですが、タマキさんの子供として養子縁組をされて
みえるのであれば最寄の役所の相談窓口に、直接ご相談して頂く事が
最も近道になります。

 ご存知の通り、母に直接相談は解決に至らない事が考えられますので
公的機関という第三者に委ねて頂く事が法的にも間違いがなく事を運んで
頂ける事だと考えられます。

 どうか、タマキさんが母や継父に関係を閉ざして頂いてでも新たなご家庭を
お築きになる事で今まで苦労された事を吹き飛ばして頂けます事を心から
願っております。

 ご不明な点がございましたら、ご遠慮なくご質問下さい。宜しくお願い致します。

 心理支援士(有資格者) 心理カウンセラー
 取締役 澤田和彦のカウンセリングルーム
 丸和サワダ 株式会社
 

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2014年10月8日 11時29分


すずめの木相談室

相談者さんのご相談にお答えさせて頂きますね。
養子縁組については弁護士に相談をお勧め致します。
メールで相談できる信頼できる先も知っていますのでよろしければお問い合わせ下さい。
女性にとても思いやりのある弁護士相談事務所です。

さてお母さんと義父と貴方の関係ですが、お母さんがお嬢様そだちということですが、もうよい大人でしょう。
心理学には世代間境界と言う考え方があります。
世代の境界が崩れていると親世代が子ども世代に干渉しすぎると言うことが起きてきます。
お母さんにはもう義父と言う夫がいるので実家から距離を置かれる事をお勧めします。
こちらの相談室でも長らく母娘で確執があったと言う方も,カウンセリングを通して1回の面接で確執の苦しさから解放されたと言う例があります。
よろしければご相談下さい。
相談者さんは良く頑張ってこられたと思います。
良き理解者であるご主人も居られるので,これからは無理をせず,あたらしい家庭を大事にされていかれれば良いと思います。
ご苦労の多い,多感な時代に自立心を持って頑張ってこられた事は貴方の宝物です。
どうぞこれからはご自分を大事にして下さい。

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2014年10月8日 08時39分


ガールズトークジョイ

女性専用カウンセリングサービスのガールズトークジョイです。

ご家族との関係で悩まれているようですね。
無理して良好な関係を築こうとしなくていいと思います。
親子も結局は人と人。あなたが合わないとご自身で思うなら、距離を置いてみるのもいいのではないでしょうか。

でも、まず必要なことはコミュニケーションだと思います。
お父様・お母様にあなたがどんなことをされて、その時どう感じたかを全て、そして相手の考えもすべて聞いてみるのがいいと思います。

大学のお金をすべて返済されたのはすごいですね。すごく尊敬します。
借用書まで書かされてとても嫌な思いをしましたね。
でも、そのお金のない状況で「お金がないから大学なんてやめて働け!」とあなたに言わなかったご両親に感謝の気持ちを忘れてはいけませんよ。

再婚したら経済的に余裕ができると予想していたお母様の考えは間違っていて、そのせいであなたが支払う義務を負ったときのフォローがなかったことに憤りを感じているようですが、確かに少しフォローがあってもよかったですよね。
でも家族だからと少しの甘えは誰にでもあることです。謝罪や感謝の気持ちをもつことを怠ってしまうことも時にはあります。
たまたま怠ってしまったことが、あなたにとっては大きなトラウマとなってしまったのかもしれませんね。
そのことについてもお話しされてみてはいかがでしょうか。

「母は理解していないと思いますが、母に対する恨みの気持ちは強く、今後もできる限り距離を置いて付き合いたいと考えています。母には、実家には極力長居はしないつもりと伝えました。おそらく、恩知らず、と思われていると思います。」
と言っていましたが、あなたがそう思うなら、距離を置くのもいいと思います。
ただ、お母様に少しでも理解してもらえるまで、あなたがお母様を少しでも理解できるまでとことん話し合ってみるべきだと思います。
それでもダメなら、無理して付き合うことないと思います。あなたの人生ですよ。あなたが主役です。
楽しく幸せな毎日を早く送れるよう祈っています(^^)

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2014年10月8日 00時14分


高井拡生カウンセリングルーム

はじめまして、たまきさん。

ご苦労なさっていますね。御察しいたします。

たまきさんのお気持ちの中には、実のご両親が離婚し、
お母様がお義父様と再婚された後 、

「もっと大切にしてほしかった。」のに、そうしてもらえなかった。
「もっと味方してほしかった・・・ 」のに、そうしてもらえなかった。
「ちゃんと言葉で納得させてほしかった・・・ 」のに、そうしてもらえなかった。
「許せない・・・。」

という想いをずっとかかえていらっしゃるのですね。
無理もないことだと思います。

そしてご結婚・出産を経た現在の状況をお聴きしても、感謝より、恨みの感情の方が強くなっているのもよくわかります。

今後どのようにつきあっていけばいいか、考えてしまいますよね。
よろしければ私と一緒に考えてみてください。

お義父様のことなどもありますが、ここでは整理してお母様のことに絞ってお話します。

まず、たまきさんのお気持ちの中にある「お母様への感謝の気持ち」「お母様に対するポジティブな記憶や感情」があればいくつでもそれをお伝えください。

お話の最中、お母様の仕打ちと、育ちについてのお気持ちが述べられていましたが、一方的に恨んでいらっしゃるようには 思えませんでした。

お母様に対する様々な気持ちを見つめてみましょう。
中には、普段は隠れている気持ちもあるかもしれません。

これらを踏まえて、今後どうするのが良いか考えていきましょう。

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2014年10月8日 00時10分


夢分析の心理カウンセラーyanagi

こんにちはタマキさん。

ご自身がしっかりした社会常識をお持ちの方のようですし、ご主人や義父母さんたちがいい方たちなのでなんとかなっているようですね。

確かに、イイところ育ちの方には、お母上のような方もいますよね。またお父上もつきあいやすい人ではなさそうです。そんな状況でタマキさんはできる限りの気遣いをみせていることがうかがわれますね。大変だったと思います。


さて、いまの状況について拝見したところ、親離れ・子離れの問題もあるようですが、これについては徐々に時間をかけて解決していかなければならないことだと思われます。

ただ、ご高齢でしょうから、相手は大きく変わることはあまり期待できないかもしれません。

そんな中で優先すべきことは、問題となっているご実家の方との関係改善よりも、いかにしてタマキさんのご家庭を維持し、そしてうまくいっているご主人や義父母さんとのいい関係も維持するか、ということだと思います。

あまり使いたくはない言葉ですが、優先すべきもののためには、あるものを『切る』ことが必要な場合もあります。

われわれ人間は神様ではないので、全てのことをうまく回してしくことができないこともままあります。

そういった厳しい選択もしなければならないような状況であるにように感じます。

そのため、優先事項は何か、優先順位は何か、といったことをいま見定める必要があります。

また、養子縁組の解除といった法律的手段のことも考慮しなければならない状況のようですから、ここでまとめきれるような簡単な問題ではないようです。

全体を俯瞰して、その中で最善の道を探っていくためのお手伝いならこちらでもできます。

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2014年10月7日 18時49分