教えて掲示板の質問

「真に受けて突き詰めて考えすぎてしまいます。」に関する質問

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はなさん

25歳になる女です。自分の性格にとても悩んでいます。
それは、物事を難しく突き詰めて考えすぎてしまうことです。
なんでも真に受けてしまいます。スルーができません。

仕事でもプライベートでも、問題点が見つかったら、絶対に必ず潰さないといけない!と思ってしまいます。
そして、問題点や「できていない自分」に対して、論文のような過剰な分析をしてしまいます。
何に対しても、理由付けや理論武装をしないと気が済みません。
その分析過程や結果を身近な人に話してしまうので、とても重たい人間だと思われています。

問題点が見つかっても「ふーん、ぼちぼち直していこうか」くらいに考えられたら良いのですが…
軽く捉えようとすると、こんなんじゃ一生直せない!と不安になります。

また、難しく考えることで「問題にきちんと向き合って一生懸命苦しんでいる、なんてかっこいい自分!」みたいな自己陶酔に無意識に浸っている気がします。
なので、頭の中は常に、自分を主役にしたドキュメンタリー番組が流れている感じです。
モノローグも多いです…。

「優等生キャラ」を崩したくないのかもしれません。
できるはずだと思っていることが、実際にはできない。
イメージ通りの自分じゃない、ということに直面すると、悲しい悔しい感情が爆発して、帰宅してから大泣きしてしまうこともあります。
それを見た親に、「小さい子みたい。我慢できないの!?」と呆れられています。
自分一人で勝手に大げさに考えて、盛り上がっているように見えているそうです。
その反応を見て、「私は普通の25歳じゃないんだ!」とまた自分を責めて泣く、の繰り返しです。
漫画やドラマで、ショックな出来事に直面した主人公が、部屋に駆け込んで枕に顔を押しつけて号泣する、みたいなシーンはよくありますよね。
あれを具現化してるような感じらしいです。

特に「どんくさい自分」に対する自己嫌悪がひどいです。
子どもの頃から、体育やダンスなどでは常に皆の足を引っ張ってきたトラウマもあります。
今、車の運転の練習をしていますが、なかなかうまくならなくてもどかしいです。
慣れるのに時間がかかる、と頭ではわかっています。
でも、即座に判断しなければならないときに、もたもたしてしまったりすると、イライラします。
google検索と同じ速さで答えが出ないと、自分を責めます。
「そのへんのおばちゃんだって運転できてるのに」と言われたりすると、
できない自分はクズなんだ!!という思いでいっぱいになってしまいます。

なんというか、自分の中に、監督:自分、主演:自分の脚本があって、
イメージ通りの自分じゃないと、監督が「カットカット!○○はそんな人間じゃないよ!」ってNGを入れる感じなんです。それ以外の自分は認められない。
だから、改善したら認められるかもしれない。
そう思うと過剰な分析を始めて、潰れて、自己嫌悪して泣いて…の悪循環です。

普段から小説をよく読むので、その影響でオーバーな感情表現をしてしまうのかなあ、ドラマチックな状態になっちゃうのかなあと思ったりもします。
読書をやめてみたこともありましたが、今度はストレスが溜まってしまいました。
多感さ?を生かして小説を書く側に、と思ってみたこともありましたが、空想世界から帰ってこられなさそう、という不安が生まれてやめてしまいました。

そんな感じで、閉鎖的で重たい優等生を、いい加減にやめないといけないと思っています…。
「やめないと い け な い」って思う時点で優等生抜けられてないのですが。
こうしてこの文を書いている今でも、「一生懸命悩みを解決しようとしている自分」ドラマの真っ最中な感じがします…。

他の人みたいに、単純に物事を考えられるようになりたいです。
問題点に対して、そこまで気を張り詰めないようにしたいです。
でも、気楽になろうと思うと、隙ができて、そこにつけ入られて傷つけられてしまう、と身構えてしまいます。
バカにされ不安、見下され不安がとても強いです。
それなら、しんどいけど、気を張り詰めていた方が、不安が無いぶん安心はする…という方を選んでしまいます。

どうすれば、この思考の歪みみたいなものは直せるのでしょうか。
自分を受け入れようとしても、今度は「完璧に受け入れられないと嫌だ!」という方向に進んでしまいます…
せめて、悩んだ時の「自分ドキュメンタリー」や、オーバーな感情だけは止めたいです。

まとまらない文章になってしまいましたが、何かヒントをいただけたら嬉しいです。

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2014年2月24日 01時04分

教えて掲示板の回答

はな様、初めまして、ルイーラピュアの専属カウンセラーのゆここと申します。

はな様は、とても真面目な方なのですね。
自分の人生についても甘んじず、がんばってこられているのですね。

読書は、普通の専業主婦が、家事や育児の合間に、15分程度するとストレスが発散できるという話があります。
ですので、読書は、やめなくてもいいと思いますし、むしろ、どんどん読書して、吸収されていってほしいです。

できていない自分に対してのお手本は、誰ですか。
頭の中で、こうであるべきという空想のとおりにできないのでしょうか。
完璧なことばかりだと、つまらない、たまには失敗する自分も、可愛がってあげてください。
問題について、キチンと対応されていますが、理想とかけ離れた結果であっても、それはそれとして、うけとめてみてください。

そして、一度カウンセリングを受けてみて、気持ちを、ラクにしてみてくださいね。

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2014年2月27日 15時58分


お礼コメント

ご回答ありがとうございます。
お返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。
読書は続けても大丈夫なんですね。離人感のようなものが気にはなるのですが…

できていない自分に対してのお手本は、両方かもしれません。空想もありますし、身近にいて、キラキラして目立っている「良い子」に憧れていたこともあります。
カウンセリング…検討しようと思います。

2014年3月1日 22時48分

カウンセリングルーム・エンパシー

ご相談内容を拝読しました。人間の思考は、樫の木のように堅い思考と、柳のように柔らかい思考に分かれます。あなたの場合は、堅い方だと思います。この要因となっているのは、幼少期の環境です。親や友達との人間関係などで、自分の思考を形成したわけです。鯛焼きに例えると、鉄の型枠がゆがんでいたら焼き上がりはどうでしょう。いくら慎重に焼いても、型そのものに歪みがあるとゆがんだ形の鯛焼きが焼き上がります。思考の歪みを正しく修正し、柔軟な思考することが大切です。
まず、自分と向き合って自分を知ることから始めてください。カウンセリングで堅い思考をマッサージすれば、柔軟になれます。自分を知るために、「心理テスト」を受けてみますか?ご希望でしたら「mental@r-empathy.com」でご連絡ください。

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2014年2月27日 12時26分


お礼コメント

ご回答ありがとうございます。お返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。
型そのものが歪んでしまっているのですね…。その堅い思考が正しい、そうしていれば自分を保てる、と思っていたから、余計に歪んでしまったのかもしれませんね。
根本を見直した方が良さそうですね。

2014年3月1日 22時45分

心理カウンセリング らしんばん座

はなさん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。

ご相談を読んでいて、「うん、わかる、わかる」と、うなずいてしまいました。
私も、そのような傾向があるので・・・

はなさんがお困りの問題は、大きく分けて2つあります。
一つは、物事を必要以上に突き詰めて考えてしまう傾向がある点。
もう一つは、過剰なほどの完璧主義で、完璧でない自分を許す事が出来ない点です。
しかしこの二つは、密接な関係になっていますね。卵と鶏のように、どちらが原因か、分ける事が出来ないくらい。

人間は、心で感じて、頭で考えて、体で行動します。
ただ、誰でもこの三つをバランスよく使い分けているのではなく、人によってこの三つのうち、どれかが優位になっていて、他がそれほどでもない事がほとんどです。
はなさんの場合、このうち「頭」で考える部分のウエイトが非常に大きくなっているのだと思います。
ただ、これは資質であって、もともと得意な分野の才能を切り取ってしまう事は得策ではありません。
ご相談を読ませていただいたところ、はなさんは、この思考優勢な資質に加えて、視覚情報(頭の中に、或る情景を思い描く事が出来る)に優れているとお見受けしました。今後は、このような点を生かして行かれる事をお勧めします。

しかしお困りなのは、「閉鎖的で重たい優等生」をやめられないという事ですね。
これは私の持論なのですが、完璧主義と言うのは、一種の「逃げ」だと思います。
つまり、「何処までやればいいか?」という問いに対して「行き着くところまで。すべてを完璧に」という答えを出す事は、比較的容易いことです。
これを、「ここまでにする」「ここまでで良い」と決めるためには、決断する事が必要になります。
決断したからには、そこに責任が発生します。
そして、その決断に至った理由を誰にでも説明できないといけません。
自信が無いと、結局その決断をすることをやめてしまって、「完璧」に流れる事になってしまいます。

完璧主義の人は、結局この「いいかげん(良い加減)」を決断する事にたじろいでしまっている人です。
はなさんの場合、この決断に至った理由を探すのに、同じ所をぐるぐると"考えて"しまっているのではないのでしょうか?
この堂々巡りをやめて「いいや、誰が何と言っても、私はコレで行く!」と決める事が出来ればいいと思います。

この際、徹底的に考え抜いてしまうというのも、方法かもしれません。
考えて考え抜いた結果と、直感で決めた結果を比較して、大差がないのであれば直感を信じる事が出来るようになると思います。
そしてそのうち、ある程度経験と勘のようなもので、対処できるようになるかもしれません。

ともあれ、はなさんが今持っている資質を否定する事は止めて、それを上手く使って行動する事だと思います。

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2014年2月26日 18時45分


お礼コメント

ご回答ありがとうございます。
思考優勢であることと、イメージ力が強いことを生かすことも方法の一つなんですね…。やっぱり、全てを否定して塗りつぶすのではなくて、生かせる部分は生かす方向を選んだ方が良いのですね。

「完璧主義は一種の逃げ」というお言葉が、正直なところ衝撃的でした。確かに、「どこまで」を決めるのが難しい、判断に困る、という気持ちはありました。完璧にするか、全くやらないかの全か無かで物事を考えていました。

今、あれこれと考えて、余計な理由探しをすることはかっこいい、という、誤った認識をしていたのかもしれない…と、今ふと思いました。
長々とした理由を言える優等生でありたくて、ぐるぐると考えていました。
そういう変な美意識を変えるのも方法の一つかもしれませんね…
理由を、「なんとなく」とか「直感」って答えても良いと思えるようになったらいいかもしれませんね。

2014年2月26日 22時56分

追加コメント

コメント、ありがとうございます。
この「完璧主義は一種の逃げ」というフレーズは、ちょっと衝撃的すぎるかなと心配だったのですが、はなさんは、しっかりと考える事の出来る方だから大丈夫だと思って書きました。
そうですね。突き詰めて考える事は、カッコいいです。
そして、考えながらも、ふと力を抜いて決断を下す事は、もっとカッコいいです。

2014年2月27日 19時24分

エンカウンターカフェ練馬店

読ませてもらいました。
完璧主義者と言う感覚は大変だと思います。例え、現実的にクリアする事が難しいとしてもやらずにはいられないのでしょう。

気楽に考えられないのはできない自分を受け入れられないからだと思います。
もちろんできない自分は書いている私も好きじゃありません。
だけど、人間は物事を完璧に全てこなせるわけじゃ無いと思います。

参考にならないと思いますけど、スケールの大きい事を考えて、これは自分にはできないと考えていき、どんどんスケールダウンしていくのはいかがでしょうか。

一日も早く、上手く、自分と折り合いが付けられる事を願います。

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2014年2月26日 18時31分


お礼コメント

ご回答ありがとうございます。

スケールの大きいことを考えて、だんだんスケールダウンさせていく…。
そうですね…「確実にできること」が意外と見つかってくるかもしれませんね。それを増やしていけたらと思います。

2014年2月26日 22時07分

ことゆめ心理カウンセリング

読んでいて物凄く
…懐かしさを覚えました。

忘れていましたが、私も昔、とてもよく似た思考をしていることがありました。
「カットカット!」のところなど、まさにそうで、
「そうだった、わかる」と思わず深く頷きました。

表現の仕方にも共感してしまう所が多くありました。

似た傾向を持つ所為か、とても読みやすくて心にすっと入ってきました。

今はなんとか改善したいと思っていらっしゃるこれらの傾向ですが、悪いことばかりではありませんよね。
そういうご性格だからこそのいい点も沢山あると思います。

今後はもっと沢山出てくると思います。

同じ方向性を持つ人間として、深く話して行けばきっとプラスになることがあると思います。

この先関わるかどうかは別にして、ひとつの縁ある出会いがあったと心に留めて頂けたら嬉しいです。

   ことゆめ

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2014年2月26日 16時38分


お礼コメント

ご回答ありがとうございます。
共感していただけてとても嬉しいです。
認めたくない自分に直面すると、本当に惨めでたまらなくなります…。

悪いことばかりじゃない、良い点もある…
発想を変えられたらいいなと思います。

2014年2月26日 22時05分

追加コメント

見ず知らずの人間にいきなり「わかる」などと言われても、あなた程の人なら「そんな事は望んでいないのだが…」という所だっただろうと思います。
それなのに、共感を「嬉しい」とまで言ってくださって、その自然に身に付けられた暖かい配慮にも、それまでの人生の背景を感じました。

いいところを見付けるより、駄目だと感じた所を徹底的に叩いて自分を苦しめる…
修行僧のような生き方がこれまでは必要だったのですね。
そして今、それを変革しようとされている。

きっとご自分に合った道が見付かると思います。
今までもそうやって工夫されてここまで来られたように。

お返事を頂けてとても嬉しかったです。
ありがとうございました。

2014年2月27日 09時50分

澤田和彦カウンセリングルーム

 
 初めまして、心理支援士 心理カウンセラーの澤田と申します。

 文章だけの解釈になりますので、誤解や解釈に誤りがありましたら
申し訳ありません。

 はなさん、物事に対してどんな事にも真剣みが強過ぎる思いで
お悩みなのかと拝見させて頂きました。

 どんな事にも、完璧に解決しないと気が済まないといった言わば
【完璧主義者】の様なところから脱出できない状況が伺えます。

 あくまでも一般論になりますが、幼少期の家庭環境など
どの教科も95点の高得点を取りながらも褒められる事はなく
なぜ100点が取れなかったのか?逆にその部分を責められる教育を
受けた場合や、非常に細かい性格の親の影響で細かい事項を
言われない様にとする気持ちがそうさせている場合など

 心理カウンセリングを行いますと、ご相談内容からご自身の
根本的な要因を発見する事が出来ます。カウンセリングでは
はなさんの現状にお悩みである【真に受けて突き詰めて考えすぎ】を
即効性でお治しをするという事ではなく

 はなさん、本来の根本的な要因を発見しその要因や問題を
はなさんにお合いする打開策・改善策に導いていく療法を行います。

 はなさんの根本的な要因・問題を解決できた事で初めて今のお悩みに
対して考え過ぎなくても大丈夫なんですねという解決法になります。
専門用語で【再決断療法】と呼ばれています。

 はなさん、ご自身の中でシミュレーションが出来・・・解決へと導かれれば
一番良いのかも知れませんが プロのカウンセラーに委ねられることも
選択肢の一つかとご検討頂けたら幸いかと存じます。

 カウンセラーの選択方法などのアドバイスもさせて頂くことが可能ですので
宜しければ、どんなご質問にもお応えさせて頂きます。
完璧主義者の様なお気持ちから脱出できることを心から応援させて
頂きます。宜しくお願い致します。

 心理支援士(有資格者) 心理カウンセラー
 取締役 澤田和彦のカウンセリングルーム
 丸和サワダ 株式会社

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2014年2月26日 15時51分


お礼コメント

ご回答ありがとうございます。
そうですね…とても完璧主義だ、と、家族にも友人にも言われます。
公私混同も嫌いなのに、公私とも充実させねばと思ってしまっています。
もっと力を抜いていいのに、と言われるのですが、なかなか難しいです。


テストの点数でとやかく言われたり、否定された記憶はありません。
ただ、「一番上だからお手本にならなくてはいけない」という重みはあったかもしれません。
気がついたら、お世辞でもいいから「さすが○○ちゃん」と言われなければ満足しない状態でした。
さらに、手伝ってもらうのが嫌でした(今も正直好きではありません)。手伝ってもらう=負け、できない自分への施しでしょう、というふうな、斜に構えた感覚があります。
この変な自意識?がどうしても超えられません。

全てに全力投球しても、疲れるし無理、だということは身に染みてわかっているはずなのですけれどね…。
再決断療法、検討させていただきます。

2014年2月26日 21時41分

追加コメント

 はなさん、コメントありがとうございます。
はなさんの根本的な要因としまsて、コメントに
ありました
> 一番上だからしっかりしなければという重圧に
成果が達成すると褒めて貰えるという部分に
キーワードがあるのかも知れませんね。

2014年2月27日 15時08分

郷家カウンセリングルーム

はなさん、はじめまして。郷家あかりと申します。

投稿文を読ませていただき、はなさんが今、脱皮の時期に来ているのかもしれないなぁと感じました。
「ご自分を縛って苦しめているものが何か」について、はなさんは気づくご準備が出来ているのではないかなぁ…とも。

物事を難しく突き詰めてしまうこと、考え過ぎてしまうこと、完璧さや迅速でないと嫌だということ、何かが思いどおりに出来ないことへの怖れ、また強い感情が噴き出すこと、そしてもしかしたら、少々、離人感が出ているかもしれないこと…。

これらは全て、小さい頃からの御両親のお考え、価値観、躾、教育…、それらを受け取って大きくなる中、作っていった≪パターン≫であり≪枠≫の影響なのだと思います。

ご自身のご性格と相まって、物事を深く探求したり潔癖に完遂したりできるという良い点もたくさんあるかと思いますが、やはり、不自由で苦しいかもしれませんね。

不自由で苦しかったら、そのパターンや枠を、手放すことをしていけばよいのだと思いますよ。
それには、ご自分の内面とじっくり対話しなければなりませんし、ご両親の物語、またご両親によって何を刷り込まれたのかということなども、読み解いて検証することも必要かもしれません。そしてその過程には、不安定で辛いことも出てくるかもしれません。

でも、ご自分を縛っているもののうち、これはもう要らない、とわかったものについては、勇気を出して捨ててしまえばよいのです。
そうして、ご自分を責めず、裁かない、のびのびと自由な、大らかでOK、ミスもOKという、新しいはなさんになればよいのだと思います。

「何かが出来なくてもいい」、「うっかりしてもどんくさいことしてもいい」、「ダメな自分も愛おしい」、「みんなとは、上下や優劣でなく、相互に助け合っていかれればそれでいい」……そんな境地になれたとしたら、その上で作り直す≪脚本≫こそ、本番用なのではないでしょうか…。

上に書いた幼少期を見ていく作業、セラピーに関しては、専門家のサポートを受けながら、タイミングを見て無理せずやってみるとよいと思います。



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2014年2月26日 14時08分


お礼コメント

ご回答ありがとうございます。
そうですね…村社会の、教育者の家庭の第一子として生まれたので、知らず知らずそんな教育を受けてきたのかもしれません。どちらかといえば、同居している祖父母(元教育者です)の影響かもしれません。
「よい子」でいないといけない、怒られてはいけない、とずっと思ってきました。

問題点を分析して、対策を練って、実行できる部分はして…
という行動は、確かに良い結果になることもありました。
評価された部分もあります。
ただ、一度、感情の暴走スイッチが入ってしまうと…止められないんですよね。

>「何かが出来なくてもいい」、「うっかりしてもどんくさいことしてもいい」、「ダメな自分も愛おしい」、「みんなとは、上下や優劣でなく、相互に助け合っていかれればそれでいい」……そんな境地になれたとしたら、その上で作り直す≪脚本≫こそ、本番用なのではないでしょうか…。

このお言葉どおりになれたら、とても良いのになと思います。
「苦しさに耐える自分」にかっこよさを感じている状態から、一歩進めるような気がします。

2014年2月26日 21時30分