教えて掲示板の質問
「生きたいと思えません。」に関する質問
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みささん
10代前半の頃から、もう生きていたくない、生きている必要性がわからないと思うことがありました。当時は自分でも、それは子どもだから、思春期だから思うことなのかもしれないと思い、生きている意味はわからなくとも、本当に死ぬために何か行動を起こすこともありませんでした。
両親は小学生の頃に別居し離婚していますが、祖母と同居していたことや、親の努力のおかげもあって、母子家庭ということに対しては、それほど悲しかったり、寂しかったり、辛い思いをしたという記憶はありません。
学生生活を終え、今の会社に就職。
仕事は忙しいときもありますが、同僚との関係もよく、どちらかといえば恵まれた環境で仕事ができていると思います。希望とする業界での仕事で、仕事内容にも、大きな不満はありません。
プライベート面も、もともと、とても社交的ということはありませんが、年齢性別問わず、気の合う友人も多く、食事や遊びに行くこともよくあります。先日、交際していた相手からプロポーズも受け、今は相手の仕事の都合で明確な日取りこそ決まってはいませんが、結婚も決まっています。
けれど、そんな毎日を送っていても、時々無性に生きていたくないと思ってしまいます。それは今を悲観したり、逃げ出したいという気持ちよりは、今この状態が自分にとって最良の、満足のいく時だと思ってしまっているからだと思います。
生きていれば、今以上にいろいろな経験をし、嬉しいこと、楽しいこと、たくさん巡りあうのだろうと思います。けれど、そんな未来を期待したり、待ち遠しく思うよりも、「もう今のままで十分。これ以上生きていたくない。今、この状態で終われればいいのに」と思ってしまうのです。考え出すと止まりません。
今思い返すと、こういったことを一番考えなかったのは大学生の時で、その頃は自分にとってみればかなりハードルの高い目標があり、それを達成するために体を壊すくらいの努力や、辛い思いもたくさんしました。その頃は、辛い悲しい思いはしても、そこから逃げだしたいとか、生きていたくないとは、あまり考えませんでした。
結果、完全な形とは言えずとも、自分が許せる範囲内で目標は達成されました。けれど今度は、達成されてしまったが為に次の目標が見つからず、一時期、何に打ち込めばいいのか、どうして目標が見つからないのだろうと悩んだ時期もありました。(今もその悩みはあります。そしてすでにその状態で5年近くが経ちました)
社会人として仕事に慣れれば、目標とするものも見つかるかと思いましたが、特に出世意欲もなく、今の仕事にほどほどに満足しているこの状況で『目標』といえるほどのものが見つかるとは思えません。(小さい、身近なものでたくさん目標を作っていけば、と思い実践した時期もありますが数日や数か月で達成されてしまうようなそれに、何かを感じることはありませんでした)
趣味に関して言えば、お金のかかるものでもあるため、頻繁に行ったりそれに打ち込むということは現実的に難しく、けれど時々リフレッシュにと行う今の状態に、妥協という形であっても満足はしています。
こんな状況で、生きていたくないなんて贅沢な考えなんだろうと思います。
生きたくても生きられない人や、苦しみながらそれでも必死に生きている人もいるのに、とも思います。けれど、これからも生きていかなくてはいけないと思うと、本当に涙が止まらない辛い時があるのです。甘い、贅沢な悩みだとわかっているから誰にも相談できません。できることは、時々一人の時に、紙やパソコンに思いを書いては消す(捨てる)くらいです。
こういった感情は誰にでもあるものなのでしょうか?私が考えすぎなのでしょうか?
このままの状態で生き続けたら、生きる意味を無理矢理にでも見出すために夫となる人や、今後授かるかもしれない子どもに必要以上の愛や干渉で相手を振り回してしまいそうで最近とても怖いです。
自分が納得できるような、新たな大きな目標が今後すぐに見つかるとは、ここ数年をみてみても到底思えません。目標を新たに作ること以外に何か対処法はないものでしょうか。
2013年5月12日 12時59分
教えて掲示板の回答
カウンセリングルーム ルミエール
こんにちは。 カウンセリングルーム ルミエールの岩附です。
あなたは完全欲が強いのではないでしょうか?
平凡な日常生活で満たされない、常に何かを探し求めていないといられない。
私もそうです。
何か大きな目標を持ったらいかがでしょうか?
通信で大学院生をやるとか、何かの資格を取るとか。
日常で満たされているつもり、ご両親が離婚していたら、
本当は満たされてないと思います。
家庭を作ることにあまり、期待をしなくなると思います。
もしかしたら、心の奥底で、本当の生きる意味、
充実感を求めているのかもしれませんね。
あなたが何を求めているか、何で満たされるのかわかりませんが
ユウチュウブの「アセンションの秘密、方法」をみることをおすすめします。
私はスピリチアル(霊)の世界を信じています。
良き、アセンションのためにも、現在を生ききることだと思っています。
2013年5月16日 08時17分
「と」を大切にしていきたい、メンタル心理カウンセラーです。
あなたがおっしゃる通り、“生きていたくない”とは、客観的に見れば、確かに贅沢な悩みではありますね。
小・中・高の学生の頃は、少なからず、ご両親の離婚が関わってはいるかとは思います。
問題は、幸せ絶頂期と感じていながらも、“生きていたくない”と思うことです。
あなたは、自分に課せられたハードルが高ければ高いほど、それに生きがいを感じ、我を忘れ周りが見えなくなるほど打ち込み、滑り込みセーフでどうにか達成してしまう、周囲から見ると、スーパーウーマンのような方ですね。
そして、新たな目標を探し、再び、全身全霊をかけてでも、それに打ち込みたくなる願望のとても強い方でもありますね。
あなたは、“生きる”ということは、必ず何らかの高い目標を掲げ、それを乗り越えることで“なければならない”と、完全に思い込んでいるようです。
「すべき思考」といって、何かをやろうとする時に、「~すべきである」、「~しなければならない」と考えて、自分を追い込んでしまうことであり、あなたの場合、“生きる”ことに、常に「~すべきである」、「~しなければならない」とハードルを設定し、その基準に合わせようと自分を追い込んでしまっており、実際の行動がそのハードルに合わないと、自己嫌悪、恥や罪の意識を感じて、暗い気分になっているのだと思います。
この考え方は、“悪い”というよりも、“変えたほうが良い”考え方なので、気に留めておいてください。
あなたは、自分の力で、“生きている”と思われているようですが、あなたは、必然的にこの世に“生かされている”のです。
あなたが、今生きていることは、ご両親の愛と、たくさんの人々の支えと、あなたを必要とするこの世に“生かされている”のです。
だから、あなたにとって、史上最強で最大の目標・宿命・運命は、“生きる”ということなのです。
まあ、こんなことを言っても、今のあなたには、すぐにはピンとこないかもしれませんが、これから先、本当に“生きることに疲れた”と思うような出来事が襲ってくるかもしれません。いや、必ず襲ってきます。
その時に、あなたの持つスーパーウーマン的パワーを思う存分発揮してください。
でも当面のあなたの大きな目標は、この世のために“生きる”ことです。
それを、お忘れなく。
2013年5月15日 11時18分
憂うつの癒し屋
あなたの心理は人間の本質を付いているところがあります。
熱力量学のエントロピーの第二法則を心理学的な検知から眺めてみますと、「閉じた系においてはすべての模は無秩序に向かう」ということができます。
「閉じた系」は少し脇に置いておくと、無秩序とは「死」を意味します。
別な言葉で言うと、人間だけが人工的な環境の下で寿命を伸ばしていることになります。
これは、無意識のうちに大脳の内側(奥底)で感じていることなのです。
これが、あなたが「このままでもう十分」と思うからくりだと思います。
新たに目標を作る以外の対処法は「過程を楽しむ」ことでないかと思います。
極端に言えば「目標にを達成するまでの過程(段取り、行動、葛藤などなど)を楽しまずに目標が達成されても、脳の報酬系ホルモン(セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリン)はそれほど分泌されないような気がします。
その結果、目標を達成した時に「大いなる満足感」も得られないのではないでしょうか?
メジャーリーガーのイチローは、どんな小さな目標でも、達成した時に「子供に帰って喜ぶ」と言います。
それが、次へのステップになると分かっていたのでしょう。
2013年5月14日 15時08分
カウンセリングルーム・エンパシー
ご相談にお答え致します。
「そんな未来を期待したり、待ち遠しく思うよりも、もう今のままで十分。これ以上生きていたくない。今、この状態で終われればいいのにと思ってしまうのです。考え出すと止まりません。」
あなたは、未来に自信がなくて怯えているような気がします。つまり、「今」の現実は波風が立っていないので、安全な状態であるとの認識があります。 でも、その先はまだ体験していないから不明です。まだ経過していない時間と出来事に不安があるのではないでしょうか?心理学用語に、予期不安というのがあります。
目標が持てなくても、あなたにとって良い現実と遭遇できる方法があります。これは、お金を掛けずに幸せ体験が得られますから、無理して目標を持つ必要はありません。別に出し惜しみするのではありませんが、内容の説明は長くなりますので、ここでは控えさせて頂きます。でも、ここでの回答フォローとして対応致しますので、メールフォームからお尋ねください。お待ちしております。
2013年5月14日 15時00分
実のところ私も、あなたと同じ心境で生きています。
生きたいと思えないのは、あなたに問題があるのではなくて、地球が、人間社会がつまらないからではないでしょうか。
何か才能とか能力があれば、興味の対象に取り組むことで次々と疑問がわき、そのハードルを越えたら又、次のハードルが用意されている。
その繰り返し。
生きたいとか逝きたいとか考えることがないのかもしれません。
あなたが異性に求愛され結婚し、子供を授かるとします。
しかし、あなたは死にたいとまでは思っていなくても生きたいとまでは思っていないのでしょう。
魅力のない世界に別個の魂を道ずれにするのは無責任という理屈にはなります。
ところが、あなとはかけ離れた人格が誕生し、「産んでくれてありがとう」なんて言われないとも限らないのです。
まあ、一々考えてたらきりがありません。
自分の身近にいる人を大切にして生きてみて下さい。
2013年5月14日 14時45分
PASERI
努力や生死について、毎日生活してると色々考えると思います。
これだけ世の中が不安定で価値観も安定しないと、1日1日が達成感も薄く、自分の生きる意味や目指すところも、毎日少しずつ変わるくらいの気持ちは、多かれ少なかれ皆、持っているのではないかと思います。
何かしたいとか欲しいとか思った時、満たされない時、人は逆に結果を出そう、楽しくしよう、と必死で努力をします。
でも、何となく満たされて何となく毎日が同じことの繰り返しになってくると、逆に自分が見えなくなることもあると思います。
必死にやっても適当にやっても、時間は同じ早さで過ぎていきます。
一つ、立派になるとか有意義に暮らすとか、そんなことは全く考えず、興味持ったことを思った時にやってみたらどうでしょう?
本を読んだり誰かの教えを貫いたりすることも確かに考えや生き方を向上させる良い手かもしれませんが自分が何で今ここにいるのか、将来ではなく、明日は何を食べようか、あるいは、行き当たりばったりに違う格好をしてみたり、寄ったことのない建物によってみたり、そんなことも、大事な、自分を向上させる要素になり得ることもあるかもしれません。
規定のものがつまらないと感じたら、自分で価値観や考え方をつくってみることも面白いかもしれません。
生きることに興味が湧く日がいつか来ることをお祈りします。
2013年5月14日 14時07分