教えて掲示板の質問
「自殺、安楽死は何でダメなんですか?認めるべきです」に関する質問
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ノポスさん
最初に。「とりあえず今日を生きてみよう」、
という論点ずらしはご遠慮下さい。
私は何一つ人並みに出来る事が無く周りから疎まれる人間です。
精神科医からは匙を投げられカウンセラーも役に立ちませんでした。
現状手の施しようが無いのは明らかです。
当たり前ですが心理学にしろ医学にしろ万能では無いので手遅れな人は存在します、
それ自体は仕方が無いと思います。
しかし何故自殺、安楽死が認められないのか納得いきません。
回復の見込みが無く耐え難い苦痛があるなら安楽死を認める国もありますが、日本ではありません。
苦しむという感情自体に住んでる国は関係無いはずです。
現代医学では治せないと言われ、今日死にたいと考えている人達に対して
「明日はどうなってるか分からないからとりあえず我慢して生きとけ」
と無自覚に残酷な事を言っているようにしか見えないんですよ、
少なくとも行動を見れば。詭弁を言いとりあえず生き長らえさせよう、
としか見えないです。救えない人が大勢居るのは毎年何万人と
自殺者が出ているのと8割以上の国民が安楽死に賛成しているのが何よりの証拠でしょう。
クライアントの気持ちを認めると謳っておきながら自殺を肯定せず、
安楽死を認められるよう動かず、死にたい気持ちに寄り添ってるとも思えません、何故ならもし本当にそういった事をするなら安易に「生きろ」とは言えないはずだからです。いくら自分が似たような経験があろうとそれを理由に他人にも生きた方が良い、と発言するのは思慮不足ではないですか?
私は物心ついた時から死にたいと思っていて既存の方法では
改善出来る兆しが無いのに生きろというのは意味も無く命を
延ばす事だけに主眼を置いているのではないですか?ある博士は
「ただ命を延ばすだけでよい」という現在の医師の役割について
見直すべき時期に来ていると述べたのもそうですが、
昨今では自殺の心理にも変化が見られ所謂
「辛い事があるから死にたい」という条件付きの自死願望ではなくそもそも
「生まれなければよかった」という生きる事自体に
懐疑的な視点が多くなってきたと言われています。人の価値観は流動的です。
なら誰でも生きていて良い、とりあえず生きろ、
というのも変わりつつあるのではないでしょうか。
辛い事があっても今日を生きましょうというのは時代遅れの考えではないのか。
カウンセラーや精神科医は自分の中の常識、
価値観を疑えと言っておきながら少なくとも
私が接してきた人達は生きとけ、としか言わない体たらくでした。
他人に対してこういった発言をする前にまず自分自身の価値観を疑うべきではないのですか。
人を手助けする側の人間だから自殺を勧めないというのは
少々的外れな意見だと思います。勿論本気で推奨は出来ないとは思いますが、
この言い方だと自分が手助け出来ない人に対してはノータッチ、
或いは後始末を怠っているという事です。
全ての患者を救えと言っているのではなく、
本当にどうしようもない状況、人というのは医学に関わらず必ず存在します。
そういった際に安楽死という選択肢は作るべきだと考えますが、
ならどうして安楽死を推進しないのか?
カウンセラーの中には自死を避けるためにそういった発言自体を
避ける人も居ますがそもそも自殺の何が悪いのです?他人を傷つけるから?
それは多くのカウンセラー自身の発言により否定出来ます。カウンセラーお得意の
「過去と相手は変えられない、だから貴方は誰も傷つけられない」に沿って考えるなら、
私が自殺しても誰も傷つくはずがないのです。
もし居たら貴方達の論理で言えば傷つきたくて
勝手に傷ついてるというのが実情でしょう。
ここの掲示板でも似たような発言をなさってるカウンセラーも
沢山居ますからほぼ共通見解なのだと推察します。
なら自殺がダメな理由として他人を傷つけるからというのは変な話ですよね。
もう一つ聞くのは国民が減るのは国にとって損害になる、ですがこれも違うでしょう。
言葉より行動、国なら政策を見た方が本音が見えるという一般論から、
セーフティーネットも機能しているとは言えず、社会だって無能の居場所は多くの場合用意
出来ないのが現状です。みんな自分の事で手一杯だからです。
つまり国も社会も無能を生かす余裕は基本的には無いのです、
昔の姥捨て山のように。今や所謂「無敵の人」が死刑になるために人を殺す動機も珍しい物ではな
いですが、純粋に人数のロスで考えれば自殺は当人だけ消えますが、
死刑囚の場合最低でも被害者の二人と犯人の一人、最低でも3人のロスが発生します。
自殺が国民が減る故の損害だというのなら自殺願望者を生かした故の殺人事件の方がよりロスが多いのに安楽死を認めないのは道理が通りませんね。
矛盾を一通り書いた所で改めて聞きます。
何で自殺はダメなんです?本来は人助けをする立場の
人間こそ後始末という意味合いも含めて安楽死を推進すべきではないですか?
2022年9月1日 21時35分
教えて掲示板の回答
うさぎカウンセリング
ノボスさん
はじめまして、うさぎカウンセリングの西岡です。
他のカウンセラーさんが色々アドバイスをしてくれている中、貴方は勝てた気持ちを楽しめて満足でしょうか?
安楽死が認められない、自殺は否定されるのは法的にそうなっている以上、どうしようもありません。
そこにカウンセラーや精神科の医師がどうとかと言う前提を持ってきても議論の余地がありません。
仮に、自死をするのならその後処理にかかる費用(賃貸なら損害の補填、死体の後処理、迷惑料、親族への連絡etc)
を死ぬ前に貴方が、準備する必要があります。準備できないのであれば、親族に慰謝料の請求が発生します。
その迷惑も考えた上でどこまで実現可能かを考える必要があります。
貴方は、そういうカウンセラーや医師がこれが正解だと言う回答を出せない心理ゲームに持ち込んで
カウンセラーや医師より自分の理論が正しいらしいと主張するゲームで勝てた気分になって満足でしょうか?
他のカウンセラーさんでは癒しに重きを置くので私みたいな発言はしかねると思うのですが、楽しかったですか?
楽しかったなら、そのまま迷惑にならない程度でゲームを他で楽しんで下さい。
自殺云々や法的に縛りがある状況に関する不満があるなら、そういう場に出てみてはどうでしょうか?
2022年9月9日 00時20分
カウンセリングルーム心の窓
お返事ありがとうございます。
最後に書いたところをもう一度確認していただきたいのです。
いまのあなたにとって多くの人と会うことはとても難しいことだということは分かります。
ただあなたを否定したすべての人というのは、この地球上の人間を対象にしただけでも数十億のうちのわずかな人にすぎないと思うのです。人間以外のものをお含めれば一体その否定にどれだけの意味があるのでしょうか。
未熟な私の頭ではそう考えてしまい、ただただ多くの人や物にあって話をしていただきたいと思うだけです。
2022年9月3日 10時20分
お礼コメント
返事ありがとうございます。こちらの文書をもう一度読んでいただきたいです。否定だけでなく医者からも匙を投げられたと書いてあります。現代医学では治せないとはっきり言われた事も何度もあります。それが全人類の一部と言うのはそうでしょうがなら限りなく全人類に会えとでも仰るのですか?そこに何の意味がありますか?全人類を見ずとも答えが見える事だってあります。例えば学問等の根拠なんかは正にそれです、全体を反映したサンプルを取るからこそ一般化が出来るのと同じ様に私もそれと同じ状況です。その状況で生き続けろというのが時代遅れの考えではないのですか?というのが本文です。だから一部に過ぎないというのは理由になりません
2022年9月3日 11時03分
追加コメント
ごめんなさい。否定されたのではなくさじをなげられたのですね。最初の書いたように文だけでは真意は伝わりにくいものだと思います。やはり現実にお会いして確かめあってこそその真意は伝わるのだと思います。
全ての人に会うなどということは、したくても物理的に不可能であることはあなたのおっしゃる通りです。
しかし、人が人と会おうとする時すでにその段階で人を選別していることは理解していただきたいのです。つまり人は知らず知らずのうちに人を選別してあっているのだということを分かって頂きたいのです。つまりあなたが選択してお会いする人には一定の傾向が必ずあるということです。
2022年9月3日 11時28分
追加コメント
無意識のうちにしている選択をしないで公平に生きるということはすごく難しいことですが、今までお会いした医師でもカウンセラーでもいいので直接聞いてみて下さい。それから、サンプリングで一般化するのは学問ではありません。統計です。
私にとっての学問とは、現在分かりうるすべてのことを普遍的に考える芸術です。
2022年9月3日 11時34分
お礼コメント
貴方の学問に対する考えを否定する気はありませんがそれは貴方の感想です。実際に学問の進化というのは具体的な根拠無くしてあり得ません。最初は客観性に欠けるインビトロな証拠でもそれが積み重なり客観性がより強くなった根拠になります(ランダマイズされた物やメタ分析が該当します)。その過程で統計的な根拠は含まれるのですから学問では無いというのは些か論理の飛躍ではないですか?これを私の例に当て嵌めるのならどこへ行っても中立の立場に本来近い人間(医者やカウンセラー)からも同じ事を言われたのにどこに疑う余地があります?
2022年9月3日 11時49分
お礼コメント
無意識に会う人を選別している可能性はあるかもしれませんが、だったら現実的に考えてそのような状況で多くの人と会った所で結果は今までと変わらない可能性が高いのではありませんか?それは徒労に終わる可能性が高い事をわざわざやるべきと言っているように聞こえますがそれが貴方の本意ですか?恐らくはそうでは無いのでしょうが現状出来る範囲内ではそうなる可能性が高いのは恐らく貴方も薄々分かっているのではないですか?だから私は終わりにしたいと願うのです。
2022年9月3日 11時54分
神戸★こころの健康110番! あるがまま
ノボス様
こんにちは
まずはこれは個人の問題であって他人を巻き込まないようにしましょう。
安楽死は主にスイスが有名です。
スイスで安楽死している日本人も大勢います。
先日も、私のところに5年、向こうの医師とやりとりしてグリーンライト(安楽死OK)がでたという
報告がありました。
安楽死を本気で希望するなら、ご自分で調べてください。
幸い、ネット社会、情報は手に入ります。
ただ、私は死を奨励しているわけではありません。
それはノボス様の考えることです。
参考になれば幸いです。
SAKURA
2022年9月3日 07時51分
お礼コメント
まず私の本文を真面目に読み直して下さい。私は何一つ人並みに出来ないと書いてあります。スイスで安楽死出来るのは今の時代子供だって知ってるでしょう。貴方はスイスで安楽死を認められた日本人が出たという報告だけしか聞いてないのですか?大金がかかる故に金持ちしか安楽死は認められないのか、という批判があり語学的な問題もあるのです。何一つ上手くいかず人並みに出来ない人が語学を身につけて大金を稼げる訳がないでしょう。カウンセラーは傾聴するのが仕事だと理解していたつもりですがどうやら違う人も居るみたいですね、勉強になりました。
2022年9月3日 17時50分
追加コメント
じゃ、ノボルさまはどのくらい安楽死にご存知ですか?
実は私が安楽死の絵続きをしてますし、直でDR.エリカとはなしてるので、きっとノボルさまより詳しいのではないでしょうか?
金額はノボルさまが思ったほどではなく、最近は同時通訳機もあります。
私は死にたいと思った時、全力を出して勉強しました。本気になれば人間てこんなになるんだ、が感想です。
まぁ、ぐずぐず言ってないで、ご自分の道を見つけてください。のぼる様には決めつける癖を感じます。
出来ないというおまじないのように
私が失礼をして申し訳あり前戦でした。
日本にも安楽死HPはたくさんをありますよ。
あなたは生きているのです
2022年9月4日 10時35分
お礼コメント
自分の経験を押し付けないで頂きたい。貴方が出来るからと言って私が同じ事が出来るとは限りません、決めつけているのはそっちではありませんか。貴方の感想を否定するつもりはありませんが共感出来るかは別問題というのは理解出来るでしょう、貴方がカウンセラーなら。そもそも誤字脱字が多過ぎます。支離滅裂で最後の方は仰ってる事が分かりかねます。傾聴すら碌に出来ないなら相談する気も無くしますね。
2022年9月4日 13時22分
お礼コメント
人助けする立場の人間ですから安楽死という物には否定的にもなるでしょうし、それ故に気分を害されたなら謝罪します。しかし感情的になるカウンセラーや精神科医ははっきり申しまして私は信頼出来ません。そもそも一番最初の問いに答えられてないですし。この時点で相談でも会話でもなく、エゴの押し付けになっていませんか?少なくとも構造的には。数多の精神科医が匙を投げた状態で一般論を投げられてもそれは半ば机上の空論ではないのでしょうか
2022年9月4日 13時30分
お礼コメント
貴方のおかげで決心がつきました。こんな日々も今日で終わらせます。ぐずぐずせずに楽になるための唯一の行動を取らせていただきます。さようなら
2022年9月6日 18時10分
心理カウンセリング らしんばん座
ノポスさん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。
ご相談の文章を一読させていただいて感じたことは、要は「命の選別を認めろ」と言っているのと同じことだと言うことです。
「何一つ人並みに出来ない「無能」な人間は、社会の役に立たないから、自殺なり安楽死なりを認めて、さっさと始末してしまえ」と言っているように見えました。
文脈としては、「自殺することが出来るようにして欲しい」という表現ですが。
これをノポスさんご自身に適用するのならまだしも、広く世間一般に適用すると、私が感じたような文脈になってしまいます。
つまり、世の中には「要る人間」と「要らない人間」が居て、「『要らない人間』には生きる資格が無い」という判断を誰かが公的に行うことが出来ると言うことです。
しかし、その判断する人は、一体誰でしょうか? そんな人は、いったい「何様」なのでしょうか?
自分の意思に関係なく、誰かの判断によって「あなたは生きるに値しない人間なので、死んでもらいます」と言われて、殺されてしまう・・・。
この「判断」は、何かの価値判断によって、恣意的に行われてしまう可能性もあります。
これすなわち、ホロコーストの考え方ですよね。
同じ考え方に立つのが、あの「相模原障害者施設殺傷事件」であり、植松容疑者と同じ考え方です。
「死んでも良い人間」の定義が、際限なく拡大されていくことを抑止する。
これが、自殺や安楽死に対して否定的な態度をとる人の理由です。
私は、「自殺は人助け」などという考えは持ちません。
どんなに苦しくても、苦しみながら生きてください。
2022年9月2日 19時36分
お礼コメント
色々ツッコミ所がありますがまず命の選別ではありません。こちらの言っている事はスイスの安楽死に対する見方と同じで、自由意志を認めるべき、人生のゴールは自分で決めるべき、そしてそのための選択肢その物が無いのは歪んでる、と言っているのです。それを命の選別だと言うのならスイス等安楽死を導入している国では命の選別が合法化されてるという見方が成り立ちますがそれは根本からズレた発言では。第一これは私自身のみの話です。客観性を持たせるために具体的な根拠を述べただけで、他の人に当てはめる物ではありません、表現の問題です。一度安楽死に対して真面目に勉強すべきではないかと愚考します。
2022年9月3日 07時46分
お礼コメント
今生の別れに一つ。人の生命を測る事自体何様だ、という指摘に関してですがそれは貴方が言える事では無いでしょう。だったら誰が、どんな権利で他人に対して生きろと言えるのです?自分は無差別に命は尊いと考えているから生命を測っていないと言うなら、そもそも命は尊いと言える資格が誰にあります?公正世界仮定と同じようにそれ自体は必要な考えだと言うだけならまだしも、他人の生命に対して口を出す時点で何様だ、と貴方達の考えで言うならなりませんか?人の気持ちに寄り添うカウンセラーさん。
2022年9月6日 18時07分
追加コメント
私とノポスさんの、観点がずれていますね。私は、人の命に口出しなどしていませんよ。
ノポスさんは、死にたいと思っているのかもしれませんが、他の人は「生きたい」と思っています。その「生きたい」と思っている人に対して、「あなたは生きるに値しないから、死んでもらいます」と言うことは出来ない、という意味です。ノポスさんの理屈で人の死を認める事は、他の人の死も認める事につながるから、良くないと言っているのです。
2022年9月6日 20時01分
憂うつの癒し屋
初めまして、心理カウンセラーのヨナガ マサアキと申します。
私も昔は人間60歳になったら「筋弛緩剤」を国側が投与し死んでもらえれば、
日本の国家予算に医療費などの社会福祉費が大幅に減らせると思っていました。
そうすると世界各国(例外もありますが)、日本はどう見られるでしょうか?
自殺で確実なのは「拳銃で頭を打ち抜く」ことです。
狩猟の免許を持っていれば、散弾銃は所持が可能ですが、実際には、元俳優の田宮二郎さんが口で銃口をくわえ、足で引き金を引くということがあって、審査が厳しくなりました。
もっと言えば「究極の自然保護は人類が滅亡すること」とも。
自殺や安楽死が推奨されていないのは、基本的人権の尊重が「命の保証」という意味で憲法で定められているからです。
そもそも本気で自殺を考えている人は、カウンセリングに来なくとも良いはずです。
も一つ言えば、自分のカウンセリング中に死なれると後味が悪いです。
安楽死についてはホスピスなどでの痛みの緩和ケアが行われているし、患者の遺言で「延命処置はしないで下さい」という権利が存在します。
参考;
自死の魅力とは
3-1.逃避~あらゆる艱難から逃れられる。
3-2.永遠不変のため~「現在の自己の保存」というものが考えられる。
3-3.主張の手段~自己の生命を断つことによって、自らの意志が強烈であるとアピールする。
3-4.他者の救済~自己の死が及ぼす残された者への影響こそが第一とされている。
3-5.感情の収束点~ある感情が高まった末に、至る所としての死と言うものがある。
3-6.自らの認識への攻撃~自分自身が認識している他者や社会への攻撃である。
人は誰かに話を聞いてもらえる、理解してもらえる、と思うだけで気が楽になります。
私は、現在59歳、21歳の時にうつ病を発症し、4年間を除けば現在進行系で通院しています。
ノポスさんの意見は昔の私そのものです。
何か分からないことがありましたら、私のHP(下記参照)の最下部のコメント欄に投稿してください。
http://sinrigaku.com
わたしのHPの下部には、メンタルヘルスの情報がたくさんありまので、参考にしてみて下さい。
また、 メールorLINE相談は初回が無料がなっておりますので、下記URLからお気軽に相談して下さい。
http://sinrigaku.com/?page_id=2943
2022年9月2日 09時34分
カウンセリングルーム心の窓
ノポスさん
書かれた文を読んであなたの苦しみや悲しみ怒りの一部を見ることができました。
しばらくこちらに書くことを止めていましたが、何か書かなくてはいけないような気がして書かせていただくことにしました。
私の一存ですが、命は自分一人のものではないと思っております。
こちらに書かれた文を読んでいるだけでも、国や社会、カウンセラー、医師と多くの人を引き合いに出して話を進めざるを得ないのが人というものではないでしょうか。
一人の命自分だけのものでしたら何も考えずに死にたければ勝手に死ねるはずです。しかし意識の世界だけでもこれだけ多くの人とのつながりを感じて生きているのですから、無意識の世界を考えたらもっと多くのというか、世界中、宇宙中の全てと自分の命はつながっていて、影響し合っているのだと考えざるを得ないのではないでしょうか。
つまり、どこかで誰かが死んで行く時、何かが命を失っていく時、何かがその存在を無くす時には、必ず宇宙の全てに影響を与えているのではないかと私は思うのです。
全てを、目に見えるもの、実感できるもので表現しようとするのが現代に生きる人々のやり方ですが、その代表がお金という目に見えるものですが、実はこれほど実態のあやふやなものはこの世界に無いのではないかと私は思っています。
ですから、あらゆる現実から見捨てられたとしても実はそんなものは、宇宙のつながりから見ればほんのわずかというか、存在もしないに等しいものではないでしょうか。
わけのわからないことを言っているようですが、今世間で信じられている遺伝子というもので考えてみましょうか。
元は、単細胞動物アメーバのような生き物、もしくはその破片の様なものでしかなかった生物の実態。しかし進化が進むにつれ、様々な命にその姿を変え、今現在あなたや私のような姿となってこの世界に初めの遺伝子をつなげてきているのではないでしょうか。
そういう意味で、この世界の存在する命は、本当は命以外のものも含めてすべて対等な存在ではないかと私は思っております。
死ぬのも生きるのももっと大きな力、何か宇宙の法則の様なもので決まっていて、自分がコントロールできるなどと考えるのは非常に傲慢な態度ではないかと私は考えるのです。
生まれてきたのもその大きな力の意思で、死んで行くのも仮に自殺や安楽死が成功した結果にしても、それは自然に受け入れられなければならないものだと私は思っています。
ですから、自殺も安楽死も私は否定するものではありませんが、自分もしくは他の誰かたとえば医師がその命を決定出来ると思うのは、傲慢な考えだと思うのです。
答えになってないかもしれませんが、本当の気持ちを伝えるには文などでは難しいのかもしれません。たとえ一冊の本を書いても、真意は伝わりにくいのではないでしょうか。
本当に相手のことを知りたかったら実際にあってみることだと思います。何人かの医師やカウンセラーにお会いになって話をしていらっしゃるようですが、全世界の人から見れば数十億のうちのわずか数人に過ぎません。
多くの人と出会って話をしてみて下さい。
2022年9月2日 09時16分
お礼コメント
現状唯一まともに返信を下さりありがとうございます。共感出来る点が一つだけあるのが「命は自分一人の物ではない」という所です。実際そうかもしれませんね。では周りの人間から例外なく疎まれ、私の死を渇望する人が大勢居る私の場合、「私自身の命は私一人の物ではない」に沿って考えるなら私は死ぬべきだという結論になると思われますがそれについてはどうお考えですか?
2022年9月3日 09時55分