教えて掲示板の質問
「自分の価値と罪悪感」に関する質問
- 受付終了
ILYさん
日々それなりに楽しく過ごしているのですが、人間関係において、この2、3年大事な局面で過去に囚われて前に進むことが出来ないでいることに気づき、初めて質問します。
自分に価値を見い出せないという悩みから抜け出すことが出来ません。
やっかいなのは、自分にある程度自信があるということです。
自分の長所を挙げることも出来るし、成功体験も積んできたし、友人など周囲の人にも恵まれている、評価もされていて、自分ならだいたい何とかなるだろうと思っています。
自分でも何を悩むことがあるのかと不思議なぐらいですが、おそらく過去の経験を引きずっているのではないかと思っています。
学生の頃、海外に住んでいたことがありました。
そこでの私は、「無」でした。
いじめられるでもなければ、気遣われることもなかった。授業を欠席しても誰も気づかないという日々でした。
自分は一体何の為にここにいるのだろうか、生きているのだろうかと考えましたが、卒業までという期限があった為、出席日数ぎりぎりではありましたが耐えることが出来ました。
そこで考えていたのは、「自分は何も出来ないし(そもそも英語が出来ず、何を聞かれても答えられない。等)、何も人に与えることが出来ないのだから、せめて迷惑をかけないようにする。」ということでした。
その考えが今も染みついているように思います。
例えば、幹事など人が面倒だと思うことを進んでやっています。
嫌々やっているわけではないのでそれ自体はいいのですが、問題はみんなの為に何かやらなければ、また無になってしまうのではという恐れがある、ということと、そこに自分の価値を見出そうとしている自分がいるということです。
その為、別の人が幹事をやっていると自分はもういらないのではないかと不安でなりません。
一番深刻な悩みは、友人にしても恋人候補にしても、深い関係になりそうになると罪悪感が生まれてくるということです。
何の価値もない自分と一緒にいてもいいことがないのに。私なんかといてかわいそう。
少し愚痴を話してしまうと、少し弱音を吐いてしまうと、それを聞いてくれる優しい友人に申し訳なくなります。私はこの人に何もしてあげられないのに、迷惑だけかけてしまっている・・・と。
頭で考えると、自分も話を聞くこともあったりと、何も出来ないわけではないことは分かっているのですが、どうしても自分は無価値だという感覚が抜けません。
また、友人はいつでも励ましてくれるのですが、その言葉で克服出来ないことがさらに罪悪感となっています。
つまり、信頼する友人の優しい言葉よりも、自分に価値がないという自分の無意識の方を信じているようです。無意識だからこそ難しいのでしょうが。
その優しい言葉はすごく嬉しく、救われる想いなのですが、それでも、いくら大丈夫だと言われても払拭出来ません。同じことの繰り返しです。
それが更にひどくなると、自分の存在に罪悪感を感じるところから始まり、未来に何の希望が見えなくなっていきます。
大好きな尊敬する両親が育ててくれたのに、こんな何の価値もない自分に育ってしまって申し訳ない。こんなふうに考えてしまう自分が恥ずかしい。
もし自分がいつか親になって、子どもがこんなことを考えていたらどんなに辛いだろう。どんなに恐ろしいだろう。自分が親になる資格なんてない。子どもを育てられないのなら、何のために生きるのだろう。
自分の快楽のためだけにこれから生きていくのか?誰にも何も残せないのか。きっとそれでは死ぬ時後悔というか、虚しさが残るだろう。
じゃあ、何を目標としていけばいいのだろうか・・・・・・。
そもそも私の考える価値とは何なのか?
そんな大層な価値を持っていないと嘆いているつもりはありません。
ただ、無ではない、ほんの少しでもプラスの影響を与えられる価値、それを実感し、自分はここにいてもいいんだと思いたいだけなのに、頭では考えることが出来ても、感じることが出来ないのです。
自分は無価値だという思い込みを取り払えないのです。
一体どう考えればいいのでしょうか。どうすれば罪悪感を持たずにすむのでしょうか。どのように自分の価値を感じればよいのでしょうか・・・。
きちんと治療をした方がいいのでしょうか?もしそうだとしたらどこへ相談に行けばいいのか分かりません。
気分が落ち込んで何もやる気が起きないなどではないので薬での治療も違う気がするし、誰にも言えず抱え込んでいるでもないのでカウンセリングも違うのではと思ってしまい、動き出せません。
アドバイス頂けると嬉しいです。
よろしくお願い致します。
2012年3月6日 22時07分
教えて掲示板の回答
ILYさん
自分の価値を見出せないこととそれに伴う罪悪感を感じることがあなたを苦しめているのですね。
人間には一生でするべきことと為すべきことがあると考えたらどうでしょうか?
するべきこととは、自分でこうしたい、こうしなきゃと思うことです。
為すべきこととは、自分がいること、存在することでできることです。
あなたはするべきことだけが自分の価値だと考えているように思えます。
ですから、それができないとき、見つからないとき、自分には価値がないと感じて、苦しんでしまいます。
しかし、あなたがそこにいることで為していることが何かありませんか?
例えば、あなたが自分の苦しみをこうして発信しています。
それは、世界中の他の誰にもできません。
あなたにしか、その苦しみはわからないし、発信することはできません。
あなただから、できるのです。
それから、「大好きな尊敬できる両親」にとってのあなたはどうでしょうか?
ご両親にとって、あなたが存在することはとても大事な意味を持っており、大きな価値があるのではないでしょうか?
あなたは、ご両親にとって、世界でたった一人のあなたという子どもです。
人間の価値というものは、絶対的なものではないでしょう。
それは、あなたが関わる人たちとの関係性において存在するものではないでしょうか。
自分にとっての、自分が決める価値ではなく、相手との関係において育まれる価値、それが人の価値と考えられませんか。
終末期の患者さんは、自分は生きている価値がなく、家族に迷惑をかけていると考えることがあります。
しかし、そんな患者さんもそこにいる、死に逝く姿を見せること、そのことが教育的な価値を持っているのです。
日常の中で、「いまここにいる」ことの意味、価値を常に考え、感じ、忘れないこと、それが私たちにとって大切なことです。
私たちの命は、宇宙の時間の中の一瞬の輝きです。
その輝きにはすべて価値があるのです。
グリーフ・カウンセラー 坂元達也
2012年3月19日 16時19分
はじめまして。心理セラピスト KENです。
認知療法かフォーカシングがよさそうですね。出来事をどのように認知するのかという点で、認知のゆがみがあるせいで、無価値感や罪悪感があるからです。
まず、星和書店から出ている「いやな気分よ さようなら」を読んで、ご自分で練習してみてください。
それが難しければ、認知療法をやってくれるお医者さんを見つけてください。
相談できる場所としては、どの都道府県でも精神保健福祉センターがありますので、相談してみてください。
2012年3月19日 16時10分
カウンセリングルーム「春告げ草」
こんにちは、「春告げ草」の知原です。
陥りやすい落とし穴に、ハマりましたね。
そもそも、存在価値がない。と、おっしゃる「あなた」が。
いまを生きている理由は、何なのでしょう?。
そちらの方から、考えられて見られることを、お勧め致します。
現状は「あなた自身」も、書かれていらっしゃいます通り。
「あなた」のために、生きていらっしゃる、「あなた」です。
しかし、「他人」のために、生きて行かれる人間なんて、
本当にいるのでしょうか?。
ボランティアの基本は、「自己満足」です。「情は、他人のためならず」です。
みんな、文字通り「自分」のためなのです。
自分を満足させ、納得させた。その後に、他人への「奉仕」と言う、
精神が芽生えるのでは、ありませんか?。
いまの「あなた」が、充たされていないがために、囚われている「現状」だと、
認識されるのが、一番の早道かと、思われます。
人は多分、「あなた」が考え込もうと、しているほどに。
完璧なほど「善良な存在」では、ありませんよ。
2012年3月19日 08時53分
ご相談ありがとうございます。
メールカウンセリングをしています藤田です。
とてもご自分のことをよく分析されています。
無価値感を持ったきっかけが海外へ住んでいた時のことだということも分かっていますので、その時の「無」と思った辛い体験が、心に引っかかっているのだと思います。
その時のような体験や気持ちを繰り返したくないという思いが確かにあるのだと思います。
「問題はみんなの為に何かやらなければ、また無になってしまうのではという恐れがある、ということと、そこに自分の価値を見出そうとしている自分がいるということです」
このように、何かをする時の動機が、役に立たなければ無価値な存在になってしまうと考えているのですね。
何もしない、出来ない自分は無価値な存在だと、感じてしまう。
成功体験も積み重ね、ご自身の長所も上げることが出来るのに、根底のところで自己否定感があるのです。
それは、役に立てている時、人の評価を得ることが出来た時にだけ、自分を肯定する事が出来るということが言えます。
「ほんの少しでもプラスの影響を与えられる価値、それを実感し、自分はここにいてもいいんだと思いたいだけなのに、頭では考えることが出来ても、感じることが出来ないのです」
プラスの影響を与えられないと、人は価値はないのでしょうか?
そもそも、あなたが出会った人達全てにプラスを与えることは可能でしょうか?
プラスの影響とは人それぞれプラスと考える価値観は同じではないので、これはとても難しいことだと言えます。
無価値感というのは、愛されたいために、または嫌われないためにという動機から自己犠牲や、補償行為を伴います。
この補償行為というのは、罪悪感を感じた場合に埋め合わせる為に別な行為をするということです。
あなたの場合は、無にならないために、人の役に立つ行為や人に与えることが、埋め合わせをしようという思いなのではないかと思います。
この無価値感は、幼い時にご両親との関係で培われてくる思いでもあります。
愛情をもらう為に、何かをしなければいけないという思いがありませんでしたか?
親はいい子にしていたら、~を買ってあげるよとか良く言うものです。
これが過剰になると親は自分の思うとおりにしよう(無意識に)、または期待し過ぎる為に、もっといい子にという要求をしてしまいます。
しかし、思春期になり自我が芽生えると、親の意見にも反発したりという事も当然あります。
愛されたいために頑張るのですが、親の期待通りに出来ない時も当然あります。
そのような時に、自分を否定したり、自分は駄目だと感じたりしてしまいます。
何か良い事をしなければ愛されないという思いになります。
ありのままの自分で愛されるはずが、このような思いで愛されたいと感じると、ありのままの自分でOKという自己肯定感を持つ事が出来なくなるのです。
あなたはあなたのままで良いのです。
人の役に立つ事はもちろん大事なことですが、期待通りにしなければいけないとか、人の役に立つためだけが生きる目的ではないはずですね。
あなたの考える「価値」とは何かを一度じっくりと、ご自身で考えて見るのも良いでしょう。
そこに自分自身を縛っている、固定観念はありませんか?
「こうしなければいけない、こうするべきだ」というような絶対ではない思いです。
もしもあるのなら、その固定観念を考え直すと良いと思います。
考え直すというのは、例えば、時間に遅れるべきではない」という固定観念をもっているとしたなら、「時間に遅れる事もある」という考えも受け入れるということです。
ひとつの考えに縛られうことなく、多角的に物事を見る訓練をしてみましょう。
どうしても辛く、苦しい思いが続くようなら、カウンセリングでご自分を見つめるという作業も良いと思います。
あなたはあなたのままで価値があります。
ご自分を愛して、大切にして下さいね。
2012年3月18日 18時04分
ILYさん、こんにちは。
カウンセリングへいおんの中島です。
ILYさんはここ2~3年のこととしてのご相談ですね。
海外においてのご自分の存在価値を見つけられることができなくなり、それがトラウマとなってのことであると。
ILYさんのご相談内容を拝見させていただき、幾つか気になった点をあげてみます。
まずは、こういう言葉です。
「やっかいなのは、自分にある程度自信があるということです。自分の長所を挙げることも出来るし、成功体験も積んできたし、友人など周囲の人にも恵まれている、評価もされていて、自分ならだいたい何とかなるだろうと思っています。」
それからこの言葉です。
「また、友人はいつでも励ましてくれるのですが、その言葉で克服出来ないことがさらに罪悪感となっています。大好きな尊敬する両親が育ててくれたのに、こんな何の価値もない自分に育ってしまって申し訳ない。こんなふうに考えてしまう自分が恥ずかしい。」
一見矛盾する内容なのですが、実はこれは一貫性があるのです。
どういうことかと申しますと、「大好きで尊敬しているご両親」というものは、心理学的には「越えられない存在を表現したもの」とほぼ同じことなのです。
つまり、ILYさんは無意識的に、ご両親の存在をご自分は越えてはならないのではないかと感じていらっしゃるのではないかと思うのです。
そしてそうお感じになっておられる方々のグループに共通することは、どこかで「自分は無力だ」というキーワードが出てくるということなのです。
たまたま海外という環境にいらっしゃったのでそれが原因のように思われておられるのでしょう。
ですが実はお育ちになられた環境そのものが、今回のILYさんのお悩みなのではないかと思うのです。
この仮説を裏付けるように、ILYさんはこのようにおっしゃっておられます。
「一番深刻な悩みは、友人にしても恋人候補にしても、深い関係になりそうになると罪悪感が生まれてくるということです。何の価値もない自分と一緒にいてもいいことがないのに。私なんかといてかわいそう。少し愚痴を話してしまうと、少し弱音を吐いてしまうと、それを聞いてくれる優しい友人に申し訳なくなります。私はこの人に何もしてあげられないのに、迷惑だけかけてしまっている・・・と。
頭で考えると、自分も話を聞くこともあったりと、何も出来ないわけではないことは分かっているのですが、どうしても自分は無価値だという感覚が抜けません。」
ではこの仮説を前提として、どうすれば根本的な解決に繋がるのかを考えてみましょう。
ご自分の価値を見いだせないでおられるので、どうにかして価値を見出したいという重いが、幹事を受けられたり様々な活動を率先して行わせているのではないかと思うのです。
ここがポイントです。
ILYさんの中に何らかの「焦り」のようなものが芽生えているのだと思います。
ではこの「焦り」をなくせばどうなるでしょうか?
おそらく、あまりご自分から進んで引き受けることはなくなるでしょう。
自分を認めよう、認めてもらいたいという欲求が必要以上に大きくならなければよいのです。
様々な方法がありますが、根本的にはどんなにご自分を卑下されても結構ですから、何でも構いませんので「あるひとつのこと」を完遂なさってみましょう。
これは前述した「人に認められるためにやる」ことであってはなりません。
あくまで、ILYさんご自身のためになることでなければ意味がありません。
小説を書くことがお好きでしたら、短編小説を「書きあげる」ことです。
その際、他の方の認証は必要ありません。
また歌を歌うことがお好きでしたら、カラオケランキングで全国1位を目指すkとでもよろしいでしょう。
自己満足で、大いに結構なのです。
なにかひとつ、誰の力も借りないで何かを成し得たという事実が、ILYさんを大いに前進させてくれることでしょう。
それでもやはり人間ですので、愚痴を言いたかったり、スッキリしたいときはあります。
そんなときにこそ、私たちカウンセラーをお尋ねになられてください。
私たちは「聴く」ことのプロです。
心の内にたまった余分なもののお掃除のお手伝いをする仕事です。
日常生活において接点のない人に話すことが、何よりの癒やしになります。
応援しています。
またご相談くださいね。
2012年3月18日 16時47分