教えて掲示板の質問

「自分はMなんでしょうか」に関する質問

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まりさん

自分について、ちゃんと知りたいです。

私は小さい頃から少し可笑しな子でした。
とても、普通で、とても可笑しな子供です。

その頃は死にたくてたまりませんでした。
死にたいと思っていたのか分からないのですが、自ら不幸に飛び込む子供でした。
今はうろ覚えなのですが、小学校一年生?だったと思います。その頃は家族みんなで川の字になって寝る寝室があって、みんなで眠る。寝る時間帯は違うけどみんながそこで眠る場所。ハートのパジャマがお気に入りで、私は寝る前には必ず自分の手で自分の首を絞めて声を我慢して、カハッって声が出るまで絶対に離せませんでした。それが子供時代の私の睡眠薬でした。

高校は2、3回手首を切りつけました。
そのときは親友が死んで、自暴自棄になっていたんだと思います。高校2年の修学旅行のすぐ後。私は手を見ててその手首の脈が目視で分かるほど脈打っていたんです。そこに死にたいという考えはあまりありませんでした。ただこの脈打つ血管を切りつけたらどうなるんだろうと思って2、3回。
その頃は貧血も凄くて、でも人前だと絶対にありませんでした。
あるのは絶対に一人のとき。家で一人。冷蔵庫から飲み物を取り出したときに視界がぼやけて目が見えなくなるんです。目をあけてものを見ている感覚はあるのにそれが見えない。立っているのに立っている感覚はなくて、それでも無理に立ち続ける。そんな貧血でした。

後は高校時代は下剤も飲んでいました。
別に痩せたいとか難便だとかそういう理由じゃないんです。いや、最初はそういう理由でした。下剤を飲んでから寝たある真夜中に急に目が覚めてトイレに行きました。でも排泄の欲求は全然なくて、頭がぐらぐらしてお腹は痛く唾液を飲み込むことすら出来ない状態でした。それでも私は絶対に誰にもバレたくない一心から耐えました。たった10分ほどです。耐えた後は脱力感に襲われて汗は浮き出ているしベッドに飛び込みました。
ここで懲りて下剤を飲むのをやめればいいのに、あの感覚が忘れられなくてあの感覚に襲われたくて飲んでいました。あれを耐えると凄く解放感が私を包んでくれるんです。

もちろん今まであったことは親も含めて誰も知りません。
私一人だけの時にある出来事です。なんでかもちゃんと理由は分かっています。
これを見られたら私は普通の人のレッテルを剥がされるようで怖いからです。平凡で普通の人。ただの一般人の枠から一ミリだって外れたくないんです。

ちょっと話がそれましたが、本題はここからです。
最近の私は少し歯止めが聞きません。もちろん自制しているので誰も知りませんが知られたとき、私はどうすればいいんでしょうか。
人が残虐に痛め付けられている声や、描写を見ると一瞬だけ、一瞬だけ快楽を味わってしまいます。例えば成年漫画を貸してもらった時にもちろん欲情して見ていたのですがふいにキスしている男は女の目玉を抉ったんです。もちろんそんな目をとる雰囲気全くなかったのに、いきなり。私はそこに一番快楽を得て声までだしてしまいました。それが快楽なのか、それとも恐怖なのか。自分の顔を見れない私にはそれが分かりません。ただ快楽を味わっているという振りをしている馬鹿なのか。欲情しているのか。私の瞳孔は開いているのか、閉じているのか。分からないのです。

私は自分を普通の人だと思っています。これからも。
ただ、自分が分からなくなってきたんです。
普通の人でも誰かを殺したいと思うしいじめるし苦痛を乗り越えたら解放感があると思っています。私の場合それが極端なだけで、私は普通の人と同じ普通の人です。
もちろんその快感に浸りたいことだってあります。例えば貧血が再発したり、例えば目の前で人がはねられたり。でもそれは私の一般人ルールに反します。
結局私は何を聞きたいのか分からないのですが、私はただmっけが強いのでしょうか?
だとしたら、少し直したいです。助けてください。

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2016年12月14日 02時56分

教えて掲示板の回答

カウンセリングスペース ヒーリングフォレスト

はじめまして、まりさん。
お悩みの書き込み、ありがとうございました。
自分自身の事を、よく観察しておられますね。

観察はされているんですが、ここに書き込まれた内容だけでは何とも言いようがない、というのが正直なところです。

恐らくまりさんのココロの中には様々な想いが渦巻いているのでは、と想像します。
ですが「普通の人」と思われたいがために、こういう場でも、普通を「装っている」と感じられました。

カウンセリングやセラピーで、まりさんのココロの中にあるものをすべて吐き出す事が必要かな、と考えています。


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2016年12月15日 10時23分


『ユトリロの庭』カウンセリング

まりさん、はじめまして。『ユトリロの庭』カウンセリングと申します。
 このサイトを通して、トラウマや生きづらさを抱える方々のケアをさせていただいています。

 実は私も小さい頃、少し可笑しな子だったかもしれません。
小学生のころにはすでに、死にたいというか、大人になる前に死のうと決めていました。
 でも今は、それが死にたいのではなく、「生きたい、生きていると感じたい」という思いの裏返しだったような気がします。
 
 お気に入りのハートのパジャマで、自分の首を絞て息ができなかったら、
カハッって声が出たとき、「ああ、助かった。死ななかった、生きてるぞ」って実感するのではありませんか?

 親友が死んで、死をすぐ身近に感じた高校2年のあなたも、手首の脈が目視で分かるほど脈打っているのを見て、「生きている自分」を感じたはずです。たぶん。

 だから「そこに死にたいという考えはあまりありませんでした。」
そのはずです。
そして、ただこの脈打つ血管を切りつけたらどうなるんだろうと思って2、3回。
これは、「死ぬような目にあっても自分は死なない」という経験を繰り返すことで、
死の恐怖から逃れるためだったのかもしれません。
 
 東日本大震災のあと、生き残った子供たちが、
「津波が来たぞー!」と叫んで逃げる、津波ごっこを繰り返したそうです。
家族を亡くした人が大勢いる中で不謹慎と言う大人もいたようですが、
子どもたちの心の癒しのためには、必要な遊びだったのです。

  気になるのは、人前では絶対に起きない「貧血」です。
人前でならないのですから、貧血判断したのはご自分ではないでしょうか?
お医者さんに行かれましたか?
視界がぼやけて、目をあけてものを見ている感覚はあるのにそれが見えない。
立っているのに立っている感覚がなくなる。
もしかすると、精神的なことが原因で起こる解離という症状だったのかもしれませんね。強いストレス状態にある子どもや若い女性に多いといわれます。

下剤もパジャマで首を絞めるのに似ていますね。
あなたの表現も似ています。
排泄の欲求は全然なく、10分も苦しみに耐えた後、脱力感に襲われてベッドに飛び込む。あの感覚が忘れられなくてあの感覚に襲われてると凄い解放感が包んでくれる。

 最近、歯止めが利かなくなっていると感じるのですね?
人が残虐に痛め付けられている声や、描写を見ると一瞬だけ、快楽を味わってしまうのですね?
「それが快楽なのか、それとも恐怖なのか。」
ご自分の言葉が語っておられる気がします。
死の恐怖を通じた生きている喜び、という表現はいかがでしょうか?

 「もう死ぬしかない」という希死念慮にとり憑かれたある女性は、スキューバダイビングや冬山登山、パラグライダーなどの、「死と隣り合わせ」なスポーツと出会って、
生きている実感を得ることができ、生きる喜びを知りました。
 
 誰でも憎しみなどから誰かを殺したいと思うことはあるかもしれませんね。
 自分より弱い、劣っていると感じられる誰かをいじめて、優越感に浸り、自分の存在が大きいと感じたい人もいるでしょう。
 確かに苦痛を乗り越えたら解放感が湧き上がります。
 でも、そろそろ歯止めを利かせておかないと、これ以上はヤバい、と思う。
 でも、やめられない。

 私もまりさんはもうこれ以上、嗜癖(しへき)が進行しないほうがいいと思います。
 

 まりさんの場合もそれが極端なだけで、まりさんは普通の人と同じ普通の人、なのかもしれません。
では、
「これを見られたら私は普通の人のレッテルを剥がされるようで怖いからです。平凡で普通の人。ただの一般人の枠から一ミリだって外れたくない」
という感覚は何でしょうか。
 『私の』一般人ルールについても、もっとよく聴いてみたいと思います。

 そもそも、首を絞めたり、リストカットしたり、残虐なシーンを見て快感を得なければならないほどの「死の恐怖、生への渇望」が幼いころのまりさんにどのように備わったのでしょうか?
 それこそが解決の糸口という気がします。

 また不可解な貧血はなぜ起きたのか、貧血は貧血なのか?
 再発の可能性があるのか?

「自分についてちゃんと知りたい」という、まりさんの思いは本物でしょう。

「少し直したい」と控えめな言葉の後にある「助けてください。」が、
もし、あなたの本当の心の叫びなら、メールをお待ちしています。

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2016年12月15日 05時15分


お礼コメント

回答していただきありがとうございます。

長文だったため、書かなかったことをここで書かせていただきます。
多くの先生が取り上げている「死にたい」の感情についてです。
兵士が戦から帰った後も戦に帰る。死を覚悟して生き延びる快感はこの世の一番の快感だと言うかたもいるくらいなので、確かに私もその快感を味わいたいだけなのかとも思いました。
しかし、文中でいっている通り、私には「死にたい」という感情はないんです。
もっと馬鹿なことを言えば「死」は知っているのです。
死んだ先に何があるのか。永遠のテーマですよね。地獄があるのか。天国があるのか。はたまた何もないのか。幽霊になるのか。
私には「死」は何も見えない何もない永遠の孤独だと思っています。声を出しても誰も答えず目を開けているのに何も見えない。そんなところ。

自傷行為をしたからでも、苦痛を乗り越えたからでもなく、ただ最初から死(孤独)が備わっているんだと思うんです。だからこそ先生が言う、「生きている自分」に執着しているんだと。

一般人のルールに関しては分かりやすいです。
捕まらないこと。自分という人間が目立たないこと。それだけです。例えば簡単なテストでも60点をとり、適度に失敗して適度に成功する。優れた能力なんて一切ないし、適度な馬鹿。アーティストでも起業家でも明日の食事も困るほどの孤児でもない平均的な日本の一般的人間のことです。

先生の回答のお陰で少しですが自分について、気づくことができたような気がします。私が求めているのは「死(孤独)からの脱出、生(愛)の渇望」なんだと思いました。

これだけでは貧血だけは自分から望んだアクションではなかったので、なぜ起こったのか、あまり分からなかったのですが大分に自分が分かる気がしました。
ありがとうございます。

2016年12月15日 10時18分

追加コメント

まりさん、少しでもお役に立てたなら嬉しいです。
人間は社会的な動物ですから、社会の枠から外れる、普通でなくなることは、まりさんにとっては死に繋がる恐怖かもしれない。
貧血が貧血でなく解離ならば、ストレスはトラウマになるような激しいもの、記憶から消すようなレベルのものかもしれません。
ぜひ継続してご自身の問題に向き合ってください。
まりさんの嗜好は生を渇望する自傷であり、生命の危険を試しているのです。
性的な欲求と結び付いていることから、パートナーができたり、一時的でも自分でコントロール不能な状態に陥ると、生と愛への渇望が、ご自分ばかりかパートナーやそれ以外の生命や健康を危険にさらす可能性をはらんでいます。このように危険性を示唆することじたいが、あなたにはよくないのかもしれませんが、状況を言葉どおりに受け取ってくださることを望みます。
今のうちに専門家から心のケアを受けることをおすすめします。

2016年12月15日 12時14分

お礼コメント


返信に感謝致します。
先生が一番私の知りたいことを教えてくださることだったので再度返信をさせていただきました。
これ以上のやりとりはきっと無償ボランティアになってしまわれるかと思いますので、この文に返信は不要です。

先程の文からきっと先生は愛を知っているのだろうとお察しさせていただきました。生きていると感じたいと願い、それを今実感していることでしょう。
「生と愛」という表現にそう感じました。

少し、私とは違う考えです。
私にとっては「生が愛」なのです。
人は見ず知らずの他人のために同情し、他人と愛を語らう。何一つ理解ができず、考えても考えても答えにはたどり着けませんでした。
もちろん。私だって他人と愛し合ったことはあります。しかし愛してるの言葉もキスもセックスも何もかもが私には何一つ心が満たされないんです。死は一人きりだが、生を感じるには他者が必要不可欠なんです。でも、私には一方的にその人のことを愛しているようにしか感じられませんでした。死を孤独と表現したのはその理由です。周りに人がいて、みんなが私を愛してくれると囁いても、私にはその言葉はただの言葉でしかないんです。感情が私に届いてくれないのです。感情が共有出来ないんです。凄く馬鹿なことをいっているのは分かっています。しかし、私も他人を認識したいんです。自分だけではなく。他人を感じとり、目ではっきり見て、言葉に嬉しさを抱き、脳が喜ぶそんな感情を私も共有したいのです。彼がなぜ笑っているのか。彼女がなぜ笑っているのか。なぜ悲しいのか。なぜ嬉しいのか。
きっとこの馬鹿な気持ちをわかってくれる人は早々いないでしょう。自分を、他人を「愛してあげてください」というカウンセラーの方々は特に。この孤独感を鼻で笑うことでしょう。意味が分からないと。鼻で笑わなくとも、理解できず話を変えてしまうことでしょう。

しかし先生のいう快楽のコントロールが外れることはありません。
その前にある大前提として、私は自分に一般人であることをルールと決めています。だからこそ、一人になったときにしか行為をしなかったんです。
本当にだんだんと自分がなぜやっていたのかが分かってくるようになりました。
ここで、この質問をしてよかったと思います。

ありがとうございました。

2016年12月15日 14時27分

追加コメント

サイトのチェックが遅れてしまいました。
 まりさんの「生が愛」わかる気がします。感覚ですが。
愛のない生ほど苦しいものはありませんから、逆もまた正なりでしょう。
 少し付け加えるなら、愛してるという言葉も、キスもセックスも、愛情を表現する「手段」であって、愛ではありません。これははっきりしています。
 これらの手段を使ってあたかも愛がそこにあるかのように装うことは可能です。
極端な例は性風俗の女性、不倫がやめられない男性は、意識か無意識か、手段が先になっていると思われます。
なぜなら、セックスがなくても、言葉がなくても、愛は存在しうるから。言葉や耳に障がいがある人も、半身不随で性的関係が持てなくても、愛し合い、結婚するカップルはいます。
 愛とは、その人の命、存在、考えのあり方すべてが自分と違っても、その有り様を、ありのままのその人を尊敬し、いとおしみ尊重し、受け入れようと努力し、理解したいと思う心だと思います。
 他人がわからないとおっしゃるあなたは、愛着の問題を持っているかもしれないし、ただ他人に対して理性で心を閉じてしまっているだけかもしれない。
 いずれにしても、言葉やセックスや血や痛みといった、表面上の手段や出来事にではなく、心の繋がりを持てる出会いがありますように、お祈りしています。
 いいお話、いろいろ話してくれてありがとうございました!

2016年12月19日 18時13分

ハートケアsnowmoonlight

こんにちは。
メールの内容を拝見させて頂きました。
可笑しな子ではなく心が辛かったのではないでしょうか。
ただ高校の時に親友がなくなり自傷行為をしたという事が気になりました。
自分を苦しめないで下さいね。
今までの事を治すには凄く簡単です。
幸せになるための時間を考えたら良いかと思います。
今まで考えた時間を自分磨きや勉強の時間にあてたらどうでしょうか?
その方がより女性らしくなりますよ。
人生を楽しみましょうね。
自傷行為・心を傷つけるのはやめて幸せになって下さいね。

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2016年12月15日 00時00分


ファミリーカウンセリング八王子

まり さん はじめまして

そうですね。基本的に、ご自分を責めてしまう様子ですね。
「親友が死んで」と言うことから、少なくとも心の傷はありますから、それも一つの原因でしょう。ご家族に打ち明けられたら、もう少し楽になるのですが、それができない事情があることが一番の原因だと思いますが、いずれにしても、お一人では解決できないことなので、早めにカウンセラーの力を借りましょう。

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2016年12月14日 23時04分


IAP横浜相談室

IAP横浜相談室の伊藤と申します。

何一つ確信的なことは申し上げられませんが、前段の手首を傷つける行為や下剤を飲む行為は、依存・嗜癖・アディクションという視点で考えることが出来ます。

何か物・行為・人間関係などにとらわれ、繰り返してしまうのは、その時に脳でドーパミンが多く出て、「快楽」を得られるからと言われています。文中にある「解放感が私を包んでくれる」という表現がまさにそれに値するのではないかと思われます。

そこには、快楽を求めなければならない何かがあるとも考えられます。体質だったり、どのように育っていったのかとか、そもそも人間は「快楽」を求める性質もっているとしてしまえば、何も問題のない一般人そのものかもしれません。

しかし、本題につながるのですが、子供のころに何か大きな心の傷が出来たという物語も十分考えられることです。

虐待された子供が施設の中で支援者との関係で虐待した親との関係を再現してしまう。暗闇でレイプされた女性が、何故か薄暗い道を歩いてしまう。このように過去に心の傷を負った状況をなぜか自分から再現してしまうということが臨床的に報告されています。

では、なぜ再現する必要があるのか、これは私の主観であり確かな情報ではありませんが、自分が生きていられるということを証明できるか自分で確かめているのではないかと考えています。同じような場面に直面しても自分は大丈夫そんなことを確認しているのではないでしょうか。残虐行為に快感を感じてしまうということですが、どこかで被害者と自分を重ねていることはないでしょうか。もしそうであれば、それが確認行為であるといえるかもしれません。

また、残虐行為に対してなぜ快感を感じるかというと、人は極限状態になると、脳が壊れないために防衛機能が働くと言われています、それがドーパミンの快感かもしれませんし、記憶を体から切り離すことかもしれません。

残虐行為に快感を感じても、あなたの中で不快感・恐怖感・もうやめてほしいという感覚も同時にあれば、あなたは異常ではなく普通の人間の感覚をもっていると私は思います。

そのうえで、生活上何か困ったことがあれば、何かしらの治療・回復が必要な状態かもしれません。その時は、本当にあなたの力になってくれる人を探してほしいと思います。

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2016年12月14日 22時37分


Freedom Counseling School

はじめまして、

コメント拝見しました。

「自分はMなんでしょうか」とのご相談ですね、

コメントの感じからだけではわかりません!

人の快楽は個々に違いがありますが、

痛みによる快感などは「虐待」が隠れているケースがあります。

危険な行為はできるだけ止めてください。

メンタルのチェックはカウンセリングを受けることでわかります。

寂しさや不安感を消すためや孤独に負けそうな時に「自傷行為」は

起きます。

もっと詳しく知りたい場合はご連絡ください。

参考まで

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2016年12月14日 18時19分


お礼コメント

回答に感謝致します。

残念ながら私は一切虐待を受けたことがありません。
父は末っ子の私を甘やかしましたし母とは友達のように仲のいい関係です。
姉と兄もいますがごく一般的な兄弟関で、周りにいる友達も小中高と先生にも恵まれていました。

一つ言えば確かに孤独に耐えきれないからかもしれないと気づきました。
この度はありがとうございます。

2016年12月15日 10時25分