教えて掲示板の質問
「何故命はあるのか」に関する質問
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やすぼーさん
高校2年の時でした。
小、中と仲の良かった、でも中学卒業以降全く連絡もしないでいた友人から手紙がきました。
内容は久しぶりに会って話したいことがあるので連絡してほしいとのことでした。
電話番号も書いてあったので連絡したら近いうちに会いたいといわれました。
そして何の話だろうとウキウキしながら行ったら友人は知らない男の人と一緒でした。えっ!?一対一じゃないの?と思いつつもその人についての話なのだろうと思いそのままベンチで話すことになりました。
話の内容はなんかよく覚えてないけどこの世界にはいくつか世界があってどうとかこうとかいわれました。
そして北だかを向きながら1日15分おきょうみたいなのを唱えると体が楽になりいいことがたくさん起こる。とかいわれました。
そして流れでどんどん進んでいき、なんかよくわかんないのにサインさせられじゅじゅ?とおきょうぼんみたいなのもらいました。そして人がたくさん増えました。
でなんかおきょう一緒に読もうとか言われて読みました
でそのあとこの会に入ったら不幸は起こらない。東北の大震災でもこの会に入っている人は偶然布団が倒れて来たりして助かっただの癌が治っただのいわれました。
そして死んだあと今の記憶を保持したまま生まれ変われるといわれました。
なんやかんやあってやっと帰れるようになった僕は今日の事は親には内緒だと言われていましたが一番に母に相談しました。
そのあとのことは母がどうにかしてくれたようなので分かりませんがもらったものはお返ししたし、その友人との連絡はすべて切りました。
なのでもう関わりはありません。
と、長々書きましたがここからが質問です。
あのおじさんが言ってた事がすべて嘘だというのは明らかです。
ですが、死んだら記憶を保持したまま生まれ変われるというのがずっと頭にありました。
それからもう何年かたちましたが日に日に死が恐くなりました。
死んだら記憶を保持したまま生まれ変われるが嘘ならば死んだらすべてはなくなります。
記憶がない、意識がないというのは無です。
何も感じることもできない無になってしまいます。
こんなに恐ろしい事はありません。
ではいつか必ず死んでしまうのに何故生まれたのでしょうか。
それは両親がいたから。祖父母がいたから。もっと前のご先祖様がいたから。原始人がいたから。とどんどん遡ると確か最初の誕生は魚類だったとおもいます。それよりもまず地球があるから。宇宙があるから。と続いてきた結果として今の僕がいます。
そして僕らは過去を知ることは出来ても未来を知ることはできません。
昔の人の誰がスマートフォンの存在を知れたでしょうか
そして人は2度死ぬという言葉があります。
1度目は普通に、2度目は自分の存在を知るすべての人に忘れられた時。
でも、自分が死んだ時点で何も認識できないのだから他人の心の中で生きるというのは残された側の意見であって死んだ僕は認識できません。
つまりこれから先の未来で何をおこし成し遂げ名を上げその名が世界中に知れ渡ったとしても僕は何も無い永遠の無です。無すら無と認識できないまま。
世界はすべてが循環している。
地球に太陽が当たるから大地に日がさし、水蒸気がたまり雨が降る。そして水があるから草木は成長し植物は育ちます。それを食べる動物がいればさらにその動物を食べる動物がいます。
共存だの食物連鎖だのがあり人間もまた例外では無いでしょう。
一応人間がトップにあるわけですし。
そして人間が死んだとき補食されるかも知れないし灰とかになりそこそこに土の肥やしにはなれるかも知れない。
僕も世界の一部なんだ!みたいなの考えもしたこともありました。
ですがそれもよく考えてみたらちがいます。
すべての世界に生きるものが循環している、世界は僕の一部であり僕も世界の一部なんだ。
ということはさっき殺した虫とかも例外では無いはず。
しかし奴らは大抵ティッシュなどでくるまれ人間が発展させた焼却炉などでゴミとして捨てられる。
何かの役にたってますか?
外で土の上で死んだのなら肥やしになれるかもしれない。
でも燃えてなくなってんじゃん。なんにも食物連鎖にすら組み込めてない。
何のために存在したんでしょう?
これは人間にも言えることです。
あと幽霊だの死後
の世界だの輪廻転生だのもすべて人間の抱いた幻想です。
そんなものあるわけがない。
何故人間の魂だけが特別扱いで幽霊になれるんですか?
転生できるんですか?
世界には命あるものがたくさんなのに。
天国だの地獄だのもおかしな話。
そして本当にだったらなんで僕は生まれたんだとなります。
いつか両親が死んでしまったら見守ってくれてるとかおもいます。
でもそれはこちらの自己満足です。
幽霊なんていないんだから。残された人間が見守ってくれてたらいいなーと思い込んだものです。
いつか僕も結婚して子供ができて自分が死ぬとなったら死んでも子供を見守り続けたいものです。
でもそれは叶わない。死んだら無だから。
こんなにむなしい事はありません。
このなんとも言えない恐怖はどこにぶつければいいんですか?
とりあえずこういうの考えるのはもう疲れました。
もっと楽しく生きていたいです。
でも頭がもう勝手に考えてしまうのでどうしようもない。
もともとの僕の性格がひねくれているためどうもできないかもしれませんが何か意見を下さい。
2016年5月15日 05時56分
教えて掲示板の回答
Counseling Room 〜未来への光〜
こんばんは、未来への光、華です。かなり、難しい事を考えていらっしゃいますね(^_^;)
私の考え方ですが、人間がこの地球上でトップクラスとは思っていません。何故なら、同じ太陽を浴びて、同じ空気を吸い、同じ水を飲んでいるからです。知っていますか⁉️猫は2キロ先の音が分かると言われています。しかし、人間には分からない。犬の嗅覚は、分子の濃度が何万分の1でも嗅ぎとる事が出来る。しかし、人間には出来ない。昆虫は、完璧な状態で出来上がっている為、進化をしなくても生きていけるそうです。そう考えていくとただ単に、おのおのの特殊能力の違いではないでしょうか。だって、人間の物を作る技術は凄いけれど、天災にはやはり叶わない。人間だからと、傲慢になってはいけないのだと思いますよ。
2016年5月20日 23時54分
ファミリーカウンセリング八王子
はじめまして
あなた様のお気持ちが整理できると良いと思います。
ご自分だけでは、自覚しても思い通りにならないことが多いので、相談を受けながらの方が安心できます。
どうか、いま少しの勇気を出して、ご相談ください。
ファミリーカウンセリング米田(東京都)
http://orange.zero.jp/zbf59793.park/index.html
2016年5月17日 21時10分
やすぼーさんが今ここで提起されている問題、いわゆる形而上学的次元の問題ですが、紀元前から多くの哲学者、宗教家が取り組んできたものです。
このような問題に疑問をもち、自分なりに思考するというところは、一般的若者たちとは全然違うと思うし、これから先も色々悩みながら、思索を深めていったらいいと思います。
将来が楽しみです。
念のため、参考意見を羅列しておきます。
1 一応の教養として、主要な哲学者、宗教家の説を理解しておいたらいいかと思います。
仏教説は言うまでもないとして、西洋哲学でもショーペンハウアー、ニーチェあるいはベーコン、ヒュームなどは、やすぼーさんの思考になじみやすのではないかとの印象です。
2 なぜ命はあるのかという問題提起になっていますが、人生の意義や価値をどこに見出すか分からないままに生き、歳をとり死んでいくのが世間の平均値でしょう。
自分で幅広い勉強をし、色々な現実にぶちあたり、確かめながら自分の考え方を確立していくのがいいと思います。
科学が発達するほど未知の世界が広がるのですが、ろくに知りもせず勉強もせず、権威を鵜呑みにして浮かれている人たちがあふれています。
世の中に蔓延している底の浅い低能な議論、俗説、通説に流されないように、惑わされないようにした方がいいでしょう。
3 大事なのは事実を事実として、冷静に 正しく見る眼です。
些細な良いこと、日常的な良さをも見ていく眼です。
間違い、まやかし、偽りに惑わされないためには人格が大事です。
日常的な大切さを軽視せず、人を傷つけないように心がける一方で、どうでもいいような小事些事にこだわる性格、つかんで放さないような性格が目を曇らせます。
行き過ぎのないように、中庸中道を忘れないようにしましょう。
2016年5月17日 20時40分
初めまして電話カウンセリング大山桃子です。
拝見させていただきました。
何故命はあるのでしょう・・・謎ですね。
ただ一つ言える事は
高校2年の時の出来事ですが彼らはそう『思っている』
あなたは『そう思わない』
記憶がない、意識がないというのは無です。
何も感じることもできない無になってしまいます。
こんなに恐ろしい事はありません。と『思っている』のですね。
とりあえずこういうの考えるのはもう疲れました。
もっと楽しく生きていたいです。と『思っている』んですね。
でも頭がもう勝手に考えてしまうのでどうしようもない。
と思うんですね。
一人一人が何かを信じて何かを『思』っていますね。
幽霊があるという人には幽霊があり
幽霊がないとおもう人には幽霊がない
勝手に考えてしまうのは
『気づく』ことでかえる事は出来ます。
死後は死んでからでないとわからないですね。
2016年5月17日 18時07分
クラリオンヒーリング(気功・整体)
やすぼーさん、はじめまして。お悩みの内容、拝見いたしました。
やすぼーさんが、感じている世界観とは異なる考え方を提示して
みたいと思います。どうぞお考えください。
前世の記憶を知っている、あるいは生きていく中で蘇ってきたと
いう話は聞きます。それが、真実なのか?知るすべはないので
そのような考えを持った人がいるということを、認識するしかないのです。
やすぼーさんは、記憶がないことが恐ろしいと思っていますが
例えば前世で恐怖体験をした場合、そのことが今世まで記憶が残って
いた方が良いとお考えでしょうか?よくお考えください。
やすぼーさんは、自分の存在がどのようなつながりの中で存在できたのか
地球規模で知りたいようです。現在の自分は、過去先祖代々つながりを
持ってきた中で、その誰かが欠けていたら、ご自分の存在はなかったと
考えることはできないでしょうか?もしこのことに、気が付けば命の尊さに
気が付くはずです。
食物連鎖や世界は循環しているという考え方も、もう少し広い視野で
考えたほうが良いと思います。何かが存在するというのは、その存在
することに意味があるのです。
人間は、動物の中で唯一思考のある動物です。その為、自分の存在意義を
考えるのです。その存在意義を、見出すために考え行動するのです。
今、こうして我々が生きられるのも、先人達の崇高な考えや行動に
よるものなのです。物質社会だけを考えれば、そのお陰で数年前と
比べるとかなり便利な世の中に変わりました。
やすぼーさんは、ご先祖様が見守ってくれることが自己満足と思っていますが
それで、十分良いと思いますよ。その理由は、守られていると思っている
ことで、人生において間違った選択はしないという意識になるからです。
子供を見守る事ができないとしても、やすぼーさんの子供が今の
自分と同じような考えて生きられるように教えていったら良いと思います。
やすぼーさんが、抱えている恐怖感は思い込みなのです。
考え方を変えるには、自分の世界観だけに固執しないことです。
他人にも、別の考えがあり、どのような論拠で考えているのか分析
することです。
生きることが楽しいと感じる人が増えてくると未来は明るくなり希望が持てます。
どうぞ前向きにお考えください。
2016年5月17日 14時32分
洞内整体
やすぼー様
何故命はあるのか?
とても深いですよね。そして答えが無いからこそ考え続けていても堂々巡りになってしまいます。
人は間違いなく死ぬ
これは分かっている事です。
そしてもう一つ確かなのは、死後の世界から生き返った人もいない。
つまり死んだらどうなるか?というのは誰にも分かりません。
天国や地獄があるのか、死んだら無なのか、それは誰も答えを知りません。
ただ、信じる事は自由ですよね。だから宗教というものがあります。
やすぼー様が今考え、悩んでしまう「命」というテーマは、誰しも一度は考えてしまう事があるもので、おかしな悩みではありません。
もしかすると、今のやすぼー様にとって必要なタイミングでこのテーマが浮かび上がっているのではないでしょうか?
考えるのに疲れてしまって楽しく過ごしたい。けど頭をよぎってしまうのですから、あえて
とことん考えてみるのもいいかもしれません。
ただ、答えの無い事を延々と考えていてもそれは疲れるだけですので視点を変えてみてはどうですか?
例えば
やすぼー様だったら、どういう最期を迎えたいでしょうか?
インディアンの人達はこう考えるそうです。
生まれた時は泣いて産まれ、周りからは祝福(笑顔)される。
死ぬ時は笑って死に、周り(残された人)は悲しみ泣く。
つまり、産まれた時と死ぬ時は逆でなければならないと考えているのですね。
やすぼー様は、自分が死ぬ時に周囲に喜ばれたいと思いますか?
それとも、自分の家族、友人に悲しまれたいですか?
確かに死んでしまったら確認する事は出来ないかもしれませんね。
しかし、死んで喜ばれる人生と悲しまれる人生の「生き方」は絶対に違いませんか?
結果的に悲しまれたかどうかが重要ではなく、自分が生きている間、どうあるべきか?
が重要ではないかと私は思います。
何の因果か分からないけれど、今私達は生きています。
生きている理由なんか分からないけど、どうせ生きるなら自分らしく生きてやろうと思っています。
やすぼー様の人生は、やすぼー様にしか生きられません。
他人のために生きる人生ではありません。
それはワガママに生きるという事ではなく
どういう最期を迎えたいか?そのためにどういう人生を送るのか?です。
誰しも明日生きている事を約束された人はいませんね。
交通事故という事もありますから。
もし今日が最期の日だったら、何をしますか?
この質問に対し、多くの人が「お世話になった人に感謝を伝えたい」と答えます。
「現在」は英語で「Present」(プレゼント)です。
今を生きる事は人生のプレゼントですよ。
やすぼー様、どうか今を大切に生きて下さい。
死や無が怖いという事は、まだまだ生きようとしているという事です。
悩みは人生の宿題です。
この悩みを通して、また一つ成長します。
どういう人生を送るのか?
そのために今何をするのか?
ご質問のお悩みに答えられていないかもしれませんが、ご参考までに。
2016年5月17日 13時43分
のりむら事務所
初めまして。
宮城県より、仙台のりむら事務所、福田と申します。
成る程、やすぼーさんのご質問、とても興味深く
その着眼点に感心しながらも拝見させて頂きました。
実は私も同じように疑問を持った経験がありました
「死ぬのが怖い」「人生は何の為にあるのだろう」と。
数年前にスティーブン・ホーキング博士が雑誌インタビューに回答した発言か日本でも物議になりましたね、確か東日本大震災の年あたりだったかと記憶しておりますが…
彼の発言を転載させて頂きました
>「人間の脳は機械のコンピュータと同じで、壊れたらその機能を失う」
「壊れたコンピュータはそこで終わりで、あの世の世界はない。あの世の存在は、死を恐れる人たちのファンタジーでしかない」
やすぼーさんの質問をみて、私が真っ先に思い出した人ですが、彼は勿論、彼の専門分野である物理学的な見地から、こう仰ったのでしょう。
但し、証明はされていませんね、あくまで仮設〜憶測での回答です。
そもそもの学問とは、人間が知能を持った時点で生まれた漠然とした恐怖(未知)に対して、更なる英知を持ってして打ち勝とう!というところから始まっているのではないでしょうか?
「医学」「宗教哲学」などは、かなり直接的に、今回ご質問にあるような恐怖〜疑問に立ち向かおうとする学問ですが
今回やすぼーさんのご質問のきっかけとなった出来事も宗教哲学に関連するような内容ですね。
その他にも数学であったり、音楽や文学などでも、結局は同じような恐怖を克服〜緩和、納得するべくして、日々研究が勧められていると言っても過言ではないのではないでしょう?
やすぼーさんも「意見が欲しい」と、最後に仰っているように
結局、人は知りたいのです。
例えば前途したホーキング博士は、物理的見地から、無の存在を明確に知っておられます。
あくまで理論として、でしょうけれど。
察するに
やすぼーさんが「無」に恐怖を感じられるのは
明確な「無」を知らないからではないか?と察するのですが、如何でしょう?
知を持つ人間にとって「自分に理解出来ない事」は、すべて恐怖であるとも言えますね。
確実な答えの出せない、予測不能な何かに対する焦り〜不安なども、その一部。
ちなみに私事ではありますが
かつて自分自身もが漠然と恐れていた「死」「生きる意味」について
今の私自身、さほど恐れる事が無くなりました。
やはりそれは、「どうして自分は死を恐れるのか」「恐怖とは何か」を(私の場合は心理学的見地から)知れたかに他ありません。
ただ、そこで問題になるのが
そうそう簡単な「答え」では無いため、このような場所で、まして文字だけを以てして、やすぼーさんに回答を渡すような事が叶いませんし
やはり、それ相応のベースがあって理解出来る回答であるという事。
例え話になってしまいますが
「(数学)ああ、ボアンカレ予想の答えね、証明出来たから、ここに書いておいたよ」と渡されて
一般の人が理解納得出来るものどうか???
如何でしょう?
はっきり言って、理解出来なくとも人生は楽しめますし
天国があろうが無かろうが…いまを生きて行くのに、何の障害もない筈です。
ただひたすらに、未だ来ぬ明日の事だけを考えて、今日を無にする事は簡単ですが
馬鹿らしいでしょう?
ひとつひとつを知る為に、この命を引き換えに使うのです。楽しみにしながら。
知る事は快感ですし
予想を叶える事も、日々「未来」に近づく事も幸福には違いありません。
他人から見て騙されて居ようが…続ける事が叶う限り、都合良く信じる事も幸せな事なのです。
実際に、やすぼーさんは未だ証明もされていない「死んだら無になる」説を信じておられるようです。
上先生も仰って居られるように、人間であるならば、学ぶ事こそが大切なのではないでしょうか?
「無」を記そうとするときに、そこは決して空白でない。人それぞれ。
「無」=「恐怖」と、なぜか結びついている、やすぼーさんなりの理論を、議論してみたいなと思いつつ
ぶつける相手が居ない時に、カウンセラーというツールもお勧め出来るかも?を回答に変えさせて頂きます。
2016年5月17日 12時55分
セラピーコア
セラピーコアです
http://satomin414.wix.com/therapy-core-3
何故命はあるのか?
哲学的な疑問にぶちあたって
考えずにはいられない状況ですね。
命に対して
考えるという行為は人間特有のものです。
死という概念を持ったものだけに突き付けられる難題です。
まず、どの分野の切り口で突き詰めたいのでしょうか?
答えは一つではないと思います。
百人百様
多くの先人がそのことに悩み、苦しんで今日に至っていると思います。
その何故に
納得できる自分の答えを見出すのが
それぞれの人生哲学になるのではないでしょうか?
セラピーコア
http://satomin414.wix.com/therapy-core-3
2016年5月17日 12時46分
Freedom Counseling School
はじめまして、
コメント拝見しました。
男性カウンセラーです。
「何故命はあるのか」との御相談ですね、
副題は・・・どうしたら楽しく生きることができるか?
でしょうか・・・
人間は成長すると色々な関係が出てきます。
宗教の勧誘などもそのひとつですが・・・
次に、ビジネスの勧誘など
人は心の悩みを解決する方法を、
思想や哲学、または宗教などで解決してきました。
人間の生命は不思議だらけです。
あなた自身がこれから困ったときに何を信じて生きて行くのかは、
あなたの自由です。
自分自身が幸せになるために、色々な分野の学び幸せになることが
人間の喜びだと思います。
参考まで
FCS
Masahiko D. Noguchi
2016年5月17日 11時21分