教えて掲示板の質問
「自分を大事にするとは」に関する質問
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さかなくんさん
いろいろ悩んだ末に、もしこの世に答えがあるとすれば「人の数だけ答えがある」のかな?と思うようになってきたこの頃です。
突き詰めると、世間的にはタブーにされてますが、自分が正しいと思ったことが正解ってことなのかな?と思ったりしています。(正解があるとすれば、、)
しかしこの自分が正しければそれでいいっていうのは、自分が正しければなんでもしていいのか?!って話になるような気もして悩んでました。
うまく疑問に感じていることが言葉に表せないんですが、
自分は今までどちらかというと自分さえよければそれでいい感じで人生を過ごしていたように思います。
それは、母親は自己犠牲的な精神。
人に尽くすタイプで、自分よりも他人のためでした。
でもそれで人生楽しそうに見えない僕は、自分の機嫌が一番大事な主義でした。
だから母からしたらとてもわがままで育てにくい子に見えたのかもしれません。
母親は末っ子で自分は長男。
母親は姉たちからいじめられてきてるので、自分が一番に振る舞う人はわがままに見えてしまったんじゃないか?とさえ思います。
でも、親を散々憎み切って、非行に走ってから、少しだけ親がどんな状況で自分を育てたのか理解してくるようになりました。
でも親だけじゃなくて、学校や社会にでてからも、人の気持ち考えなさいとか言われてきて、自分のことだけ考えるのはあまり受け入れられなかったように思います。
まわりには、じぶんの行動は支配的に感じたようで一緒にいると疲れるとか、自己表現をしているつもりが、相手からしたらただの情緒不安定で、不安定になると攻撃してくるだ怖いひと扱い。
また自己主張してるつもりが、相手からしたら自分の意見を押し通さないと気が済まない人にしか思えなかったようで、付き合いきれないわと。
知人に相談したときは、相手の気持ちかんがえてられないでしょ、あまりきにしなくていいんじゃない?と言われました。
僕は最近自分のご機嫌をとるということは、自分第一になり、結果的に自分勝手に生きることになると思うんです。
人に言われることにまだまだ振り回されてるのが、人生がうまくいかないのでしょうか?
それとも自分を大事に生きるだけではやっぱりダメなのか、、、
結局こんな感じなので人と深く関わろうとしない、責任回避したがるから不登校になり、会社にも行かなくなったりしてこのまま一人でいいという、 諦めにも近いような感じで生きていたのです。
でもそれは、逃げているような気がしてて、あえて病症つけていいなら、回避性愛着障害のような気がしています。
さらに人の数だけ答えがあるということになると、回避性愛着障害に近い症状の自分でいいって、ほんとにそれでいいんか!?と思ってしまう自分がいます。
多分自分がやっていることが人を傷つけるのではないかという恐れ?もあるかもしれないです。
2015年5月19日 09時47分
教えて掲示板の回答
憂うつの癒し屋
はじめまして、心理カウンセラーのヨナガマサアキと申します。
そうですね・・・・・・・・・・・・・
んんんんんんんんんんんんんんんんんん・・・・・・・・・・・
このような場合には、一つ一つ紐解いていくのがいいと思います。
まず
>人の数だけ答えがある」のかな?
これは、ある意味あたっているのですが~正確には「人のガズだけ考え方があり、現在の常識と呼ばれるものから、大きく逸脱していなければ!という但し書きが必要です。
ですから、
>世間的にはタブー~~~となると、それは少なくとも今の時代を生きる上では正解ではないということになります。
>自分は今までどちらかというと自分さえよければそれでいい感じで人生を過ごしていたように思います。
それは、母親は自己犠牲的な精神。
人に尽くすタイプで、自分よりも他人のためでした。
これは、交流分析という心理学の分野での禁止令が働いている可能性がありまが、
その中に出てくる、例えば父親が早く死んで母親が長男に「お前だけが頼りだ」という態度示す場合に「重要であるな」という禁止令が成立します。
この場合一刻も早くお母さんの話し相手になって、お父さんの変わりになろうという幼児決断をしがちになります。
こういう決心によって年齢以上に背伸びして、大人びたり、強がったり、自分自身の自由な子供の世界を正直に表現できない大人ができてしまいます。
注:禁止令~物心がつかない時に親から態度で示された不合理な態度
注:対抗禁止令~物心がついてから親から言われた
>母親は姉たちからいじめられてきてるので
と言うところが、当てはまるのかな?と思います。
これらの怖いところは、ある日突然今までの日常生活に疑問を持ち、
年齢以上に背伸びして、大人びたり、強がったりする発想になることです。
このことによる弊害は、
>まわりには、自分の行動は支配的に感じたようで、一緒にいると疲れる
>自己表現をしているつもりが、相手からしたらただの情緒不安定で、不安定になると攻撃してくるだ怖いひと扱い
>また自己主張してるつもりが、相手からしたら自分の意見を押し通さないと気が済まない人にしか思えなかった
というところに現れていると思います。
>多分自分がやっていることが人を傷つけるのではないかという恐れ?もあるかもしれないです。
ここに気づいていることは、もう半分解決したようなものです。
人は自分も他人も大切にすることがベースにあって、他人と信頼関係が成立するのです。
ここで、私から提案できる「アドバイス」としては、
まずは、「傾聴カウンセリング」というものを受けるということです。
傾聴カウンセリング」の効果としては、が自分の心の中の秘めた思いを第三者に話す(外在化)ことによってカタルシス効果(心の浄化作用)が生まれ心がスッキリとすることがあげられます。
これにより、次第にさかなくん自身の現在位置(人の思い、周囲からの思われ方を確認して受け入れ(受容)、次第に自分主導で変わっていく事(自己変容)ができるようになるのです。
対面式が大前提の「傾聴カウンセリング」が「心の煙突掃除」と言われる由縁がここにあります。
カウンセリングは1週間に1度(50~60分)が一般的です。
対面式のカウンセリングの重要な要素に「相性~話しやすさ」があります。
これがカウンセリングの「良し悪し」を決めると言っても過言ではありませんので、
少しこだわって見たほうがいいと思います。
保健所の相談員さん(無料)、カウンセリングのボランティア団体(無料)、民生委員などの地域の人格者(寸志)、どうしても見つからない時には、スカイプ(原則有料)でもギリギリセーフですので、このサイトなどで全国規模で探してみてください。
このカウンセリングだけで問題が解決してしまう場合もありますが、「考え方の癖~○」の
自己変容が不十分な場合には、「傾聴カウンセリング」を足がかりとして
次の認知行動療法カウンセリング(考え方の癖~行動実験)→トラウマの治療法(幼児期決断の修正)と移行して行く場合も考えられます。
また、一人でも出来る心理療法としては、
@自律神経の安定のための「瞑想など」や、
@感情と行動が密接に関連していることを利用して、昨今カウンセリング効果も期待されている
掃除「~特に汚いところ、普段目が行き届かないところ」をおすすめします。
@出来事→感情(種類と強さを%で表す~孤立感:70%など)の日記をつけるのも、自分の考え方を整理し、考え方の癖を知る(客観性を育む)ためにはいいと思います~認知行動療法のデータにもなります。
@食事・休息(睡眠も含む)・活動のリズム(時間帯・ペース配分)を整えることも大切だと思います。特に朝、起きる時間を一定にすることをおすすめします。
また、自他の権利を侵さない限りにおいては自己主張が出来るという事を学ぶ
アサーション・トレーニングもお勧めです。
私のHP:憂うつな心を癒やすカウンセリング心理学
http://sinrigaku.com
では「傾聴カウンセリング」
「トピックス・リスト」→「自動思考~認知の歪み(認知行動療法)」
「トピックス・リスト」→「幼児期決断を修正するミニスクリプト理論」
「トピックス・リスト」→「トラウマの治療法」
「トピックス・リスト」→「リラクゼーション(瞑想など)」
「トピックス・リスト」→「アサーション・トレーニング」
「トピックス・リスト」→「人間関係の12の手法&ペース合わせとリード」などのお役立ち情報が掲載されておりますので、是非一読していただきたいと思います。
さかなくんの場合には、私の考える人生論も参考にしてください。
今は自己矛盾でお辛いでしょうが、大いなるものは、「忘却」という能力を与えてくれています。
それは、将来に対して前向きになるのと相互作用の関係にあるのです。
さかなくんには、大いなるものに「守られている」というという認識を
持っていただきたいと思います。
そして比較的に落ち着いた時に考えてみてください!
さかなくんという存在の背景には、地球の存在、人類の存在、何万人という人の命(受精の奇跡)のバトンリレーがあるのではないでしょうか。
すなわちさかなくんは、それらの結集であるということを重く受け止めてほしいと思うのです。
そして、さかなくんが、この世に存在しているものは、存在意義が「ある」から存在していると私は感じるのです。
人間は、存在意義がなくなったら、または十分に果たしたら、それはどんな形であれ「寿命」という形で人生を終えるのではないでしょうか。
私の考える存在意義とは、人間は「しあわせ=楽しく生きるなど」になるために生まれてきた、
というものです。
私は、そのための「生き役」~幸せに生きていくためのそれぞれの役割が誰にでもあると思うのです。
その「生き役」自体を探す~自分の好きな事探しの旅が「人生」だと思うのですが、
私が考える最高の「生き役」は、第三者(配偶者、子供など親族を含む)がその人なりの幸せになるためのお手伝いをし、その人が幸せになっていく過程を楽しみ、「自分の存在が喜ばれているという喜びを、実感しながら生きていく」というものです。
少しずつでいいので、自分の「生き役」とは何かを体感して欲しいと思います。
その手がかりとして、「好きだ」ということを探すのですが、「好きな事自体」に
それをする能力がある、ということですので、楽しい、うれしい、気持ちいい、好き、という量に比例して自分の能力があると考えて間違いはありません。
能力があるからこそ、「好きな○○すること」からたくさんの悦び(幸せ)を得ることが出来るのです。
仕事を選ぶ時にでも、経済的、人事的な面は非常に大切ですが、
「自分が~~~という自分になるため」という基準も大切だということを感じて下さい。
2015年5月20日 10時03分
自分を大切にするとは、自分の感情を大切にすることです。
自分が怒ったり、悲しかったりしたとき、その感情を素直に認めることが自分を大切にすることにつながります。
そして、他人の感情も大切にすることが、自分を大事にすることに繋がってきます。
なぜなら、自分を大事にしようと思った時、他人の感情も大切にしなければ、まわりまわって自分の感情も大切にできないからです。
そして、自分の感情と他人の感情を大切にすることは、両立します。
むしろ、両立させなければ上手くいきません。
2015年5月20日 08時24分
さかなくん、こんにちは。
コリトルのノブと申します。はじめまして。
稚拙な文章ですが、一つの考え方として参考にしていただけたら幸いです。
ご相談内容を拝見し、「さかなくんは、ご自身の気持ちに素直に生きて来られたのだなあ。」と感じました。
今までのご経験や多くの人のご助言に対して、謙虚に反省する姿勢も大切だと思いますが、ご自身の気持ちに素直に生きて来られたことも、立派な生き方だったと思います。
私は、人の数だけ、天命があると思っております。天命に生きるとは「自分勝手に生きること」と「自分よりも他人のため」という二つの要素を同時に兼ね備える生き方です。
別な表現をすると、自分は趣味に没頭して生きている。けれど、それが人の役に立っている。さらに人の役に立てているから嬉しいし幸せに感じる、という生き方です。
例えば、釣りバカと言われるくらいに魚釣りの好きな人がいるとします。
そして、釣った魚を人々に(売って)差し上げたところ、「美味しかった!」とか、「健康になった!」とか、「新鮮な魚をこんなに安く売ってくれるなら、もっと売って欲しい!」とかと言われ、とても喜ばれたとします。
(もちろん、魚が嫌いな人もいるので、ありとあらゆる人に喜ばれる訳ではないのですが…。)
そうしたら、その釣りバカさんは、さらに、魚釣りへの意欲を向上させ、「もっと良い魚をたくさん釣るぞ!」と、思うようになります。
天命で生きるとは、そのような生き方だと考えております。
さかなくんが、趣味のように没頭でき人様にも喜ばれる仕事(天命)に、出逢えることを信じたいです。
2015年5月20日 00時19分
カウンセリングルーム Flow 電話カウンセリング
はじめましてカウンセリングルームFlowの馬場と申します
さかなくんさんのご質問を拝見し書かせていただきます
自分を大切にすること そして 他人の気持ちを考えるということで
深く考え悩まれているのですね
そして他人からの意見 感想に自分の考えを揺さぶられているようにも感じます
文章の中で自己犠牲的なお母様を見て
人生が楽しそうに見えない
と さかなくんさんは言います
他人を優先することが 幸せにつながると感じられなかったのではないでしょうか
だからこそ 自分を優先するべきだと考えたのではないかと思うのですがいかがでしょうか
そして他人を優先することは自身の不幸につながると考えてはいないでしょうか
これは持論ですが
自分を大切にするというのは 自分をいかに幸せにするか ということだと思っています
ですから 自分が仲良くしたい と感じる相手がいれば その人と関わりをもつことが なによりも幸せにつながるのですから
相手を優先しても 不幸にはならないですよね?
ですからそれは自己犠牲ではありませんし
むしろ 他人を優先することで 自分を大切にすることもできると思いますがいかがでしょうか
そして他人の気持ちを考えることについてもそうですが
他人の気持ちを優先しても 自分の不幸につながらない場合もありますし
そうすることで 自身が無用な非難をうけずに済む場合もあるでしょう
正しい間違っているというのではなく
自分を優先する場合と他人を優先する場合があってもよいのではないでしょうか
それぞれが 自身の幸せにつながるのなら それは自分を大切にすることにならないでしょうか
これが参考となれば幸いです
2015年5月19日 23時58分
吉岡心理相談室
生きていると,様々な事がおきてきます。
そして
様々な人がいます。
人を変える事は出来ません。
人に生まれる事は稀(まれ)な事とお経の中に書いてあります。
犬でもなく,猫でもなく,人に生まれたのですから
人としての命を生きる事は大切な事と思います。
過去と人は変えられません。
ですから
過去を(たとえ恥ずかしく辛いものであっても)
宝にして(学習する事として)
人を(同じ人間として)その方を認め
自分の人生を生き抜く事も人として生まれたのですから
大切な事と思います。
私が思う,自分を大切にするとは
人として
お釈迦様の云う
「中道」
を生きる事と思います。
自分を大切にするのは
同じ人間である他人をも大切にする事と思います。
参考になればと,書きました。
2015年5月19日 21時09分
心理カウンセリング らしんばん座
さかなくんさん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。
確かに、人のそれぞれの価値観とか考え方と言った物は、「人の数だけ」あります。
価値観と言った物は、その人独自の物であって、何人も、その人の価値観を変える事はできません。
つまり、何が正解かと言うと、その人が正しいと思っている事が、その人にとっての「正解」となります。
さかなくんさんは、自己主張をして来て、周囲に違和感を与えてしまったように感じているのですね。
そうですね。さかなくんさんが「正い」と思っている事と、他の人が「正い」と思っている事は違います。
さかなくんさんが、自分の正しさを押し通してしまうと、他の人の正しさと衝突してしまいます。
この2つが相容れないものだったりすると、お互いの正反対の「正しさ」が衝突したままになってしまいます。
そのどちらかを完全に負かせてしまうまで、この衝突は続きます。
だから、この状態を続けて行くと、本当にさかなくんさんの近くには、誰もいなくなってしまいます。
そこで、お互いの「正しさ」の折り合いを付けたり、お互いの意見を調整し合ったりして、この衝突を終わらせる必要が出てきます。
これが、いわば「人の気持ちも考える」といった、手段にもなります。
だから社会では、人の気持ちを思いやる事が、大切な事だとされるわけです。
すなわち、自分を大切にしたかったら、他人も大切にしなければいけないと言う事になります。
ただ、他人と意見を調整すると言う事は、自分を曲げると言う事ではありません。
意見を変えたから、さかなくんさんは別の人間になってしまう事はありません。
逆に、自分勝手に生きる事だけが、自分を大切にする事ではありません。
その時に、確かに良い気分になっても、何か或る種の虚しさを感じるような事はありませんか?
何か、心の奥底に居る、もう一人の自分が喜んでいないような、そんな気持ちには、なりませんか?
「孤独なままで良いのか?人を傷つけるような事をしていて、それで良いのか?」という気持ちも、おそらくさかなくんさんの内なる声なのだと思います。
人は、一人では生きて行くことは出来ません。
他人と何がしかの結びつきを持てて、始めて満足のいく自己表現が出来るのだと思います。
2015年5月19日 20時21分