教えて掲示板の質問
「愛が欲しい」に関する質問
- 受付終了
キミさん
「愛」という気持ちがわかりません
親に愛されている。恋人に愛されている。友達に愛されている。その気持ちは分かるのですが、いざ、自分が彼らを愛しているか。と言われたら「愛」と言うのはなんなのだろう。と分からなくなってしまうのです。そして孤独感に打ちひしがれるのです。
一度だけ、本当に愛している人なら、その人を助けたいと思うのよ。と聞いたのでやってみました。一番私を愛してくれているであろう母親をテニスラケットで殴った後、倒れる彼女を助けたいと思う予定でした。ですが、私の心にあったのは用済みという言葉のみ。助けたいなんて思いませんでした。
ああ、痛そうだな
それが過った時これが「愛」なのか?と思いましたがやはり孤独感でいっぱいです。
もちろん口には出せます。「すごく嬉しい!」「ありがとう、あなたがいてよかった」「大好き!」なんでも言葉にできるし顔だって顰めっ面ってわけではないのです。ただ、なんて言えば分かるのでしょうか…?行動のもとになる感情、例えば可哀想だから手当てするなどが分からないのです。
全て、行動する前に感情が一枚隔てられ客観的に見えてくるのです。だから、泣いている母は可哀想だけど私が何かすることはないねと思いました。
これも愛情の裏返しなのでしょうか?既に愛が分かってるからこそ愛に臆病になっているのでしょうか?
とにかく自分が「愛してる!」と自覚したいのです。愛を知りたいのです。どんな感情でどんなに自分が愛のために動けるのか。
愛は自覚するものなのですか?それとも気づかないけど、みんな愛をどこかで分かっているのですか?
2015年4月19日 01時37分
教えて掲示板の回答
しおかぜ心理相談プレイス 本部
「わたし」さんというのですね、こんにちは。
ご自分と他人の違いに、とても悩まれているのでしょうね。
「愛」というものには、段階があるのかもしれません。いきなり深い愛を求めても、大変なのかも…。
あまり、偉そうに段階を作って提示するのも、良くない事なのですが…。
愛を実感できるためには、赤ちゃんの時からの<発達段階>というものも考えた方がいいのかもしれません。
「親に愛されている。恋人に愛されている。友達に愛されている。」という事を書いていますが、「その気持ち」というよりも、その<事実が分かっている>のが、今の「わたし」さんの現状でしょうね。
「理解」と「実感」は別物です。
私はプレイセラピー(遊戯療法)が大好きです。
こわごわとこちらを見ていたお子さんと、そのうちに<微笑み合える>。
この時に、『楽しい。嬉しい。』という実感が生じます。その時には、私にも相手にも、同じくらいの軽い愛情の「実感」が生じているはずです。
こういった「実感」を1つ1つ育てていく事が、重要だと思います。
なので、「わたし」さんには、心理カウンセラーと、実際に会う形式でのカウンセリングを受ける事をお勧めします。
2人の人間がいないと、<微笑み合う事、笑い合う事>ができないからです。
とはいえ、10代後半だと、いきなり遊戯療法から始めるのも、難しいかもしれません。
あまり言葉を使うカウンセリングよりも、絵を描くとか、ゲームをするとか、カウンセラーさんに何かの材料を用意してもらって行うカウンセリングとか、ご自分の好きな本とか(マンガだっていいですが)を、一緒に見ながら話すとか、肩肘の張らないカウンセリングを試される事をお勧めします。
そして、お説教のように聞こえるかもしれませんが、一言だけ、どうしても付け加えておきたいです。
<人を叩いてはいけません。>
遊戯療法をする時に、<物を壊さない>、<物を勝手に持って帰らない>、<人を傷つけない(自分も他人も)>という三原則があります。
これを守れないと、他の人と生活するのが大変になります。愛と同時に、人は<我慢も覚えるべき>というのが、私の自論です。
実際に、「愛」を「感じよう」と相談しても、実現するまでは、ちょっと大変かもしれません。一歩ずつ、カウンセラーさんと歩んでいかれる事ができるといいのではないかと思います。
あなた以外でも、愛を感じていない人は、世間には大勢いるのかもしれません。
でも、人と比べずに、「実感」できる事を徐々に増やしていって欲しいと思います。
さて、実際には、スクールカウンセラーや、大学の相談室、児童相談所(18才未満まで)などで相談されるのが、1番いいと思います。
お母さんにも、こういった気持ちを伝えると、有料の場合でも長続きする可能性が高くなります。
私が考えたような方法を使うためには、多少とも、設備の整った相談機関の方が、やりやすいからです。
関門心理相談センター 鈴川 隆 (主任相談員)
2015年4月21日 22時33分
初めまして。
愛というのは、うれしいときなどには自覚できる時もあるけど、ある意味空気のような存在でもありますい。愛がなければ、苦しいけど、愛があっても当たり前の感覚しか感じないものでもあります。
2015年4月20日 20時56分
( ノ゚Д゚)こんばんわ
愛、簡単そうで、実は奥が深い感情ですよね~
通常ならば、愛とは無条件に、相手を思いやり、見返りを求めないこと
と定義付けられますが、なかなか、人は自分が可愛いので、この他人に
自分を犠牲にしてまでも見返りを求めず、相手を思いやり、尽くすというのは
難しいですよね。だいたいは、自分が一番、相手が二番となります
恋人同士でも相手が浮気をしたとします。たいていの女性は激怒します
なんで、激怒するのでしょうか?だって愛してるんでしょ。見返りを求めづず
相手を思い続けていて、相手が一番なんでしょ。だったら怒るのは違いますよね~
愛してるけど、自分を裏切った相手が許せないからでしょ。激怒するのは
自分を傷つけた相手やその相手が憎いのでしょ~。これは自分が一番だからで
はないのでしょうか?
本当の愛とはそんなに簡単にはわかりませんよ。みんな。愛してるけど許せない
そいう人がほとんどです。何度浮気しても信じ続け、何度裏切られても
相手を許せ、受け入れられる人は、宗教家の悟りを得た人くらいでしょう~
我々普通の人は、皆自分が大切なんです。愛とは自分を犠牲にすること
出来ている人は。本当に少ないですよ。それくらい奥が深いのです
まだ若いうちでは、理解は難しいでしょう。歳をとりながら、いろいろな経験を
積んでやっと本物の愛が理解できるのです。まだ若いあなたに愛がわからないのは
当然です。
お母さん件にしても、可愛そうとか、思う予定だったが、痛そうだけだった。
これは愛が問題なのではなく、あなたとお母さんの関係が希薄なのが問題なのです
だから、かわいそうとか、助けなければとか、なんてひどいことをしてしまったんだ
など、お母さんを思いやる気持ちが出てこなかったのです。愛の問題ではないで
すよね~お母さんの件に関しては
2015年4月20日 20時48分
心理カウンセリング らしんばん座
わたしさん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。
「愛」は、頭で考える物ではなくて、心の奥底から、理由もなく湧き上がってくるものです。
わたしさんが試みた「実験(?)」のように、最初から計画したり、打算で生まれる物ではありません。
>既に愛が分かってるからこそ愛に臆病になっているのでしょうか?
実際心理学では、「防衛機制」と言って、このように感情を分析する事はあります。
この場合、わたしさんは「愛を感じる事」を否定していて、愛を感じなければならなくなった時に、わざとその事実を無視したり、客観的に見てしまうと言う事は出来ます。
しかし全ての感情が、この「防衛機制」で説明できるとは限りません。
全ては、ケース・バイ・ケースですから。
>とにかく自分が「愛してる!」と自覚したいのです。
そうですね、世間一般には「愛」が充満していますね。
映画や、ドラマや、小説や、もしかするとゲームの中にも。
テレビを付ければ、ありとあらゆる人が「愛」を語っています。
ニュースや、ドキュメンタリーや、何かの公演でも。
恋人に対する愛、家族に対する愛、友達、学校、職業、そして宗教、祖国・・・
「愛」の大安売りです。
誰かと愛し合って本物。人間は、何かを愛して、ナンボの物。
そんな風潮(?)が、世の中に満ち満ちています。
だから、「愛」という「言葉」だけが、独り歩きしています。
わたしさんは、それに乗り遅れまいとしているのではありませんか?
焦る必要は、ありません。
わたしさんの人生は、これからです。
これから、素晴らし「愛」を体験できるかもしれません。
「愛」と言う、言葉に惑わされないようにしてください。
もしかしたら、何かすごく切実で、他の何物にも代えがたいと思っている物を持っていませんか?
そうすれば、「それが愛していると言う事だ」と、気づく事になるかもしれません。
2015年4月20日 17時13分
HISCO ピースマインドコンサルタント
愛という字は「心」と「受」の二つから成り立っています。人の心を受け止めるそれが、愛なのではないでしょうか?
文章で、説明した場合こちらのお伝えしたい事が正解に伝えわらないと私は、考えています。
もし、「愛」とは一体なんなのか?知りたい、自分も自覚したいと本気でもうなら、電話による無料相談やってますので、ご連絡ください
↓からご予約が可能です
http://www.reservestock.jp/page/reserve_form_month/5244
2015年4月20日 15時51分
わたしさん、こんにちは。
コリトルのノブと申します。
わたしさん!
とても、本質的なものを求めていらっしゃるのですね。
本当に素晴らしいと思います。
「愛」って難しいですよね。
結論から申しますと、「愛」は感じるものだと思います。
そして、「愛」を感じられる人と感じられない人との違いは、感受性の違いにあると考えております。
さらに、感受性を高めるには、感情に蓋をしないことが大切。
つまり、わたしさんの感情をわたしさん自身が、しっかりとこぼすことなく受け止めることが大切だと思います。
もし、感情をごまかしたり、避けたり、忘れようとしたりして、感情に蓋をしてしまうと、感受性が下がってしまいます。
実際、感情をこぼすことなく受け止めることは、苦しみが伴うものになりがちです。
しかし、「愛」を感じるためには、そうしなければならないと思っております。
的はずれな回答でしたら、ごめんなさい。
もし、ご質問がありましたら、お気軽にご連絡くださいね。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
2015年4月20日 14時30分
お礼コメント
わたしは感情から逃げて入るのでしょうか?自分でも分からないのです。
愛されているという自覚はありますし、それを受け止めれます。
しかし、自分にはその感情の一切が分からないのです。周りに人がいて自分を愛してくれる。でも感じるのは虚無のような、真っ白い感情。そして孤独感。周りに人がいるのに誰も見えないような感情なのです。
先生はとてもお優しい方ですね。文章だけでもすごく分かります。
2015年4月20日 22時45分
追加コメント
コメントありがとうございます!
「お優しい」ですか?
そんな風に言ってもらえて嬉しいです!
>わたしは感情から逃げて入るのでしょうか?
直接、お話してみないと何とも言えないのですが、
感情から逃げているというよりは、
わたしさんは、感情に蓋をせずにはいられない状況に置かれていたのではないだろうか?
ご家族(特に、お母さん)に、ありのままのわたしさんの気持ちを表現できない事情があったのではないだろうか?
>愛されているという自覚はありますし、それを受け止めれます。
でも、その「愛」がどこか表面的なもののように感じてしまうから、わたしさんは満足できないのではないだろうか?
と勝手に推測してしまっております。
>とにかく自分が「愛してる!」と自覚したいのです。愛を知りたいのです。どんな感情でどんなに自分が愛のために動けるのか。
というわたしさんの疑問や悩みは、とっても難解な問題です。それこそ、その問題を解決するためにお釈迦様たちは、苦行に取り組んだと言っても良いくらいだと思います。
僕も、ずーっと悩み続けて、ようやく、最近、自分なりに答えにたどり着けたような気がしております。僕の場合は、ヨガや瞑想が、とても効果的でした。
2015年4月21日 00時39分
物語りのカフェ
「愛」って何でしょうね?
「愛する」って、「愛される」って、どういうことでしょう?
きっとどんな言葉を使っても、伝えられるものでもないし、伝える言葉もないかもしれませんね。
今、誰かを愛しているとか、誰かに愛されているとか、そうした感覚がないし、わからないってことですね。
それは誰ともつながりを持てていないってことなのでしょうか?
それとも、嫌いとか難いとか思える誰かはいるのでしょうか?
それが人でなくても、物でもかまいません。
そんなところから少しずつ考えていくのはどうでしょうか。
2015年4月20日 13時49分