教えて掲示板の質問
「夢や目標が無いことと、親に無関心な気持ちの関係性」に関する質問
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無気力さん
今まで夢や目標持ったことがなく目の前にあることを、ただ何となく続けてここまで生きて来ました。
震災などで亡くなった方々や虐待にあって命を落とす幼い子供達のニュースを耳にする度に、まだまだやりたい事や将来に希望があったのに何故、と思い自分が代わりになってあげられたらどんなに良かっただろうと考えてしまいます。
それと同時に、夢も希望も持たずのうのうと生きている自分が何故生きているのだろうとも思います。
自殺するほど辛い想いをしている中高生がいるのに何故…、震災にあって家族の命が奪われても懸命に、前向きに生きて行こうと努力している人がいるのに何故…、とキリがありません。
死ぬことは怖くないし痛いのも肉体的に苦しいのも辛くはないのですが、こんな自分を頼ってくれる親友が居るし、逃げてはダメだ。死ぬよりも生きている事の方が辛いことが多くあるのだから、生きてその辛さに耐えることこそ罰だ、と思い辛うじて生きています。
そこで、題名の疑問なのですが、
自分はここまでの考えで親の事を全く考えていないのです。
親より先に死ぬのは親不孝だ、とか汗水垂らして親が働いて居る。それも両親共に健康なのだから意欲的に働いて、親に楽をさせてあげよう、等の事を一度も考えた事がありません。
片親だったら、親が病気になったら、孤児だったら等の不安も持ったことが無いんです。
(もしそうだったとしても気にしないかもしれませんが)
ここまで何の苦労も無しに育ててもらっていて無関心って異常ではないでしょうか。
親の話は適当に流して適度に笑うくらいしかしないし、親にこのままじゃ家を手離すようになると言われても気にせずに引き籠り、親友と遊ぶお金が無い、親ももうお金が無いし奨学金や年金、趣味なども自分で払わなきゃと思い、様々な必要な事を自分で調べ始める。という感じです。
自分の将来はどうでもいいし、死ぬのも怖くない。
でも、親友が悲しむのは嫌だ。
何となく生きてるけどこのままじゃ懸命に生きてる人に迷惑な気がする。
適当にバイトや就職してもし受かったとしても、何となく、遊ぶお金無いし、という理由で必死にそこに就職したくて頑張ってる人が落ちてしまっても良いのか。
考えることは主にこの4つです。
書きながら思った事ですが、自分が親友と遊びたい、離れたくないが為に親や身近な人(親友意外の友達など)を利用していたような気がします。
もしかしたら本当の親子ではないのかと疑うほど関心がありません。
病気なのでしょうか?
非常に気になります。
長年のこの疑問を解決したいです。
よろしくお願い致します。
2014年9月3日 02時06分
教えて掲示板の回答
夢分析の心理カウンセラーyanagi
こんにちは、無気力さん
かわいそうな境遇や恵まれない環境下にある方のことをかんがえてあげられる無気力さんは優しい方ですね。
『夢も希望も持たずのうのうと生きている自分が何故生きているのだろうとも思います』とのことですが・・・
多くの方はそういったものを持っていません。それらが生きるために必要だという人ばかりではないのです。
しかし、そうお書きになっているということは、無気力さんにとっては夢や希望が必要だということですね。
次に、親御さんには無関心ということですが、ちょっと判断しかねます。いくつか原因も考えられますが、現段階では断言しかねます。
ただ、理由は明らかにしたほうがいいかもしれませんね。何か意味があるようなので。
以上に書いてきたように、無気力さんが途方にくれていることに関しては、ご自身で探し、明らかにすることが必要です。
外部から答えをお伝えできるような問題ではありません。
ただ、ご自身で探し、明らかにするお手伝いはすることができると思います。
また、こちらでお伝えしているような夢分析やイメージ法は、そういう目的には有効なものです。
2014年9月7日 05時08分
Heart Space
こんにちは。よしまろです。
いろいろなことに疑問を感じておられるのですね。
でも、その疑問は少なからず多くの人が考えてることだと思うので、あなたが取り立てて病気だとは思いません。
逆にすごく正常なことだと思いますよ。
あなたは周りの人や、全く赤の他人のニュースを見て、気の毒に思い代わりになってあげたいと思うのかもしれませんが、まずはあなたはあなたの人生を生きるべきです。
死ぬのは怖くないと言いますが、それは当然です。
経験がないのですから・・・
死ぬということがどういうことなのか、命がどういうものなのか分かっていないからでしょう。
親友が悲しむ姿を見たくない・・・だから生きている。
それでもいいんじゃないですか。
それがあなたが生きる理由なら。
あなたはあなたの人生を生きればいいのです。
『こうでなければいけない』ということは人生にはないと思います。
もちろん、人を傷つけるような行為や、人の命を終わらせるようなことはあってはならないことだと思いますが、あなたの人生をあなたがどう生きようが貴方が決めることです。
働くことに対して、遊ぶお金が欲しいから・・・というのが理由ならそれでもいいと思います。
みんなそれぞれ理由や事情が有って働いてるのですから。
それがどんな事情かは本人にしかわからないですから。
必死に就職したくてもおなたが就職できた会社やお店に就職できなかった人がいるとしても、それはその人にご縁がなかっただけです。
あなたが気の毒に思う必要はありません。
落ちた人はもっといいところに就職できているかもしれないし、その人にどんな運命が待っているかはその人だけがわかることです。
楽しいこともやりたいことも今はなくても、明日には楽しいことができているかもしれません。
明日も今日と同じ毎日がやってくるとは限らないのです。
今は夢も希望もなくても、明日できるかもしれないし、数年後には人生が変わっているかもしれません。
あなたの人生も、あなた自身も5年前と全く同じではないと思いますよ。
これからどんな人生になるかが余計に楽しみじゃないですか(^^)
とりあえず、人の人生はその人に任せて、自分の人生を生きてみてください。
何も期待することがないなら、ただ時間に身を任せるというのもいいかもしれませんね。
あなたの人生が晴れますように!
2014年9月6日 02時34分
心理カウンセリング らしんばん座
無気力さん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。
ご相談、拝見しました。
一読して、特に「異常」とも思えるようなものは、感じられませんでした。
昔から、「失くして初めてありがたみが分かる物」の筆頭に、「親」と言われていますから、これまで別段家庭内の不幸やら、生きるか死ぬかのような重大事に遭遇していない人は、そんな風に感じてしまうのかな・・・という感想です。
何か書いてしまって、凄く皮肉っぽい文章だと思っていますが、別段無気力さんが苦労知らずだと言っているわけではありませんので、悪しからず。
というよりも日頃世間一般では、「親子・家族・人生」と言う物に対して、すごく"重く"捉える、捉えないといけないと言う風潮が溢れすぎています。
何かと言うと「親子の絆、家族の絆、友情の輪、地域の絆・・・」の"素晴らしさ"を声高に訴えて、そう言う物が"ある"、"持たないといけない"風に喧伝されています。
特に震災以降は、この風潮が強まっているように感じます。
だから、親に対して何かをするときに「わぁ、私はあなたの子供でいて良かったー!!」と、声高に叫んで抱きつきでもしないと、親を愛しているように見られないような雰囲気に、誰もがなってしまっているのだと思います。
ただ、普通はそうではありません。
日常というものは、そう毎日・毎分毎秒が、ドラマチックなわけではありません。
何も言わなくても、何もしなくても、親子の関係が保てていればそれで良いわけです。
だから、無気力さんが親御さんに対して、特に殊勝な気持ちを持つ事が出来なくても、それはそれで普通と言う事が出来ると思います。
ただ気になっているのは、無気力さんが親御さんの事を「全く考えていない」と言う部分です。
ひょっとして「考えていない」のではなくて、意識的に「考えようとしていない(すなわち避けている)」とも考えられます。
また、心理学でいう「抑圧」と言う現象があって、「本当に考えていない」としても、「本当は考えたくないから、無意識が親御さんの事を考えないように蓋をしている」という事も考えられます。
そのような場合は、本当は「無気力さんは、親御さんにもしもの事があるのが怖くて仕方がないから、考えないようにしている」と言う事が出来ます。
この件で、ここに相談をしてきたという事は、もしかして、この「抑圧」の部分が気にかかるから、なのではないのでしょうか?
間違っていたら、すみません。
2014年9月5日 19時35分
お礼コメント
お忙しい中ご回答ありがとうございます。
回答の内容を読んで、自分の考えが異常と言うよりは、周りに不幸の少ない幸せな環境で育ったからなのかもしれないという考えに変わりました。
また、普段から変に考えすぎていたのかもしれないとも思いました。
親に対して[考えようとしていない]と言う言葉にハッとしました。
確かに、親に「こんなに苦労している人も居るのにうちの子は~。」と言われた事が何度かあるような気がします。
たぶん、他にも親に言われて気にしていることがあって無意識に考えないようにしているのかもしれないです。
それが分かっただけでも、とても楽な気分になることが出来ました。
もしかしたら、自分が[抑圧]と言う無意識に考えないようにしていると言うことを知りたかったのかもしれませんね。
本当にありがとうございました。
2014年9月5日 23時51分