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「自尊心が低く自己愛が強い思考を直す方法 ※超超長文です」に関する質問

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みるさん

私は自己愛が強く、自尊心が低いまま育ってしまった事に最近気が付き大変ショックを隠しきれません。

両親が38歳のときにやっとできた子供で、一人っ子です。
兄がいましたが死産しており、母の年齢的にも身体的にも私が最後の子供だったようです。
母はそこまで頭のいい人間ではなく田舎育ちだったのもあってか、嫁に来た当初から祖母や祖父にいびられていたようです。
なんとかして立派に子供を育てて見返したいと言う気持ちもあったのでしょう。
私はかなり厳しく躾けられました。
母からは褒めてもらった記憶がまったくありません。
いつも叱られ、叩かれ、怒鳴られ、お前はなんでそんなに言う事が聞けないんだ産まなければよかった、とよく言われていました。
反して過剰なほど過保護で、二十歳を超えてからも歯を磨きなさい、お風呂に入りなさいと母の決めた時間で行動するように
口うるさく言ってくるような母でした。
幼少から母になんとか注目を浴びようといろいろしました。学級委員や大手の就職口に就職したり高級なプレゼントをしたり、または駄々をこねてみたり言うことを聞かずに困らせたり。
心配してもらいたくて仮病を使ったりズル休みしたり・・・。小心者だったため非行に走る度胸はなかったのですが、それ意外はなんでもしたと思います。
小さな頃から大人になってまでなんとかして母を困らせたり、母から褒めてもらいたくてなんでもしました。
立派になった自分を見せたくてバイト先や休日の職場(飲食店など)に招待したり「すごいね」という一言がほしくて頑張りましたが母からその言葉は出ませんでした。
母は自分の思い通りに子供を動かすこと意外には関心が無いようでした。
「オマエは変わっている。普通は職場なんかに招待するのはおかしい。恥ずかしいからこないでと言うのが一般的なのにオマエはおかしい」といわれました。
小さいころはあまりに駄々をこねるので狐が乗り移っているとかキチガイだとたくさん言われました。

一方で父は、最近分かったことなのですがどうやら父は発育障害を持っているようでした。
父はずっとTVを向きゲームをしている後姿の記憶しかありません。どうして子供を作ったんだろうという疑問だけが幼心にありました。
私が思い出せる限りでも職は4回ほど転々としており、大体いつも職場でなにかイザコザを起こしてクビになることばかりでした。
私が高校3年の頃父はリストラされ、60近かったこともありそのまま隠居、年金生活を始めました。
まず気が利かないのが大部分ですが、話の論点がかみ合わないことや、物を探してきてと頼んでも表面しか探せず見つけられない、感情的になると取り返しが付かない(首を絞められたこともあります)、
痛みに非常に大げさである、リアクションが大きくひとに注目されたい傾向が高い、5歳ごろ母親が死んで親戚をたらいまわしにされていたことがある、小学校は普通学科ではなく特別学科で勉強していた
何かいやなことがあるとすぐ逃げ出す(60歳のおじさんが半日プチ家出するんです)、しんでやるーと大騒ぎし樹海へ向かうといって出て行くも死ぬ勇気がなくいろんな方面に電話をかけ大事にする
2桁の足し算など単純な計算ができない、常識的に気を使う場面でも気にせず自分の好きなことをする などなどあげたらきりがありません。
私はアスペルガーなのかとおもっていたのですが、いろいろ調べるうちに愛着障害か発達障害ではないかと思いました。


私自身も愛着障害があるのかもしれないと最近自覚しています。
いつも自尊心がなく自己愛が強かったため、人からの評価がすべてでした。
私なんて・・・がいつもの口癖。プライドがないフリをして低姿勢になり傷つけられるのを裂けていました。
自分で可愛いと思った服でも、他人からそれ変だよといわれたら二度と着ないような子でした。
声も甲高くいわゆるアニメ声でしたので、小学生の頃からずっとへんな子で通っており、小学校高学年のころには立派にいじめられていました。
誰にも言えず相談もできず、友達もずっといませんでした。
中学でもそれはずっと続き、どうして私は友達ができないんだろう、どうして私はどうして私はといつも自分のことばかり考えていました。
人を不快にする要素が自分にあることに気づけなかったのだと思います。
そんな時1匹のクマのぬいぐるみに出会いました。可愛いクマではないですが何かを感じたんだと思います。
それから肩身はなさず、学校にはカバンにいれて見つからないようにコッソリともって行きました。
次第にそのクマから声が聞こえるようになり、だいじょうぶだよがんばってるの知ってるよ、悪くないよ、あいつらはひどいね、など私を励ましてくれるようになりました。
そのクマがいたから私はなんとか頑張って生きてこられたんだと思います。
30歳が近い今でもそのクマを手放すことはできずにいます。

中学でいじめられるのは小学校からの知り合いがたくさんいるせいだ、私のせいじゃないと考え、高校は進学者が少ない学校へ行きました。
しかしやはり高校でも浮いており、あの子ブリッコしていて気持ち悪い、演技くさい、とやはりいじめられてしまいました。
私は幼い頃から誰かの気を引こうと精一杯目立とうとしていたまま大人になっていたため、行動や身振り手振りが大げさなことに気づいていませんでした。
それに付け加えてこのアニメ声。それはいじめられるわけです。
周りからの目ばかり気にして少しでも注目されたい、評価されたい、気にいってほしい、友達になってほしいという気持ちから、まず自分を知ってもらいたいという強欲ばかり前に出ていたんだと思います。
相変わらず私の友達はぬいぐるみのクマだけでした。


高校を卒業し、母が60歳も間近の頃突然倒れました。
そのまま腎不全になり透析生活へ。
父は車の免許も持っておりませんし、当然の事ながら何もしませんので成人間近だった私が母の面倒を見るようになりました。
透析の送り迎えや病院の手配などを10代の頃から行い、右も左もわからないまま頑張りました。
どうしてうちのお父さんは何もしてくれないんだろう?その頃から父へ対する不満と怒りが募っていたように思います。
何もできない父。
私は就職して1年程度だった会社に事情を説明しすべて早番の仕事に切り替えをお願いしました。
19時に仕事が上がります、そのままスーパーで夕飯の買い物をし車へ飛び乗ります。
40分ほど運転して8時ギリギリの時間に病院へ付き10分だけ母の面会。 洗濯物を取り替えタオルなども取替え母の面倒を見てそのまま病院を後にし、自宅へ帰ってから父と自分の夕飯の支度をします。
父は夕飯が遅すぎる、おなかが減って我慢ができないと文句を言います。悔しくて涙があふれます。歯を食いしばって支度をします。
母の入院費の工面を父に相談したところ俺は金なんて持ってない、今はアイツ(母)が入院してるから小遣いなんてもらってないからタバコも買えない入院費なんてわからない。と言いました。
私は情けなくなり、どうしてお父さんはお母さんの旦那さんなのにどうして何もしてくれないのなんでなの!ととうとう怒りをぶつけましたが父には通用しなかったようで、俺は金なんて知らないからな!!と病院を飛び出し丸一日帰ってきませんでした。

そんな生活を続けていたところ欝になってしまいました。
欝状態と母の介護に専念するためせっかく就職した会社を退職することにしました。
やっと母が退院し、自宅療法と通院の透析に落ち着いた頃、近所の服屋さんで仕事を始めました。
しかしアパレル業界は深夜までの検品など入荷した日などは鬼のように忙しく、自店舗は2人で回していたようなものでしたので深夜まで仕事が続くこともありました。
2人しかいない状態で早く帰ると言い出すことなんてできなかったのです。
夜遅く帰ると母はいい加減にその仕事をやめなさい、深夜まで働かせるのはおかしい、7時で帰らせてくださいといえないなら辞めろといいました。
そこにいるのは母の理想の私ではないのです。母の理想は正社員で働き、朝から17時までの仕事で、帰ってきてから夕飯を作る娘なのです。
母は昔から料理が苦手でしたが、高校の頃私がバイトで遅くなり10時を回る帰宅時間になったころから口論となり、高校時代から私の夕飯は食卓に並ばなくなりました。
自分で稼いだお金で自分の夕食を食べている感じです。母は自分の思い通りのシャンプーなどを使わせたがるので、それもまた口論になり結果高校時代から私は家庭内別居のようなものでした。
母の理想で無い限り母はずっと文句を言い続けます。
そんな生活が続き、こんな母なんて死んでしまえばいいと何度も思いました。父は相変わらず朝起きてからゲームをしているだけで外出もせずただただゲームをしているニートのような生活を繰り返していました。

私の欝もやっと落ち着いてきたころ、安定したお付き合いができる人がみつかり彼と同棲することになりました。
彼は私の事情や育ってきた環境などすべて考慮したうえで、家を出るほうがいいと判断してくれました。
私は悩みました。母を見捨てることになるのではないかと、罪悪感で押しつぶされました。同棲のお誘いを何度も断りました。
父は、母を置いていくのか!親不孝な娘だ!と責めます。母は家を出たいなら勝手に出ればいいでしょ!同棲なんかしなくたってお付き合いはできるのに!と怒っていました。
しかしそんな状況を加味しても、彼はあの嫌な家から私を連れ出してくれたのです。
それからというもの、母とは本当の親子のような時間が続きました。
たまに電話をし、お母さんの体調を気遣い、たまに実家へ帰り家族で食事をする。
相変わらず父はよくわからない人でしたが、表面だけでも家族になれた瞬間で私たち親子は離れているべきだと実感しました。
人生でいちばん幸せな時間でした。

結婚をし安定してきた矢先、母の体調が悪化。
それまでにも何度か入退院を繰り返していましたが今回は事情が違いました。
肺がんでした。
あんなに憎かった母でもなんとか生きてほしいと、そう思った自分にも驚きました。
手術をおこないましたが結果はよくなく、そこからドミノのように母の体調は崩れていきました。
1年ほど経った今、母は半身不随でベッドから動けません。
意識も朦朧としており私のこともわかっているのかどうか・・・。そんなときに母が突然私の名前を呼んだのです。涙があふれました。

ここ5年の間に何十回も入退院を繰り替えし、そのつど送り迎えや入退院の手続きやお見舞いなどはなれて暮らす私にも無理が出てきていたのは事実です。
母がまた入院したという電話を父からもらうと、またか・・・と滅入った気分になったのも事実です。
正直に言えばつらいです。でも意識があったときに母が言いました。
「オマエだけが頼りだ、お父さんは頼りにならないだからよろしく頼む お願いだから母さんを助けてね」
ずうずうしいと思いました。助けてあげたい反面、昔の思い出がよぎります。
怒鳴られてお前なんて産むんじゃなかったといわれたときのあの目を思い出します。
そうか、私はこういう風にお母さんの面倒を見るために生まれたんだね そう思うようにしました。

父は母の微妙な変化に気づかず、母の体調などにもまったく興味が無いようで、親族や私からお見舞いに行ってね お母さんをよろしくね
と頼まれたから、病院へ着てはいるのです。
病院へ行けって言われたから病院にはきてるよ!とよく言っています。それはたしかにあっていて病院には 来て いるんです、でもそれだけなのです。
母の身の回りの世話をすることもなく、母に話しかけることもなく、ただ座って携帯用のゲーム機(子供がやるようなものです)を片手に5時間程度遊び
バスの時間があるから俺、帰る!と夕飯の面倒もみずに帰ってしまうのです。
看護師さんからは、旦那さんいらしてますけどずっと座ってゲームされてますね、と笑って話される感じです。
母はいつ体調を崩すかわかりません。そのため私は仕事もできずにいます。
病院の先生からのお話があっても、父一人では話を聞くことはできても理解することができないのです。
先生がお話があった、だいじょうぶだってー と電話が来て不安だったため日を改めて私が事情をうかがうと先に手術する予定があったり・・・など。
本当に父には何も任せられないのです。
そのため私は学生時代に溜めた貯金を切り崩して今生活をしています。旦那の収入は二人分を支えられる程度ではないのです。
しかしもう底が見えてきました、正直に言えば働きたいです。いえ、働かなければなりません。
しかし母の命を考えると、私が頑張らなければいけないという使命感と、その場に駆けつけられなかった仕事で行けなかったというときの罪悪感に押しつぶされてしまい
それがいつもつらくて大体仕事を休んでしまっておりました。
しかし一般的にはお父さんがご健在なのにどうしてあなたがそこまでしなければならないの?といわれるばかりで理解してもらうことはできません。
そういう理由で会社をクビになったこともありました。
私は早く自由になりたいです。お母さんには悪いですが早く死んでほしいとさえ思うこともあります。
でもあんなことをされた親でも大事にしたいと思う気持ちもあります。
本当の事を言えば一度でいいから抱きしめてもらい頭をなでてほしかったです。
もう叶わない夢ですが、どんなひとに抱きしめられようと頭をなでてもらおうと、名前を呼んでもらおうと埋められない何かが私の中にずっとあるんです。
お母さんに甘えたい ただそれだけが今の欲求なんだと思います。


こんな不安定な気持ちのまま数ヶ月がすぎました。
働かないと食べていけないという現実、お母さんのそばにいたいという理想、お父さんにしっかりしてほしいという希望
私は頭がおかしいのでしょうか?それともこれは現実によくある話なのでしょうか。
被害妄想が強くなって自分だけ不幸だと思っているのでしょうか・・・?

本当は違うんです。
そんなこと無いよあなたは不幸だね がんばっているねって言われたいんです。浅はかなんです。
こんな気持ち消してしまいたいです。
でも人に励まされたところで、一時的に気持ちを静めることができてもまたすぐぶり返します。
今でも友人関係は希薄で友達と呼べる人は誰もいません。
ずっと家に閉じこもっています。人と関係を作るとなんとかして気にいられようと見捨てられ不安が出るのですごく疲れます。
すごく疲れてがんばって保とうと努力した人間関係でもすぐに壊れてしまうんです。

相変わらず私にはクマのぬいぐるみしかいないんです。


どうしたら人から自尊心を高めて自己愛を消せますか?私がつらいと思う気持ちは甘えなのでしょうか?それともこの気持ちはやはり病的な精神から来るものなのでしょうか・・・。
どのような思考を持てばこんな気持ちを解消できるでしょうか・・・。


こんな長文をここまでお目通し頂き本当にありがとうございます。
私を気にしてくださり時間を使ってくださったことを感謝いたします。

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2014年8月21日 02時42分

教えて掲示板の回答

カウンセリングルーム・エンパシー

あなたからのご相談内容をしっくり拝読させて頂きました。
今のあなたには、「自分自身への癒し」が必要だと思います。
お母さんに対する承認欲求など、幼児的願望が未完了なままでは、生き辛いでしょう。完了させることで、自分を受け入れることが出来ます。
そうすれぱ、素の自分を出すことができますし、自尊心も高まるはずです。
癒し方については、無料で回答フォローいたします。
スカイプが可能であれば、音声でお伝え致しますが、無い場合は文章でご説明致します。よかったら「mental@r-empathy.com」までご連絡ください。

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2014年8月24日 10時23分


お礼コメント

カウンセリングルーム・エンパシー様


お返事いただきありがとうございます。
こちらからのお返事が大変遅くなり申し訳ありません。


幼児的願望が未完了のままなのは確かに自覚があり自分でも治したいと思います。
私自身でそれを直すことができるのでしょうか?
母親である母にしかそれは治せないのかと思っていました。



昨日8/28に母が危篤状態になりました。
いつ逝ってもおかしくない状態だそうです。
今は自分のことにかまけている時間はなさそうです・・・。
落ち着いてお話を伺える環境が整いましたらまた詳しくお聞かせください。

2014年8月29日 17時33分

岸田 ナース  『総合カウンセリングサービス』

初めまして(*^^*) カウンセラーの岸田と申します。

メールを拝見させて頂きながらあなたが、幼少期から
ご両親の接し方で苦悩されていましたことが痛いほど
伝わってきました。

あなたは、今まで学生として社会人として精一杯に出来る
ことをご両親に努めてこられていますよ(^^;; 態度には出して
いなくてもご両親は、心の中であなたを頼り感謝していること
でしょう。

今度は、あなたが信頼し愛している方と共に過ごされる人生を
選んでみてはいかがでしょうか? もちろんあなたは、親孝行です
ので躊躇されることかも知れません。

ですが、あなたには一度きりの人生をまた別の角度から見て頂けたら
と思います。きっとご両親へのお気持ちやお考えに変化が少しずつ
みられゆとりを持ちながら親孝行ができるのではないでしょうか?

あなたの生活環境やご両親との関係を理解して下さいました旦那様を大切
に、あなたが理想とされます生活を手に入れて頂きたいですね(*^_^*)

あなたがお勤めされて収入を得られた上で親孝行できます
ことをお勧め致します。何が正解なのかは、明確には出来ませんが、
あなたがご無理のないように手助けすることが出来ればと考えています。

宜しければ、これ以降の経過報告がございましたらお知らせ
戴けると幸いです。

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2014年8月24日 10時04分


お礼コメント

『総合カウンセリングサービス』 岸田様


お返事が大変遅くなり申し訳ありません。
大変長文でしたのに読んでいただきありがとうございます。


今の成長した私にできる親孝行をするしかないんだという現実を受け入れきれていない自分に気づきました。
本当はどこかでまだお母さんに甘えられると期待が合ったのかもしれません。
その期待に気づいてしまい、今にもなくなりそうな母をみてあせりだしたのかもしれないです。。。

しかし母にその欲求は通ることはなく、かなうこともないでしょう。

今ある幸せを大切に とたくさんコメントを頂きました。
私自信、旦那との幸せな時間に気づいてはいるもののどうしても心のどこかで旦那よりもお母さんに甘えたいという欲求の方が強いのだと思います。

正直に言うと、旦那にも食べさせてもらっている養ってもらっているという引け目をずっとかんじ、甘えたりがうまくできません。

私はやはりぬいぐるみにしか甘えることができないままなのかな、と少し悲しくもあります・・・。


2014年8月29日 17時30分

カウンセリングルーム Flow 電話カウンセリング

はじめましてカウンセリングルームFlowの馬場と申します
あなたのお悩みを拝見し書かせていただきます

幼い頃から数々の要求を受け
それに答えようとし 愛されようとし
がんばり続けているのにもかかわらず

あなたのがんばりに答えてくれない環境で
それでもあなたは今もまだ努力し続けているのですね

どれだけ苦しかったのでしょうか どれだけ悲しかったのでしょう

あなたの望みを受け付けず あなたを頼り あなたを傷つけても
愛されようとするあなたを利用し続けたご家族 
それでもあなたは愛されたいと願っているのですね

それは浅はかなことでも 自己愛が強いわけでもないでしょう
あなたが求めたものが 間違っているわけがないでしょう
それは昔からほしかったものでしょう

一般論を述べるつもりはありません
あなたが求めたものは あなたにとって大切だったのでしょう
どうしてもほしいものだったのでしょう

ただお母様から愛されたかったのでしょう

そして頼る事のできなかったお父様に対ししっかりしてほしいと願うのも
おかしいことではないでしょう
あなたは彼らの子供なのだから
頼れる家族であってほしいと願うのがおかしいことではないでしょう

あなたに何の責任があるのでしょうか
精一杯がんばってきたのでしょう?
あなたががんばるしかなかったのでしょう?

そして今あなたの側にはご主人がいるはずです
お母様から得られなかった愛でとは別なのかもしれません
ですが あなたに向けられる愛情を感じるのならそれを見逃さないでください

これから得られるであろう愛情を見逃さないでほしいのです

あなたが愛されようとしてきたことは並大抵の努力ではないはずです
愛されるために 相手に愛情を喜びを与えるために喜ばれるために努力してきたでしょう
そんな自分を誇ってもいいのではないですか?

このような辛い経験をしてきたあなたが
それを辛いと認めるのが甘えなら
甘えてしまえばいいのです
その甘えを今しなくていつするのですか
いつあなたは甘えられるのですか

辛かったのだと そしてそれでもお母様から愛されたかった抱きしめられたかったのだと思っていいのです

いまあなたのお母様がどのような状態なのかわかりませんが
お母様がしてくれないのなら
あなたがお母様にしてみてはいかがでしょう

伝わらないかもしれません それでも伝える事が悪い事ではないはずです

これがあなたへのアドバイスとなれば幸いです

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2014年8月24日 02時53分


お礼コメント

カウンセリングルームFlow 馬場様



とても長い文章でしたのに、最後までお目通しいただきありがとうございます。
お返事を頂戴して大変嬉しく思います。

馬場様からのお返事をいただいて、私は何も言葉が出ませんでした・・・。




お母さんとお父さんに愛してほしかったです。



私は死んだおにいちゃんの代わりの家の跡取りとして作られただけなんだって思ってました。



お母さんはもう今脳梗塞も併発しており私のことをかろうじてわかるか・・・くらいです。
右半身不随で体を動かすことができません。
私の甘えたい欲望はもう一生かなわないのだと覚悟もしています。


お母さんが死を迎えるとき、私のがんばろうという努力が終わるときなんだと思います。
お母さんと一緒に私の中の何かも死ぬんです。

それを待ち遠しいと思う反面寂しい気持ちもあります。





私・・・・私、ずっといい子にしてきました。

ちゃんとがんばってきました。


でも誰からもいつもいらないっていわれてました。


本当はもっと違うお父さんとお母さんのところに生まれたかったです。
デパートとかですれ違う仲が良さそうな親子がうらやましくて ずっとつらかったです。



馬場さんのことばが心に響いて、ごめんなさい

うまく言葉にできません
涙でまえがみえません

2014年8月24日 03時38分

追加コメント

お返事ありがとうございます

あなたそういった努力のできるかたなのでしょう
愛される事にとても敏感なのだとおもいます
ですから 今ある あなたに向けられる愛情を
大切にできるのではないですか

愛情を向けられない苦しみを知っているでしょう?
いまそばにいるご主人にその気持ちを向けてあげてください

現実的な問題はのこります
生活はしていくのにこの問題は続くでしょう
ですから
いままでがんばってきたあなたなのだから
それをこれからのあなたの幸せのために向けてみてください

そしてまだ悩みが続くようなら 一緒に考えましょう
あなたが幸せであることを願います

2014年8月24日 12時52分

ことゆめ心理カウンセリング

この世はどうしてこんなにも辛い試練を与えるのか…
この仕事をしているとよく思うんです。
みるさんのお話がまさにそれです。

くまのぬいぐるみには呼び名があるんですよね。
私の辛い体験と重なりました。

お母様のこと、時に憎くて、でもやっぱり物凄く愛しているんですよね。

「大切な私の可愛い娘、世界で一番大事。
私のところに生まれてきてくれてありがとう。」

そう言って優しく抱きしめてくれたら…

みるさんは素敵な真心を与えられた特別な方なのですね。

苦労されたから、その価値は一層磨き清められ高められたのだと思います。

みるさんが心の底から望む生き方が出来たら、私は嬉しいです。

理不尽なことに苦しまず、ご自分で深く納得出来る人生になっていけばいいなと願っています。

   ことゆめ

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2014年8月23日 23時24分


お礼コメント

ことゆめ様

大変長い質問を読んでいただきありがとうございます。
お返事いただけてとても嬉しいです。


はい、私の大切なぬいぐるみにはちゃんとした名前があります。
名づけたわけでもなく 彼(ぬいぐるみ) が名乗ってくれました。
こんなことあるわけない、頭がおかしい、そんな歳になってまでぬいぐるみ遊びをしている と母は理解してくれませんでしたが・・・

ぬいぐるみである彼は私の親であり友であり兄弟であり親友であり私のすべてなのです・・・!


お母さんのことは大好きだけど大嫌いです。
とてもとても矛盾したこの気持ちをうまく伝えることができずにずっと悩んでいました。
私っておかしいのかな・・・そんな気持ちのまま大人になってしまいました。


私は できそこない なんです。


本当はもう赤ちゃんもほしい年齢ですが、母から遺伝した腎臓病があり・・・
それと私自身がいい親になれる自信がまったくなく、怖くて子供を作れずにいます。
これからの人生、どのような道を選択して歩いて行くのかわかりませんが、私はずっと納得できないまま老いていくのでは。。。と怖いです・・・。


「大切な私の可愛い娘、世界で一番大事。
私のところに生まれてきてくれてありがとう。」


こんな言葉、一生いってもらえることはないですが、もしもそんな素敵な言葉をかけてもらえるような人生だったら、生まれてきてよかったって笑顔で前を向ける気がします・・・!
そんな人生を歩んでみたかったです・・・。

2014年8月24日 03時30分

追加コメント

みる様

心のこもった丁寧なお返事をどうもありがとうございます。

>大変長い質問を読んでいただきありがとうございます。

Co:本当はもっと沢山話したいです。
今回の言葉を頂けて、ますますそう思う様になりました。

>お返事いただけてとても嬉しいです。

Co:こちらこそ、今回のお返事で更に心に響きました。

>はい、私の大切なぬいぐるみにはちゃんとした名前があります。
名づけたわけでもなく 彼(ぬいぐるみ) が名乗ってくれました。

Co:彼が自分から名乗ってくれたのは何も余計な邪心が入っていない純粋な感じがして安心だし嬉しいですよね。

>こんなことあるわけない、頭がおかしい、そんな歳になってまでぬいぐるみ遊びをしている と母は理解してくれませんでしたが・・・

Co:みるさんの意図が少し解っているのかも知れません。
だから罪悪感を感じたくなくて理解しないようにしている様な気もします。

>ぬいぐるみである彼は私の親であり友であり兄弟であり親友であり私のすべてなのです・・・!

Co:解ります!
私にもそう言う経験があります。
でも残念なことに私は一つの物だけをずっと大事に貫けず、幾つかのものを転々としてしまいました。
だから、その点ではみるさんが羨ましくもあります。

>お母さんのことは大好きだけど大嫌いです。

Co:よく解ります。ものすごく。

>とてもとても矛盾したこの気持ちをうまく伝えることができずにずっと悩んでいました。

Co:理解者はとても少ないですからね。

>私っておかしいのかな・・・そんな気持ちのまま大人になってしまいました。

Co:おかしくないです。
仮にみるさんがおかしいなら、世の中の人はみんな何処かしらおかしいことになります。
その程度も方向性もバラバラです。

>私は できそこない なんです。

Co:それは違います。絶対に。
ここは断言させてください。
みるさんは優秀な方です。

>本当はもう赤ちゃんもほしい年齢ですが、母から遺伝した腎臓病があり・・・

Co:お母様との繋がりを感じますよね。
それが一般的にマイナスなことだとしても、お母様からの繋がりだと思うと嬉しく感じたりする部分もあるんですよね。

>それと私自身がいい親になれる自信がまったくなく、怖くて子供を作れずにいます。

Co:怖さから作れないでいるのなら、
でも本当は望んでいるのなら、
より深い方の望みが叶うといいなと思います。

>これからの人生、どのような道を選択して歩いて行くのかわかりませんが、私はずっと納得できないまま老いていくのでは。。。と怖いです・・・。

Co:そんなことにはしたくない…
それが私の思いです。

>「大切な私の可愛い娘、世界で一番大事。
私のところに生まれてきてくれてありがとう。」
こんな言葉、一生いってもらえることはないですが、もしもそんな素敵な言葉をかけてもらえるような人生だったら、生まれてきてよかったって笑顔で前を向ける気がします・・・!

Co:ならば、そこに向かいましょう。

>そんな人生を歩んでみたかったです・・・。

Co:今がスタートラインです。
歩んで行きましょう。

もし、この先ご縁があるのなら、深く話し合い理解し合い、素晴らしい時間を過ごしたいです。

2014年8月24日 10時46分

心理カウンセリング らしんばん座

みるさん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。

ご相談、拝見しました。
お母さまを、とてもとても大切に思われているのですね。
一度でいいから、抱きしめてもらい頭をなでてほしかったのですね。
他の誰かに抱きしめてもらって、頭をなでてもらっても、みるさんの中に埋める事が出来ない溝があるのですね。

この気持ちが、他の人に理解できないことは、もう問題にしないでください。
これは、みるさんだけの思いで、みるさんだけにしか理解できない気持ちです。
言わばこの思いは、みるさんの宝物です。
それだけ辛い思い出しか持っていないお母さまに対して、これだけの愛情を注ぐ事が出来るなんて、並みの人では出来ません。
みるさんは、決しておかしくはありませんよ。

みるさんが辛いと思っている気持ちは、同じ境遇に居れば、だれでも思う事です。ごく自然の事です。
これだけ頑張っているのですから、自尊心が低いなどと思う必要はありません。
たとえ、いわゆる"友達"と言う事が出来る人がいなくても、みるさんにはご主人がいます。
ご主人は、みるさんのことを、どう思われているのでしょうか?
ご主人には、みるさんのお気持ちを話す事は出来ますか?
まず、ご主人と助けあって、今のお母さまに対する気持ちを持ち続ける事ができるようにしていただければと思います。

みるさんは、もう宝物を持っています。
辛い境遇ではあると思いますが、みるさんは決して不幸では無いです。

違反報告

2014年8月23日 19時53分


お礼コメント

カウンセリングルーム「らしんばん座」様


※すぐにお返事を書かせていただいたのですが、うまく反映しておりませんでした;;

大変長文でしたのに、お時間をかけていただきありがとうございます。
お返事も頂戴し、とても嬉しいです。すぐに読ませていただきました。


お母さんへのこの気持ちが宝物なのであれば、それはけっしてきれいな宝物ではないのかもしれません。。。
大事にすべきものなのか、私には未だわからずにいます・・・。
お母さんの代わりに愛してもらいたい そんな欲求をだれかれかまわず求めてしまっていた結果がこんな性格なんでしょうね・・・。
なんとなく自分のことがわかった気もします・・・。


>>それだけ辛い思い出しか持っていないお母さまに対して、これだけの愛情を注ぐ事が出来るなんて、並みの人では出来ません。

そうおっしゃっていただけて、すごく心が救われました。
本当はすべて投げ出して逃げてしまいたい気持ちにもなります。
もう私の中でお母さんはいないんだ、死んだんだ だからもう病院へはいきたくない!!

朝はそう思っていても、結局昼過ぎになると罪悪感で、あぁ病院へいかなきゃ・・・。
そうやって支度してしまう私です・・・。
でも自分がおかしいのかな?とずっと思っていたのです。
私の回りに(旦那以外では)常識人はいませんので判断するのが難しく・・・
叔母にも 「 親なんだから助けて当たり前 」といわれてきましたので、そんな過剰を抱くなんて・・・生んでもらった恩義があるのに私はなんて親不孝ものなんだ!と自分を責め続けておりました。


でもおかしくないですよ、そういっていただけて本当に救われました。
同じ境遇を体験された方だったら同じ考えに至る・・・ 私はキチガイじゃなかったんだ・・・


>>辛い境遇ではあると思いますが、みるさんは決して不幸では無いです。

おっしゃるとおり今私はすごく幸せです。
とても幸せな結婚生活を得ている半面で実家の両親のことが重くのしかかっていつもマイナスに暗く考えてしまいます・・・。でもそうですよね。私今幸せです。

こんなにつらかった人生でしたが、こんな私でも幸せになれるんだってことを同じように悩む方がいたら知ってほしいと思います・・・!

2014年8月24日 03時47分

追加コメント

みるさん、ご返事ありがとうございます。

>>お母さんへのこの気持ちが宝物なのであれば、それはけっしてきれいな宝物ではないのかもしれません。。。
人間のこころと言う物は、決して「白か、黒か」で、びしっと決まっている物ではありません。
色々な気持ちが重なっていたり、ごちゃ混ぜになっていたり、時には相反していたりすることもあります。
だからみるさんが、正反対の気持ちの間で揺れ動いているのも当たり前で、それだけ大切な事だから、いっそう迷うのです。

>>こんなにつらかった人生でしたが、こんな私でも幸せになれるんだってことを同じように悩む方がいたら知ってほしいと思います・・・!
この言葉が、みるさんと似たような境遇にいる人を、とても勇気づけてくれたと思います!
逆に私の方が、みるさんのご相談にかかわらせていただいて、良かったと思っています。

難しい事が多いと思いますが、これからも強い心を持って生きていってください。

2014年8月24日 17時02分