教えて掲示板の質問
「負の連鎖を断ち切りたい」に関する質問
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といただすさん
私は現在3歳の息子と妻の三人暮らしです。
私はDV夫だと自覚しております。
妻を蹴りました。
妻の髪を引っ張りました。
妻に暴言をはきます。
こどもの前でモノを投げた事も何度かあります。
どんな理由があれ前述した通りの事実がありますので私が悪いのだと思います。
私が妻を蹴ったのは3歳のこどもがおねしょをした時です。
私が朝起きてトイレにいって戻ると妻がおねしょをした息子に説教をしていました。
「おねしょしたらいけないよ。ちゃんと夜おしっこ行かないからでしょ。」と。
長々とやっているその姿を見て、頭に血がカーッとのぼってきて、妻のお尻あたりを数回蹴っていました。(蹴っている時は以外にも冷静に手加減をして)
おねしょをして怒られる事ほど、理不尽な事はないと私は思っています。ですから怒られて直せるものではありませんので、怒るのではなく笑って濡れたお布団を洗ってあげれば良いのではないかと思ったのです。お布団を洗う親よりおねしょをした子供の方がよっぽど辛いはずです。
それをたかが3歳の子供に向かってなぜ説教をするのかと。
妻にすればそれも教育だと思ったようです。どれほど子育てに対しての知識がないのかと呆然としました。
しかし私は蹴ってしまいました。数ヶ月前の事ですが今でも思い出しては「なぜあんな事をしたのだろう」と憂鬱になります。妻には謝ったりはしませんが「これはDVだね」と話したりします。
妻はいつも明るく、穏やかです。そして他人に干渉する事も無く悪口等も一切ありませんからこちらが落ち込んでいる時にはその姿に本当に救われる事があります。
ただその性格は私や他人だけに向いていれば良いのですが、自分自身にも向いている様にも思います。例えば冷蔵庫の中をあけると何かの汁が庫内の側面に付いていたり納豆が上の段やら下の段やらにバラバラに置いてあったり、床に大きなゴミ(例えばビニール袋やチラシ)やこどものおもちゃが落ちていても平気でその上をまたいで歩いたり、仕事部屋のパソコン、プリンタなどにホコリが積もっても全然気にならない様子、最近の出来事で言えば冬用コートに毛玉やホコリがビッシリついてても平気で着ていきしまいにはボタンが1つ取れている(知っていても付けない)など。言いだせばキリがありません。その様にして自分自身に対しても気にならない事が多いのです。
一応家庭ですから独身の時の様な生活ではなく、潔癖ではなく清潔な程度で良いのできちんと家の中も身なりもしてほしいと思うのです。
そしてそういう事があるたびに私の説教がはじまります。
そして私の暴言が山の様に飛び出します。
そして私はその後私の暴言に落ち込んでしまいます。しょうも無い事でまた怒ってしまったと。
妻はと言いますと、言われた事に泣いたりして一応は反省して謝ってきます。
そして翌日からがんばって片付けや言われた事をやってますが、また少しずつ元通りになって、また怒られる。それを堂々巡りの様にしてこの数年間をすごしております。
振り返ると私は私がしたDVに対しては悪いと思っているが、その事象のDVに至までの主張に関しては妻に非があると思い込んでいる。というのが客観的にも汲み取れます。
総合すると私はこの正論と思い込んでいる主張を経てDVに発展する際に引き金となる事柄がそこにはあるのだと思いました。
さすがに私もいきなり暴言や暴力をふるう事はありません。
何かのひと言や顔つきなどが私の中の引き金を引く原因となるのだと。
それは「バカにされる」事への反発心、恐怖心ではないかと思います。
私は「バカにされる」という事に対してとても敏感に反応してしまいます。
小さな頃、容姿の事でいつも周りからからかわれていました。
それをとても気にしていました。
それをある時打ち破ったのが「暴力」でした。
小学生の頃友人にいつもの様にからかわれた時、日々の思いが爆発してその友人を殴りました。
そして殴ると友人はそれ以降何も言わなくなりました。
「暴力」というのはとても有効的で今まで内気な性格で悩み続けていた事がバカらしくなるくらい効果的なものなのだと分かりました。
その後も「バカにされた」と感じたときは暴力とまでいかなくても「キレる」事で鬱憤を吐き出し饒舌に相手を打ち負かし相手の上に立った様な気になり今度は私が相手を「バカにする」事で優越感に浸りました。
妻にしても私が怒ると当然、ひと言くらいは言い返してきます。その言い方や顔つきが挑戦的だったりすると「こいつは俺に逆らっている。挑発している。バカにしている。」となってしまいます。
夫婦ですからお互いに言いたい事を平等に言えなければ意味がありません。
例えそれが間違った主張だとしても「言う」権利はお互いに当然あるはずです。
しかし私は私に対して「バカにした」という印象を持つと我慢が出来なくなるようです。
そしてもうひとつが、父が母に同じ様な事をしていました。
母に対する暴力を目にした事はありませんが、気に入らない事があると食卓テーブルをひっくり返す様な、いわゆる卓袱台返しはよくありました。
そして物をなげる。特に壊れやすいもの。
その光景に私はいつもおびえていました。
こんな家早く出てやろうといつも思っていました。
自分が家庭を築くときは絶対にこんな父親になるものかと誓いました。
奥さんを大切にしよう。
お互いに言い合える様な関係の中で喧嘩をしよう。
こどもにも言いたい事をちゃんと言わせてやろう。
でも私は思った事、誓った事とまったく反対の事をしており反面教師どころかそっくりそのままです。
両親の離婚で父とは縁が切れてしまいました。
これ以上私は妻に暴言をはきたくありません。
妻の悪いところも全部受け止めてあげたい。
妻を母の様に悲しい結婚生活で終わらせたくありません。
そしてこどもに私と父のような人間になってほしくありません。
この負の連鎖を止めたい。
この腐りきった人生を直すにはどうしたらいいのでしょうか。
こどもの為にも妻の為にも自殺という考えは捨てましたが、この先数十年結婚生活を続けたとしたら、こどもの人生を左右する事件を起こしたり妻へのDVがエスカレートしていくのではと。
長文最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
よろしくお願い致します。
2014年2月26日 14時49分
教えて掲示板の回答
じねんや
こんにちは。メンタル心理士の林と申します。
もうずいぶんカウンセラーのかたがコメントされているので、今更なのですが、
一言つけくわえさせてください。
カウンセリングもお考えのようですので、それもよいことだと思います。
DVは、理性ではなく、うけつがれたものや、やめようなどの意思の問題をこえていますので、カウンセリングの力が必要だと思います。
それとあわせて、といただすさんは、非常に左脳的な考え方中心ですよね。
つきつめて考えていく・正か誤か・言葉をたくみにあつかわれる・・・・・
そのようなタイプのかたは、大いなる自然の中に身をおかれることをおすすめ
します。
はぁ?と思われるかもしれません。
できるなら、月1ぐらいで、奥様といっしょに山登りをしたり、海をながめたり、
朝日や夕日をみにいったり・・・
余裕があるなら、海外の壮言な景色をみるのもいいでしょう。
大自然の中に身をおくと、人は自分の小ささを感じたり、問題の取るに足らないことを痛感したり、いきていることへの感謝の念がわいたり、たかが人間のどちらが正しいとか、馬鹿にするとかしないとかへの執着へのむなしさを感じることができます。
このコメントを「ばかみたい」と感じるなら、これらのことを体験せずに生きてきて、感性の脳「右脳」が未発達なんでしょうね。
理屈ではないです。
一度、体験してみてください。なにかがかわるかもしれません。
かわらないことへの、証明は体験してからでもできることですから・・・。
本当に自分がかわりたいと望まれるなら、理屈で自分をかえようとしないで、
なにかしらの行動からです。
健闘をお祈りいたします。
2014年3月5日 16時16分
お礼コメント
じねんや様
ご回答ありがとうございます。
おっしゃる通り大自然や壮大なものに身を投じてみる事はとても良い事なのではないかと私も思います。ぜひ機会を見つけ家族で行ってみたいと思います。
また私の思考を左脳的であると分析していただきました。ありがとうございます。
その通りだと思います。突き詰めていく事で自分を納得させ理性を保ち生きてきたような所があります。
しかしその反対に実は私の仕事は美術系の仕事でもあって、それもそのはずで小さな頃から絵を描いたり粘度をやったりしておりましたのでモノを作るという事が基本的な生活になっています。そしてそのまま大人になったというのもあります。
そういったことから私の思考は基本的に「気持ちいいもの」とか「きれいなカタチをしている」とかいった風に物事を「印象」で捉える様な生き方だったのです。
しかしそれが合点のいくものならば私の中でスーッとはいってくるのですが、そうでない事が起きた場合にいつも悩んでいたのです。
そういう物事を理論的なものではなく「印象的」なもので捉え生きてきた生活だからダメなのだと悩み続けて19歳くらいのころより本をたくさん読み始め理論的に物事をしっかり把握し論じなければいけないと思ったのです。
ですから妻にも理屈をこねるようになったのでしょう。
本当は自分の心の問題だったのですが。
これからは心のバランスをうまく保ちこれからは生きていかなければいけないと思いました。
右脳左脳を生かした生き方をしていきたいと思います。
大変貴重なご意見ありがとうございました。
2014年3月5日 17時29分
カウンセリングルーム心の窓
といただすさん
ご自身の行動や感情を自分なりに分析して何とかご自身で負の連鎖と思っていらっしゃることを断ち切りたいのですね。
何とかご自分の行動や気持ちを分析しようといろいろなことが書いてありました。
そこでさらに考えていただきたいことがあります。
連れ合いの方を、貴方の伴侶としてお選びになった時、どんな気持ちでお選びになったのかということが一つです。これは大切なことですのでしっかりと考えていただきたいと思います。理由は、何人かの方が書いていらっしゃるようですが、貴方の心の中には、幼いころから育っていく過程で大きく思い残しをしていらして、そのことが貴方の心の中で大きなトラウマとなっていて、事あるごとにそれが記憶の底から湧きあがってくるというパターンを示していると感じたからです。そういった心の重荷を持った方は、ともするとその思い残しの部分を埋めるような方を知らず知らずのうちに自分の一部として選んでしまうものです。そうです、もしかすると貴方の暴力は貴方の心の中のある特定の部分に対する自身への怒りであることが考えられます。
そしてもう一つは、何度かここで書いたことがあるのですが、自分の感情とそれに伴う行動というのは、意識していない自分の心の中の記憶の再現だということです。
つまり、知らず知らずのうちに湧きあがる感情によって貴方の行動が発作的に起こってしまうのは、貴方の心の奥底にずっと隠し持っていたものが、何かのきっかけたとえば、自分の考えを否定しているような他人の行動などによってでてきてしまうということです。もっと言えば、貴方の行動や感情は、貴方が一生懸命分析したように、過去の記憶にとらわれて起こったもので、理屈や道理で起こっているのではないということです。
こういったものから解放されるには、本当は無意識のうちにふたをしてしまってみないようにしている過去の思い残しを自分の一部としてしっかりと確認することが必要です。
お父様のこと、容姿のことでからかわれた時のこと、一つの要因ではあるでしょうが、もっと深いところに貴方のお気づきになっていないご両親にまつわる思い残しがあるような気がいたします。
もし考えることにお手伝いが必要だと感じましたら、カウンセラーに直接お話しに行ってください。直接の交流からしか浮かび上がってこない心の奥底の感情もあるようです。
2014年3月4日 16時17分
吉岡心理相談室
内容を読ませて頂きました。
自父と同じような事をしてしまうのですね。
それは成長する中で
父親と母親のする事を
夫婦とは
こういう会話をして
こういう関係をするものだと
学んでしまったのです。
本当はそういう父親にはなるまいと思ったのでしょうが,
お手本があるので
同じような事をしてしまうのです。
ではこれからどうするか・・と言うと
「大人(おとな)」になるのです。
本を呼んで
人の話を聞いて
「大人」とはどういう者かを知るのです。
人を怒鳴らない,
人を罵倒しない,
人を思いやる優しい心をもつ。
人の失敗を指摘しない,
等々たくさんの
「大人」の行動があります。
貴方は父親です。
貴方は夫です。
お子さんや奥さんの頼りがいある
「大人」を探して下さい。
奥さんやお子さんには
優しい人になって下さい。
お願いします。
2014年3月4日 15時25分
メンタルリセットマップコーチングのJCTA
はじめまして、MCSJの横田と申します。
といただすさん良かったですね(^O^)
このサイトを通して多くの先生のサポートとお話で
多くの事に気づかれた事は私事の様に嬉しいです。
これからの人生でとても大きな物を掴みましたね。
大切な子供さんの為に
大切な奥様の為に
あなたが北風ではなく太陽となり
あなたが理想と思う家庭を築けると感じました。
自分のあるがままを認め、許し
奥様のあるがままを認め、許し
自分の過去や今を冷静に見つめ
求める事より与える事を決心された
あなたの勇気と優しさに感動しました。
是非お幸せになって下さいね。
陰ながら私も応援しています。
2014年3月3日 10時34分
お礼コメント
MCSJの横田様
ご回答ありがとうございます。
他の専門家様とのやりとりまで見て下さいましてありがとうございました。
私自身なぜこちらの掲示板に思いをぶつける事で(何時間もかけて文章を書いたとはいえ)これほどまでにいろんな思考が巡ってきて私の心がこれほどまでに軽くなったのかと考えました。
それはもしかして文章を考え書き綴る行為によって私の中でいつもうやむやになって消えてきた事が(つまりカタチとして掴みきれなかったモノ(事柄)が)この行為によりはっきりとしたカタチになりガシッと捕まえどこに問題があるのか美しいカタチにするにはどこを直せば良いのかがはっきり見えたからなのかもしれません。
そして「どうでもいいことなんだ」と悩んできたすべての事をそう思いました。
私はこの様な思いをもう持つ必要が無い。妻が居て子供が居てそして私が私らしく居る事こそがとてもシンプルで一番納得のいく姿であると思います。
生きていれば小さな問題は今後も当然あるでしょう。
しかし私の負の部分の根幹を根こそぎ断つ事が出来たならしっかりと生きていけると思います。
そしてその家族の姿がどんなかたちであれ一家の大黒柱として本当の目で見てあげられ認めてあげえられる様に思います。
当然妻とも今後カウンセリングの検討をしてみますが、今回の専門家の方々とのやりとりは私にとって貴重なものであった事は間違いないと思います。
本当にありがとうございました。がんばります。
2014年3月3日 12時41分
横浜カウンセリングサービス
こんばんは。
最後の文章にあなたの思いが込められています。
「この先数十年結婚生活を続けたとしたら、こどもの人生を左右する事件を起こしたり妻へのDVがエスカレートしていくのではと。」
頭で理解していても、実行するのは難しいものです。
ぜひ、夫婦カウンセリングをお勧めします。
あなた方の未来が明るくなるように!
2014年3月2日 22時53分
お礼コメント
馬車道空間様
この様な稚拙な長文の書きなぐりを丁寧に分析していただき本当にありがとうございます。
私自身この様な事を年に数回起こすたびに自己嫌悪に陥ってきました。
引き金となる相手の言葉や態度には共通するものがあるという事を私なりにもある程度自己分析ができている面もありました。
しかしながらそれを解決へと導く方法を見つけるには至らず最終的にはこれらの行為を心のどこかで皮肉にも肯定する事でこの数年を生きながらえてこられたのかもしれません。
そして特に妻に対しては殴った事はいけないけれど、この様な事態になった原因は妻にある。そう思う事で(妻にもそう思わせる事で)妻さえ気を付ければ私は本来の穏やかな人間でいられるのだと自己弁護に走っておりました。
そこでこちらの掲示板へ相談してみようと思い立ち私自身の思いを嘘偽り無く自己弁護も自己肯定もせずありのままにまっすぐに(妻の人格を否定する様な文も書いてしまいましたが)ぶつけてみました。
ぶつけた事で何か発散されたからでしょうか私の中で救いをいただいた様な気持ちがわき上がりました。
質問文は数時間考えながら書き綴っただけなのですが、はっきりと私の中の何かがどこかへ出て行って異様に体が軽くなった様な気がします。
言葉にすると「どうでもいいことなんだ。」というのが一番近いのかもしれません。
キレてしまう行為は妻の日常のだらしなさに対してであったり妻の子供に対する態度であったりを争点にしているように私自身見えていましたが、本当に心を穏やかにすべてをゼロに戻して考えてみると、例え妻がシャキシャキと家を仕切り私の行動を良く把握し良く気の効く女性であったとしてもそれはそれでどこかに引き金は必ずあるものなのだと思いました。そしてそれをさらに追求するとすればどの様な妻であっても私という人間が変わらない限り引き金を探し続けるのでしょう。欲しているのです。まるで自ら引き金を引いて頭を打ち抜いて楽になりたいかの様に。
そういう事がゼロにした心の中をぐるぐるぐるぐると回りました。
つまり今までは妻の行動に問題があるのではなく、私が妻の行動を問題にしていたのでしょう。
そう捉えると少なからず正義感を持って生きているつもりの私はその問題を解決しようとします。
しかし妻は当然ながら妻の言い分を言います。
私は正義(もしくは常識的思考)を持って行動しているつもりですからそれを反抗(バカにされた)と見なし成敗しようとします。
しかし本当の正義ではなく父や幼少期の因縁から来るものが原因ですので当然公平な判断へは導けません。
例えるならば私は小さな山でも良いからその上で王様の様になって人を言い聞かせ自分の正当性を認めさせたかった。(上に立っていればバカにされる事は無い。下の者と混じるとそこには言い争いが発展し尊敬されていないもの同士の争いなので互いに罵り合う。つまりバカにされる。)
父が母や私にその身勝手な正当性を押し付けてきた様に今度は私が父に成り代わって理論武装し(時には力で)相手を言い負かす事でいつもその場所にいたかった。事が起きれば私はすぐにこう感じるのです。お前も私をバカにするのか。なぜ人は私をバカにするのか。押さえつけなければ私の正当性は伝わらないのか。ではやってやろう。と事が起きれば人に対しても攻撃的になるのです。
そしてなによりせめて妻だけでも私を分かって欲しかったのでしょう。私は正しいだろう。私は間違ってないだろう。そう思うだろう。そう思わないか?そう思うのならそうしなさい。なぜしないのか。なぜしないんだ。なんでしないんだ。バカやろう。お前も馬鹿にするのか。殴られたいのか。
となるのだと思います。
この様な一連の思考が心の中にすーっと降りてきて私の心の中を暖かい何かで潤してくれる様な感覚がありました。
そしてその思考が降りてきた時にこの数年私が問題視してきた妻の性格的なものにもそっと寄り添いたい気持ちになりました。
そして私は王様にはならなくて良いとも思いました。つまりバカにされても良い。と思いました。私は凡人です。そして本当の王様は自らなるものではないのです。民衆によって選ばれるものですよね。ですから私はバカにされても良いと思います。
そして曲がり形にも一家の大黒柱ですが大黒柱1本だけでは家は建ちませんね。こんな当たり前の事を忘れておりました。私は周りに支えられてとりあえず大黒柱となっているだけなのです。
自己解決したわけではありませんので今後のカウンセリングも妻と検討してみますが、この機会が私の人生にとってとても大きなターニングポイントになったかもしれないです。
本当にありがとうございました。
2014年3月3日 12時43分
コスモ スピリチュアル ラボ
「インナーチャイルド」という言葉をご存知でしょうか?
(他の回答者が説明しているかも知れませんが、見る暇がありません)
あなたは子ども時代にご両親の関係で傷ついた。
それをあなた自身が再現しているのです。
それはあなたの人生に与えられた課題です。
問題が解決するまで再現します。(あなたの責任ではありません)
だからあなたが不思議に思うようにお父様と同じことをしてしまう。
どうすれば課題を乗り越えられるか?
(インナーチャイルドの本がたくさんありますので簡単に説明します)
あなたのご両親の不仲だったときに傷ついたあなたを、目の前においてあげてください。そして、「20年後には大丈夫だから、安心しなよ」と言って抱きしめてあげてください。--その子ども時代のあなたが癒えるまで。
ご両親が不仲だった、ということは、当事者の子どもであったあなたには相談相手がいないことを意味します。
その子ども時代の相談相手は”現在のあなた”として設定した、とお考えください。
相談相手がいない。それを引きずって現在に連れて来ている。だから抱きしめてあげる。
100%信頼してあげる。
何をしても、考えても、僕は君の味方だからね。と言ってあげる。
(子ども時代のあなたにはそういう人はいなかったでしょう。だから今そうするのです)
”子どものあなた”が納得いくまで抱きしめてあげれば、問題はきっと昇華します。
2014年3月2日 21時22分
お礼コメント
サロン コスモ様
ご回答ありがとうございます。
インナーチャイルドという言葉はとても興味深いと思いました。
他の専門家の方の回答に対する返信内容に記載した様にこの一連の思考が私の中で巡りとても心が軽くなりました。そしてその軽くなった心の様子もカタチとして見えた様な気がしたんです。今まで心は真っ暗で思考としては理解できたこともカタチとなって見えたのです。それは心の中にはモヤがかかっています。そしてやがてモヤが溶け始めるとポツンと誰かが座っています。誰かはすぐに分かりました。私の中で「バカにされる」事に怯える小さな頃の私だと思います。
彼は何故か裸です。背をこちらにむけています。しかし小さな羽が生えています。
その時私はこの光景を見た瞬間に何をしなければいけないかがすぐに分かった様な気がしました。
両手を胸に当てそこから彼を取り出します。両手を空に向け「もう大丈夫だよ。僕は大人になったよ。君はもう僕の中にいなくて良いんだよ。じゃあね。」と言って彼を放ちました。
もう居なくてもいい。私は大人なのです。誰も私をバカにしたりしません。何に怯える事があるのか。そう思いました。そして妻はバカにするどころかこんな私を健気にもいつもサポートしてくれています。それをきつくあたるとは。後悔ばかりです。
小さな彼を思い起こすとすこし今だにドキドキします。特に彼の背中の小さな羽についてです。彼はもしかして僕の中から出て行くのはまだ怖かったのかもしれません。しかし出発の準備は出来ていたのだろうと思います。私の中で苦しんで私の中で私が一歩進むごとにその羽は成長し飛べるほどになったのかもしれません。
分からない事はなぜ裸だったのかという事と背を向けていたのかという事です。
飛び立っていきましたが最後までこちらを振り返る事はなかったです。
いずれにせよこの言葉を聞く前の出来事でしたのですごく印象深い言葉だと思いました。
心の中がとても軽くなりました。しかし軽くなったのはいいのですがすごく軽くて体も軽くてなんだかフワフワしています。
でも悪い気はしません。これはこれで良いのでしょう。
ご回答ありがとうございました。
妻とも話し合い、今後カウンセリングの検討もしてみたいと思います。
2014年3月3日 12時13分
カウンセリングルーム・エンパシー
お答えいたします。昔から、子は親の鏡と言われているとおりね親の姿が、子どもに映し出されます。そして、その子どももやが親になり、同じ事を繰り返します。このように世代連鎖続きます。心理学的には、これを「負の連鎖反応」といいます。この連鎖は、誰かの代で断ち切らない限り永遠に続いてしまいますので、あなたのように勇気と決断をもって、断ち切ろうとする人は素晴らしいと思います。連鎖の原因は、お手本の刷り込みです。子どもは大人が考える以上に、親を観察しています。そのデータが潜在意識に刷り込まれるのです。確かに、冷静沈着なときは悪いお手本は封印してあるのですが、怒りの感情が高まるにつれ、潜在意志の中のデータが蘇ります。無意識に親のまねをしてしまいます。その原因は、たった一つのお手本ということになります。悲しきかな、自分がもっとも嫌っていた勘定処理の方法しか、あなたの潜在意識に入っていないからです。認知の修正で、別のお手本を刷り込むことをお勧めいたします。悪い癖は、意識の部分でコントロールしようともがいても無理です。潜在意識に焦点を当てることが大事です。つたない回答でしたが、何か通じる点がありましたら、「mental@r-empathy.com」までご連絡ください。足踏みしていても前進はありません。一歩踏み出すことが大切です。
2014年3月2日 08時56分
お礼コメント
エンパシー様
この様な稚拙な長文の書きなぐりを丁寧に分析していただき本当にありがとうございます。
私自身この様な事を年に数回起こすたびに自己嫌悪に陥ってきました。
引き金となる相手の言葉や態度には共通するものがあるという事を私なりにもある程度自己分析ができている面もありました。
しかしながらそれを解決へと導く方法を見つけるには至らず最終的にはこれらの行為を心のどこかで皮肉にも肯定する事でこの数年を生きながらえてこられたのかもしれません。
そして特に妻に対しては殴った事はいけないけれど、この様な事態になった原因は妻にある。そう思う事で(妻にもそう思わせる事で)妻さえ気を付ければ私は本来の穏やかな人間でいられるのだと自己弁護に走っておりました。
そこでこちらの掲示板へ相談してみようと思い立ち私自身の思いを嘘偽り無く自己弁護も自己肯定もせずありのままにまっすぐに(妻の人格を否定する様な文も書いてしまいましたが)ぶつけてみました。
ぶつけた事で何か発散されたからでしょうか私の中で救いをいただいた様な気持ちがわき上がりました。
質問文は数時間考えながら書き綴っただけなのですが、はっきりと私の中の何かがどこかへ出て行って異様に体が軽くなった様な気がします。
言葉にすると「どうでもいいことなんだ。」というのが一番近いのかもしれません。
キレてしまう行為は妻の日常のだらしなさに対してであったり妻の子供に対する態度であったりを争点にしているように私自身見えていましたが、本当に心を穏やかにすべてをゼロに戻して考えてみると、例え妻がシャキシャキと家を仕切り私の行動を良く把握し良く気の効く女性であったとしてもそれはそれでどこかに引き金は必ずあるものなのだと思いました。そしてそれをさらに追求するとすればどの様な妻であっても私という人間が変わらない限り引き金を探し続けるのでしょう。欲しているのです。まるで自ら引き金を引いて頭を打ち抜いて楽になりたいかの様に。
そういう事がゼロにした心の中をぐるぐるぐるぐると回りました。
つまり今までは妻の行動に問題があるのではなく、私が妻の行動を問題にしていたのでしょう。
そう捉えると少なからず正義感を持って生きているつもりの私はその問題を解決しようとします。
しかし妻は当然ながら妻の言い分を言います。
私は正義(もしくは常識的思考)を持って行動しているつもりですからそれを反抗(バカにされた)と見なし成敗しようとします。
しかし本当の正義ではなく父や幼少期の因縁から来るものが原因ですので当然公平な判断へは導けません。
例えるならば私は小さな山でも良いからその上で王様の様になって人を言い聞かせ自分の正当性を認めさせたかった。(上に立っていればバカにされる事は無い。下の者と混じるとそこには言い争いが発展し尊敬されていないもの同士の争いなので互いに罵り合う。つまりバカにされる。)
父が母や私にその身勝手な正当性を押し付けてきた様に今度は私が父に成り代わって理論武装し(時には力で)相手を言い負かす事でいつもその場所にいたかった。事が起きれば私はすぐにこう感じるのです。お前も私をバカにするのか。なぜ人は私をバカにするのか。押さえつけなければ私の正当性は伝わらないのか。ではやってやろう。と事が起きれば人に対しても攻撃的になるのです。
そしてなによりせめて妻だけでも私を分かって欲しかったのでしょう。私は正しいだろう。私は間違ってないだろう。そう思うだろう。そう思わないか?そう思うのならそうしなさい。なぜしないのか。なぜしないんだ。なんでしないんだ。バカやろう。お前も馬鹿にするのか。殴られたいのか。
となるのだと思います。
この様な一連の思考が心の中にすーっと降りてきて私の心の中を暖かい何かで潤してくれる様な感覚がありました。
そしてその思考が降りてきた時にこの数年私が問題視してきた妻の性格的なものにもそっと寄り添いたい気持ちになりました。
そして私は王様にはならなくて良いとも思いました。つまりバカにされても良い。と思いました。私は凡人です。そして本当の王様は自らなるものではないのです。民衆によって選ばれるものですよね。ですから私はバカにされても良いと思います。
そして曲がり形にも一家の大黒柱ですが大黒柱1本だけでは家は建ちませんね。こんな当たり前の事を忘れておりました。私は周りに支えられてとりあえず大黒柱となっているだけなのです。
自己解決したわけではありませんので今後のカウンセリングも妻と検討してみますが、この機会が私の人生にとってとても大きなターニングポイントになったかもしれないです。
本当にありがとうございました。
2014年3月3日 11時43分
Oruka's room
といただすさん はじめまして
Oruka'sroomの大迫と申します。
ご相談ありがとうございます。
といただすさんは、自分がどうすればよいかわかっていらっしゃるのですね。
そして
>これ以上私は妻に暴言をはきたくありません。
妻の悪いところも全部受け止めてあげたい。
妻を母の様に悲しい結婚生活で終わらせたくありません。
そしてこどもに私と父のような人間になってほしくありません。
この負の連鎖を止めたい。
このような強い願望をもっていらっしゃいます。
深く反省もされていらっしゃるように感じます。
といただすさんの内側では、もうすでに
自分がどうすればよいかわかっていらっしゃるんじゃないですか?
負の連鎖を断ち切りたいというといただすさんの願望が実現することを
信じております。
2014年3月1日 21時52分
お礼コメント
oruka's room様
この様な稚拙な長文の書きなぐりを丁寧に分析していただき本当にありがとうございます。
私自身この様な事を年に数回起こすたびに自己嫌悪に陥ってきました。
引き金となる相手の言葉や態度には共通するものがあるという事を私なりにもある程度自己分析ができている面もありました。
しかしながらそれを解決へと導く方法を見つけるには至らず最終的にはこれらの行為を心のどこかで皮肉にも肯定する事でこの数年を生きながらえてこられたのかもしれません。
そして特に妻に対しては殴った事はいけないけれど、この様な事態になった原因は妻にある。そう思う事で(妻にもそう思わせる事で)妻さえ気を付ければ私は本来の穏やかな人間でいられるのだと自己弁護に走っておりました。
そこでこちらの掲示板へ相談してみようと思い立ち私自身の思いを嘘偽り無く自己弁護も自己肯定もせずありのままにまっすぐに(妻の人格を否定する様な文も書いてしまいましたが)ぶつけてみました。
ぶつけた事で何か発散されたからでしょうか私の中で救いをいただいた様な気持ちがわき上がりました。
質問文は数時間考えながら書き綴っただけなのですが、はっきりと私の中の何かがどこかへ出て行って異様に体が軽くなった様な気がします。
言葉にすると「どうでもいいことなんだ。」というのが一番近いのかもしれません。
キレてしまう行為は妻の日常のだらしなさに対してであったり妻の子供に対する態度であったりを争点にしているように私自身見えていましたが、本当に心を穏やかにすべてをゼロに戻して考えてみると、例え妻がシャキシャキと家を仕切り私の行動を良く把握し良く気の効く女性であったとしてもそれはそれでどこかに引き金は必ずあるものなのだと思いました。そしてそれをさらに追求するとすればどの様な妻であっても私という人間が変わらない限り引き金を探し続けるのでしょう。欲しているのです。まるで自ら引き金を引いて頭を打ち抜いて楽になりたいかの様に。
そういう事がゼロにした心の中をぐるぐるぐるぐると回りました。
つまり今までは妻の行動に問題があるのではなく、私が妻の行動を問題にしていたのでしょう。
そう捉えると少なからず正義感を持って生きているつもりの私はその問題を解決しようとします。
しかし妻は当然ながら妻の言い分を言います。
私は正義(もしくは常識的思考)を持って行動しているつもりですからそれを反抗(バカにされた)と見なし成敗しようとします。
しかし本当の正義ではなく父や幼少期の因縁から来るものが原因ですので当然公平な判断へは導けません。
例えるならば私は小さな山でも良いからその上で王様の様になって人を言い聞かせ自分の正当性を認めさせたかった。(上に立っていればバカにされる事は無い。下の者と混じるとそこには言い争いが発展し尊敬されていないもの同士の争いなので互いに罵り合う。つまりバカにされる。)
父が母や私にその身勝手な正当性を押し付けてきた様に今度は私が父に成り代わって理論武装し(時には力で)相手を言い負かす事でいつもその場所にいたかった。事が起きれば私はすぐにこう感じるのです。お前も私をバカにするのか。なぜ人は私をバカにするのか。押さえつけなければ私の正当性は伝わらないのか。ではやってやろう。と事が起きれば人に対しても攻撃的になるのです。
そしてなによりせめて妻だけでも私を分かって欲しかったのでしょう。私は正しいだろう。私は間違ってないだろう。そう思うだろう。そう思わないか?そう思うのならそうしなさい。なぜしないのか。なぜしないんだ。なんでしないんだ。バカやろう。お前も馬鹿にするのか。殴られたいのか。
となるのだと思います。
この様な一連の思考が心の中にすーっと降りてきて私の心の中を暖かい何かで潤してくれる様な感覚がありました。
そしてその思考が降りてきた時にこの数年私が問題視してきた妻の性格的なものにもそっと寄り添いたい気持ちになりました。
そして私は王様にはならなくて良いとも思いました。つまりバカにされても良い。と思いました。私は凡人です。そして本当の王様は自らなるものではないのです。民衆によって選ばれるものですよね。ですから私はバカにされても良いと思います。
そして曲がり形にも一家の大黒柱ですが大黒柱1本だけでは家は建ちませんね。こんな当たり前の事を忘れておりました。私は周りに支えられてとりあえず大黒柱となっているだけなのです。
自己解決したわけではありませんので今後のカウンセリングも妻と検討してみますが、この機会が私の人生にとってとても大きなターニングポイントになったかもしれないです。
本当にありがとうございました。
2014年3月3日 11時41分
初めまして。
内容を拝見致しました。
客観的に見て、といただすさんがおっしゃる通り「3歳の子供におねしょの説教をする」というのは教育ではありません。
DVをしてしまう過程には奥さまの性格や言動にも要因があると思います。
夫婦でカウンセリングを受けることをお勧めします。
奥さまは一見、干渉や悪口を言わないにしても3歳のお子さんに説教をするなりの原因(といただすさんからの暴言や暴力に対する鬱憤、両親との関係など)があると思われます。
そして、といただすさんは両親の関係を見て嫌だったはずなのに同じようなことをしている…そこには気づかれているのですが、完全に過去として許していないことが今現在に至るDVに繋がっている可能性が高いです。
父親をDVしていて嫌いと思っている反面、DVする原因は実は母親にもあったのではないか?と思っているけれど、可哀想なので思わないようにしているということはありませんか。
今、奥さまを良いところも悪いところも含めて大切にしたいのであれば以下のことを考えてみてください。
父親を嫌っている反面、好きな部分がたくさんあることを思い出し、認める。
母親を慕っている反面、嫌いな部分が幾つかあることを思い出し認める。
母親を絶対的に、全面的に全てを好きでいる必要はありません。
そこから、始まりが見えてくるはずです。
最後に、部屋などの片付けに関してですが奥さまは動線を考えて整理整頓が苦手なようですから、二人で一緒に考えながら整理することをお勧めします。
2014年3月1日 20時28分
お礼コメント
プランツ様
この様な稚拙な長文の書きなぐりを丁寧に分析していただき本当にありがとうございます。
私自身この様な事を年に数回起こすたびに自己嫌悪に陥ってきました。
引き金となる相手の言葉や態度には共通するものがあるという事を私なりにもある程度自己分析ができている面もありました。
しかしながらそれを解決へと導く方法を見つけるには至らず最終的にはこれらの行為を心のどこかで皮肉にも肯定する事でこの数年を生きながらえてこられたのかもしれません。
そして特に妻に対しては殴った事はいけないけれど、この様な事態になった原因は妻にある。そう思う事で(妻にもそう思わせる事で)妻さえ気を付ければ私は本来の穏やかな人間でいられるのだと自己弁護に走っておりました。
そこでこちらの掲示板へ相談してみようと思い立ち私自身の思いを嘘偽り無く自己弁護も自己肯定もせずありのままにまっすぐに(妻の人格を否定する様な文も書いてしまいましたが)ぶつけてみました。
ぶつけた事で何か発散されたからでしょうか私の中で救いをいただいた様な気持ちがわき上がりました。
質問文は数時間考えながら書き綴っただけなのですが、はっきりと私の中の何かがどこかへ出て行って異様に体が軽くなった様な気がします。
言葉にすると「どうでもいいことなんだ。」というのが一番近いのかもしれません。
キレてしまう行為は妻の日常のだらしなさに対してであったり妻の子供に対する態度であったりを争点にしているように私自身見えていましたが、本当に心を穏やかにすべてをゼロに戻して考えてみると、例え妻がシャキシャキと家を仕切り私の行動を良く把握し良く気の効く女性であったとしてもそれはそれでどこかに引き金は必ずあるものなのだと思いました。そしてそれをさらに追求するとすればどの様な妻であっても私という人間が変わらない限り引き金を探し続けるのでしょう。欲しているのです。まるで自ら引き金を引いて頭を打ち抜いて楽になりたいかの様に。
そういう事がゼロにした心の中をぐるぐるぐるぐると回りました。
つまり今までは妻の行動に問題があるのではなく、私が妻の行動を問題にしていたのでしょう。
そう捉えると少なからず正義感を持って生きているつもりの私はその問題を解決しようとします。
しかし妻は当然ながら妻の言い分を言います。
私は正義(もしくは常識的思考)を持って行動しているつもりですからそれを反抗(バカにされた)と見なし成敗しようとします。
しかし本当の正義ではなく父や幼少期の因縁から来るものが原因ですので当然公平な判断へは導けません。
例えるならば私は小さな山でも良いからその上で王様の様になって人を言い聞かせ自分の正当性を認めさせたかった。(上に立っていればバカにされる事は無い。下の者と混じるとそこには言い争いが発展し尊敬されていないもの同士の争いなので互いに罵り合う。つまりバカにされる。)
父が母や私にその身勝手な正当性を押し付けてきた様に今度は私が父に成り代わって理論武装し(時には力で)相手を言い負かす事でいつもその場所にいたかった。事が起きれば私はすぐにこう感じるのです。お前も私をバカにするのか。なぜ人は私をバカにするのか。押さえつけなければ私の正当性は伝わらないのか。ではやってやろう。と事が起きれば人に対しても攻撃的になるのです。
そしてなによりせめて妻だけでも私を分かって欲しかったのでしょう。私は正しいだろう。私は間違ってないだろう。そう思うだろう。そう思わないか?そう思うのならそうしなさい。なぜしないのか。なぜしないんだ。なんでしないんだ。バカやろう。お前も馬鹿にするのか。殴られたいのか。
となるのだと思います。
この様な一連の思考が心の中にすーっと降りてきて私の心の中を暖かい何かで潤してくれる様な感覚がありました。
そしてその思考が降りてきた時にこの数年私が問題視してきた妻の性格的なものにもそっと寄り添いたい気持ちになりました。
そして私は王様にはならなくて良いとも思いました。つまりバカにされても良い。と思いました。私は凡人です。そして本当の王様は自らなるものではないのです。民衆によって選ばれるものですよね。ですから私はバカにされても良いと思います。
そして曲がり形にも一家の大黒柱ですが大黒柱1本だけでは家は建ちませんね。こんな当たり前の事を忘れておりました。私は周りに支えられてとりあえず大黒柱となっているだけなのです。
自己解決したわけではありませんので今後のカウンセリングも妻と検討してみますが、この機会が私の人生にとってとても大きなターニングポイントになったかもしれないです。
本当にありがとうございました。
2014年3月3日 11時40分
ひだまり保健室
はじめまして、こんにちは。
ひだまり保健室のクーさんです。
まず初めに怒らせてくださいね。
暴力は何があっても振るってはいけません。
奥様の人格も変えてしまいますし、お子さんの将来をも潰してしまいます。
あなたがどれだけ正しくとも、暴力をふるった時点であなたの主張は全て
「間違い」になります。
これのことをしっかりと心に刻んでください。
でもこんなこと言われても引き金は奥様だと思うなら内心納得いかないですよね?
ではこう考えてはいかがでしょうか?
おねしょをしたからと言って叱る母。
そのくらい良いじゃないかと許す父。
子供の目線で考えたらどちらが良いでしょうか?
一目瞭然、父であるあなたが正解です。
でも、自分を叱る母を蹴り飛ばす父。
子供の目にはどう映りますか?
父親=母親をいじめる悪い人。
(ちなみに世間も同じ目で見ます)
いくら3歳児でもおねしょは恥ずかしい、バツが悪い、不快な事ですよね。
確かに生理的な事を「いけません」と叱るのは理不尽な気がします。
ですが、文面を見る限り、叱るというより言い聞かせていると私は受け取りました。
言われている時のお子さんの状態をあなたは観察しましたか?
例えばお子さんが平気そうだったり、お母さんの言うとおりだなと耳を傾けていたりするようでしたら、お子さんにとってお母さんの話は注意であり傷つくことではありません。 逆にお母さんの話に対し萎縮していたり悲しんでいたり、混乱していたりするのであれば、お母さんの言い方が間違いで、お子さんを追い込んでいます。
ただ「おねしょをした子供とそれに対して口を出す母親」という像で見れば、奥様が間違って見えます。 でもお子さんと奥様の関係を観察すれば内面的なものが見え、今お子さんにとって一番必要な対処が見えてきます。
しかし、自分がおねしょをしたことで父親が母親を蹴り飛ばす事態が起こる。
子供は全部自分のせい(自分が引き金)だと思い心に大きな傷を負います。
さて、子供にとって毒なのは奥様でしょうか、あなた自身でしょうか?
文章を拝見しておりますと、あなたはご自身の事をよく把握され、改善したいと反省しているように「見えます」。
ですが、どこかで自分は間違っていないということを専門家に証明してほしいという気持ちが見え隠れしているように感じます。
あなたは夫婦とは対等な関係でなくてはならないとおっしゃりながらも、
>どれほど子育てに対しての知識がないのかと呆然としました。
と、奥様を見下しています。
おねしょをした子供を叱る(奥様のは叱ったうちに入らないと思いますが)という光景は
どの家庭でもよくあることで、笑って許すことが必ずしも「正解」で、叱る事が「間違い」ではありません。 それに多くの子供の場合、おねしょは脳や筋肉の成長とともに自然と改善されるものですので、幼少期に叱られたからと言ってその後の人格形成に影響が出るとは考えにくいです。
奥様の家事の件もそうですが、奥様のなさっていることは決して「不潔」や「だらしない」と言ったレベルではないと思われます。 どちらかと言えばあなたが神経質のような印象を受けます。 容姿の事でからかわれた経験があるとのお話でしたが、それが原因で必要以上に「清潔にしなくてはならない」という思考になっていませんか?
そして必要以上に体裁を気にしていませんか?
私の見立てですと、あなたの暴力は「あなたの問題」が大きいと思います。
あなた自身が昔の傷を引きずって、今のご家庭に持ち込んでいるように感じます。
あなたは幼少期、お父様とお母様の関係に傷つき、それを反面教師としようとした、
また容姿をからかう友人へ暴力と言う形ではありますが、立ち向かい打ち勝った。
どれもとてもすばらしく、誇りとすべき経験です。
ですが、今のあなたはこれらの経験を捨て、
「のび太がジャイアン化した状態」にあるのではないでしょうか?
自分の城(家庭)を手に入れ、なんでも自分の思うとおりになると、心の深くで思っていませんか?
少々キツイことを書いていますが、あなたは乗り越えられる人だと信じてお伝えしています。
もしかすると現在、職場等家庭外でのストレスをお持ちではありませんか?
それを、自分を愛している存在(奥様)に甘えてはけ口にしていませんか?
これが続くと、DVだけでなくモラスハラスメントにもなります。
そしておそらく、奥様の性格はモラルハラスメントに弱い性格だと思われます。
あなたは奥様やお子さんをとても愛していると思います。
だから頭では傷つけてはならないと分かっておられます。
しかし、コントロールの効かない、幼少期の感情がストレスによって暴走してるのではないでしょうか?
その幼少期の体験(父親や自分が暴力で相手を押さえつけてきたこと)を
大人になった今、ダメだとは分かっていてもやってしまっているのではないでしょうか?
そうすることで、自分自身を何かから守っているのではないですか?
奥様はあなたをバカになどしていません。
一度奥様に聞いて確かめられてみてはいかがでしょうか?
弱い者いじめは「弱い者」がする事です。 あなたがする事では・・・ないですよね?
お子さんのためにも、奥様のためにも、そしてなによりご自身のために
幼いころの自分の悪い癖とお別れしてください。
あなたは立派な大人で愛すべきご家族もいる恵まれた方です。
誰と比べる必要もないし、誰からもバカにされていません。
バカにする人がバカなんですよ。
あなたにとってキツイ事ばかり言ってしまってごめんなさいね。
でも私はあなたが素敵なお父さんで、素敵な旦那様で、素敵なお人だと信じています。
奥様はあなたの強いところも弱いところもすべて大好きで結婚したのだと思います。
そんな最愛のパートナーがいるのはとても素晴らしい事です。
もし何かストレスや不安があるのだとすれば、奥様に打ち明けてみてはいかがでしょうか?
ご家族様すべての幸せをお祈りしていますね^^
2014年3月1日 20時27分
お礼コメント
ひだまり保健室様
大変貴重なご意見ありがとうございます。
私自身真剣に悩んでおりますので誤解なきようお読みいただきたいと思っておりましたがとりわけ稚拙な長文でしたものでうまく伝わらなかった様に思います。
以下再度解説を付け加えてお返事させていただきます。
>暴力は何があっても振るってはいけません。
奥様の人格も変えてしまいますし、お子さんの将来をも潰してしまいます。
あなたがどれだけ正しくとも、暴力をふるった時点であなたの主張は全て
「間違い」になります。
これのことをしっかりと心に刻んでください。
●はい。重々承知いたしております。その上でそのような事が数年間時々おこりますので私自身どうにかしなければいけないと思い悩みこちらの掲示板に投稿しました。
>でもこんなこと言われても引き金は奥様だと思うなら内心納得いかないですよね?
●そう思ってたが本当はそうでは無いという事がわかりました。ですから頭でも内心でも当然納得しています。しかし事が起こるたびにこれは心理的な操作がとても影響しておりそれは私自身が自己分析したように幼少期の頃の思いがあるのだと思います。
と記載しております。
>おねしょをしたからと言って叱る母。
そのくらい良いじゃないかと許す父。
子供の目線で考えたらどちらが良いでしょうか?
一目瞭然、父であるあなたが正解です。
でも、自分を叱る母を蹴り飛ばす父。
子供の目にはどう映りますか?
父親=母親をいじめる悪い人。
(ちなみに世間も同じ目で見ます)
●その通りです。妻の目線でも子供の目線でも世間の目でも一目瞭然私が悪いのです。ただ単なる感情的なものだけでは無い事をこの数年で自分自身気づき始め反省しても反省しても解決出来ない問題だと感じた私は私自身の心の問題にその原因を感じ今回の相談にいたったのです。
>文章を拝見しておりますと、あなたはご自身の事をよく把握され、改善したいと反省しているように「見えます」。
ですが、どこかで自分は間違っていないということを専門家に証明してほしいという気持ちが見え隠れしているように感じます。
●間違ってないと思ってきたから今まで妻に私自身の正当性を押し付けてきました。そして相談すると言う事はどこが間違っていてどこが正しいのかを客観的に判断していただく方法だと思うのですがそれをあたかも専門家の証明に頼る事が実は自己満足なのだと判断されるのでしたら私はその様な希薄な自己満足は求めておりません。解決したいだけです。
>どれほど子育てに対しての知識がないのかと呆然としました。
と、奥様を見下しています。
●そうです。見下していますからそういう問題が起こるのです。
そして投稿文に「振り返ると私は私がしたDVに対しては悪いと思っているが、その事象のDVに至までの主張に関しては妻に非があると思い込んでいる。というのが客観的にも汲み取れます。」
と記載している様に元々私は私が正しいと思っているのです。つまり私の方が当然子育ての知識もあると思い込んでいるのです。その上での話なのです。
>おねしょをした子供を叱る(奥様のは叱ったうちに入らないと思いますが)という光景は
どの家庭でもよくあることで、笑って許すことが必ずしも「正解」で、叱る事が「間違い」ではありません。 それに多くの子供の場合、おねしょは脳や筋肉の成長とともに自然と改善されるものですので、幼少期に叱られたからと言ってその後の人格形成に影響が出るとは考えにくいです。
奥様の家事の件もそうですが、奥様のなさっていることは決して「不潔」や「だらしない」と言ったレベルではないと思われます。 どちらかと言えばあなたが神経質のような印象を受けます。 容姿の事でからかわれた経験があるとのお話でしたが、それが原因で必要以上に「清潔にしなくてはならない」という思考になっていませんか?
そして必要以上に体裁を気にしていませんか?
私の見立てですと、あなたの暴力は「あなたの問題」が大きいと思います。
あなた自身が昔の傷を引きずって、今のご家庭に持ち込んでいるように感じます。
●「おねしょしたらいけないよ。ちゃんと夜おしっこ行かないからでしょ。」と。
長々とやっているその姿を見て
と記載している様に長々とやっているその姿に息子を追いつめている印象を受けましたので印象通りの事を記載いたしました。そして仰る通り笑って許すことが正解とは思いません。私がその光景から受けた印象こそが引き金を引く要因なのだと思います。つまり生理的な問題を小さな子供に押し付けるような印象を受けた(つまりバカにしている。弱い者を追いつめる姿として)私は息子に自分自身を投影したのだと思います。
>もしかすると現在、職場等家庭外でのストレスをお持ちではありませんか?
それを、自分を愛している存在(奥様)に甘えてはけ口にしていませんか?
これが続くと、DVだけでなくモラスハラスメントにもなります。
●はい。ストレスは当然あります。仕事がうまくいけば気持ちが良いものですしその反対ならばイライラする事もあります。
甘えもあると思いますしそれがはけ口にもなっている部分もあると思います。しかしそれはそれの問題の様な気がします。DVはDVの問題として私が一番悩んでいる事です。
>あなたは奥様やお子さんをとても愛していると思います。
だから頭では傷つけてはならないと分かっておられます。
しかし、コントロールの効かない、幼少期の感情がストレスによって暴走してるのではないでしょうか?
その幼少期の体験(父親や自分が暴力で相手を押さえつけてきたこと)を
大人になった今、ダメだとは分かっていてもやってしまっているのではないでしょうか?
●その通りであり、その様に記載していると思います。
大変貴重なご意見だと謙虚に受け止めるべきだと言う事は理解しているのですがやはり私がこの掲示板で専門家の方々にご意見をお伺いした内容に対するご回答と比べましてもひだまり保健室様のご回答は私の文面を反芻させただけのようであってどうすれば良いのかどこか間違っていたのかどこに原因があって誰がどのように、どうして、という趣旨のものがお見受けできませんでしたので再度解説をもってお返事をさせていただきます。
どうもありがとうございました。
2014年3月1日 23時38分
郷家カウンセリングルーム
といただすさん、はじめまして。郷家あかりと申します。
ご自分を「DV夫」というご自覚、キレるときのトリガーとなるもの、そしてその心のメカニズムまで、よく理解されていますね。
そして「負の連鎖を断ち切りたい」「人生を直」したいとおっしゃっています。
でもきっと、頭で理解しただけ、直したいという意志を持っただけでは不十分で、自信を持てない状態でいらっしゃるものと思います。
また、もしかしたら、理性で堪えてはいらっしゃっても、溢れ出しそうな感情でパンパンになっている心の状態に、気づいていらっしゃるのかもしれませんね。
書いていらっしゃるように、奥様の言動はトリガーで、原因はご自身の中を見ていくしかないですが、それも、たとえば理論、学問を持ち出して頭で解決しようと思っても、うまくいかないです。
全てはご自分の心の中の問題ですから、弱いご自分と対峙し、心の中にいる御両親と対面し、いかにご自分が傷ついているのか、恐がっているのかを知って癒していくことでしょうね。
>自分が家庭を築くときは絶対にこんな父親になるものかと誓いました。
>奥さんを大切にしよう。
>お互いに言い合える様な関係の中で喧嘩をしよう。
>こどもにも言いたい事をちゃんと言わせてやろう。
そんなふうに思ったご自分の、偽りない健気な思いを、是非とも救い出して叶えてあげてください。
DVを扱える心の専門家で、この人なら自分の弱さをさらして受け止めてもらえるかなと安心できる人を探し、その人にサポートしてもらいながら、また、自助グループなどもありますから、合いそうなものがあれば利用なさるのがよいと思います。
同じように苦しんでいる人が本当にたくさんいるとわかり、励まされるかもしれません。
傷ついているご自身が真に癒されて元気になるよう、そして奥様やお子さんと、安らぎと のびやかな笑いに満ちた、愛ある御家庭を築いていかれるよう、どうか頑張ってください。
2014年3月1日 19時32分
お礼コメント
郷家あかり様
この様な稚拙な長文の書きなぐりを丁寧に分析していただき本当にありがとうございます。
私自身この様な事を年に数回起こすたびに自己嫌悪に陥ってきました。
引き金となる相手の言葉や態度には共通するものがあるという事を私なりにもある程度自己分析ができている面もありました。
しかしながらそれを解決へと導く方法を見つけるには至らず最終的にはこれらの行為を心のどこかで皮肉にも肯定する事でこの数年を生きながらえてこられたのかもしれません。
そして特に妻に対しては殴った事はいけないけれど、この様な事態になった原因は妻にある。そう思う事で(妻にもそう思わせる事で)妻さえ気を付ければ私は本来の穏やかな人間でいられるのだと自己弁護に走っておりました。
そこでこちらの掲示板へ相談してみようと思い立ち私自身の思いを嘘偽り無く自己弁護も自己肯定もせずありのままにまっすぐに(妻の人格を否定する様な文も書いてしまいましたが)ぶつけてみました。
ぶつけた事で何か発散されたからでしょうか私の中で救いをいただいた様な気持ちがわき上がりました。
質問文は数時間考えながら書き綴っただけなのですが、はっきりと私の中の何かがどこかへ出て行って異様に体が軽くなった様な気がします。
言葉にすると「どうでもいいことなんだ。」というのが一番近いのかもしれません。
キレてしまう行為は妻の日常のだらしなさに対してであったり妻の子供に対する態度であったりを争点にしているように私自身見えていましたが、本当に心を穏やかにすべてをゼロに戻して考えてみると、例え妻がシャキシャキと家を仕切り私の行動を良く把握し良く気の効く女性であったとしてもそれはそれでどこかに引き金は必ずあるものなのだと思いました。そしてそれをさらに追求するとすればどの様な妻であっても私という人間が変わらない限り引き金を探し続けるのでしょう。欲しているのです。まるで自ら引き金を引いて頭を打ち抜いて楽になりたいかの様に。
そういう事がゼロにした心の中をぐるぐるぐるぐると回りました。
つまり今までは妻の行動に問題があるのではなく、私が妻の行動を問題にしていたのでしょう。
そう捉えると少なからず正義感を持って生きているつもりの私はその問題を解決しようとします。
しかし妻は当然ながら妻の言い分を言います。
私は正義(もしくは常識的思考)を持って行動しているつもりですからそれを反抗(バカにされた)と見なし成敗しようとします。
しかし本当の正義ではなく父や幼少期の因縁から来るものが原因ですので当然公平な判断へは導けません。
例えるならば私は小さな山でも良いからその上で王様の様になって人を言い聞かせ自分の正当性を認めさせたかった。(上に立っていればバカにされる事は無い。下の者と混じるとそこには言い争いが発展し尊敬されていないもの同士の争いなので互いに罵り合う。つまりバカにされる。)
父が母や私にその身勝手な正当性を押し付けてきた様に今度は私が父に成り代わって理論武装し(時には力で)相手を言い負かす事でいつもその場所にいたかった。事が起きれば私はすぐにこう感じるのです。お前も私をバカにするのか。なぜ人は私をバカにするのか。押さえつけなければ私の正当性は伝わらないのか。ではやってやろう。と事が起きれば人に対しても攻撃的になるのです。
そしてなによりせめて妻だけでも私を分かって欲しかったのでしょう。私は正しいだろう。私は間違ってないだろう。そう思うだろう。そう思わないか?そう思うのならそうしなさい。なぜしないのか。なぜしないんだ。なんでしないんだ。バカやろう。お前も馬鹿にするのか。殴られたいのか。
となるのだと思います。
この様な一連の思考が心の中にすーっと降りてきて私の心の中を暖かい何かで潤してくれる様な感覚がありました。
そしてその思考が降りてきた時にこの数年私が問題視してきた妻の性格的なものにもそっと寄り添いたい気持ちになりました。
そして私は王様にはならなくて良いとも思いました。つまりバカにされても良い。と思いました。私は凡人です。そして本当の王様は自らなるものではないのです。民衆によって選ばれるものですよね。ですから私はバカにされても良いと思います。
そして曲がり形にも一家の大黒柱ですが大黒柱1本だけでは家は建ちませんね。こんな当たり前の事を忘れておりました。私は周りに支えられてとりあえず大黒柱となっているだけなのです。
自己解決したわけではありませんので今後のカウンセリングも妻と検討してみますが、この機会が私の人生にとってとても大きなターニングポイントになったかもしれないです。
本当にありがとうございました。
2014年3月1日 22時23分
澤田和彦カウンセリングルーム 丸和サワダ株式会社
初めまして、心理支援士 心理カウンセラーの澤田と申します。
文章だけの解釈になりますので、誤解や解釈に誤りがありましたら
申し訳ありません。
といただすさん、小学校時代にからかわれたことなど妻に対する
DVに至るまで様々な負の連鎖にお悩みかと拝見させて頂きました。
といただすさんの文章から、カウンセラーとしまして非常に重要な
ポイントが判り易く記載して頂いておりますので・・・心理支援士で
用いております【再決断療法】の流れに沿ってご説明させて頂きます。
といただすさんは、幼少期の頃から父親の姿にどこかおびえる様な
思いでお辛い思いをされていたことが伺えます。
幼少期のおびえる思いを発散する事が出来なかった思いも非常に
お辛い中で、小学校時代にからかわれた思いが大きな精神的な
ショックとして今も心のどこかでお叫びな様子も垣間見えます。
からかわれた事を専門用語で、【禁止令】と呼ばれております。
この禁止令を受けた思いが、今になっても非常に影響がお強く残って
おります。幼少期の色んな姿の禁止令で、お悩みの方も実に
少なく現状です。
といただすさんに取って、このからかわれるという状況から脱出できる
手段としまして・・・当時は暴力という手段を覚えられたことがずっと
脳裏に焼きついておられる様子だと考えられます。
こう言った一連の負の連鎖がなければ、おねしょを説教する妻に
対しても「冷静に、お子さんをかばいつつ説教する妻をかばいつつ」と
いう言動に繋がっていると・・・といただすさんご自身もお考えであると
存じます。
といただすさんの中の大きな正義感の様なお気持ちは、小学生の頃に
ご自身をからかった相手に注意を伝えたいお気持ちに当て嵌まってみえる
ことも伺えますがいかがでしょうか?
心理カウンセリングでは、子供の頃の父親の姿や周囲にからかわれた
経験に身を置かれ・・・当時できなかった感情をお出しする事に始まりまして
当時のお気持ちを名の如く【再決断】する事=本来はこうしたかったと
お気持ちを切り替える療法になります。
当時の触れたくないお気持ちも存在することがありますが、プロの
カウンセラーにお任せ頂ければ【再決断療法】で改善に導いてくれます。
といただすさんの場合ですと、現在のお悩みの根本的な要因というのが
父親の姿やからかわれた経験と明確に感じますので・・・この根本的な
要因を解決・打開することで改善に導かれ、今お悩みの負の連鎖に
関しまして、ご自身の中で暴力はもう必要ないんだとお気持ちが
変われたことで負の連鎖からの脱出をすることが出来る療法になります。
といただすご自身の中で、過去のご自身に向き合いお一人で
解決に至ることも大きく困難なことが多いです。その様な時には
プロのカウンセラーに任せることも選択肢のお一つにお考え頂たら
幸いかと存じます。
といただすさんの文章にもあります通り、ご自身の分析が明確に
なされておりますので負の連鎖から脱出できることを心から
応援さえて頂きます。宜しくお願い致します。
心理支援士(有資格者) 心理カウンセラー
取締役 澤田和彦のカウンセリングルーム
丸和サワダ 株式会社
2014年3月1日 18時51分
お礼コメント
澤田和彦様
この様な稚拙な長文の書きなぐりを丁寧に分析していただき本当にありがとうございます。
私自身この様な事を年に数回起こすたびに自己嫌悪に陥ってきました。
引き金となる相手の言葉や態度には共通するものがあるという事を私なりにもある程度自己分析ができている面もありました。
しかしながらそれを解決へと導く方法を見つけるには至らず最終的にはこれらの行為を心のどこかで皮肉にも肯定する事でこの数年を生きながらえてこられたのかもしれません。
そして特に妻に対しては殴った事はいけないけれど、この様な事態になった原因は妻にある。そう思う事で(妻にもそう思わせる事で)妻さえ気を付ければ私は本来の穏やかな人間でいられるのだと自己弁護に走っておりました。
そこでこちらの掲示板へ相談してみようと思い立ち私自身の思いを嘘偽り無く自己弁護も自己肯定もせずありのままにまっすぐに(妻の人格を否定する様な文も書いてしまいましたが)ぶつけてみました。
ぶつけた事で何か発散されたからでしょうか私の中で救いをいただいた様な気持ちがわき上がりました。
質問文は数時間考えながら書き綴っただけなのですが、はっきりと私の中の何かがどこかへ出て行って異様に体が軽くなった様な気がします。
言葉にすると「どうでもいいことなんだ。」というのが一番近いのかもしれません。
キレてしまう行為は妻の日常のだらしなさに対してであったり妻の子供に対する態度であったりを争点にしているように私自身見えていましたが、本当に心を穏やかにすべてをゼロに戻して考えてみると、例え妻がシャキシャキと家を仕切り私の行動を良く把握し良く気の効く女性であったとしてもそれはそれでどこかに引き金は必ずあるものなのだと思いました。そしてそれをさらに追求するとすればどの様な妻であっても私という人間が変わらない限り引き金を探し続けるのでしょう。欲しているのです。まるで自ら引き金を引いて頭を打ち抜いて楽になりたいかの様に。
そういう事がゼロにした心の中をぐるぐるぐるぐると回りました。
つまり今までは妻の行動に問題があるのではなく、私が妻の行動を問題にしていたのでしょう。
そう捉えると少なからず正義感を持って生きているつもりの私はその問題を解決しようとします。
しかし妻は当然ながら妻の言い分を言います。
私は正義(もしくは常識的思考)を持って行動しているつもりですからそれを反抗(バカにされた)と見なし成敗しようとします。
しかし本当の正義ではなく父や幼少期の因縁から来るものが原因ですので当然公平な判断へは導けません。
例えるならば私は小さな山でも良いからその上で王様の様になって人を言い聞かせ自分の正当性を認めさせたかった。(上に立っていればバカにされる事は無い。下の者と混じるとそこには言い争いが発展し尊敬されていないもの同士の争いなので互いに罵り合う。つまりバカにされる。)
父が母や私にその身勝手な正当性を押し付けてきた様に今度は私が父に成り代わって理論武装し(時には力で)相手を言い負かす事でいつもその場所にいたかった。事が起きれば私はすぐにこう感じるのです。お前も私をバカにするのか。なぜ人は私をバカにするのか。押さえつけなければ私の正当性は伝わらないのか。ではやってやろう。と事が起きれば人に対しても攻撃的になるのです。
そしてなによりせめて妻だけでも私を分かって欲しかったのでしょう。私は正しいだろう。私は間違ってないだろう。そう思うだろう。そう思わないか?そう思うのならそうしなさい。なぜしないのか。なぜしないんだ。なんでしないんだ。バカやろう。お前も馬鹿にするのか。殴られたいのか。
となるのだと思います。
この様な一連の思考が心の中にすーっと降りてきて私の心の中を暖かい何かで潤してくれる様な感覚がありました。
そしてその思考が降りてきた時にこの数年私が問題視してきた妻の性格的なものにもそっと寄り添いたい気持ちになりました。
そして私は王様にはならなくて良いとも思いました。つまりバカにされても良い。と思いました。私は凡人です。そして本当の王様は自らなるものではないのです。民衆によって選ばれるものですよね。ですから私はバカにされても良いと思います。
そして曲がり形にも一家の大黒柱ですが大黒柱1本だけでは家は建ちませんね。こんな当たり前の事を忘れておりました。私は周りに支えられてとりあえず大黒柱となっているだけなのです。
自己解決したわけではありませんので今後のカウンセリングも妻と検討してみますが、この機会が私の人生にとってとても大きなターニングポイントになったかもしれないです。
本当にありがとうございました。
2014年3月1日 22時22分
追加コメント
といただすさん、コメントありがとうございます。
といただすさんの自己分析には頭が下がる思いです。
通常、心理カウンセリングで行います といただすさんの
分析や根本的な要因の探索に要因との因果関係に
至るまで・・・非常に細かな分析と正確な因果関係を
お求めな状態だと実感しております。
コメントの最後にありました通り、といただすさんの
人生の大きなターニングポイントになる事は確かな
思いです。なぜならば、といただすさんご自身が
ターニングポイントにされたいお気持ちがお強いから
です。カウンセリングでは治したいというお気持ちが
強い程、お治りになる傾向が強いです。
是非、といただすさんに取って上昇されることを
心から応援させて頂きます。
2014年3月3日 16時22分
ヒーリングメイト朝賀
といただす様
お悩みを拝見させていただきました。ホントにその通り 「負の連鎖を断ち切りたい」ですね。
読ませていただきながら 「ご両親や 祖父母やご先祖様にも似たようなことはありませんでしたか?」とお聞きしようと思いましたらご両親にありましたね。
私は 物心つくころより 目に見えない法則があると感じていました。「癒しと生き方のサロン 真理カウンセリング ヒーリングメイトサニー」を初めて8年になりますが、結婚の法則があることが明確です。ご親族とおなじような方と結婚されて両親やご先祖様とおなじような事を繰り返します。
この連鎖を改善するために いろんなことを行っています。結婚してみたら 父親にそっくりな男性だった場合であれば そのご主人にもいらしてただいて ご夫婦で悪い所を改善していくことで変化しています。 口も利かない年配のご夫婦も仲良い夫婦に成長されたりしています。
お話を といただすさんに戻しますね。
殴ってしまったことは 確かに悪いことであるかと思いますが、奥様に対しての不満等が溜まりに溜ってのことですよね。
DVとまでは 行かないのではないかとも思えます。
そして 夫婦の問題は 当人同士で直せれば好いのですが 話し合いをしても同じ事を繰り返したり 甘えもあったり 外の事ではなく 家での出来事ですので 自分を変えない限り難しいから険悪になってしまっていくのだと感じます。
ご夫婦でありたい 仲の良い家庭を気づきたい方に是非 ご夫婦で成長して欲しいです。これは 覚える事ではなく 内面を変えていくことでしかできないと思います。
それにはですね
といただすさんは ご自分の情報を正確に 今回明記してくださっていますので 普段から的を得た方がと感じます。
内観もうまくできているようで 内省もされています。それを 治していく方法が分からないだけですよね。当方はそのようなものを追及し続けて結果も出せていると思っています。
馬鹿にされた経験を続けないために「暴力が有効的であるという学習が行われている」とのことです。
これらは 馬鹿にされたことの辛い経験や感情を解放していくことが有効です。
生れてからの経験による辛いものを誰でも自分の中に溜め込んでいます。またそれだけではなく遺伝子の中に溜め込んでいる(先祖にそういう方がいて それを代々引き継ぐことが 仕事を通して分かってきました)ので それも 解放して無くしていく方向に進めますと 暴力をふるう必要性が無くなります。
①生まてからの自分の中の馬鹿にされたりすることへの辛い感情の解放
②結婚後 奥様を見て不満に感じた感情をため込んでいますのでこれを解放
③先祖から受け継いだ遺伝子の中にある同じものを解放
これを進めていかれると良いです。
そして これは ご主人だけではなく 奥様にもあると考えられます。奥様の ご両親や 祖父母 ご先祖様に暴力をふるわれる 又は 人が感に触るようなことを自分には許している等です。 引き金を引かせる要因を お持ちだと考えられます。
したがって 奥様にもこれらを行うと良いです。
ご両親が変われば 子供が変わるという結果が私のところでは出ています。
子供にも受け継がせていただきたくないと考えは浮かびましたか?
お父様も といただすさんのように 反面教師にされたのに同じことをしている可能性もあるのです。
言いかたを変えますと お父さんがこの内容を変えて解放されると 自然に といただすさんの中にある 今のよなお悩みが軽減するということがあります。私の8年の経験などです。
目に見えない法則を何とかして 幸福に生きていただきたく追及を続けています。
そして お互いの悪い所や 嫌なところを治していくこと。歩み寄れたり我慢できるようになってくる範囲が広がります。
まずは といただすさんから 「真理カウンセリングと解放ヒーリング」を受けてみませんか?
できれば 対面が良いと思いますが スカイプやお電話でもできます。
その後 やってみたいと思うようであれば 先に進んでいただきたいです。
体験な思いなどをかき続けているブログです
http://ameblo.jp/aroma-saron-88/
ホームページです
http://www.aiaisunny.com/
遺伝子の解放や自分の欠点などを軽減していく近道のHPです
http://tatiai.webnode.jp/
よかったら参考にしてみてくださいませ。
お逢いして治すお手伝いができたらと思います。
また 奥様の 結婚してからの ご主人から受けた辛いものを解放したいです。
2014年3月1日 17時53分
お礼コメント
カウンセリングサニー様
この様な稚拙な長文の書きなぐりを丁寧に分析していただき本当にありがとうございます。
私自身この様な事を年に数回起こすたびに自己嫌悪に陥ってきました。
引き金となる相手の言葉や態度には共通するものがあるという事を私なりにもある程度自己分析ができている面もありました。
しかしながらそれを解決へと導く方法を見つけるには至らず最終的にはこれらの行為を心のどこかで皮肉にも肯定する事でこの数年を生きながらえてこられたのかもしれません。
そして特に妻に対しては殴った事はいけないけれど、この様な事態になった原因は妻にある。そう思う事で(妻にもそう思わせる事で)妻さえ気を付ければ私は本来の穏やかな人間でいられるのだと自己弁護に走っておりました。
そこでこちらの掲示板へ相談してみようと思い立ち私自身の思いを嘘偽り無く自己弁護も自己肯定もせずありのままにまっすぐに(妻の人格を否定する様な文も書いてしまいましたが)ぶつけてみました。
ぶつけた事で何か発散されたからでしょうか私の中で救いをいただいた様な気持ちがわき上がりました。
質問文は数時間考えながら書き綴っただけなのですが、はっきりと私の中の何かがどこかへ出て行って異様に体が軽くなった様な気がします。
言葉にすると「どうでもいいことなんだ。」というのが一番近いのかもしれません。
キレてしまう行為は妻の日常のだらしなさに対してであったり妻の子供に対する態度であったりを争点にしているように私自身見えていましたが、本当に心を穏やかにすべてをゼロに戻して考えてみると、例え妻がシャキシャキと家を仕切り私の行動を良く把握し良く気の効く女性であったとしてもそれはそれでどこかに引き金は必ずあるものなのだと思いました。そしてそれをさらに追求するとすればどの様な妻であっても私という人間が変わらない限り引き金を探し続けるのでしょう。欲しているのです。まるで自ら引き金を引いて頭を打ち抜いて楽になりたいかの様に。
そういう事がゼロにした心の中をぐるぐるぐるぐると回りました。
つまり今までは妻の行動に問題があるのではなく、私が妻の行動を問題にしていたのでしょう。
そう捉えると少なからず正義感を持って生きているつもりの私はその問題を解決しようとします。
しかし妻は当然ながら妻の言い分を言います。
私は正義(もしくは常識的思考)を持って行動しているつもりですからそれを反抗(バカにされた)と見なし成敗しようとします。
しかし本当の正義ではなく父や幼少期の因縁から来るものが原因ですので当然公平な判断へは導けません。
例えるならば私は小さな山でも良いからその上で王様の様になって人を言い聞かせ自分の正当性を認めさせたかった。(上に立っていればバカにされる事は無い。下の者と混じるとそこには言い争いが発展し尊敬されていないもの同士の争いなので互いに罵り合う。つまりバカにされる。)
父が母や私にその身勝手な正当性を押し付けてきた様に今度は私が父に成り代わって理論武装し(時には力で)相手を言い負かす事でいつもその場所にいたかった。事が起きれば私はすぐにこう感じるのです。お前も私をバカにするのか。なぜ人は私をバカにするのか。押さえつけなければ私の正当性は伝わらないのか。ではやってやろう。と事が起きれば人に対しても攻撃的になるのです。
そしてなによりせめて妻だけでも私を分かって欲しかったのでしょう。私は正しいだろう。私は間違ってないだろう。そう思うだろう。そう思わないか?そう思うのならそうしなさい。なぜしないのか。なぜしないんだ。なんでしないんだ。バカやろう。お前も馬鹿にするのか。殴られたいのか。
となるのだと思います。
この様な一連の思考が心の中にすーっと降りてきて私の心の中を暖かい何かで潤してくれる様な感覚がありました。
そしてその思考が降りてきた時にこの数年私が問題視してきた妻の性格的なものにもそっと寄り添いたい気持ちになりました。
そして私は王様にはならなくて良いとも思いました。つまりバカにされても良い。と思いました。私は凡人です。そして本当の王様は自らなるものではないのです。民衆によって選ばれるものですよね。ですから私はバカにされても良いと思います。
そして曲がり形にも一家の大黒柱ですが大黒柱1本だけでは家は建ちませんね。こんな当たり前の事を忘れておりました。私は周りに支えられてとりあえず大黒柱となっているだけなのです。
自己解決したわけではありませんので今後のカウンセリングも妻と検討してみますが、この機会が私の人生にとってとても大きなターニングポイントになったかもしれないです。
本当にありがとうございました。
2014年3月1日 22時21分
追加コメント
といただす様
お返事大変うれしく思います。
読ませていただきまして 何かが外れましたね。
始めのお悩みの文面でも本当に葛藤が見受けられました。
奥様や子供を本当に大切に思いながらも どうにもならない自分がいて
何年も苦しみ
辛い事も積み重ねてしまったということですよね。
これだけ 苦しまれて ご自分と向きあいながら 人に公開しようと文面を考え続けることで 中に居たものがもう いられなくなり出て行かれたようです。
そして お二人のお幸せ(子供さんも)のために ご夫婦ともにカウンセリングをどこかで受けてくださいませ。お二人で受けたり お一人で受けたりとなさってくださいませ。
私も ご夫婦のキューピットの一人です。せっくかく結ばれたものを 気持の良い結びつきにしていきたい一人です。
奥さんを思うお気持ちをとても感じました。
お返事ありがとうございました。
2014年3月2日 16時51分